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王都決戦_2/4 「少年」

 王都の南側には、岩壁を削り出した階段がある。

 現代では使う人が滅多にいない、南門へと続く古道である。

 港へと続く新道は緩やかなつづら折りだが、こちらは半ば崖をよじ登るようなものだ。

 手摺りがなくて幅が狭く、時に岩肌を抱くようにして進まなければならない。

 その古い階段を、俺は息を切らしながら延々と駆け上がった。


 途中で精根尽き果てる前に、頂上に到達した。

 正面に、無骨な構えの南門が見える。東の正門と同様、夜になっても開きっぱなしだ。

 しかし警備は正門よりも厳重で、夜間は門衛が出入りをチェックしている。

 隠蔽をまとい、こっそり彼らの前を通り抜けようとした時である。

 横合いから、探査の波動が押し寄せた。

 気付かれた!

 砂浜に残したのがダミーだとバレたらしい。

 ヤツは周辺一帯に探査を放ち、俺の所在を探している。

 南門を駆け抜ける際、近くにあった光木の篝火を蹴り倒した。

 門衛達が騒ぎ出し、ガチャガチャと剣を抜き放つ音が背後から聞こえる。

 原因を確かめるまで、南門は封鎖されるだろう。

 少しでいい、ヤツの足止めをしてくれ。


 祈るような気持ちで、俺は王都の中に舞い戻った。


      ◆


 夜の街路を、全速力で駆ける。互いに探査は発動し、各々の位置を確認し合う。

 俺はヤツから逃げるため、ヤツは俺を追跡するために。

 南門の状況は―――クソ! 足も止めず、あっという間に通過しやがった!

 門衛達の反応が入り乱れている、どうやら強行突破したらしい。

 何名かヤツの追跡を試みるが、直ぐに引き離されてしまった。

 呼吸が乱れる。肉体的な消耗よりも、精神の疲弊が激しい。

 距離的なアドバンテージが、どんどん縮まっていく。


 煙幕代わりに、隠蔽スキルを掛けまくる。

 しかし強力な探査の波動で、隠蔽の効果が蒸発してしまう。

 最初に遭遇した時と、ほぼ同じ状況だ。ヤツの息遣いを首筋に感じ、焦りが募る。

 なるべく曲がりくねった道筋を選び、ヤツの加速を押さえる。

 微々たる違いでさえ、今の俺には大きい。

 そんな些細な工夫でさえ、ヤツは容赦なく打ち破る。

 いきなりヤツの反応が直線的なものになり、街路や区画を無視し始めた。

 屋根伝いに走ってやがる!  ほぼまっしぐらに、ヤツが接近する。

 王都の建物同士の高低差が大きいので、俺に同じ真似は無理だ。

 高層の建築物同士の長い距離を、ヤツは跳躍しながら移動している。

 道沿いに走るこちらが、不利な状況になってしまった。

 一気に縮まる距離、もう間もなく視認できる位置に来る。

 後、数分で追い付かれてしまうだろう。

 ――――だけど、この追いかけっこは、俺の勝ちだ。


 街路を抜けると、政庁前広場に出た。

 開けた視界に、光と色彩が溢れる別世界が飛び込んだ。


 光木の灯火を手に、仮装した人々が群れ集っている。

 誰もが奇妙なお面を被り、笑いさざめきながら広場を行き交っている。

 あちこちで派手なパフォーマンスを披露する大道芸人達。

 惜しみなく拍手喝采している見物人の群れ。


 山と積まれた酒樽は次々と栓を開けられ、行列に並んだ人々に提供される。

 大量に用意された肉が、焼き上がったそばから配られる。

 飲み食いは全て無料。この大盤振る舞いに地元住民だけでなく、観光客も大喜びだ。


 さらに群集を熱狂させているのは、豪華絢爛なパレードだ。

 派手な仮装をした参加者が、列をなして広場を練り歩いている。

 その後に続くのは、巨大な車輪を装備した移動舞台だ。

 花々や旗で飾り立てられ、光木の灯火を掲げて煌々と周囲を照らしている。


 舞台上には、伝説や物語の登場人物と思しき仮装をした役者や歌い手、それに楽師達が並んでいる。

 役者達が花やお菓子をばら撒けば、女子供がわっとばかり集まって拾っている。

 楽師達が奏でる賑やかな楽の音に合わせ、のびやかな合唱が広場に響き渡る。

 男も女も、老いも若きも、誰もが浮かれ騒ぎ、熱狂していた。


 人々で溢れかえる広場の中心には、仮設の(やぐら)が立てられている。

 その壇上には、二人の人物がいた。サーシャと、トルテちゃんだ。

 トルテちゃんに袖を引かれ、サーシャがこちらに気付いた。

 手にした手旗を、サーシャが大きく振る。

 手旗信号が指示する方向に小走りに進み、群集に紛れ込む。

 人波に揉まれながらかき分け、時折櫓を見上げて方向を確認する。

 探査は解除してある。ヤツは今頃、どこか屋根の上から政庁前広場を見下ろしているだろう。

 だが、広場を埋め尽くすような群集の中から、俺を見つけることはできない。

 たとえ探査を使おうが、判別不可能だ。

 木の葉を隠すなら森の中、そういう作戦である。



 探査を使って追跡してくる相手を、いかにして撒くか。

 もっとも単純な方法は、人込みに紛れ込めばいい。

 特徴を覚えた相手でさえ、人数が多くなれば見分けがつかなくなる。

 だが、どうやってそれだけの人数をかき集めるか。


 王都では、様々な催しが開かれる。観光客集めや貴族の財力誇示など、目的は様々だ。

 その日は、石工組合が守護者を祭る日に当たっていた。

 石工組合は大きな組織だが、集まる人数は千人単位だろう。

 俺としては、万単位の人間を集めたかった。ヤツの目を誤魔化すには、それだけ必要だと思った。


 そこで謎の大富豪エドモンが登場し、石工組合の祝祭に莫大な寄付をした。

 その日がちょうど父の命日で、父の遺徳を(しの)ぶため派手な祭りにしてほしいと頼んだ。

 組合を喧伝する機会に石工組合は乗り気になり、サーシャが持ち込んだ企画を受け入れた。

 前宣伝の効果もあり、王都でも近来まれな、一大イベントになったのである。


 人込みに流されていると、不意に手を取られた。トルテちゃんだ。

 彼女に引っ張られながら、広場を突っ切る。

 櫓を見上げると、サーシャが手を振っていた。この後、彼女と会う機会はない。

 目立つ行動は控えるべきだ。しかし俺は手を振り、彼女の姿を目に焼き付ける。

 彼女の指示で、積み上げられた薪に火が点けられた。

 それを合図に、パレードが三方向に別れて移動する。

 大通りを進み、旧市街から新市街まで行進するのである。

 俺とトルテちゃんはパレードの列に加わり、政庁前広場を後にした。


      ◆


 パレードを抜け出した俺とトルテちゃんは、路地の奥にある古びた建物の中に入った。

 ヤツは、まだ姿を現さない。おそらく探査を全開にして、王都中を捜し回っている。

 こちらは王城の襲撃犯なのだ、今回ばかりは諦めたりしないだろう。

 あまり悠長にはしていられない。ヤツに発見される前に、準備を整えなければ。


 建物の二階に上がり、一番手前の部屋の扉を開く。

 いきなりキール君が飛び出し、抱き着いてきた。

「どうしてここにいるんだ!?」

「ごめんなさい、どうしても一緒に来ると言い張って」

 彼の後ろから、申し訳なさそうな表情のクリスが現れた。

 とにかく部屋の中に入り、話を聞いてみることにした。


 俺はキール君を連れて、街に戻るつもりだった。

 彼はジェフティや保安隊に狙われているのだ。王都に残していく訳にはいかない。

 だから、船で待機するように言い残してきたのに。


「手伝う」

「それは駄目だって言っただろう?」

 決然とした表情で告げるキール君を、俺はたしなめた。

 彼のスキルを作戦で利用するか否か、サーシャやレジーナと言い争いをした。

 使える者は誰でも使うべきだと彼女達は主張し、キール君も乗り気だったのである。

 役に立ちたいと健気なことを言うものだから、ちょっと涙腺が緩んでしまった。

 しかし、それだけは許さないと、拒絶したのである。

 もし彼を巻き込むつもりなら、レジーナ達と決別するとも告げた。

 彼は本来、俺達の任務とは無関係な人間なのである。だが、それだけが理由ではない。



 キール君がふくれっ面になったので、彼の頬を両手でムニュッと潰す。

 彼の澄んだ瞳を覗き込みながら、真心を込めて諭した。

「何度も言ったけど、そのスキルで人を傷付けてはいけない」


 キール君のスキルは、確かに強力だ。状況次第では、ヤツに対抗できるかもしれない。

 しかし無差別で被害規模が大きく、関係のない人間まで巻き込む公算が非常に高い。

 霊薬を手に入れるためなら、なんでもすると誓った。だが、これは別問題である。


 できれば、この少年には戦いとは無縁で、人々に愛され、信頼される人生を送ってほしい。

 俺のような男にならないでくれ。そんな身勝手で切実な願いを、彼に託したいのだ。


 キール君が、シュンと落ち込んでしまった。

 彼の髪をガシガシと掻いて慰める。いいなあ、ふさふさで。

 未だに俺の毛髪は復活してない。いいんだ、もう諦めた。

「それで、首尾の方はどうでしたか」

 空気を変えるように、クリスが問い掛ける。

「ああ、上手くいった」

 霊薬を精製するための処方箋(レシピ)

 王城から盗み出した秘密が、いま手中にある。

 落ち着いてから試すつもりだったが、ヤツが追っている以上、そんな余裕はない。

 預けてあった鞄を、クリスから受け取る。中には霊礫の袋と、ガラス瓶が入っている。


「今ここで、霊薬を作る」


      ◆


 霊礫。それは魔物の心臓付近から採取できる物質だ。

 冒険者達はそれを冒険者ギルドに売却し、ギルドは王家に卸している。

 霊礫からは万能の妙薬である《霊薬》が精製できるが、その実態は世間では知られていない。

 王家が霊薬を独占的に取り扱い、貴族家当主のみに下賜している。

 錬金術スキルで霊薬を精製できるが、精製工程の情報である処方箋(レシピ)が必要だ。

 そして俺は、王城から処方箋(レシピ)を盗み出すことに成功したのである。


 長かった任務だが、ようやく実を結ぼうとしていた。


 クリス達が見守る中、カティアから預かった袋を傾ける。

 こぼれ落ちる霊礫を手の平で受け止めると、ギュッと握り込む。

 ガラス瓶の上に拳をかざし、強く念じる。

 錬金術【三】 発動

 カッと、霊礫が火傷しそうな熱を発した。


 ――精製工程読取中

 ――対象:仮称【賢者の石】

 ――元素分解、根源原質変成、四性質付与


 錬金術スキルの声なき声が響いた途端、神経が火花を散らした。

 スキルが脳髄の未使用領域に侵食して、生きた計算機に組み替える。

 膨大な量の情報が駆け巡り、思考を圧迫した。


 錬金術スキルは、いわば仮想の実験室だ。

 独自の化学理論を高速で演算処理し、熱も圧力も触媒も必要とせず化学反応を再現する。

 霊薬精製に、どうして錬金術スキルが使われるのか、漠然と理解する。

 仮に元の世界で霊薬を作ろうとすれば、大規模な化学プラント並の設備が必要だ。

 それほど複雑な工程は、この異なる世界の文明では実現不可能だろう。

 だから、処方箋(レシピ)と素材があれば、どんな化学反応も起こせる錬金術スキルが不可欠なのだ。

 錬金術スキルの演算処理が、最終段階に差し掛かる。

 霊礫が今しも霊薬に変化しようとする、その手応えを感じた。


 ――エラー

 錬金術スキルに、不具合が発生した。

 エラー・工程破棄・再試行、エラー・工程破棄・再試行、エラー・工程破棄・再試行――――

 あと少しで完了する寸前で、何度も何度も、同じ処理を繰り返す。

 いや、違う。霊薬の完成形は分かっているが、そこへ至る道筋を見失った。

 だから諸元の組み換えを何度も試み、正しい反応式を導き出そうとしている。


 ――膨大な容量である処方箋(レシピ)に、一部欠損があったのだ。


 あの時だ!

 大聖堂を看破で透視していた時、ヤツの探査に妨害された。

 おそらく処方箋が完成する寸前、解析が中断してしまったのである。

 既に錬金術が試行錯誤を何百回と繰り返している。

 処方箋の欠損は、全体からすればごくわずかだ。おそらく一パーセントにも満たないだろう。

 しかし、そこから先の可能性は、どれほどの分岐になるのか。

 千通りか、百万通りか、あるいはそれ以上か。

 だが、どうしても諦められない。

 脳への負荷は、既に危険な状態に陥り掛けている。本能が警鐘を鳴らしている。

 その一切を無視する。


 病床の母に、俺は何もできなかった! 為す術もなく、無力感に苛まれるしかなかった! 

 だから、今度こそ助けるんだ!





 ――この先に行きたかったの?


 スキルに没入していた俺は、感じた温もりがどこから来るのか分からない。

 ああ! どうしても行かなきゃならない!

 無数の可能性に至る分岐点の中心に立ち、俺は虚空に咆える。

 《シルビア》を救い、そしてリリちゃんの笑顔も守る。

 そのために俺は、ここまで来たのだから。

 ――それなら、こっちだよ。

 ほっそりとした手に導かれ、一歩踏み出す。


 その瞬間、全方位に展開していた分岐、その半分が消滅した。


 さらに一歩踏み出すと、さらに半分に減る。

 一歩、また一歩と進むうちに、袋小路に陥る分岐が除去される。

 絶望的な数に思えた分岐が、瞬く間に減ってしまう。

 やがて億通りの可能性が除外され、正しい道が示される

 一条の光明が、無窮の彼方から射し込んだ。


 ――さあ、行こう?


 声に導かれるまま、最後の一歩を越えた。



 握り締めた拳から、黄金色の(しずく)がこぼれる。

 それは狙い違わず、ガラス瓶の口へと注がれた。

 皿で受ければ良かったと、間抜けなことに気付いた。こぼれたら勿体ない。

 ぼんやりと雫を眺めていると、ガラス瓶が黄金色の輝きで満たされた。

 何も考えず、機械的にガラス瓶に栓をする。

 そしてようやく、俺の手に添えられた、細い指に気付いた。

「…………キール君?」

 ガラス瓶を握り締める拳を両手で包み込み、彼は無邪気に笑った。


 ――薬は作れないと言っていたのに、どうして?

 だが、最後の工程を推し進めたのは、間違いなく彼の巫蟲スキルである。


 少年は達成感に輝く表情のまま――――血の塊を吐き出した。


「キールッ!?」

 激しく咳き込みながら吐血する彼を、慌てて抱きかかえる。

 治癒術を発動するが、口元から溢れる血が止まらない。

 ――巫蟲スキルが、暴走していた。

 狂ったスキルが肉体を蝕み、内臓を破壊する様を、並列起動した看破スキルが捉える。

「「キール君!」」

 驚いたクリスとトルテちゃんが駆け寄った。

「――――これで、いい?」

 ひゅーひゅーと喉を鳴らしながら、キール君が問い掛ける。


「大切な人、助かる?」

 彼は、本当に嬉しそうだった。


 バカ野郎! 怒鳴りつけてやりたかった。だけど、そんな暇はない。

 一瞬だけ躊躇(ためら)ってから治癒術を停止し、彼の口に指を突っ込む。


 スキル駆除 発動


 小柄なキール君の身体が、大きく仰け反った。

 彼の絶叫に怯みながらも、スキル駆除を継続する。

 指を噛まれ、痛みが走る。指が食いちぎられそうだ、

 そんなもの、キール君の苦痛に比べれば、何ほどでもない。

 しかし、くそったれ! しぶとい!


 巫蟲スキルが暴れ狂いながらも、スキル駆除に抵抗している。

 自己修復機能が働いて、一気に破壊できない。いずれは崩壊するだろうが――――

「タツ! このままでは!?」

 背骨が折れそうなほど反り返るキール君を押さえながら、クリスが叫ぶ。

 巫蟲スキルと彼の繋がりは、俺が予想していたよりも強固で根深い。

 これでは先にキール君が壊れてしまう。

 方針を変更し、巫蟲スキルの完全駆除を諦める。

 並列起動している看破スキルが、巫蟲スキルの構造を解析する。

 さらに、俺が把握しやすいようにモデル化して明示してきた。

 それは少年の頃、理科実験室で見た分子模型を彷彿とさせた。

 複数のスキル群が連結して、巫蟲スキルを構成しているのを理解する。

 看破スキルが、キール君の害となっているとスキルを識別し、赤く色分けする。

 ここを狙えと、俺に示唆する。

 照準を合わせた俺は、スキル駆除の抗体を撃ち込んだ。


 絶叫するキール君の身体が跳ね上がり、そして意識を失った。

 即座に治癒術に再開し、蝕まれた身体の各所を癒した。

 どれほど時間が経ったのか。気絶したキール君を膝の上に横たえる。

 心配そうなクリスとトルテちゃんに頷き、無事を知らせる。

 ――本当に、危なかった。ぎりぎり間に合った。


 床に落とした瓶を拾い、黄金色の霊薬を見詰める。

 巫蟲スキルは毒しか生成できないと、キール君は言っていた。

 つまり、本来の機能でない使い方をしたために暴走したのか。

 あるいは霊薬精製自体が、巫蟲スキルの許容量を超えてしまったのか。


 ジェフティ、三重の蛇、真理の探究者。

 おそらくキール君と巫蟲スキルは、彼の実験の一環だったのだろう。

 霊薬の真実を、一人の少年の命を生け贄にして手に入れようとしたのだ。

 あの男のおぞましい企みを、代わりに俺がキール君にやらせてしまったのである

 手にした霊薬の瓶が急に汚らわしく、忌まわしいものに思えた。


「クリス」

 霊薬の瓶を、彼女に差し出す。

「これを持って、先に行ってくれ。出港の準備が整い次第、王都を脱出しろ」

「タツはどうするのですか?」

 霊薬の瓶を受け取りながら、彼女は真剣な面持ちで尋ねる。

 俺が黙っていると、彼女はさらに言い募る、

「……………囮になるつもりですか?」

「ああ、ヤツはまだ、俺を追跡しているはずだ」

 そして船にたどり着く前に、補足する可能性がある。

 ヤツは、常に想定を上回る存在だ。

 クリスと連携しても勝率は低い。そもそも彼女はトラウマのせいで、人間に剣を向けることができない。

 ならば霊薬の瓶はクリスに託し、俺がヤツを引き寄せる。

「霊薬を入手するために、俺達は沢山の人達に迷惑を掛けたんだ」

 膝の上に抱えたキール君の前髪を払い、額に手を当てる。

「今度は、俺達が犠牲を払う番だろ?」

「…………分かりました。レジーナさんには、計画の変更を伝えておきます」

 俺の言葉に、クリスは気丈に微笑んでみせた。

「ご武運を、タツ」

 彼女の手には、ガーブの黒剣があった。

 差し出された黒剣を受け取った瞬間、その両手で俺の頬を挟んだ。


 素早く押し付けられた唇は柔らかく、その吐息が香しく感じられた。



 部屋を出て行った彼女を見送ると、トルテちゃんに視線を向ける。

 彼女は頷いてから、もの問いたげにキール君を見遣る。

「…………ここに寝かせておこう」

 苦渋の決断だが、他に方法がない。

 容態が安定したとは言え、担いで動かしたら悪化するかもしれない。

「ほとぼりが冷めたら、彼を俺の許に寄越してほしいと、レジーナに伝えてくれ」

「分かった、必ず伝える」

 トルテちゃんは胸を叩いて、しっかりと請け合う。


 キール君、約束は必ず守る。だから、しばらく待ってくれ。

 意識のない少年の頬を撫でながら、胸中で別れを告げた。


      ▼▼▼


 夜の王都を、一人の冒険者が走る。

 全身を躍動させて全力疾走する姿は、人よりも獣を想像させる。

 暗がりに溶ける、鎧蟻の黒い甲殻装備に身を包んだクリスだ。

 霊薬を詰めた瓶は胸の谷間に収め、鎧蟻の胸甲で守っている。

 帝母の装甲が破られ、胸を貫かれない限り、安全に保管できる場所だからだ。

 この瓶が割れる程の攻撃を受けたのなら、自分の命もまた無い。

 彼女はそう思い定めて、ヨシタツの命令を果たそうとしていた。

 その顔には、ヨシタツを残してきた慙愧の念はない。

 ヨシタツが何事かを決意した時、彼の未練にならないように振る舞おう

 それが相棒であるフィーとの誓いだった。

 ならば自分の為すべきことは、彼を(こころよ)く送ることだけだった。


 鎧蟻の装備は、その頑丈さに比して軽量である。

 その上、身体能力を無剣流で向上させている彼女は、息も切らさないで走る。

 クリスは指先で、自分の唇を撫でた。

 強敵に挑む彼に、彼女は自らの想いをはっきりと伝えたかった。

 今度は相棒(フィー)の番である。

 奥手でだらしないから、ちゃんとお膳立てをしてやらねば。

 一歩先を進んで、優越感をもったらしい。自分のことを棚に上げ、偉そうに考える。

 しかし彼女は、生粋の剣士である。警戒は怠っていなかった。


 急停止したクリスは、左手に装備した楯をかざして身構えた。


「リオン様の読み通りだったわね」

「リュミエルも冴えてたね!」

 四つ角の建物の陰から、二人の人物が現れた。


 イノは革の鎧に身を包み、腰に短刀を差していた。

 リュミエルは金属製の軽装鎧に、楯と剣を装備している。

 リオンからの通心スキルで指示を受けた二人は、付近を巡回していた。

 そしてクリスの存在をリュミエルがスキル感知で捉え、先回りしていたのである。


 クリスは、リュミエルの装備を見て瞠目した。

 月明りに照らされた輝きから、それらが聖銀製であることを察したのである。

 希少さと高価さ故、聖銀製の装備は剣一本でさえ入手困難だ。

 まして聖銀製の防具となれば、ただの兵士や騎士には過ぎた代物である。

「…………十人委員会ですか?」

 クリスの問いに、リュミエルの眼差しは冷やかになる。

「やはり、ただのネズミではないようですね。武器を捨て、速やかに投降なさい」

「ねえねえ! それ、ひょっとして甲殻装備?」

 イノが興味深そうに尋ねると、クリスは澄まし顔で頷く。

「その通りです。大切な人が贈ってくれました」

「へえ、愛されてるね! いいなー!」

 鎧蟻の甲殻から削り出される装備も、聖銀製と比べようもないが高価な一品である。

「――――この程度の贈り物、いつものことですよ?」

 少女の羨望の眼差しに、つい見栄を張るクリス。

「うわ! ほんとに!? お金持ちなんだね、その人!」

「ちょっと、イノ! 容疑者と馴れ合わないの!」

「えー? リュミエルだって羨ましいでしょ?」

 あっけらかんとしたイノに、リュミエルは顔を(しか)める。

「…………わたしは別に? そもそも金品よりも、もっと大切な」

「あ、そうそう、言っておくけどさー」

「聞きなさい!」

 抗議するリュミエルを放置して、朗らかに笑うイノ。

「喋っている隙に逃げようとしてもムダだからね?」


 中央突破を狙い、クリスは密かにタイミングを計っていた。

 それを見透かしたイノという少女に、警戒心を強める。

「それじゃあ、いっくよー!」

 次の瞬間、イノが猛然とダッシュした。

 クリスは、その装備からリュミエルが前衛、イノが遊撃だと判断していた。

 面食らいつつも、イノに急迫されたので意識を切り替える。

「ホイッ!」

 掛け声と共に、イノが鮮やかな前転宙返りを決める。

 その唐突な行動に、クリスは虚を突かれた。

 見事な着地を決めたイノが、短刀を抜き放つ。

 両足で跳躍すると、凄まじい速度でクリスに襲い掛かった。

 予想外の攻撃パターンに、クリスは戸惑いを隠せない。

 かろうじて甲殻の盾で短刀の刃を防ぐが、右側に回り込まれてしまう。

 さらに突き出された短刀を、手甲で弾いたクリス。

 楯で殴り掛かるが、鮮やかな身のこなしで躱される。

 前後左右にステップを踏んで跳ね回り、イノは攻撃を仕掛けた。

 斬撃や突きなどを次々と繰り出す、息もつかせぬ短刀術スキルの攻撃だ。

 一撃の威力では譲るが、多彩な手数と速さでは剣術スキルを上回る。

 さらに相手を翻弄する軽快な体捌きがセットになったのが、短刀術スキルである。


 間断ないイノの攻撃を、クリスは紅剣直伝の技で防ぎ続けた。

 最初の位置から動かずに観戦するリュミエルに不審に思いつつ、イノを相手取る。

 盾で短刀を受け止めながら、回避スキルを発動する。

 しかし、防戦一方で旗色が悪かった。


 クリスが盾で押し込もうとすると、イノが大きく後ろに跳躍した、

 軽業師のように空中でクルッと身をよじり、背後の建物の壁に着地した。

 片手両足を壁に着け、獲物を狙う猫のような格好で背を丸める。

 跳んでくる、瞬時に判断したクリスは、カウンター狙いで楯を構えた。


「えっ!?」

 一拍の間を置き、クリスが驚きの声をあげる。

 イノが垂直の壁に着地したまま、ぴたりと静止しているのだ。

「リュミエル!」

 重力を無視した体勢のまま、離れた場所にいる仲間の名を叫ぶ。

 騙し絵のような光景に、クリスの脳はパニックを起こしていた。

 直感が警鐘を鳴らすが、とっさのことで反応が遅れる。


 かろうじて構えた甲殻の楯に、炎の矢が炸裂した。

 巻き起こった熱風に包まれ、クリスは息を詰まらせる。

 魔術スキル! 相棒が得意とするスキルに、驚愕するクリス。

「とうっ!」

 その隙を突き、イノが張り付いていた壁を蹴って宙を舞う。

 膝を抱えてクルリと回転すると、蹴撃スキルを発動した。

 強化された回し蹴りが、クリスの肩口を捉えた。

 ドンッと重い衝撃が発生し、クリスが吹き飛ばされる。

 そのままゴロゴロと路面を転がり、反対側の建物の壁にぶつかって止まった。

 イノは高く飛んだ後、両手を広げて華麗な着地を決めた。

 呻き声をあげるクリスが、もがくように立ち上がる。

 楯を装備した左腕が、だらりと垂れ下がる。肩の関節が外れていた。

「ここまでです、観念しなさい」


 痛みに霞むクリスの視界に、一〇歩先に佇むリュミエルが映る。

 彼女が手にした聖銀製の剣が、目映い輝きを放っていた。

 クリスは無言のまま、じりじりと横に移動する。

 リュミエルが無造作に剣を振るい、聖剣スキルを発動。

 刃にほとばしった炎が切っ先に収束し、紅蓮の矢となって放たれる。

 爪先で炸裂した炎が、クリスの足を炙った。足甲で覆われていない部分に火傷を負う。

「今度は顔に当てるわよ?」

 無慈悲に宣告するリュミエル。歯向かうなら容赦はしないと、その表情が語る、

 クリスは歯を食いしばり、肩と足の痛みに耐えた。

 初見のスキルに対応しきれず、後手に回ってばかりだ。

 彼女は己の未熟さを噛み締め、それでも諦めずに逃走手段を模索する。


「どうでもいいけどさー」

 短刀を片手でクルクル弄びながら、イノがリュミエルと並び立つ。

「なんで剣を抜かないの?」

 彼女の言葉に、初めて動揺の色を浮かべるクリス。

「あなた、剣士でしょ? 剣士が剣を使わないで、わたし達に勝てるはずないじゃん?」

 じりじりと、クリスは剣の柄に手を伸ばす。

 リュミエルを片手で制止しながら、その様子をイノは見守る。

 剣の柄を握った途端、クリスの全身が震え出した。

 彼女の顔から血の気が失せ、口元が戦慄(わなな)

「もしかして、戦うのが怖い?」

 イノの問いに、クリスは答えられない。

「可哀想に……………」

 イノは同情の視線を、クリスの首輪に向ける。それは隷属の首輪、奴隷の証だ。


「ねえ? わたしのご主人様に会ってみない?」

「イノ!? 何を言っているの!」

 仲間の唐突な発言に、リュミエルが目を剥いて怒鳴る。

 しかしイノは構わず、穏やかな表情で語り掛ける。

「わたしのご主人様ね、とっても優しい人なの」

 腰の鞘に短刀を収めたイノが、両手を差し延べる。

「戦えない奴隷に無理やり剣を持たせる、そんなゲス野郎とは違う。ご主人様に会えば、あなたも救われる」

 彼女の言葉に、クリスが俯いてしまう。

 それを躊躇(ちゅうちょ)と見たイノが、さらに言い募る。

「あなた、絶対に騙されているのよ。戦えない女の子を巻き込むなんて、ひど過ぎるもの。そんな極悪人、さっさと見捨てた方がいいわ。大丈夫、ご主人様がなんとかしてくれる。すごく頼りになる人なんだ!」

 イノの言葉の端々には、主人と呼ぶ相手への全幅の信頼が窺えた。

「絶対に後悔させないよ!」


 剣の柄から手を離し、クリスの両腕がだらりと下がる。

 王都の夜空を仰ぎ、彼女は呟いた。

「私が不甲斐ないばかりに――――ごめんなさい、タツ」

 彼女の頬を、一筋の悔し涙が伝った。


「何も知らない(やから)に、あなたを侮辱させてしまいました」


 視線を正面に戻した彼女は、イノとリュミエルを見据える。

 クリスの静かな気迫に呑まれ、彼女達はわずかに身じろぎした。

 ――人間に対し、剣を向けることへの忌避感。

 ――脳裏を過ぎる、惨劇の場面。

 今この場で、自分の弱さと決別しなければならない。

 自分の想い人の名誉を守るため、剣を抜いて戦い、証明しなければならない。

 恐怖を押し殺し、その忌まわしい名を告げる。


「出なさい、《獅子王》」


 彼女は暴虐の獣を、自らの意思で檻から解き放った。

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