王都決戦_4/4 「薔薇色の都市」
「無事だったのね!」
港に到着したクリスは、埠頭に停泊している快速船に乗り込んだ。
そして甲板で待機していたレジーナやヘレンとの再会を果たす。
「首尾はどうだったの!」
クリスは胸甲の上から霊薬の瓶を叩き、頷いた。
レジーナは安堵のため息を漏らし、ふと辺りを見回す。
「ヨシタツはどうしたの?」
「タツは囮となるため残りました。出航の準備が整い次第、脱出するようにと」
レジーナが息を呑み、よろめく。ヘレンが、彼女の肩を背後から支えた。
「さあ、お二人とも船から降りて下さい」
「待って! ヨシタツを置いていくの!」
レジーナが叫ぶ。霊薬を入手して、シルビアを救う。
それが最優先であることは分かっているが、彼女は割り切れない。
クリスは答えず、船縁に寄って佇む。
「すぐに出航するよう、船長に命じますか?」
ヘレンが冷静な口調で問い掛ける。
クリスは剣を抜き放つと、切っ先を船縁に突き刺した。
剣の柄を掴み、しっかりと身体を支える。
「いいえ、このままタツを待ちます」
反抗の意思を示したクリスに対し、隷属スキルが発動した。
再び激痛の波に襲われ、歯を食いしばって耐えるクリス。
「タツは言いました。準備が整い次第、出航するようにと」
半ばスキルに言い聞かせるように、クリスは告げる。
「そして、まだ準備は整っていません。タツが乗船していませんから」
詭弁である。しかし隷属スキルは混乱する。
主の命令に対する反抗と判断すべきか、解釈の相違と見做すべきか。
そして主を案じる忠誠心への評価と、隷属スキルの論理回路が堂々巡りする。
結局は判断を保留して、懲罰のレベルを半減させた。
それでもなお、剣で身体を支える必要があるほどの苦痛である。
彼女は、前方にそびえる王都の城壁を見上げた。
「タツは、必ず来ます」
額に脂汗を滲ませつつ、クリスは断言する。
彼女の戦いは、まだ続いていた。
◆
ペシペシと、頬を叩かれる。
「起きろ、起きろ」
そんな声と共に、どんどん激しく叩かれる。
しまいには、ガツンガツンと殴打された。
「起きた! 起きたから!」
頬を殴りつける拳が、ぴたりと止まる。
仰向けになった俺の腹に、トルテちゃんが馬乗りになっていた。
「良かった、目が覚めた」
彼女は満足げに頷く。
「起こすときは、もっと優しくね?」
脳震盪で、また気絶させられそうになった。
いや待て? どうして俺は――――
「クリス!?」
慌てて起き上がると、トルテちゃんがコロンと転げ落ちる。
「扱いがひどい、あんまりだ」
「それはこっちの台詞だから! いやそんなことより、クリスは無事か!?」
トルテちゃんの肩を掴んで揺さぶると、ガクガクと首が前後に振れた。
「知らない、どうかしたか?」
そうだった、トルテちゃんのスキルが特定できる対象は、同時に三つまで。
現在追尾しているのはレジーナ、俺、そして例の新興貴族である。
立ち上がろうとして手を付いたら、ズキンと肩が痛んだ。
ヤツの短槍が掠め、裂傷を負ったらしい。
治癒術を発動したいが、もうほとんど力の残量がない。治療は後回しだ。
トルテちゃんに支えられながら立ち上がると、ここが地下水道だと分かった。
彼女に状況を確認すると、どうやら爆発の圧力で、ここまで押し流されたらしい。
豊富な地下水道の水量が、今はちょろちょろと足元を濡らすぐらいである。
「はやく逃げた方がいい」
光木の照明を手にしながら、トルテちゃんが促す。
「もうすぐ人、たくさんくる」
「どうして?」
俺が聞き返すと、トルテちゃんがキッと睨んだ。
「えらいことになった」
地下貯水槽で起きた爆発で、その上にあった広場が陥没したそうだ。
しかも周囲の建物が傾き、倒壊の危険にあるという。
地上でも炎が上がり、大きな音が響き渡ったらしい。
「びっくりした」
トルテちゃん、恨みがましそうな涙目である。
「ひ、被害は!? 怪我人は!」
予想以上の惨事で、完全にうろたえてしまった。
地下水道は完全に密閉された空間ではない。
当然漏れだしてしまう分を考え、最後は全力全開で水素と酸素を作った。
どうやら、やり過ぎてしまったみたいだ。
「死傷者の報告はない」
貯水槽のある広場周辺の人家に、住民は残っていないはずだ。
近くをパレードが通過するから、見物に出掛けているだろう。
居残っている住民がいないかは、賞金稼ぎ達が確認する予定だった。
大富豪エドモンが、被災した住民の援助をする手筈は整えてある。
取り敢えず、後は任せるしかない。駆け出そうとしたが、膝が震えて覚束ない。
「これを使え」
トルテちゃんが差し出したのは、ヤツが最後に投げた短槍だ。一緒に流されてきたらしい。
それを手に取って驚く。これ聖銀製だよ!
「俺はいいから、キール君の様子を見てきてくれ」
まだ目は覚ましていないと思うが、とにかく心配である。
聖銀製の短槍を杖代わりにしながら、トルテちゃんの頭を撫でる。
「ありがとう、トルテちゃん。君と出会えて本当に良かった」
感謝の言葉を告げると、トルテちゃんは不思議そうに首を傾げる。
「口説いている?」
「違うから」
彼女はいまだに、クリスの世迷言を信じているらしい。
トルテちゃんは、不機嫌そうに口を尖らせた。
「つまらぬ」
それがこの少女の、別れの言葉だった。
◆
すれ違う人々を避けながら、俺は港を目指した。
騒動は拡大の一途をたどっている。
災害現場に急行する警備の兵士を何度も見掛けた。
短槍をついて歩く不審人物に、目を向ける余裕はなさそうだ。
ヨタヨタと歩き、喘ぎながら前へ前へと歩き続ける。
クリス、クリスと、胸中で彼女の名を呼び続けた。
今はただ、彼女の無事だけを願う。
シルビアさんと引き換えに、クリスを失うなど耐えられない。
なら、クリスが無事なら、シルビアさんを諦めるかと問われれば、それもダメだ。
どうしようもなく不甲斐ない人間だ、自分が自分で嫌になる。
そんなことをグルグル考えていると、前方に港が見えてきた。
埠頭の手前に立つ、二つの人影。
レジーナと、ヘレンだ!
「ヨシタツ!」
ひと声叫ぶと、レジーナが駆け寄ってきた。
胸元に飛び込んだ彼女を抱きかかえ、俺は尋ねた。
「クリスは!」
「無事よ!」
安堵のあまり、へたり込みそうになる。そっと寄り添ったヘレンが、脇を支えてくれた。
「クリスちゃん、船で待っているから!」
レジーナの言葉に驚く。どうして! 無事なら、さっさと脱出しているはずなのに!
駆け出そうとして、振り返る。
「レジーナ、ヘレン、世話になった、ありがとう!」
「いいから! さっさと行きなさい!」
叱咤するレジーナ。だけど、これだけは言っておかなければ。
「シルビアさんは、幸せだよ?」
俺の言葉に、彼女は硬直する。
「それに娘のリリちゃんを、とても愛している」
口元を手で押さえたレジーナに、きちんと伝えなければならない。
もしレジーナが介入しなければ、リリちゃんが産まれることはなかったのだから。
「不幸だなんて、勝手に決めつけないでくれ。一生懸命に生きている彼女達を、否定しないでくれ」
最後の力を振り絞り、身体中に無剣流を行き渡らせる。
「どうか、自分を責めるのではなく、彼女達の人生を祝福してほしい」
そして振り返ることなく、全力で走り出した。
探査を発動する。クリスの反応は、すぐに捉えた。
「クリス!」
船縁に立つクリスの姿が見えた。まるで彫像のように微動だにしない。
埠頭を一直線に走り、タラップを登って彼女の許に駆け付ける。
俺の姿を認めた彼女の身体が、ふらりと傾いた。
「危ない!」
慌てて駆け寄り、彼女の身体を抱き止めた。
額にびっしりと汗をかき、苦しげな表情である。
「どうしたんだ!?」
くそ、治癒術に使えるほどの力が残っていない。
「――――もう平気です。これで出航できますから」
そう告げた途端、みるみる彼女の顔色が平常に戻る。
強がっている様子はない。安堵した途端、大事なことを思い出した。
「そうだ! どうして先に脱出しなかった!」
クリスは、笑った。その明るい笑顔に、思わず見惚れる。
「大事な荷物が届いていなかったので」
「荷物?」
「リリちゃんへのお土産です。これをぜひ、見せてあげないと」
彼女は悪戯っぽい表情で俺の頭を撫でまわし、眉をひそめた。
「タツ? 生えてきてますよ?」
言われて自分でも撫でる。ジョリッとした感触が!
どうやら毛根が復活したらしい。
「せっかくリリちゃんを笑わせてあげようと思ったのに」
クリスは不満げだ。そんな酷いことを企んでいたの!?
一転して、彼女は真剣な表情になる。
「タツを残したら、あの子が悲しみます」
「――――ああ、そうだな、そうだよな」
クリスに叱られ、反省する。そうだった、霊薬を届けるだけでは不十分だった。
彼女と二人一緒に戻ってこそ、本当の意味で任務達成になるのだ。
「すぐに出港してくれ!」
彼女を立たせ、何事かと集まってきた船員達に出港の指示を出す。
準備は万端に整っていたのか、すぐさまオールが突き出された。
快速船は、ガレー船に帆柱が立っているやつだ。
甲板の下には、左右合わせて四〇本のオールの漕ぎ手がいる。
湾内や無風状態ではオールを漕ぎ、外洋では帆に風を受けて進む。
船体は細長くて積み荷は少ないが、その分速く進める仕様である。
忙しく立ち働く船員達。こうなると俺やクリスに出番はない。
船縁に寄って、ゆっくりと埠頭から離れる光景を眺めた。
目を凝らしてみたが、レジーナ達の姿は見当たらない。
疑惑を招かないように、すぐに引き上げるように打ち合わせてある。
徐々に遠ざかる港を眺め、感慨に耽った。
ずいぶんと長い滞在になってしまった。色々な人達と出会った。
「キール君はどうしたのですか?」
俺は、彼を置き去りにしてしまった経緯を語る。
裏切られたと誤解しないか、それだけが心配だ。
「あの子は、驚くほど心が強くなりました。大丈夫、絶対にタツを信じています」
不安にかられる俺を、クリスは自信ありげに励ましてくれた。そうだといいけど。
そんなことを話していると、視界の彼方に動く影があった。
嫌な予感と共に、探査を発動する。
ヤツが、高速で接近中だった。
生存していることに驚愕しながら、心の片隅では納得する。
最初の遭遇から、探査スキルは最大級の警戒を促していた。
思えば上級魔物や鎧蟻の帝母の時でさえ、あれほどの激烈な反応をしたことはない。
強敵であると、八高弟以上の《化け物》であると、探査は告げていた。
だから作戦を立案するにあたり、とある人物を念頭において考えた。
――冒険者筆頭、カティア。
俺は彼女を仮想敵にして、彼女を倒すための戦術を練った。
そしてどう知恵を絞っても、決定打が思い浮かばなかった。
都市国家の予算並みの大金が使えても、彼女を打倒する手段が思いつかなかったのである。
そして冒険者筆頭を倒すために考えた作戦を、ヤツも乗り切った。
ヤツは、カティアに匹敵する存在だ。
しかし、もはや打つ手はない。万策尽きた状態だ。
その時ふと、手にした聖銀製の槍を見遣る。
「タツ?」
クリスの声を背に、フラフラと船尾へと歩く。
ヤツが、湾に突き出た格好の埠頭の端に到達した。
こちらを目指し、まっすぐに走ってくる。
きっと跳躍して、船に乗り込んでくるつもりだ。
腰に下げた袋の口に手をねじ込み、霊礫を掴み出す。
左手に霊礫を、右手に短槍を構える。
錬金術発動 霊礫励起
霊礫が熱を帯び、エネルギーを発生させると灰になった。
それはスキルを発動させるのに必要な《力》。
左手から流れ込む、その力は血液が沸騰しそうなほどに高濃度。
そして身体が破裂してしまいそうなほどに膨大だった。
力が枯渇していた身体を、新たな力が駆け巡った。
瞬息発動 充填 充填 充填 充填
驚くべきことに、四回分充填しても、聖銀製の短槍には余裕があった。
ならば――――
瞬息発動 充填 充填 充填 充填
瞬息発動 充填 充填 充填 充填!
計一二回分の充填を施した短槍は手の中で振動し、穂先が不協和音を奏でる。
投擲 発動
大きく振りかぶって投げた槍が、まっしぐらに飛ぶ。
どんな威力の武器であろうと、ヤツは避けてしまう。
聖銀製の槍が衝突した瞬間、埠頭が大爆発した。
だから、足場を狙った。
おそらくコンクリートに似た建材だろう、それが粉々に吹っ飛んだ。
破片がこちらまで飛んできたので、腕で顔をかばう。
ヤツは寸前で急停止したが、舞いあがる粉塵にその姿は掻き消える。
その場所も崩れ、ガラガラと海中に没した。
上空に打ち上げられた瓦礫が快速船の周囲に落下し、次々と水飛沫が上がる。
「全速力だ!」
突然の出来事に、呆然とする船員達。
彼らを叱咤し、剣を振りかざして脅し付ける。
今のうちに逃げなければ!
絶対にヤツは、生きている。この程度で、死ぬはずがない。
カティアなら、海面を走って追っかけて来るに違いない!
俺が血相を変えて剣を振り回すのに恐れをなしたらしい。
船は全速力で湾内を突っ切った。
一時間ほどが経過し、王都が遥か彼方になった頃である。
オールから帆に切り替えられた船は、軽快に波を切って推進している。
ずっと海上を睨んでいた俺は、ようやく警戒を解いた。
海中から接近し、船底に穴を開けられる心配はなさそうである。
逃げ切れた――――いや、見逃された。そんな気がした。
「お疲れ様です、タツ」
雰囲気が変わったのを察したのだろう。
労いの言葉を掛けたクリスが、傍らに立って遠ざかる王都に視線を向ける。
その時、東の空に太陽が昇ってきた。ようやく長い夜が明けたのである。
白亜の都市が、朝焼けを鮮やかに映した。
クリスの肩に手を回し、自然と抱き寄せる。
薔薇色に染まる都市を、俺達は一緒に眺め続けた。




