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エピローグ_少女の告白

三話同時投稿。3話目。

 冒険者筆頭カティアは、気配を消しながら病室の扉に背を預けていた、

 女帝とも呼ばれる彼女の頬を、涙の筋が伝っている。

「…………すまない、ヨシタツ」

 謝罪の言葉を呟いた直後、彼女は鋭い視線を廊下の奥に向けた。

 何もない空間をしばらく凝視すると、やおら扉から背を離す。

 病室の二人に気付かれないように、彼女は足音を忍ばせて立ち去った。



 治療院の裏庭には、コザクラが待っていた。

「…………ヨシタツには、損な役回りをさせてしまったな」

『…………』

 カティアが沈鬱に呟くのを、コザクラはジッと見守る。

 人気のない裏庭で、彼女達は緊張感をはらんで対峙する。

「シルビアが生きることを選んだのなら、わたしも覚悟を決めよう」

 決然とした面持ちで、カティアが告げる。

「昔、お前さんはシルビア達を街に迎え入れる条件を示したな?」

『…………』


「いいだろう、わたしは王になり、王都と戦ってやる」


 かつてカティアは、シルビア親子が一緒に暮らせる場所を探していた。

 そんな彼女を導き、この街に迎え入れたのが眼前の少女なのである。

 少女はカティアに、予言ともつかぬ計画を持ち掛けた。

 即ち、王になれと

 この街を武力制圧後、王に即位して独立を果たすという計画である。

 そして最終的には王都の軍勢を迎え撃つしか、リリを守る方法はないと告げられた。


 カティアはこれまで、他人を率いてトップに立つことを忌避し続けてきた。

 それが血みどろの戦乱をもたらす未来に繋がることを、恐れていたのである。

 だが、親友が生き残ることを選んだ以上、王家との戦いは必至であろう。

 ヨシタツが、汚れ役を引き受けたのだ。ならば次は、自分の番である。

 彼女は剣を掲げて軍勢を率い、王家との戦争に臨むことを決意した。


『その件ですが、無期延期となりました』


「…………なんだと?」

 そんな悲壮な覚悟をあっさり覆され、カティアは呆気にとられる。

『ヨシタツが王都で引き起こした混乱と、シルビアが生き残ったことで、未来の選択肢が大幅に増えました。そのため王都との全面対決の危険性は著しく減少、もしくは回避可能になりました』


 カティアはしばらく立ち尽くしていたが、やがて重いため息を吐いた。

「――――わたしは王にならなくていいのか。ヨシタツは、わたしまで救ってくれたのか?」

不確定要素(ヨシタツ)は、常にこちらの予想を裏切ってくれます』

 コザクラの口調は、どこか憮然として悔しげだった。

「大したやつだな、あいつは」

 一方のカティアは、大きく破顔した。それから、ぼそりと付け加える。

「…………もう、手加減は必要ないかな?」

 物騒な台詞を呟くと、彼女は改めてコザクラの仏頂面を見直した。

 長年肩にのしかかっていた重荷が消えると、呪縛が解かれたように心が軽くなった。

 そのせいで、唐突に気付いたことがある。

「そういやお前さん、出会った頃とまるっきり同じ容姿だな?」


 出会ってから数年が経つのに、少女は全く成長していない。

 その事実を、カティアは訝しげに問い掛ける。

「どうしてだ?」

「乙女の秘密なのです!」

 コザクラは、スチャッと片手を挙げた。

 ――まあ、最初から変わったやつだったからな。

 そういうこともあるかと、カティアは納得する。

「でもこれからは、バンバン大きくなるのです!」

「そうか、良かったな?」

 カティアは適当に聞き流したが、コザクラは満面の笑顔で言い募る。

「ハイなのです! 二年も経ったら、きっとムチムチの豊満なのです!」

 どの部分か明言しないが、コザクラは薄っぺらな胸を張って自信満々である。

 カティアは少女に近付き、そっと肩に手を置く。


「諦めろ」


 痛ましげな表情で、きっぱりと一言で告げた。

「ひどいのです!」

 コザクラはじたばたと暴れようとするが、がっちり肩を押さえられて動けない。

「…………わたしも以前、シルビアを羨んだものだ」

 遠い目で、過去に思いを馳せる冒険者筆頭。

「大人になったらきっと自分も…………虚しい希望だった」


「そんなことないのです! 希望はあるのです! 諦めたら終わりなのです!」

 治療院の裏庭に、魂の絶叫が響き渡った。


      ◆


 カティアは現在、街を不在にしている。

 ジェフティについて報告したら、彼を捕えるため王都に急行したのである。

 後日、カティアから手紙が届いて、ジェフティが行方不明になったと知らせてきた。

 どうやら一歩先んじて、逃げられてしまったらしい。

 少なくとも王都にいないとのことなので、ほっと胸を撫で下ろした。

 カティアは痕跡を見失わないように、ジェフティの追跡を継続するそうだ。

 忠告を無視してジェフティに接触したことを、彼女はかなりお怒りのようである。

 しばらく留守にするが、帰ったら覚悟しておけと脅し文句が書いてあった。


 カティアの手紙には、レジーナからの近況報告が添えられていた。

 キール君は回復して、元気に暮らしているそうだ。だが王都から連れ出すのは難しいとのこと。

 現在、王都には厳戒態勢が敷かれているそうだ。

 王都の正面玄関にあたる東門が、一〇〇年ぶりに夜間閉鎖されることになったらしい。

 俺達の街の周りも、きな臭いことになっている。

 周辺都市から部隊が送り込まれ、示威行動をとっているらしい。

 その都度、兄弟子達が出張って追い払っているが、かなり執拗だと聞いた。


 原因はもちろん、俺が王都で起こした数々の破壊活動である。

 どうやら裏で、カティアが糸を引いていると疑われているらしい。

 謎の大富豪エドモンが、事件の関係者として指名手配になった。

 しかし隠蔽工作が功を奏し、レジーナ達のことが発覚していないのが不幸中の幸いである。


 そういった諸々の事情で、キール君を送り届けることはむろん、連絡も控えるそうだ。

 近況報告の最後に、シルビアさんとリリちゃんの幸せを祈っていると書いてあった。

 俺に対しては、よくやったと一言だけ添えられていた。

 なんだか無性に嬉しくて、泣きたくなった。


      ◆


 あの日から二〇日後、シルビアさんは治療院を退院した。

 クリスとフィーが付き添いに赴き、リリちゃんは宿で出迎えることになった。

 女将代理として成長した自分の姿を、シルビアさんに見せたかったらしい。

 だが、戻ってきたシルビアさんを一目見るなり、泣き出してしまった。

「お帰りなさい、お母さん!」

 駆け寄ってきた娘を抱きしめ、シルビアさんも目が潤んでいる。

 宿をしっかり守ったリリちゃんを労った後、シルビアさんは大事な話があると言った。


「リリ、タヂカさんとのお付き合いは許しません」


 せっかくの帰宅の歓びに水を差す母の発言に、リリちゃんは戸惑ったようである。

「お、お母さん?」

「いいわね、リリ」

 念押ししたシルビアさんは、疲れたので休むと言い残し、自室へ引き上げた。


 それ以来、宿には微妙な空気が漂っている。

 シルビアさんは体力が衰えているので、仕事は控えてリハビリと休養を繰り返している。

 病み上がりの母に遠慮したのか、リリちゃんは俺と距離を置くようになった。

 もの問いたげな眼差しでこちらを時折見ていたが、俺は気付かぬフリをしている。

 事情が分からないフィーも、だいぶ居心地が悪いようである。

 病室での出来事は、クリスにも話していない。

 しかし彼女は意外と平然としていて、マイペースに過ごしていた。

 俺とシルビアさんは、表面的には礼儀正しく付き合っている。

 彼女は以前と変わらぬ態度を取り繕い、剣呑な眼差しで睨むことはない。


 しかし目に見えぬ緊張感が、地底深くのマグマのように高まっていた。

 そしてある日、ついに臨界点を突破する。


 口火を切ったのは、やはり彼女であった。


      ◆


「タヂカさん! わたしお風呂に入りたい!」


 夕食の席で、リリちゃんが唐突に告げた。

 それから彼女は、挑むように母を睨む。

 文句があるのなら言えばいい、そんな内心がありありと態度に表れている。

 大人達の微妙な空気に耐えかね、とうとう堪忍袋の緒が切れたらしい。

 シルビアさんは、我関せずと香茶を飲み、何も言わない。

「いいわね、タヂカさん! 今すぐよ!」

 そんな母のすまし顔が癇に障ったのか、俺に噛みつくリリちゃん。

 俺はフィーを連れて、食堂からすごすごと退散した。



 汗を掻いて大きなタライに溢れんばかりの湯を注ぎ、必要な道具を取り揃えた。

 背後ではリリちゃんがジッと監視しているので、緊張感が半端ではない。

 フィーは湯を沸かす手伝いを終えると、さっさと逃げ出してしまった薄情者である。

 足元を照らすように燭台を配置すると、リリちゃんに声を掛けた。

「えー、それではどうぞ、お嬢様?」

 うむと頷いたリリちゃんが、ずかずかと衝立の向こう側に回った。

「それじゃあ、俺はこれで――――」

「そこで見張っていて!」

 逃亡しようする俺を、リリちゃんが鋭く呼び止める。

「あの、見張りならクリスとか」

「いいから!」


 こうなったら腹をくくって諦めるしかない。衝立に背を向けた格好で座り込む。

 ごそごそと聞こえてくるのは、服を脱いでいる音だろう。

 ちょっとまずくないかな? そんな懸念が頭を過ぎる。

 たぶんシルビアさんが、宿の中から監視しているに違いない。

 とは言え、リリちゃんに逆らう度胸もない。

 板挟みに苦慮していると、ぱちゃぱちゃと湯をかき混ぜる音がする。

「…………ねえ、タヂカさん? これに入るの?」

 リリちゃんが、不安そうな声で尋ねる。

「え? ああ。タライに横たわって、全身を温めるんだよ」

「…………そうなんだ」

 でも、その前に。そう言い添えるよりも先に、彼女は行動した。

「ひょわわわわ――――!?」

 水が盛大に溢れる音と同時に、奇声をあげるリリちゃん。

「リリちゃん!?」

「な! なんでもないから来ちゃダメ! びっくりしただけだから!」

 どうやらいきなりタライに飛び込んだらしい。きっと熱かったのだろう。

 しまったな。掛け湯とか事前にレクチャーしておくべきだった。

 衝立の向こう側から、うーうーとリリちゃんの唸り声が聞こえる。

「ごめんね、リリちゃん。もうちょっと、ぬるめにしておけば良かったかも」

 追い炊きできないので、湯温を高めにしたのはマズかったかもしれない。

「へ、へっちゃらだよ! ちょうどいいよ、うん!」

 やせ我慢をしているのがみえみえだよ、リリちゃん?

 それでも温度に慣れてきたのか、しばらくすると唸り声が止んだ。


「ねえ、お母さんと何があったの?」

 リリちゃんの言葉は予想通り。そうだろうとは思っていたのだ。

 お風呂にかこつけて二人きりになり、事情を問い質すつもりなのである。

 こうなっては、逃げも隠れもできない。

「…………喧嘩を、したんだ」

「喧嘩?」

「うん。その時にね、とてもひどいことを、してしまったんだ」

「…………」

「取り返しのつかない、絶対に許されないことなんだ」

「…………うん」

「だからね、悪いのは全部、俺なんだ。嫌われて当然のことをしたんだから」

 とにかく、俺を悪者に仕立てればいい。

 そうすれば、シルビアさんに対して態度を軟化させるはずだ。


「仲直りをしないの? ちゃんと謝ったら、お母さん許してくれるよ?」

 俺の言い分を信じ、リリちゃんがアドバイスしてくれた。

「どうかな? あれだけ嫌われたら、難しいんじゃないかな?」

 詳しい事情を明かせないので、どうにも歯切れが悪くなる。

「どんなに嫌われていても、きっと仲直りできるよ!」

 リリちゃんが、力強く励ましてくれる。


「わたしだって、前はタヂカさんのこと大っ嫌いだったんだから!」


 天真爛漫な口調で、そんなことを言われてしまった。

「そ、そうなの?」

「うん! タヂカさんの顔を見るのも、声を聞くのも、近寄るのも嫌だった!」

 そこまで!? 俺は以前、この子に何か仕出かしたのだろうか。

「あの、理由があったら教えていただけないでしょうか?」

 思い当たる節がないので、とりあえず訊いてみる。

 生理的に受け付けなかったと言われたら、かなりへこんでしまう。


「あのね? お母さんと一緒になって、新しいお父さんになるんだって思ったの」


 驚きのあまり、心臓が止まってしまいそうになった。

「初めてタヂカさんが来た時、なんて嫌な目をした人なんだろうって思ったの。むっつり不機嫌そうにしているのに、顔を合わすと急に愛想笑いで誤魔化したりしたでしょ?」

「そ、そうだっけ?」

 よく覚えていないけど、そんな感じだったのだろうか?

「それなのにお母さん、タヂカさんに優しくして甘やかすんだもの。だから思ったの、お母さん、きっとタヂカさんが好きなんだろうなって」

「いや、その、まあ」

 どう反応すべきか、まごついてしまう。

「…………お母さんを盗ろうとするタヂカさんが、大っ嫌いだったの」

 リリちゃんの口調が、急にしんみりした。

「…………ごめん、リリちゃん」

 彼女の生い立ちを考えれば、当然の感情である。あの当時、俺は周囲がまるで見えていなかった。

 もう少し配慮すれば、彼女を傷付けずに済んだのに。


「でもね、ある日タヂカさんとお母さんが喧嘩しているのを聞いちゃったんだ」

 え? いつのことだ? そんなこと――――まさか!?

「タヂカさん、怒鳴っていた。この街が嫌いだって。わたしやお母さんが嫌いだって。誰も彼も、何もかも全部が嫌いだって」

 全身の血が、音を立てて引いた。

「…………故郷に帰りたいって、タヂカさん、大声で泣いていた」

 アレを聞かれたのか!?

「それを聞いて、すごく怒った。ひどい人だって思った。わたしやお母さんや、大好きな街のみんなのこと、なんにも知らない余所者のくせにって」

「ご、ごめん! そんなつもりじゃ――――」


「その時ね、気付いたの」

 俺の弁明を遮り、彼女は言葉を続ける。

「わたしだって、タヂカさんのことなんにも知らないくせに、ただ嫌っていたって。相手を嫌っていたら、相手からも嫌われるのは当たり前だよね? ほんとは泣きたいのに、頑張って笑っていたんだよね?」

 いやいやいや! リリちゃんに意地悪されて泣いた訳じゃないから!

「だからタヂカさんのことちゃんと見て、良い所をいっぱい見つけようって思ったの」

 羞恥心で身悶えてしまったが、今更である。

 開き直って、尋ねてみた。

「それで? 俺にもちょっとは良い所はあったのかな?」

 リリちゃんの笑い声が聞こえた。シルビアさんそっくりの笑い方である、

「――――どうかな?」

 …………凄く気になる気になる言い方なんだけど。


「だから心配しないで! わたしだってタヂカさんと仲良しになれたんだから! お母さん、今は怒っているかもしれなけど、きっと仲直りできるから!」

 リリちゃんの励ましを耳にして、心の底から思う。

 この子の大切な日常を守れて、本当に良かったと。


「でも、タヂカさんはお父さんとしては不合格です!」

「あれ? それはダメなんだ?」

 話の流れ的に、良い感じでまとまりそうだったのに。

「だってタヂカさん、理想のお父さんと全然違うんだもの」

 リリちゃんの容赦のない攻撃に、心がえぐられます。

「…………シルビアさんから、お父さんのことは?」

「ちょっとだけ教えてもらったの。とても偉い治療師だったんだって」

「そっか…………」

「わたし、あまりお母さんに似てないでしょ? だから、きっとお父さん似だと思うな」

 彼女の何気ない台詞に、一瞬だけヒヤリとする。

「ちっちゃい頃、桶の水に顔を映して想像していたの。お父さんって、どんな人なのかなって」

 少女の切なさと憧れが込められた口調に、胸が締め付けられた。

「シルビアさんが愛した人だから、きっと立派な人だったんだよ」

 賢い子だから、無責任な言葉は通じない。

 それでも、そんな台詞しか思いつかない自分が情けなくなる。


「…………お父さん、わたしのことも好きだったかな?」


 彼女の声には、かすかな怯えが感じられた。父親は、彼女が生まれる前に死んだのだ。

 愛された記憶がないから、不安を覚えてしまうのだろう。

「もちろん。君のお父さんは、リリちゃんのことを大切に思っていたよ」

 この点については、断言できる。

「どうして、そんなことが分かるのよ」

 ちょっとむくれた感じで、リリちゃんが問い詰める。適当な慰めだと思ったのだろう。

「リリちゃんが優しいのは、お父さんから愛情を受け継いだからだ」


 リリちゃん。君のお父さんは、命を捨ててお母さんと君を守ったんだ。

 疑いの余地もなく、君はご両親から愛されて生まれてきた子だよ。

「だから、リリちゃんを見れば、ちゃんと分かるんだ」


「…………そっか」

 元気を取り戻したリリちゃんが、くすくすと笑い出す。

「またひとつ、タヂカさんの良い所を見つけた。でも、やっぱり想像していたお父さんとは違うよ」

 ぱしゃんと、湯を弾く音が聞こえた。

「だからね? タヂカさんのこと、お父さんの代わりだなんて思ってないよ?」

 勢いよく立ち上がり、湯が盛大にまき散らされる音。

「わたしの、気持ちなんだよ? …………タヂカさんが勝手に決めて、一人で納得しないでよ」

 水が滴る音と一緒に、気配が動く。彼女が衝立を回り込み、俺の背後に立っている。


「お父さんの……代わりじゃない……ヨシタツさんが、好きだから」

 どこか間延びした感じの、リリちゃんの告白。


 子供だと、思い込もうとしていたのかもしれない。

 思春期の一過性の憧れ、父親代わりならと、彼女の好意を受け入れる言い訳にしていた気がする。

 だが彼女は、大人ではないかもしれないが、少なくとも子供ではなかった。

 もし彼女が真剣な想いを抱いているのなら、即座に彼女を拒絶しなくてはならない。

 リリちゃんと交わした約束までの三年、青春の貴重な時間を浪費させてはいけない。

 彼女に相応しいのは、人殺しの元賞金稼ぎではないのだから。


「リリちゃん、俺は――――」



 声が途切れた。拒絶の言葉が、喉につかえてしまう。

 自分自身が、信じられなかった。

 遥かに年下の少女に、俺は未練を感じている。

 彼女が与えてくれる好意を、失いたくないのだ。


 ふと、王都を脱出した時の光景が脳裏をよぎる。

 船上で、隣に立つクリスの横顔を思い出し、後ろめたい気分になった。


 とさっと背中に重みを感じた。

 服越しでもはっきりと分かる、少女特有の柔らかさを感じた。

「リリちゃん!?」

 首を捻じ曲げると、リリちゃんが肩口に顎を乗せていた。

 上気した頬、閉ざされた瞼を縁取る長いまつ毛。

 半ば開かれた唇に、目が引き寄せられる。


「ぷぇえええええー」

 そして、奇妙な鳴き声をあげた。

 ぐったりともたれ掛かった彼女が、苦しげに喘いでいる。


 ……………………湯あたりだコレ!?

「リリちゃん! しっかりして!?」

 立ち上がろうとしたら、彼女の身体がずれ落ちる。

 手で支えたら、すべすべした肌の感触が!?


「シルビアさん! クリス! フィー! 誰か来てくれええ!」

 慌てふためいた俺は、必死になって助けを求めた。


      ▼▼▼


 シルビア、クリス、フィー。

 食堂に揃った三人が、黙々と香茶を飲んでいた。

 シルビアは無表情に、クリスはリラックスしてカップを傾けている。

 一人フィーだけが落ち着かず、椅子の上でもぞもぞとしていた。

 中庭に面した窓が開けられ、夜風に乗ってヨシタツとリリの声が流れてくる。

 会話の内容は分らないが、声の調子からして悪い雰囲気ではない。


「あのーシルビアさん、伺ってもよろしいでしょうか?」

 沈黙に耐えられなくなったフィーが尋ねた。

 ちょっと怯えているのか、言葉遣いがやけに丁寧である。

「何かしら?」

 無機質な目でカップを覗き込みながら、シルビアが聞き返す。

「リリちゃんとタツの交際禁止、あれ、本気ですか?」

「どういう意味?」

「ひょっとして、リリちゃんを発奮させようと、わざとあんなことを言ったのかと」

 今までもリリをけしかけて、ヨシタツとの仲を進展させようとしていたのだ。

 だから今回も、同じ目論見かと考えたのである。


「いいえ。ヨシタツさんにリリは相応しくありません」


 シルビアは、にべもなく答えた。

「そんな!? リリちゃんが可哀そうです!」

 フィーが抗議しても、シルビアは眉ひとつ動かさない。

「これは我が家の問題です。他人は口を出さないでください」

 けんもほろろな物言いに、フィーは絶句する。

 退院してから、シルビアの雰囲気が微妙に変わったように感じていた。

 しかし今の彼女は、まるで別人のような気がしたのだ。


「リリのことよりも、あなた達は自分のことを心配しなさい」

「クリスと、わたしですか?」

 風向きが転じたので、フィーが身構える。

「あなた達は、今の境遇に安穏としていない? 彼の奴隷だから、何があっても一緒にいられる、そんな風に考えていない?」

 フィーが、相棒をちらりと一瞥した。

 クリスは何も言わずに、香茶を飲み続けている。

「彼は、あなた達を今の境遇から解放するつもりです」

 シルビアの言葉に、フィーは目を丸くする。

 同じことを以前、ヨシタツが匂わせたことがある。

 その時は彼の気遣いを嬉しくて、本気で考えているとは思わなかった。


「そして彼はいつか必ず、それを成し遂げるわ」


「――――そんなの、無理です」

 フィーは、終身奴隷が解放されないことを知っている。そんなことは常識の範疇なのだ。

「無理とか不可能とか、そんな言葉に意味がないわ。そうと決めたら、彼は絶対に実現してしまう」

 シルビアは能面のような無表情で、淡々と告げている。

 しかしフィーは、いかなる反論も封じる雰囲気に気圧された。

「でも、その時が来たら、あの人はあなた達から離れてしまうでしょうね」

 シルビアの宣告に、フィーは言葉を失った。

 人としての尊厳を奪われた、終身奴隷の身に甘んじているつもりはない。

 だが、生涯救われぬ境遇でも、慰めはあると思っている。

 それは、ヨシタツと共にいられることだ。

 仮にもし、ヨシタツに恋人が出来たとしても、それは変わりがないと確信している。

 いずれ恋人とは別れることがあっても、ヨシタツは奴隷である自分達を絶対に見放さない。

 (いびつ)ではあっても、それは決して切れることのない絆だと信じていた。


 ――でも、もし終身奴隷から解放されたら、自分達と彼の間には何が残るのだろうか。

 万が一、終身奴隷から解放される機会があれば、それを望まない選択肢はない。

 ――だけど、もしもそうなったら、タツと自分達の関係は…………


「別に関係ありません。去ねと言われても、ずっと側にいますから」


 フィーの葛藤を、クリスがこともなげに断ち切った。

「リリちゃんのことも、交際禁止だろうと好きに命じればいいのです。親に反対されて諦める恋なら、それまでのことです」

 クリスは静かな眼差しで、シルビアを真っ正面から見据える。

「タツは、生半可な覚悟で添い遂げられる人ではありません。そういうことなのでしょう?」

 彼女の指摘に、シルビアの口角がかすかに吊り上がる。

「でも、リリちゃんやわたし達のことよりも、あなた自身はどうするつもりなのですか?」

「わたし?」

「はい。あなたは、タツのことをどう思っているのですか?」

 フィーは息を呑み、両者のやり取りを眺める。

 シルビアの人変わりよりも、むしろクリスの落ち着き払った態度に驚いていた。


「そうねえ、どうしようかしら?」

 シルビアが、口元に浮かんだ笑みを手の甲で隠す。

「あそこまで面白いように、手のひらで転がされたのは初めての体験だったわ」

 目元には凄絶な色気と、挑むような気迫を湛えたシルビア。

 ――いったい何があったんだろう!?

 フィーは疑問に思ったが、怖くて聞けない。

「あの人には、ちゃんと責任を取ってもらわないと」

 大人の笑みを浮かべるシルビアに、フィーはぞくりと背筋を震わせた。


「よくは分りませんが…………要するに格下だと舐めていたタツに、完敗した訳ですね」

 うんうんと、クリスが頷く。

「それは確かに悔しいでしょう」

 ――クリス! やめてええっ!

 フィーが内心で絶叫する。本人に悪気はないのだろうが。

 シルビアが、笑顔になった。以前と変わらぬ、穏やかな笑みだった。

「旅から帰ってきたら、随分と大人になったのね」

 それなのに、フィーは余計に怯えてしまう。

「はい、色々とありましたから」

 そこで恥じらうように、頬に朱を散らすクリス。

「本当に、色々と」

「まあまあ」

 二人は真正面から、笑顔で対峙した。

 フィーのお腹が、シクシクと痛み出した。


 ――誰か来てくれええ!

 その時、窓の外から助けを乞う、ヨシタツの叫びが聞こえた。


 二人は同時に席から立ち上がり、歩き出す。

 やがて肩で押し合い、競うような早歩きで立ち去った。


「えーと?」

 残されたフィーは、首を傾げる。何がどうなったのだろう?

 我に返ると、彼女は慌てて駆け出した。


「ちょっと待って! 置いてかないで!」

 あたふたとフィーも立ち去り、食堂には誰もいなくなった。

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