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挿話の15_リリの雪辱戦

 ヨシタツが街を出発して、数日経ったある日のことである。


 リリは宿の台所で、まかない料理を作っていた。

 ランチタイムが終わり、これから遅い昼食を摂るのである。

 いつもなら応援のベイル、グラス、マリウスが引き上げる時間である。

 しかし今日からは、まかない料理を食べていってくれと、リリが熱心に勧めたのである。

 もちろん、仕事を手伝ってもらった感謝の気持ちもある。

 それだけではなく、リリにはある企みがあった。


「……………くふふ」


 鍋をかき混ぜながら、リリが含み笑いをする。

 普段は快活な少女のものとは思えない、暗い情念を感じさせる笑い声である。

 流しで皿洗いをしていたフィーが、ギョッとして少女の横顔を凝視したほどだ。


 湯気の立つ鍋を覗き込むリリは、瞳に不気味な光を宿していた。


      ◆


 リリは、いま暮らしている街の生まれではない。


 物心ついた頃には既に、あちこちの街や村を転々と渡り暮らしていた。

 幼年時代のリリは、母のシルビアと一緒に過ごした時間が少ない。

 シルビアは幼い娘を神殿や知人に預け、親友のカティアと一緒に旅に出てしまうからだ。


 同じ場所に長く住むことのないリリは、ある種の特技を身につける。

 どんな相手ともすぐに打ち解け、自分の居場所を作る処世術を学んだのだ。

 やがて大人達に可愛がられ、たくさんの友達を得る頃になると、シルビアが迎えに来る。

 そして名残を惜しまれつつ、母親とその親友に連れられ、次の場所へと旅だった。


 人々との別離の繰り返しに、リリは確かに寂しい思いをした。

 旅の空では不便を強いられた。木陰で降りしきる雨を避け、一夜を過ごしたこともある。

 しかしリリは、なによりも母と一緒に過ごせる時間に喜びを覚えた。


 こうして何年も流浪した末に、リリは現在の街に到着したのである。

 再び旅立とうとしたシルビアは、娘に言い残した。

 今度戻ってきたら、ずっと一緒にいられると。もう旅に出ることはないと。

 母に告げられた言葉に、リリは歓喜した。

 そしてシルビアは、後に宿屋に改装する一軒家を購入し、そこにリリを残して旅立った。

 その時、リリの保護を任されて同居したのが、ベイルである。


 幼少の頃より、リリの近くにはカティアの弟子二人の内、いずれかの姿があった。

 後の豪剣ラウロスと、双剣ベイルである。

 師であるカティアに命じられ、最低でも一人はリリのいる近所で暮らしていた。

 当時の二人は、リリとの付き合い方にそれぞれ違いがあった。

 ラウロスの場合は、遠くから見守ってリリの生活には直接干渉しない。


 ベイルの方は、ちょくちょくリリの許に顔を出しては、あれこれと構いたがった。

 リリが友達と遊んでいる場に現れ、ガキ大将よろしく取り仕切ったり。

 あるいはリリに隠れ、子供達と一緒にイタズラ騒動を巻き起こすこともしばしば。

 その度にリリは、迷惑を掛けた先に頭を下げて回ったのである。


「ガキの頃、お嬢の面倒を一番に看たのは、俺だったんだぜ」

 ベイルがそう自慢すると、決まってリリが苦虫を噛み潰したような顔になるのは、そういう理由からであった。



「ベイルおじさんっ!?」

 初めての我が家に住み始めてから数日後の早朝、玄関から表に出たリリが悲鳴をあげた。

「ああ、お嬢。おはようさん」

 ベイルは、初老の男に剣を突き付けながら、呑気に挨拶した。

「なにしているのっ!?」

「んあ? ああ、こいつが無断で敷地に入り込んだから、とっ捕まえたんだ」

 シレッと答えるベイルに、リリは全身の力を振り絞って怒鳴る。

「その人、お隣りさんだから!」

「リリちゃん………………」

 剣を突き付けられ、真っ青になっていた初老の男が、震えながら手を差し出す。

「これ、回覧」

「すみませんすみませんすみません!」

 リリは平身低頭、全力で謝った。

「おっかない人だねえ」

 首を振りながら帰っていくお隣さんに、ベイルも一応謝った。

「悪かったな、おっさん! 気にすんじゃねえぞ!」

 全然悪びれないベイルの膝を、リリは思いっきり蹴っ飛ばすのであった。



「仕方ねえだろ? 知らなかったんだから」

 頭の後ろで両手を組み、ぼやくベイル。

「だからって、いきなり刃物を出さないでよ!」

「へいへい」

「返事は、ハイを一回!」

 耳をほじって聞き流すベイルを、リリが叱り付ける。

 二人はいま、街の市場にいた。リリの買い物に、ベイルが付き添っているのだ。

 リリは最初、断ったのだ。買い物ぐらい一人で行けると。

 しかし、ベイルは強引だった。姐御と姐さんから、ちゃんと面倒を看るように命じられていると。

 母と、その親友を引き合いに出されたリリは、しぶしぶ頷くしかなかった。

「いい、ベイルおじさん!」

 リリはぎょろりと、隣のベイルを睨み上げる。

「くれぐれも、騒ぎを起こさないでね!」

 当時からリリの言葉遣いは、しっかりとしていた。

 次々と変化する生活環境が、年齢よりも彼女を大人びさせていた。

「おいおい、そりゃこっちのセリフだぜ。お嬢こそ、はぐれて迷子になるなよ?」

 しかしベイルにとっては、赤ん坊の頃から見知っている娘である。

 こましゃくれたガキだと、笑い飛ばした。

 露骨に疑わしげな顔をしてから、リリは市場に居並ぶ露店の品揃えを覗きながら歩く。


 そしてゴザの上に野菜を並べた露店の前で足を止めると、品定めした。

「おじさん、それいくら?」

 彼女は白アスパの乗ったザルを指差し、店主に問いかける。

 五〇がらみの店主は、孫ほどの年頃のリリを見て微笑ましいそうな顔だ。

「銀一枚だよ」

「いくらなんでも高いよ!? 銅二〇で良いよね!」

 リリの突っ込みに、ニヤリと笑う店主。

 そして相場よりも微妙に低い値段を提示した目利きに、密かに感心する。

 もうちょっと掛け合いを楽しもうとした店主だったが、ふと視線をあげた。

「ひいっ!」

 女の子の頭上で、一人の青年が剣呑な目付きで睨んでいた。

 年は若いが、尋常な迫力ではない。修羅場を幾度も潜った凄みが感じられる。

「いいよ! 銅二〇ね!」

 店主が裏返った声で承諾する。最初は訝しんだリリだが、ハッとする。

「ベイルおじさん!」

 背後を振り返り、リリが大声で怒鳴る。

 そっぽを向いたベイルが、下手な口笛を吹いていた。


 そんな感じで露店を回ったのだが、どの店でもベイルが睨みを利かせた。

 リリには決して見せない鋭い視線に、誰もが恐れをなした。

 そんな彼を叱り飛ばし、膝蹴りを食らわせるリリに対しても、一目置いた。

 こうしてリリは市場で名が知られ、良い品を安く売ってもらえるようになる。

 やがて本人の人懐っこい性格そのものが愛され、人気者になるのだった。



 そんなことを想像もしていないリリは、新しい我が家の台所で調理中だ。

 市場で買い込んだ食材で、夕食を作ろうというのである。

「なあ、そんな面倒なことしないで、外へ食いに行こうぜ?」

「ベイルおじさん、黙って?」

 にべもなく言い捨てたリリは、馴れた手つきで野菜を刻む。

 実は自分の料理の腕前を、リリは内心自負していた。

 預けられた先で率先して食事の準備を手伝う彼女を、主婦や料理人達が熱心に仕込んだのだ。

 この街に到着して以来、外食で済ませてきたが、今晩からは自分で食事を作ろうとリリは思った。

 お金が勿体ないというのもあるが、ベイルに自分の料理を振る舞いたかったのだ。


 物心がついてから、ずっと自分を見守ってくれるベイルに、リリは心の底では感謝していた。

 密かに兄とも慕っていたが、そんなことを告げれば調子に乗るから、口にしないだけなのだ。

 やがて食事の準備が整い、二人でテーブルを囲んだ。

 自信と期待の眼差しで、リリがベイルの手元を見詰める。

 彼女の心尽くしの料理を口にした途端、ベイルは満面の笑顔になった。


「くっそマジいなっ!」



 打ちのめされたリリが立ち直るのに、しばらくの時間を要した。

 シルビアが旅から戻り、やがて宿屋を開業してから、ようやく料理を再開するようになる。

 それほどベイルの感想が堪えたのだ。

 すっかり自信を喪失した彼女は、一から修行し直す気構えだった。

 幸いなことにシルビアもまた、やがて娘と一緒に暮らす日に備え、旅先で料理を学んでいた。

 卓越した技術を修めていた母に師事したリリは、やがて料理スキルを得るに至るのであった。


 リリは、ある決意を胸に秘めていた。

 いつか必ず、あの時の屈辱を晴らすことを。


      ◆


 あれから数年が経ち、とうとう念願の日がやってきた。


「さあ、召し上がってください!」

 料理をテーブルに並べると、リリは高らかに宣戦布告した。

「楽しみじゃな」

「リリちゃんの料理は絶品ですからね」

 グラスとマリウスは呑気に言葉を交わしながら、匙を手に取る。

「そういや、お嬢の手料理は二度目だな」

 ベイルは、感慨深そうな表情になる。

「ちったあ、腕が上がったのかねえ?」

 ベイルが呟くと、リリのこめかみにビキリと青筋が浮かぶ。

 テーブルの隅で身を縮こまらせていたフィーが、ひいっと悲鳴を漏らす。

 調理中から異様な気迫を発するリリに、すっかり怯えてしまったのである。


「食べてみれば分かるわよ、ベイルおじさん?」

 リリの声音は、甘く(したた)るようだ。しかしその眼差しは、傲慢なほどの自信に満ちている。

 一見すると野菜と肉、小麦の団子の煮込み料理。

 しかしてその実態は、リリがこの日のために準備してきた、渾身の一品なのである。

 今のリリの腕前ならば、豪勢なコース料理でさえ作ることができる。

 そこをあえて、まかない料理の体裁にしたのは、あの屈辱の日と同じ料理と似せるためだった。

 厳選した食材と、なによりも肉と出汁に秘密がある。


 その正体は、ヨシタツから貰った魔物の干し肉である。

 魔物の干し肉を野菜などの材料と一緒に三日三晩煮込み、何度もアクを漉した。

 あらゆる技術で雑味を執拗なまでに除去し、旨味成分だけを残したスープは、澄んだ琥珀色となった。

 さらに、水に戻した魔物の干し肉の残りを、とろけるほど柔らかく煮込んだのである。

「おお! なんじゃこれは!」

「美味しい!?」

 リリが最高傑作と自負する一品は、グラスとマリウスを驚嘆させた。

 舌鼓を打つ二人に、フィーが憐憫の眼差しを向ける。

 干し肉の原料となった魔物の、その異形ぶりを知っているからだ。

 そして肝心のベイルはひと匙、口にくわえると


「くっそマジいなっ!」


 あまりの絶望に、リリは目の前が真っ暗になった。

 雪辱を決意してはや数年。研鑽を積み重ね、満を持して用意した料理を貶されたのである。

 もはや二度と包丁を握るまいと、そこまでリリが思い詰めた時である。


「負け惜しみも大概にせえ」

「兄者の悪い癖ですよ、それって」


「――――え?」

 呆れ返ったグラスとマリウスの声を聞き、どんよりとしていたリリの瞳に光が戻る。

「なんだよ、すげえマズいじゃねえかよ!」

 そう叫ぶと、料理をむさぼるベイル。

 がふがふと、皿に鼻を突っ込むような勢いだ。

 肉と野菜、旨味をたっぷり吸った団子を口に頬張り、噛む間も惜しいと呑み込んでいく。

 あの日と同じように。

 無理をして食べているのだと思い込み、リリを落ち込ませた光景が再現されていた。

 いや、まったく同じではない。その食べっぷりには、前回よりもさらに勢いがある。

「ベイルよ、食通ぶらず、素直に負けを認めんか」

「そうですよ、兄者。誉め言葉ぐらい、別に減るものじゃないし」

「へそ曲がりも、そこまでいくと滑稽じゃぞ?」

「いいや! マズいもんはマズいね!」

 あっという間に料理を平らげたベイルは、声高に主張する。

「それに下手に褒めたら、お嬢が自惚れちまうだろ! そしたら腕なんてすぐ鈍るぜ! いや、ほんとマズいけどな!」

「――――――――」

 リリは何も言わない。ただじっと、ベイルを凝視している。

 危険を察したフィーは、あたふたと食堂から逃げ出した。

「お嬢、マズイけどお代わり!」

 あの日と同じように、ベイルは空になった皿を差し出す。

「まあ、ちったあマシな腕になったかもしれねえ気もするけどな!」

 ベイルが偉そうにうそぶいた瞬間、


 リリの理性が、ブチリと切れた。



 ――――いやちょっと待ってくれ!? ヤバいってそりゃ! シャレにならねえから!! ――――グラス! マリウス! お嬢を止め――――ひいいいいいい!?

 破壊音と一緒に、ベイルの絶叫がご近所に響き渡った。



 翌日、宿の玄関にこんな掛札が下げられているのを、隣家の主人が見つけた。

『諸事情により、本日の営業は休ませて頂きます 女将代行 リリ』

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