表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
151/163

聖母_前篇

三話同時投稿。1話目。

 日課である母の見舞いを終え、リリは治療院の外に出た。

 玄関先まで見送りに出たモーリーが、笑顔で手を振る。

「リリちゃん、気を付けて帰ってね」

「はい! お母さんをお願いします、モーリーお姉ちゃん!」

 元気よく挨拶したリリが、背を向けて歩き出した。

 少女の姿が門の角を曲がると、モーリーの表情から笑みが消える。

 彼女の唇から、重く疲れたため息がこぼれた。


 少女の母、シルビアが入院してから、はや二ヶ月が経とうとしている。

 モーリーは当初、その症状から過労だと診立てていた。

 しかし日を追うごとに容態は少しずつ悪化し、回復の兆しが伺えない。

 単なる過労ではないと気付いてみたものの、原因さえ特定できない状況である。

 身体的な異常は診られないのに、まるで命が漏れだすように衰弱していくのだ。


 本来は神殿勤めであるモーリーだが、ここ一月ほどは毎日欠かすことなく治療院に通っている。

 そして少女の母を看病しながら、密かに治癒スキルを施したりもした。

 時に限界まで力を振り絞るが、効果はほとんどなく今日に至っている。

 モーリーは、既に悟っていた。シルビアの命が、遠からず儚くなることを。

 長年治癒スキルに馴染んできたせいか、彼女には死の予兆なものが察せられる。

 漠然とした、暗く無慈悲な感覚を覚える時、患者が持ち直すことは滅多にない。

 そんな時、モーリーはいつも無力感に苛まれるしかなかった。

 彼女の苦悩は、それだけではない。


 リリは毎日、明るく振る舞っていた。

 母を見舞っては、宿での出来事を楽しそうに報告する。

 その表情に暗い陰は少しも窺えず、無邪気に笑っていた。

 だが、リリは非常に(さと)い娘である。母の容態の悪化に気付かぬはずがない。

 しかし最近のリリは、母の容態について尋ねることをしなくなった。

 母が病気であることを、本当に忘れてしまったのかのようにすら感じられる。


 そんな彼女の状態を、モーリーは危ぶんでいた。

 彼女はまだ一四歳なのである。内心の不安を隠せるほど、強い精神力があるとは思えない。

 現実から眼を逸らすことで、心の均衡をはかっている気がするのだ。


 あの人がいてくれれば、そんなことをモーリーは思う。

 彼ならばきっとリリを支え、その悩みを受け止めてくれただろう。


 ――どうか、どうか早く帰ってきて下さい。

 その日も、モーリーは天を仰ぎ、祈りを捧げる。

 何度も祈りながらも、未だに叶えられない願いである。


 ――もう、わたしには、手の施しようがないのです。

 彼には、シルビアの容態について心配いらないと告げてしまった。

 だから彼は、心置きなく旅立つことができたのだ。

 信頼を裏切ってしまった。きっと自分に失望するだろうと、彼女は胸を痛める。


 ――それでも構いません。ですから、どうかあの子を助けて下さい。

 そして彼女は、いつものように治療院の門を通り抜ける彼の姿を想像した。

 ふらりと神殿を訪れ、いつも自分に穏やかな温もりをもたらす笑顔を思い浮かべる。


 そうやって毎日、何度も何度も強く心に思い描いたせいだろう。

 心が疲弊していた彼女は、こちらに歩いてくる姿を見て、幻覚だと思った。

 髪が随分と短くなっているのが、想像の姿とは違っている。

 彼の傍らには、彼に連れ添って旅立った友人の姿もある。


 モーリーの視界がぼやけた。

 溢れる涙を堰き止めようと、ぎゅっと瞼を閉じる。

 リリに対する罪悪感があった。彼を一番必要としているのは、あの少女なのだ。

 誰よりも辛い目に遭っている彼女を差し置いて、自分が涙を見せる訳にはいかない。

 だが、溢れる涙は止まらない。


 ふわりと、抱き締められた。埃と汗の匂い、その温もりは幻ではありえない。

 モーリーは嗚咽を漏らしながら、ヨシタツの胸に顔を埋めた。


      ◆


 王都から脱出した俺とクリスは、北東にある港湾都市付近の浜辺に小舟で上陸した。

 しかし、どことなく不穏な空気を感じ、港湾都市に入るのは止めたのである。

 他人と同乗する駅馬車を使わず、徒歩によって帰路を踏破した。

 数日掛けた強行軍で街に帰還したのはつい先程である。

 その足で治療院を訪れたのである。



 声を詰まらせて泣くモーリーを宥め、不在中の状況を確認した。

 カティアは、シルビアさんの病について秘密にしているらしい。

 確かに霊薬しか効かないのなら、打ち明けても意味はないかもしれない。

 だが、せめてモーリーにだけ耳打ちしておけば、彼女の負担は減ったはずである。

 後で文句を言ってやると心に決めたが、先にやるべきことがある。

 リリちゃんのことも心配だが、シルビアさんが回復すれば全て収まるのだ。

 泣き疲れたモーリーを治療院の仮眠室で横たえ、クリスに付き添ってもらった。

 彼女達を残し、俺は一人で病室に赴いた。


 ドアをノックすると、中から返事があった。

 ノブに手を掛け、一瞬ためらってから静かに押し開ける。

「お帰りなさい、タヂカさん」

 柔らかな声が、俺を迎えてくれた。

 殺風景だが、清潔な印象の部屋である。花瓶の花が、目に鮮やかに映った。

 明るい光が差し込む窓の手前に、ベッドが据えられている。そこに彼女はいた。

 肩掛けを羽織った彼女は上半身を起こし、こちらに微笑み掛ける。

 二ヶ月ぶりに再会した彼女は、やつれた感じがした。

 透き通るような肌に血の気はなく、薄く静脈が透けている。

 生気というものが希薄で、そのまま淡く消えてしまいそうだ。

 だが――――間に合ったのだ。


「…………ただいま、シルビアさん」

「ご苦労だった、ヨシタツ」

 横合いから声を掛けられ、初めて彼女の存在に気付く。

「カティア、久しぶり」

 冒険者筆頭は病室の壁に背を預け、腕を組んで佇んでいた。

 王都での作戦決行前に帰還予定日を知らせたが、五日も遅れてしまった。

 ひょっとすると彼女は、日参して待っていたのかもしれない。

 カティアの表情は厳しく、視線で鋭く問い掛ける。

 目配せで任務達成を告げたが、彼女の表情は和らがない。

「頼む、ヨシタツ」

 ぼそりと呟いた彼女は、一層緊張感が増したように感じた。


「どうしたの、二人とも? 疲れたでしょう、さあ、そこに座って?」

 俺とカティアの微妙なやり取りを、不思議そうに眺めるシルビアさん。

 その様子から、俺とクリスの任務について何も知らされていないのだと悟った。

 そうなると、どう切り出していいものやら迷ってしまう。

 自分で打ち明けるつもりがないのか、カティアは沈黙を守ったままだ。

 しばらく彼女を睨んでいたが、仕方なくベッドの傍らの椅子に腰を下ろす。

「それにしても、その髪はどうしたの?」

 彼女は首を傾げ、俺の頭部を凝視する。

 まじまじと見られ、気恥ずかしくなって頭を撫でつける。

 本当に良かったと切実に思う。丸坊主のまま姿を現したら、もっと驚かれただろう。

「まあ、色々とあって…………」

「似合っているわよ、とっても」

 俺が口ごもると、クスクスと笑うシルビアさん。

 若々しいというより、少女のような含み笑いだ。

「その、具合はいかかですか?」

「ええ、すっかり良くなったわ」

 恐る恐る切り出すと、彼女は朗らかに答えた。

「でも、もうちょっとだけ、入院が長引きそうなの」

 かつての母と同じ笑顔で、似たような答えを返してきた。

 だから、分かったのだ。彼女が自分の死期を悟っていることを。

 俺に向かって、そっと手を差し伸べるシルビアさん。

 痩せてしまった指を取ると、ひんやりとした感触が伝わった。


「だから、リリのことをお願いできますか? できれば、これからもずっと」


 俺は黙ったまま、彼女の手のひらを上に向けて開かせた。

 懐から取り出したガラス瓶を、そっと乗せる。

 彼女は怪訝そうに見詰めてから、ハッとした表情になる。

「これはまさか!?」

「霊薬です。シルビアさんの病気を治すために、手に入れました」

「どうやってこれを!」

 シルビアさんは、驚愕の面持ちだった。


 俺は、カティアに霊薬入手を命じられたことから話し始めた。

 王都に到着したが右も左も分からなかったこと。

 レジーナと出会ったこと、霊薬の情報を探し求めたこと。

 三人のお手伝いさん、カルドナ、シルビアさんの親族である魔女達、そしてキール君のこと。

 俺とクリスが出会った人々のことは、なるべく詳しく話す。

 サーク、ジェフティ、リオン、錬金術などについては省いた。

 真相については、カティアとフィーにだけ打ち明けるつもりである。

 シルビアさんが気に病まないようにしたかったのだ。

 話の途中でシルビアさんは何度も驚いたり、懐かしそうに目を細めたりした。

 レジーナの話題については、特に興味深そうだった。

 どうやら彼女は、シルビアさんの前では猫を被っていたらしい。

 俺から見たレジーナ像に、彼女は可笑しそうに口元をほころばせた。

 最後に、偶然霊薬を手に入れたのだと告げた。


「…………そう、だったの」

 彼女はガラス瓶を両手で包み、胸元に押し付ける。

「ありがとう、あの人に花を手向けてくれて」

 旧ぺルセンティア邸に赴いた時のことだろう。彼女が涙ぐんで感謝した。

「シルビアさん、どうか元気になって下さい」

 なんだか無性に照れ臭くなって、話を締めくくった。

「リリちゃんには、あなたが必要なんです」


 シルビアさんは目尻を拭うと、まるで花のような笑みを咲かせた。

「霊薬はこれ一本なのね?」

「ええ? はい、そうですが…………」

 何気なく答えてから、肝心なことに気付く。

「もしかして足りませんか!?」

 霊薬の服用量なんて、考えも及ばなかった。

 しかしシルビアさんは首を振り、ベッドから足を下ろした。

 慌てて身体を支えようとしたが、それを彼女は身振りで遮る。

「カティアも、ありがとうね」

「…………どうだ?」

 窺うような上目遣いで、カティアが尋ねる。

 シルビアさんは窓辺まで寄ると、こちらを振り向いた。

「タヂカさん。あなたなら安心して、リリを託せます」


 彼女はガラス瓶の蓋を取ると、窓の外に手を伸ばして逆さにする。

 ガラス瓶からこぼれた霊薬が、黄金の糸のように流れ落ちていった。


 身動きできない俺の目の前で、シルビアさんがふらりとベッドに倒れ込む。

 わずかな運動でも荷が重かったのか、呼吸が乱れている。

「…………ごめんなさい、せっかく手に入れてくれたのに」

 彼女は苦しげに喘ぎながら、手にしたガラス瓶を差し出す。

 呆然としたまま受け取ると、彼女の手がぱたりとシーツの上に落ちた。

 ガラス瓶は、空っぽだ。一滴の霊薬も残っていない。


「…………どうして、なんだ」

 いったい何が起きたのか、感情が現実を拒絶する。

 虚脱した俺の耳に、乾いた笑いが響いた。

 カティアが前髪を掴み、ズルズルと壁に背をこすりながら、床にへたり込んだ。

「やはり、駄目だったか」

「説明、してくれ」

 力なく呟く彼女に、声を固くして尋ねる。

 怒鳴りたかった。暴れたかった。瓶を掴み、花ごと床に叩き付けてやりたい。

 だけど今は、事情を問うべきだった。


「――――話せば長くなるのだが」

「カティア?」

 シルビアさんが咎めるように、親友を睨む。

「理由ぐらい説明しないと、ヨシタツも納得できないだろ? なにせ相当苦労したはずだからな」

「ああ、その通りだ」

 シルビアさんも、渋々といった感じで口を閉ざす。


「ぺルセンティア家の反逆について知っているか?」

 カティアが床に座り込んだまま、俺に問い掛ける。

「…………ああ。冤罪で家門断絶になったらしいな」


「冤罪ではない。ぺルセンティア家が反逆を企んだのは、紛れもない事実だ」

 カティアが、きっぱりと告げた。


      ◆


 ――知っているか?

 ペルセンティア家は遷都以前から続く、前王朝にも血筋がつながる名門だったそうだ。

 むしろ現代の王家よりも、王朝を継ぐ正統性があったらしい。

 まあ、歴史上の話だ。どの程度信ぴょう性があるのかは知らないがな。

 しかしペルセンティア家の連中は、それを頑なに信じていた。

 特に当主となるべき人間は、王位を取り戻すという妄執を代々受け継いだらしい。


 ヴェルフはな、悪い意味で生真面目な男だったよ。

 ぺルセンティア家に脈々と伝わる妄執を、本気で実現しようとしたのだからな。

 シルビアの前の奥方が身重のまま亡くなったので、世に未練がなかったのかもしれん。

 理由はともかく、彼は王位を簒奪するために準備を進めたのだ。

 その一環として、王城を武力制圧するための戦力も集めた。

 名は言えないが、誰もが一癖も二癖もある猛者ばかりだった。

 その中には、わたしやジェフティもいたのだ。


「ジェフティは、ヴェルフの配下だったのか!?」

 驚きのあまり、思わず叫んだ。いや、それよりも

「カティアも!? いったい何歳だったんだ!」

 だって、カティアの年齢から逆算すると――――

「さて、初めて参加したのは…………十か、十一歳ぐらいか?」

 首を傾げながら、彼女はとんでもないことを口にする。

 王位簒奪の戦力に、そんな子供まで加わっていたのか!?

「ヴェルフには借りがあった。命の借りだ、気は進まなかったが協力した」

「なら、ジェフティは?」

 あの真理の探究者が、政治的な理由で加担するとは思えない。

「ヴェルフが、ぺルセンティア家が所蔵する霊薬を餌にしたのだ」

 それならば頷ける。研究材料を手に入れるためなら、どんな協力でもするだろう。

 納得し掛けてから、不可解な点に気付く。


「ヴェルフはどこで、その霊薬を手に入れたんだ?」

 霊薬を入手する困難は、身をもって体験した。

 あのジェフティでさえ、偽りの身で王家の招聘を十数年待ち続けたほどである。

 譜第貴族とはいえ、王家が秘匿する霊薬を入手するのは容易ではないはずだ。


「ぺルセンティア家に伝わる医療技術は、そもそも霊薬を量産するための研究から始まっている。研究用の霊薬を入手するため、彼らは禁忌に手を染めたのだ」

 うっすらと浮かべたカティアの笑みに、背筋が凍った。


「当主の血から、霊薬を抽出したのだ」


 彼女の告げた言葉が、思考を上滑りする。

 それが、おぞましい所業ということしか理解できない。

「ぺルセンティア家の当主は死期が迫ると、自分の血を抜き取らせる。次期当主が、そこから霊薬を分離する。一人からは、微々たる量しか採取できない。だから何世代にもわたって、わずかな霊薬を蓄積し続けた。やがて分析に必要な量を満たせば霊薬の謎を解き明かし、自家で量産するために」


 正気の沙汰ではない、しかも最初から、見込みのない試みだ。

「――――それは、無意味だ」

 彼らは、知らなかったのだろうか。霊薬は、錬金術スキルでしか精製できないことを。

 そして錬金術スキルでも、たとえ霊薬の実物があっても処方箋(レシピ)を解析できないのだ。

「らしいな?」

 しかしカティアは、平然と頷いた。

「ヴェルフは、無駄で無意味であることを知っていた。代々の当主達も知っていただろうと、彼は苦笑いしていたな」

「だったらなんで、そんなバカげたことを続けたんだ!」

「わたしは知らないし、理解もできん」

 思わず声を荒げると、カティアが興味なさそうに肩を竦める。

 しばらくして頭が冷えると、なんとなく彼らの心情が分かるような気がした。

 多分、止めたくても止められなかったのだ。

 払ってきた代償が大き過ぎて、自分の代で過ちを認めることが出来なかったのかもしれない。

「ちなみにヴェルフは、この事実をジェフティに隠し通した。やつに知られたら、王都で貴族の家門当主殺しが頻発するからな」

 カティアは面白くもなさそう笑ったが、冗談ごとではない。

 あの男なら本気で、当主達を根こそぎ狩り尽くすだろう。


「…………なぜそこまでして、霊薬に固執したんだ?」

 確かに万病の妙薬としての、霊薬の価値は高いだろう。

 しかし、そこまでの犠牲を払ってまで、量産化にこぎつける必要が理解できない。

「それは王家が、霊薬によって全ての貴族家を汚染しようとしていたからだ」

「汚染?」

「霊薬には、二つの副作用がある。一つには、老化を遅らせる作用だ」

 もう驚くことはないと思っていたが、間違いだったらしい。

「不老長寿の薬か!?」

「不老ではないが、年齢が若いほど強く効果を発揮する。だから霊薬の投与は、ある程度年嵩の者に限定している。でないと家門当主ばかりが、異常に若々しい外見になってしまう。そうなってしまったら世間が不審に思い、疑いを抱くからだ」

 分かるか、とカティアは問う。

「なぜ王家が、そこまでして霊薬の実態をひた隠しにしているのか」

「…………もし世間に知れ渡れば、王家の屋台骨が揺らぐからだ」

 ただでさえ、万能の妙薬を欲するものは大勢いるだろう。

 しかも不老薬だと認知されたら、王家と貴族への羨望と嫉妬で、民衆は怒り狂うだろう。

 それほどまでに、不老長寿の誘惑は逆らい難いものがある。

「ヴェルフは三〇歳ぐらいで投与したらしいが、これは特例だ。ぺルセンティア家は別格扱いだったからな」

 多分前王朝から続く家系を優遇することで、取り込もうとしたのだろう。

 そしてぺルセンティア家は自らの血から抽出するため、霊薬を購入し続けた訳か。


「そしてもう一つの副作用が、禁断症状だ」

「禁断症状?」

「霊薬は一定期間しか効果がない。だいたい一五年から二〇年ほど経つと、禁断症状が現れる。再び服用しなければ倦怠感、衰弱などの症状が続き、やがて死に至る」

「だから、汚染か」

「そうだ、一度霊薬に手を出せば、王家の機嫌を損ねないようにしなくてはならない。もし王家が霊薬を売らねば、待っているのは確実な死だからな。一度霊薬を投与して、二度目を拒んだ者は滅多にいない」

 そこでふと、霊薬を調査していた時から気になっていたことを尋ねる。

「ひょっとして、病で死ぬ貴族は」

 彼らの存在が、霊薬の実在や効果に疑問を抱かせたこともあった。

「王家に絶対の服従を嫌う連中だ。ほとんどが譜第貴族だ。前王朝時代には、王家と家格的には同輩に近い地位だったらしいからな。未だにそれを覚えていて、王家に対して対等なつもりでいる」

 王家にとっては、目の上のたん瘤のような連中だと、カティアは皮肉げだ。

 そうか。死亡したのが譜第貴族か新興貴族か、その違いを見逃したのは迂闊だった。

「王家は霊薬によって支配権を維持している。それに対抗するため、ペルセンティア家は自ら霊薬を量産しようとしたのだ」

 霊薬のことは、一応理解した。だが、重要なことが一点、途中で抜け落ちている。

「ぺルセンティア家が所蔵していた霊薬は、今はどこにあるんだ?」

 カティアの視線が、ゆっくりとベッドの方向に移る。

 シルビアさんの顔は、彫像のように穏やかだ。

「結婚してから一年後、瀕死の状態になったシルビアに投与された」


 不審に思うべきだったのだ。

 先ほどシルビアさんが、ガラス瓶の中身が霊薬だと見抜いた時点で。

 任務を達成したと思い込み、きっと浮かれ過ぎていたのだろう。

「王家が現在、シルビアの処分を保留にしている理由の一つだ」

 カティアは苦々しげに吐き捨てる。

「あいつらは腐肉漁りのように、じっと彼女の命が尽きるのを待っているのだ」

「――――彼女に霊薬を投与されているのを、王家は知っているのか?」

「ああ、ジェフティが密告した」

「なぜ、そんなことを…………」

「ジェフティは、霊薬を与えられるという条件で協力していたに過ぎん。だが、約束の霊薬はシルビアに使われた。あいつは元々、政治には全く興味がなく、むしろ世間が騒がしくなることを嫌う。だからヴェルフの王位簒奪を阻止したんだ」

 奇妙なことだと思った。そこだけ聞くと、まるでジェフティが正義の味方みたいである。

「王家は、すぐさまヴェルフは捕縛した。ちょうど戦力が、各地に分散しているタイミングだった。寸前に察知したヴェルフは、わたしに指示書を送る時間しかなかった」

 そう言って、遠い目をするカティア。

 もしかすると自分がその場にいれば、そんなことを考えているのかもしれない。

 しばらくしてから頭を振り、再び語り始める。


「ヴェルフは捕えられたその日に、自ら命を絶った。霊薬の秘密と、シルビアを守るために。譜第貴族が裁判も無しに処刑されたとなれば、大混乱が起きる」

 譜第貴族が結束してヴェルフの無実を主張したと、レジーナが話していたのを思い出す。

 つまりヴェルフは無実でもなく、その時は既に、この世の人でもなかったという訳か。

「王家も譜第貴族も、皆がヴェルフの手のひらの上で転がされたのだ。王家は譜第貴族謀殺の濡れ衣を晴らそうと躍起になり、譜第貴族は王家の横暴に怒る。彼は自分の死が引き起こす事態を、正確に予見していた。混乱収拾の妥協点として、シルビアの命が交渉材料になることも含めてな。まあ、わたしも多少は動いたが」

 ――よくぞ我らを(たばか)った!

 怒号するカルドナの記憶に蘇る。あの時、彼もまた、ヴェルフの謀略に思い至ったのだろう。

 そこには怒りと同時に、賛辞の響きが含まれていた気がする。


「王家は抹消刑を隠れ蓑に霊薬の入手先を調べたが、最後まで秘密は守られた」

 荒れ果てたペルセンティアのあり様を思い出す。あれは徹底的に、家探しした跡だったのだ。

「シルビアも取り調べられたが、当時の彼女は知らなかった。ヴェルフの子を宿した形跡も診られなかったから、スターシフとの交渉で終身幽閉に減刑された。その後で、わたしが手引きして彼女を脱出させた。それがヴェルフの、最後の頼みだったからな」

 カティアは、ぎゅっと拳を握り締める。

「ジェフティとは、いつか落とし前をつけてやる」

 カティアの恨みなど、関心はない。ジェフティへの復讐など、意味がない。


「だからと言って、どうして諦めるんだ!」


 俺はカティアとシルビアさん、二人に向かってに叫んだ。

 もしシルビアさんが生き長らえたら、確かに王家は不審に思うだろう。

 彼女が死ぬと知っていたから、カルドナとの交渉で王都に戻ることを許した。

 シルビアさんが生きていれば、問題は再燃するはずだ。どうなるか、まったく予想できない。

 だが、それがどうした。

「リリちゃんを残して逝くつもりか!」


 俺が怒鳴ると、カティアがじっとこちらを見詰めた。

「シルビアが生きていれば、隠していた秘密が露見する」

「――――なんだって?」

 カティアの唐突な発言に、気勢が削がれる。この上、まだ何かあるというのか。

「王家は今度こそ、本気で探りを入れるだろう。霊薬を再び入手したという意味だからな」

 それは王家の支配体制の根幹に係わる一大事だ。

 ヴェルフの死と共に、ペルセンティア家の霊薬の秘密は闇に消えた。

 しかし再び同じ事態になれば、今度こそ霊薬の流出経路を執拗に調査するはずだ。

「シルビアへの監視の目が強まるほど、リリにも注目が集まるはずだ」

 やがて気付くだろうと、カティアは告げる。


「リリが、ヴェルフの忘れ形見だということに」


「…………それは、おかしい。そんなはずはない」

 リリちゃんが生まれたのは、ヴェルフが亡くなってから、二年後のはずだ。

「さっき、自分で言ったじゃないか。シルビアさんに妊娠の兆候がなかったと…………」

「シルビアは病弱だったが、子を望んだ。ヴェルフは医師として悩んだが、結局は彼女の望みに応えた。しかし恐れていた通り、母体が妊娠そのものに耐えられなかった」

 だから、霊薬を投与したのだと、カティアは告げる。

「霊薬が母体に与える影響は知られていない。家門当主が、基本的に男だからだろう」

「いったい何が言いたいんだ!」

「霊薬のせいで、リリは非常に遅く生まれたのだ」


 愕然とした。ぐらぐらと目まいがする。

「最初の一年ほどは、シルビアの見た目にほとんど変化がなかった。だから王家も気が付かなかった。月のモノは、子供だと思われていたんだろうな」

 なにせ年齢が年齢だったからと、カティアが肩を竦める。

「だから王家は、シルビアに娘がいることを把握しているが、ヴェルフの娘だと勘付いていない。しかしリリは、父の面影とぺルセンティア家の特徴を色濃く受け継いでいる。ヴェルフを知る者なら、父娘であることは一目瞭然だ」

 レジーナは、リリに会ったことがないと言っていた

 彼女はヴェルフの容貌を知っているから、シルビアさん達が会わせないようにしたのだ。

「反逆者の烙印を押された男の娘。最古の貴族にして、前王朝の末裔。しかも現在、王都で最も権勢ある譜第貴族、スターシフの血も流れている」

 二重、三重の意味で、王家にとって見逃せない存在だと、彼女は言う。

 ――国家反逆罪は、その子や孫にまで及ぶ。地の果てまで逃亡しようと王家は追討し、たとえ何年掛かろうと処分する。これに例外はないわ。

 レジーナの言葉を思い出し、あの時に感じた恐怖が蘇る。


「――――だけど、それでも、俺達が力を合わせて二人を守れば」

 俺がどれほど力になれるか分らないが、リリちゃんを守るためならば全力を尽くす。

 しかもカティアがいる。女帝と呼ばれる、冒険者筆頭が。

 あの戦鬼リオンは強敵だが、彼女が易々と後れをとるとは思えない。

 それに兄弟子達、八高弟まで控えているのだ。

 たとえ戦いになったとしても――――


「最終的に、わたし達は敗北する」

 カティアは、断言した。

「わたし達は、やがて老いる。力が萎え、剣も振るえなくなる。リリは生き続け、子や孫を授かる。そして王家が存続する限り、いずれヴェルフの血統を断つ」

 彼女の語り口に、曖昧な部分が全くない。期待の余地を一切排した、厳然たる未来の姿があった。

 俺には、何も言えない。ただ彼女の言葉に耳を傾けるしかない。


「それでも、もし仮に――――いや、これは繰り言だな」

 ちらりとシルビアさんを見てから、カティアは自嘲気味に笑う。

「すまなかった、ヨシタツ。本来なら霊薬は、わたしが手に入れるべきだった。だが、シルビアに止められ、拒絶されていたのだ。仮に入手しても、絶対に受け入れないと」

 シルビアさんはいまだ、目をつぶったままである。俺達の会話にも一切、口を挟まない。

「十数年掛けても、わたしではシルビアを説得できなかった。だけどヨシタツなら、もしお前が霊薬を手に入れたのなら、シルビアも考え直してくれるのではと…………」

 カティアの声が、消え入るように途絶えた。

 つまり俺は、彼女の期待に応えることが出来なかったのだ。


「ヨシタツ、どうかあの子を、リリシエル・ぺルセンティアのことを頼む」

「…………リリシエル」

 カティアが告げた、聞き慣れぬ名前を繰り返す。

「生まれてくる子が娘だった時のために、ヴェルフが贈った名前だ」


「あの子は、リリシエルなんて名前ではないわ」


 それまでずっと口を閉ざしていたシルビアさんが、彼女の言葉を否定する。

「ただのリリ。家名などない、街に暮らすだけの、平凡な娘よ」

「――――ああ、そうだったな。忘れていた」

 彼女達は顔を見合わせ、静かに笑った。

 余人の立ち入る隙のない、彼女達の長い年月を偲ばせる光景だった。


 俺は彼女達を残し、よろめくように病室から逃げ出した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ