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母娘対決‗後編

 北の森の中を、懸命に走る。

 探査と隠蔽、その他諸々のスキルを全力全開にして脱出を試みた。


 そもそも俺達の稽古場所を、クリス達がどうやって突き止めたのか。

 あの忌々しい、隷属スキルのせいである。強化された主従の絆は、意識すると相手の方角を察知することが可能だ。その繋がりは強く、隠蔽でさえ遮ることはできない。

 俺の逃走経路を的確に捉え、クリスとフィーは兄弟子達を猟犬のようにけしかけた。

 その結果あっさりと、捕獲されてしまった。

 いやだ! 放してくれ! と絶叫する。

 クリスとフィーによる、特訓の恐怖が呼び覚まされる。

 あの時以上の異様な熱意を、彼女達に感じて怯えた。

 俺の必死さが伝わったのか、兄弟子達が妥協案を示してくれた。

 クリス達にも別途に稽古をつける方向で、ラヴィが二人を説得してくれたのだ。


 窮地を脱して安堵する俺に、ベイルが声を掛ける。

「それじゃおっさん、次の相手は俺な!」

「いえ、五兄でお願いします」

「なんでだよ!」

「ほほう?」

 憤慨するベイル、ぬらりと、双眸を光らせるグラス。

 稽古をつけてもらう身ではあったが、俺は兄弟子達に条件を出した。

 その時の稽古の相手は、俺が選ぶと。逃げたり駄々をこねたりして、受け入れさせた条件である。

 ある程度の主導権を握ろうとしたのは無論、スキルの自然取得のためである。


 八高弟五兄、日用生活殺法の道場主である殺剣グラス、その《刺突》スキル。

 それが今回の、俺の標的である。

 俺とグラスが、距離を置いて対峙する。

「よろしくお願いします」


 殊勝な言葉とは裏腹に、俺の中の貪欲な何かが、舌舐めずりをした。


      ◆


「手伝ってあげるから、今日はお風呂に入りなよ」


 翌日、軋む身体でヨタヨタと朝食の席に着いたら、フィーが申し出てくれた。

 八高弟相手の稽古は、連日こなせるようなものではない。血が流れない、本物の戦闘なのだ。

 生死の境を綱渡りするような気分を、何度も味わった。

 兄弟子達は俺を死なせたりはしないだろう、たぶん。だけど、自由落下の途中でようやくパラシュートを手渡すような真似を平気でするのも、また事実なのだ。


 結論として、今日は疲れた。ゆっくり身体を休めたい、それだけである。

「食事が終わったら、準備しておくから」

 手伝ってくれると言ったが、お風呂を沸かすのはフィーが頼りだ。彼女の魔術スキルで石を熱し、それを水で満たした樽に投入して湯を沸かすのだから。

「ありがとう、フィー」

 礼を言うと、彼女は嬉しそうにはにかんだ。

「なら、わたしが背中を流してあげるわね」

「ぜひお願いします」

 シルビアさんの申し出もありがたく頂戴する。お風呂に入るなら、徹底的に身ぎれいにしたい。

 その時ふと、妙な変な気配を感じた。

「え、なに?」

 目を向けると、リリちゃんがきょとんと首を傾げる。

 気のせいか? そう思いながら食卓を見回すが、特に変わった様子はない。

 クリスがフィーに話し掛け、リリちゃんとコザクラがおかずの取り替えっこを始めた。

「どうかしたの? もしかして、クリスちゃん達の方が良いのかしら?」

「変な冗談はやめてください」

 意地悪そうに笑うシルビアさんに抗議する。年頃の少女に、背中だけとはいえ全裸を晒すのはさすがに恥ずかしすぎる。その点、こう言ったらなんだが、シルビアさんなら年上なのであまり気兼ねしない。

 絶対に怒られるので、口にはしないが。


 朝食を終えた俺は、さっそく水汲みを始めることにした。

 お風呂のためなら、どんな苦役も厭わない。ウキウキと食堂を出ようとした時、後ろを振り返った。

 やっぱり気のせいか?


      ◆


 目隠しの衝立の裏で、たっぶり湯を張った大きなタライに身を横たえた。

 久しぶりの入浴は格別だ。溶けてポタージュになってしまいそうな極楽気分である。

 ほとんど朝風呂、最高の贅沢だ。湯あがりに一杯ひっかけたら、昼まで寝てしまおうか。

「そろそろいいかしら?」

「あ、はい! お願いします!」

 しばらく湯に浸かっていたら、衝立の向こう側からシルビアさんの声が聞こえた。

 慌てて返事をして、タライの中で身を起こす。もちろん、手拭いで前はしっかり隠す。

 背後からシルビアさんの気配が近付くと、急に気恥ずかしくなって背中を丸めた。

 ついさっきまで、昔のように家族に背中を流してもらうような気軽な気分でいたのだ。

 シルビアさんが手拭いをゆすぎ、絞った湯が滴る音などが、やけに大きく聞こえる。

「うひゃっ!」

 変な声が出た。手拭いの感触を予想していたのに、シルビアさんが指先で触れてきたからだ。

「身体がだいぶ凝っているわね」

「そ、そうですか?」

 考え込むような口調と共に、背中のあちこちの筋を指先で押し込むシルビアさん。

 声をあげないように歯を食いしばっていると、確認を終えたのか背中を流し始めた。

「けっこう出るわね?」

「ヒッ! ちょ、ちょっとやめてください!」

 背中を擦っている内に、湯でふやけた垢がはがれたのだろう。

 シルビアさんが、爪の先で背中を掻き始めた。背筋を這いのぼる刺激に、思わず悲鳴が漏れる。

「き、汚いですから!」

「別にそんなことないけど…………」

 不満そうだったが、なんとか止めてくれた。やがて湯で洗い流すと、彼女は背中を指で押し始めた。

「ちょっと筋をほぐすわね」

「え? いやいいですってそんな」

「いいから、大人しくなさい」

 口答えを許さず、そのまま指圧を続ける。肩甲骨の内側へ指を押し込むなど、かなり手慣れている。


 最初は緊張したが、やがて凝りがほぐれるとリラックスしてきた。

 眠気を催すような気持ち良さに、つい余計なことを口走ってしまった。

「上手ですね、旦那さんにしてあげたのですか?」

 ちょっとの間、シルビアさんの手が止まる。

「カティアよ、あの子にさんざん揉まされたの」

 へえ、あのカティアが肩凝りとかするのか? そんな感想を持った。

「二人は、付き合いが長いんですか?」

「そうね、かれこれ一〇年以上になるわね」

 くすくすと、シルビアさんが思い出したように笑う。

「出会った最初の頃はね、あの子もずいぶんと可愛かったのよ?」

 過去に思いをはせる、どこか遠い口調である。

「ラウロスも、ベイルも若かったわ」

 しみじみと語るシルビアさんの昔話に、興味を抱いた。

「彼女と、どこで出会ったんですか」

 シルビアさんの手が、完全に止まった。しばらくしてから、彼女は言った。

「カティアはね、わたしの王子様だったの」

「へっ?」

 予想外の返答に、思わず間の抜けた息が漏れた。

「囚われのお姫様を救った、勇敢な王子様。お供を引き連れて、閉じ込められていた塔からお姫様を救い出し、広い世界に連れ出してくれた勇者様、そんな感じかしら?」

 どう反応したらいいのか。つい黙り込んでしまった俺の脇腹を、シルビアさんが容赦なく抓った。

「イテッ!?」

「…………自分のことをお姫様だなんて、図々しいおばさんだと思ったでしょ?」

「思ってません! 思っていませんって!!」

 しかし、シルビアさんが指を離さない。さらに力を込めちっ、ちぎれる!

「言っておきますけど、わたしにだって若い時分があったんですからね?」

「若いです! 今でもシルビアさんは若くてお綺麗です!」

「なら、よろしい」

 すました口調で告げると、ようやく指を放してくれた。

 痛むわき腹をさすりながら、こっそり苦笑する。上手いこと煙に巻かれてしまった、と。

 その優しさと誠実さは疑いようもないが、シルビアさんは自分のことは明らかにしない。

 彼女自身やこの宿のことなど、詮索したらきりがないほど秘密めかしている。

 かつて、俺のことを実際にどう思っているのかさえ、最後まで知ることはできなかった。

 とてもじゃないが、俺が敵う女性ではないと思う。


「タヂカさん」

「リリちゃん?」

 その時、衝立の向こう側からリリちゃんの声がした。

「あの――――わたし、背中、流してあげる」

「あら、リリ? タヂカさんの背中なら、お母さんがとっくに流してあげたわよ?」

 シルビアさんがさらりと言うと、衝立の向こうのリリちゃんがしばらく押し黙る。

「――――ズルい」

 そんな言葉が聞こえた。

「お母さん、ズルい! タヂカさんの背中を拭くのは、わたしの仕事なのに!」

 声を低めているが、語気が鋭い。なんだか怒っている感じだ。

「そうなの? でも最近のリリは、そのお仕事をさぼっていたみたいじゃない」

 別にサボっていた訳ではない。夜遅くまで忙しくて、俺に構っている暇がなかったのである。

「――――――わたしの、仕事だもん」

 消え入りそうな声なリリちゃんの声。どうして、そんな悲しそうな声を出すんだろう。


「本当にタヂカさんの背中、流してあげるの? これからもずっと?」

 ――ちゃんと面倒をみられるの? 毎日、散歩に連れていけるの?

 なぜか捨て犬を拾ってきた時の、母の言葉を思い出した。

「――――やる!」

「なら、やってみせなさい。でもタヂカさんはいま――――」

 そこで言葉を区切ったシルビアさんは、悪戯っぽい笑い声を立てる。

「真っ裸なのよ?」

「やっ、やる! できるもん!」


「ちょっと待ったあっ!!」


 そこでようやく、背後のやり取りに口をはさむ俺。

 なんだか雲行きが怪しくなってきたぞ!

「リリちゃん待って! もうお母さんにキレイにしてもらったから! 必要ないから!」

「っ! ダメ! やるったらやるのっ!」

 首だけ振り向くと、衝立の縁をガシッと掴むリリちゃんの手が見えた。

 ひいっと悲鳴を漏らし、タライから飛び出して置いてあったズボンを引っ掴む。

 急いで片足を通した瞬間、すごい勢いで衝立が引き倒された。

「きゃあああ!」

 俺の悲鳴に、姿を現したリリちゃんが手で顔を覆う。

 そして彼女を煽った張本人とは言えば、桶を抱えてちゃっかり立ち去ろうとしていた。


 振り返ったシルビアさんが俺達を、いやリリちゃんを見て優しく微笑む。

 その淡い笑みと同じものを、俺はかつて見たことがある。

 いまだに俺の心を悲しみで満たす、遠い過去の記憶だ。

 辛い思い出と同じ表情のシルビアさんを見て、胸が疼いた。


 不安になった俺を、リリちゃんが怒鳴りつける。

「なんで服を着るのよ!」

「こっち見ないで! リリちゃんのスケベ!」

 濡れた素肌に生地が引っかかり、上手く履けない!

「ス、スケベじゃないもん! 背中を流すだけだもん!」

「いいから、あっちに行ってくれ!」

 片足でケンケンしながら訴えると、業を煮やしたリリちゃんが近寄ってきた。

 右手で顔を隠したまま、左手が宙を探るように動かしている。

 その指先が、ズボンに掛かる。あと少しというところで引っ張られ、バランスを崩す

「やめてっ! よしてっ!」

「はやく脱ぎなさい!」

 動きがやけに的確だ、ひょっとしてこれは!

「リリちゃん、実は見えているでしょ!」

「見てません!」

「嘘だ! なんか笑っているし!」

「見えてませーん、笑っていませーん」

 リリちゃんは楽しそうに、ズボンを引きずり降ろそうとした。


 バシャンッと、水を撒き散らす音がした。

 俺とリリちゃんが、同時に動きを止める。二人一緒に、倒れた衝立の向こうを見た。



 ころころと転がる桶が、井戸にこつんと当たって止まるところだった。

 水に濡れた地面と、その上に倒れ伏すシルビアさん。

 

 リリちゃんの悲鳴が、中庭に響き渡った。

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