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転機_前編

「少々お疲れのようですが、病の兆候はありません。倒れたのは貧血のためでしょう」


 モーリーの診断結果に、見守っていた俺達の深刻な表情が晴れる。

「お母さんっ!」

 リリちゃんが、ベッドに横たわるシルビアさんにすがりつく。その頬を、大粒の涙が濡らした、

「ほら、大したことないって言ったでしょ?」

 シルビアさんが、泣きじゃくるリリちゃんの頭を撫でた。

 その様子を見ながら、俺とクリスも胸を撫で下ろす。一応治癒術で観察していたが、先達であるモーリーと同じ所見だったことに安堵した。


 シルビアさんが意識を失って倒れた後、宿中が大騒ぎになった。

 取り乱すリリちゃんを励ましながら、俺はシルビアさんを背負って治療院に直行。クリスはモーリーを呼びに行かせ、フィーはカティアに連絡、コザクラは宿に留まって連絡役を務めた。

 治療院に到着してベッドに寝かせた後、シルビアさんの意識はすぐに回復した。

 治療師は命に別状はないと診断したが、リリちゃんの不安は収まらない。そこにクリスに背負われたモーリーが到着した。よほど急いで駆け付けたのか、むしろモーリーの顔色の方が真っ青だった。

 そして顔見知りの神官に太鼓判を押され、ようやくリリちゃんは安心したのである。

「えーと、なんかすみません」

 隣にいる治療師に頭を下げた。最初にシルビアさんを診察してくれた彼女は、鎧蟻討伐の際に協力してもらった人で面識がある。彼女の診断を疑ったみたいで、不快に思っていないだろうか。

 しかし人間が出来ているのか、年配の治療師は鷹揚に笑ってくれた。

「いいえ、肉親の方では仕方ありません。それに当院でも、モーリー様にはお世話になっていますから」

 どうやらここで手に余る怪我人は、モーリーに出張治療をしてもらっているらしい。

「さて、念のために当分の間は仕事を休み、安静にしてください。看護の負担を考えて、しばらく当院で患者を預かりましょう」

 治療師の提案に、モーリーも同意する。

「そうですね、それが良いと思います」

 彼女達の言葉に動揺するリリちゃんの頭を、モーリーが幼子に対するように撫でる。

「お母さんは、ちょっと身体が弱っているみたいなの。しばらくここで療養すれば、すぐに元気になるわ」

「そうですね、お願いできますか?」

「お、お母さん!?」

「大丈夫だからね、リリ。お母さんはすぐに良くなるから」

 シルビアさんはリリちゃんの頬に手を添え、その目線をしっかりと捉える。

「お母さんがいない間、宿のことをお願いね?」

 心細そうな表情になるリリちゃん。ああ、そうか。シルビアさんの健康はもちろん心配だが、宿を一人で切り盛りすることに不安を覚えているのだろう。

「リリちゃん。俺も手伝うから、一緒に頑張ろう」

「…………タヂカさん」

 責任感に押し潰されそうな少女の肩に手を置き、力づける。

「お母さんが帰るまで、大切な宿を守ろうね?」

 俺の言葉に、リリちゃんは唇を噛みしめる。幾つかの逡巡が表情を過ぎった後、

「―――――うん!」

 その瞳に決意を宿し、リリちゃんが力強く頷いた。

「なんならこの先ずっと、二人に宿を任せてもいいのよ?」

「お、おかーさん!?」

 シルビアさん、どうしてあなたは、そうやって茶々を入れるのですか?


「あ、あの! 私も手伝いますからね? タツ? リリちゃん? シルビアさん?」

 もちろん頼りにしているよ、クリス? 何を焦っているの?


      ◆


「そういう訳で、しばらくお稽古をお休みにしたいのですが」

 その日の晩、俺は八高弟のたむろする酒場に出向いて、事情を説明した。

 シルビアさんが倒れた話は、すでに彼らの耳に達していたのか、驚いた様子はない。

「姐さんの容態はどうなんよ?」

 ベイルを始め、兄弟子達は一様に心配そうだ。シルビアさんは彼らにも人望があるらしい。

「しばらく安静にすれば良くなるって」

 モーリーの診断結果を伝えると、彼らはほっと溜息を吐く。

 しかし、長兄ラウロスだけは表情を崩さず、腕を組んで唸る。

「病ではないのだな?」

「ああ、どうやら過労らしい」

「血色はどうだ、何か他に異常はないのか?」

 やけに詳しく知りたがると思ったが、シルビアさんの昔話を思い出す。

 付き合いが長い分、何かと心配なのだろう。カティアにも容態を伝える必要もあるだろうし。

「そうだな、ちょっと微熱が出たみたいだけど、すぐに下がった。身体が衰弱気味なので、治癒師が薬湯を調合してくれるそうだ」

 用件を伝え終えると、酒場を出た。さあ、急いで戻って明日からのことを皆と相談せねば。

 俺は宿へ戻る道を急いだ。



 それが昨晩の話である。

「よお、おっさん!」

 翌日の早朝、八高弟の次兄ベイルが宿を訪れた。

 彼一人ではない、後ろには五兄グラスと、末弟マリウスまでいる。


「あのね、昨晩の話、憶えている? 俺は今日から忙しいの」

 そう言って玄関の扉を閉めようとしたら、ベイルが慌ててドアノブを掴む。

「そうじゃねえんだよおっさん!」

「どうかしたの?」

 騒ぎを聞きつけたのか、リリちゃんがホウキを片手にやってきた。日課の掃き掃除の時間らしい。

「外にちょっと不審者がいてね。すぐに追っ払うから、ちょっと待って?」

「待てやおっさん! 誰が不審者だ!」

「ベイルおじさん?」

 外と内で引っ張り合う扉の隙間から、外を覗いたリリちゃんが驚く。

「それに先生と、マリウス君も?」


 結局、押し問答の末、招かれざる客の侵入を許してしまった。


      ◆


「助っ人って、誰が?」


「俺達だよ、俺達。まあ大船に乗った気でいろや」

 居間のソファーで、偉そうにふんぞり返るベイル。さっぱり意味が分からん。

「姐御の親友が難儀しているのなら、手助けをしない訳にはいかん。ましてリリは、わしの弟子じゃ」

 グラスの言葉に、マリウスがうんうんと頷く。

「それに僕は前にもお手伝いしましたからね。勝手は分かっていますから」

 実は宿のランチタイムを、しばらく休みにしようと相談していた。俺が手伝うにしても、リリちゃんが一人で料理を担当するのは不安がある。ましてクリスやフィーに接客できるか未知数だ。


 マリウスは、以前にランチタイムの給仕を務めてくれてくれたことがある。お客にも好評だったので、戦力としてはかなり期待できる。

「ありがとうございます、先生。マリウス君も、とっても心強いよ」

 二人の好意に、涙ぐむリリちゃん。彼女はベイルにも、きっちり頭を下げる。

「ベイルおじさんも、ありがとうね? 気持ちだけは受け取っておくから」

「おうっ!――――て、あれ? 俺も手伝うぜ?」

「ううん、いいよ。だって、ベイルおじさんがいても邪魔になるだけだし」

 爽やかな笑顔のまま、リリちゃんはキッパリ断る。

「いやいやいや、お嬢、ちょっと待てよ!? 俺だって役に立つんだぜ! むしろグラスやマリウスよりも頼りになるね!」

 自信満々なベイルの言葉に、リリちゃんは小首を傾げて考え込む。

「うーん。じゃあ、ちょっと試験をしてみようか。万が一にも役に立つかもしれないし」

 リリちゃんが、けっこう遠慮のない毒舌を吐いている気がした。



 ベイルだけではなく、俺とグラスの腕前も試すことになった。

 宿の台所は一般家庭よりも設備が充実して広さもあるが、大の男が三人も集まるとやはり手狭だ。

 もしランチタイムを実施するなら、食材の下拵えをする人間がいるだけでもリリちゃんの負担はかなり軽減される。その適任者を選ぶために、まず俺とグラスが芋の皮剥きに挑戦する。

「おお、見事な手付きですね!」

 隣のグラスの手元を見て、俺は感嘆した。何しろ剥いた皮の薄さが違う。仕上がった芋を見比べてみれば、俺の剥いた芋はやや角ばっているのに対し、グラスの芋は表面がとても滑らかだ。

「当然じゃ、わしを誰だと思っておる」

 何が当然なのか不明だが、とにかく包丁さばきだけならプロ級だろう。

「いや、恐れ入りました――――その、包丁を舐めなければ完璧なんですけどね?」

「何のことじゃ?」

 首を傾げつつ、包丁の刃にべろりと舌を這わせるグラス。癖なのだろうが、衛生上大問題である。

 でもまあ、それに関しては特に問題ない。包丁を握っている間は、猿轡でも噛ませておけばいいのだ。

「あーあ、見てられねえや」

 そんな俺達を見て、やれやれと肩を竦めるベイル。

「そんなチンタラやってたら、日が暮れちまうぜ」

 彼は俺から包丁を奪うと、まな板に根菜を乗せて切り始めた。

「こ、これは!?」

 驚異的なスピードだった。彼の手元が霞み、野菜がみるみる切り刻まれていく。普通ならばタンタンタンという断続的に響く音が、まるで途切れることがない。

 ダ―――――と、連続した音が響いたかと思えば、根菜があっという間に微塵切りになった。

 次に肉を試したら、あっという間にひき肉になる。まるで人間ミキサーである。

 得意満面なベイルに、リリちゃんは細長い野菜を手渡した。

「ベイルおじさん、これを輪切りにしてみて?」

 彼はすぐさまそれを――――微塵切りにした。

「この魚を三枚に下ろして?」

 ――――予想通り、やはりミンチになった。

「どうだ!」

 周囲の冷たい視線に気付かず、自信満々に胸を張るベイル。

 そんな彼に、無表情なリリちゃんが芋を手渡す。

「…………このお芋の皮を剥いて? いい? 皮を剥くんだよ? バラバラにしちゃダメだよ?」

「お嬢はしつこいな、分かっているよ」

 ほいっとベイルが芋を放り投げ、包丁を縦横無尽に振るう。

 落下する芋を包丁の平で受け止めると、その出来栄えを見せびらかす。

 一辺の長さの狂いもない、それはそれは見事な、芋の立方体だった。


 次に食堂に移動し、接客態度についての試験をすることになった。

 テーブルに座った俺が客の役をやり、ベイルが給仕役を務める。

 壁際に並べた三つの席に座るリリちゃん、グラス、マリウスが試験官だ。

「それでは始めてください」

 リリちゃんの宣言に、台所から水の入ったカップを手にしたベイルが登場する。

「ほらよ、水だ」

 俺の前にカップをドンと置くと、ピチャッと水が跳ねて周囲にこぼれた。


「「「失格」」」


「いきなりなんだよ! まだ始まったばかりじゃねえか!」

 試験官全員一致の判定に、ベイルは猛然と抗議する。

「まあまあ、一応最初から最後まで、通しでやってみよう?」

 俺は試験官達に試験の続行をとりなした――――だって、おもしろそうだから。

「それで? 何が食いてえんだ、ああ?」

 その表情を見るに、どうやら本人なりに真面目にやっているつもりらしい。

 必死になって笑いを噛み殺し、彼に尋ねる。

「今日のお勧めはなんですか?」

「なんだって同じだろ? そうだ! 一番値段の高けえやつを食え、な?」

「じゃあ、それをお願いします」

 ベイルが、リリちゃんに片目をつぶってみせる。気が利いているだろ? そう言いたげな表情だ。

 リリちゃんの眉と口元が、ピクピクと引きつっているのにも気付いていないらしい。

「おう、ちょっと待ってろ!」

 ベイルは台所から空の皿を持ってくると、俺の前にガチャンと置いた。

「ほらよ、さっさと食って帰りな」

 ぷっと吹き出し、慌てて咳払いで誤魔化す。

「ええ、では頂きます――――て、これ、虫が入っているじゃないですか!」

「てめえ! お嬢の作ったもんにイチャモンつけようっていうのか、ああ?」

 アドリブを入れたら、ベイルが凄む。熱が入り、演技だってことを半ば忘れているらしい。

「だって、ほらこれ」

 虫を摘まむ真似をしてみせると、ベイルは鼻で笑った。

「いちいち細けえこと言うんじゃねえよ、一緒に食っちまえ」

「そんな無茶な!」

「腹に入っちまえば同じだろう?」


 自分の料理を虫と一緒にされたリリちゃんが、凄まじい形相で俺達を睨んでいた。


 試験の結果、明日からランチタイムを再開することにして、役割分担を決めた。

 リリちゃんが調理担当、グラスが助手、クリスが見習い。

 接客は主にマリウス、フィーが補助につく。


 俺とベイルは中庭で薪割りと皿洗い、野菜を洗う担当となった。


      ◆


「だって、わたしの作る料理に虫が入っているなんて言うんだよ!」


 その日の夕方、リリちゃんと一緒にシルビアさんのお見舞いに行った時のことである。

 リリちゃんはひどくおかんむりで、母親に俺の罪状を訴える。

「いや、あくまでもあれは寸劇でね? 実在の人物、場所、料理とかに関係なくて…………」

 しどろもどろに弁解するが、リリちゃんはぷいっと顔を背ける。

 そんな俺達を眺めながら、シルビアさんが優しく微笑む。

「意地悪なタヂカさんは放っておくとして」

「シルビアさん!?」


 彼女は娘に、ランチタイムから宿の仕事について、細々とした注意事項を挙げる。

 リリちゃんも宿の仕事を手伝っているが、あくまでも指示された立場での経験だ。宿の経営者としての知識は、御用聞きとの対応やご近所付き合いまで広範囲に渡る。

 母親の言葉に聞き入るリリちゃん。手伝いである俺も、真剣に耳を傾けた。


 そして翌日から、ランチタイムを再開した。連携が上手くいかず、小さな失敗を繰り返す。

 女将不在の穴は、予想以上に大きかった。それでも全員で力を合わせ、その穴を埋めようと努力する。

 特にリリちゃんは、母親の代理として奮闘した結果、周囲の大人達を使いこなすコツを掴み始めていた。

 俺達はあくまでも手伝い、主役は彼女だ。本人は毎日母親の見舞いに行き、女将としての心得を学ぶ。

 女将代理として成長できるように、俺達は彼女を助けた。


 そうして五日も過ぎ、宿の仕事がなんとか回るようになると、八高弟の稽古が再開された。

 俺が稽古する時間を作るため、ラウロスがベイル達を促し、宿の手伝いに送り込んだらしい。

 そうなると長兄の要望も無下には扱いかねて、北の森の稽古場に顔を出すことにした。

 そこには、宿を手伝っている三名を除いた八高弟に加え、新たな参加者がいた。


「あ、タヂカさん!」

「やあ、モーリー」

 にこやかに応えてから、彼女の隣にいるラヴィの腕を掴んで引きずった。

「おい、なんで彼女がいる!」

 モーリーから十分に離れた場所で、俺はラヴィを問い詰める。

「ほら、彼女のスキルがさ、ヨシタツの稽古に都合が良いって」

 少しバツの悪そうな彼女が、ラウロスを目線で示す。

 倒木に腰掛けた張本人は、腕を組んで瞑目している。どうやら完全無視の構えのようだ。

「…………どうして彼女のスキルのことを知っている?」

 それが疑問だった。治療院では、モーリーの存在を喧伝していない。モーリー自身もまた、自分のスキルを言い触らしたりしない。希少な上に有用な治癒術のスキルは、下手に広まると災難を招くからだ。


「わたしから聞いたこと、姐御には内緒にしてよね」

 声を低めて詰問していると、とうとうラヴィは頭を掻いて白状する。

「姐御はさ、訳ありの連中をこっそり助けているんだよ、本人には気付かれないようにね。厄介なスキルのせいで世間に出られないような人間には、裏から手を回して生活が成り立つようにしてやっているし。あたしもたまに手伝いをさせられるから、まあ自然とね?」

「カティアは、どうしてそんなことを?」

 さあねと、ラヴィは肩を竦める。そう言えば、俺もその訳ありの連中の一人だった。

「――――ちょっと待て。するとモーリーとは面識がなかったのか?」

「基本的に、本人達とは直に接触しないからね」

「だったら、どうやって――――」


「あの、どうかされたのですか?」

 俺がさらに尋問しようとした時、訝しげな表情のモーリーが近寄ってきた。。

「モーリー、君はどうして、ここに来たんだ」

「え? そちらのラヴィさんに、タヂカさんが呼んでいると伝言を受けて」

 ラヴィが、そっぽを向いて口笛を吹き出した。

「…………どうして、それを信じたの?」


「ラヴィさんが、タヂカさんのお友達だとおっしゃったので」

 俺は思わず、頭を抱えてしゃがみ込む。そうだ、彼女はいま一つ、危機意識の足りない子だった!

「あの、どうかしましたか?」

「モーリーッ!」

 俺は跳ね起き、彼女の肩をガシッと掴んだ。そして噛みつかんばかりの勢いで説教する。

「いいかい! 知らない人についていったらダメだからね!」

 彼女には防犯の、初歩の初歩から教え込まないといけない。そんな義務感に駆られた。


 さて、モーリーを招いたラウロスの意図は、すぐに明らかになった。

 稽古がいっそう厳しさを増し、生傷が急激に増えるようになった。

 倒れても気絶してもモーリーによって癒され、再び稽古に立たされる。


 その日から、無限に続く地獄の猛特訓が始まった。


     ◆


「ギルドからの依頼?」


 ある日、冒険者ギルドのセレスから呼び出しを受けた。

 何事かと訪ねてみたら、ギルドの指名による仕事の依頼だった。

「はい、ペルレスの街まで配達をお願いしたいのです。場所は王都の北に位置します」

「他の冒険者に、いや商隊にでも頼めばいいんじゃないか??」

 届け物ぐらいの簡単な仕事を、わざわざギルドが依頼する理由が分からない。

「ちょっと高価なものなんです。他の冒険者だと、間違いなく持ち逃げされるので」

 さらっと断言するセレスが怖い。周りで聞き耳を立てている冒険者達も渋い顔だ。

「俺が持ち逃げするとは思わないのかい?」

「タヂカさんはギルドの倉庫に鎧蟻の素材を預けていますから。あれが担保になるので」

「そこは嘘でも、俺のことを信じていると言ってほしかった」

「あ、もちろん信じていますよ?」

 そんな取って付けたように言わなくてもいいよ。

 俺が拗ねると、セレスはおかしそうに笑った。

「冗談ですから。ただ、周囲には説得力のある理由になるので」

「はいはい。でも今は時期が悪くて。長期間、街を離れる仕事はちょっと」


 リリちゃんを残してはいけない。返事は後日でいいと言われたが、断るつもりでいた。



「ダメだよ、せっかくのお仕事を断ったりしたら」

 その日は宿の仕事を休みにして、みんなでシルビアさんの見舞いに行った。

 たまたまギルドの依頼の話をしたら、リリちゃんに叱られてしまった。

「だって、タヂカさんのことを見込んで、お仕事を頼んだんでしょう?」

「まあ、そうなんだけど。リリちゃんを残しては行けないよ」

「わたしなら大丈夫だよ、タヂカさん」

「でもね、リリ? あなたを一人にするのは心配だわ」

 シルビアさんが珍しく、不安そうな面持ちになる。

「お言葉に甘えるようで申し訳ないけど、なるべくリリと一緒にやっていただけませんか?」

「もともとそのつもりでしたから」

 すがりつくようなシルビアさん。少し気弱になっているのかもしれない。

 微熱が時たま出たりして、シルビアさんの療養生活は長引いていた。治癒術で時おり体調を観察しているのでさほど心配はないが、早く元気になってほしい。


「お母さん、わたしは大丈夫だよ」


 大人二人で話を進めていると、リリちゃんが割り込んだ。

 シルビアさんが倒れた時とは想像もできないぐらい、力強い瞳で俺達を見詰める。

「先生やマリウス君、おまけでベイルおじさんだって助けてくれるんだもの。だから安心して?」

「…………でもね、リリ?」

「宿は絶対に、わたしが守ってみせる。だって、みんなの家なんだから」

 リリちゃんの笑顔が、とても頼もしい。どうやら俺は、彼女を見くびっていたらしい。

 もともとしっかりした子だったが、さらに成長した気がする。

 なおも言い募ろうとするが、シルビアさんも言葉を探しあぐねている。


「タツ、わたしが街に残るわ。ギルドの依頼は、クリスと一緒に行って?」

 傍らにいたフィーが言葉を挟み、相棒を振り返る。

「クリス、タツのことは頼んだわね?」

「フィーッ!」

 クリスの驚きは理解できる。彼女には、スキルの問題がある。

 いざという時、彼女を制御できるのはフィーだけなのだ。

「クリス、あなたなら大丈夫。自信を持ちなさい」

「で、でも…………」

 口ごもるクリスの不安は、それだけではないだろう。二人は今までずっと一緒にいたのだ。

 もっとも身近な相棒と離れるのは、ひどく心細いだろう。

「しっかりしなさい、クリス! リリちゃんだって頑張ってタツを送り出そうとしているのよ!」

「――――う、うん、分かった」

 フィーの叱咤に、なんとか頷くクリス。

「タツ、あなたもクリスを信じてあげて?」

 懸念を見透かすようなフィーの眼差しに、俺も腹をくくる。

「分かった。リリちゃんのこと、任せたぞ」

 俺が手を差し出すと、フィーが握り返してきた。というか、なんかギルドの依頼を請ける流れになってしまったが、シルビアさんは大丈夫だろうか。


「分かったわ、リリ」

 彼女は不安を押し殺しながらも、リリちゃんの意思を尊重することにしたようだ。

「タヂカさんも、どうかご無事で。それで、あの…………」

「分かってます、なるべく早く戻りますから」

 言いよどむシルビアさんの心情を察し、頷いてみせた。


 そうと決まったら、全力を尽くす。これは、転機だ。

 若い子達が、それぞれの決意と意思を示したのだ。ならば、俺もそれに応えよう。


 三十路の意地と本気と、あと少しばかりの見栄を、今こそ見せてやる。

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