母娘対決‗中編
とても、とっても気まずい空気が流れていた。
クリスとフィーが上目遣いでこちらの顔色を窺い、俺は頬を掻きながら掛ける言葉を探しあぐねる。
まるでお見合いみたいな状態である。
「どうだい、なかなかの出来映えだろう?」
そんな微妙な空気をまるで読まない、あっけらかんとした声が割り込んだ。
声の主はアメリア、この工房の主である。
今日は胸甲の寸法合わせで、彼女の工房にお邪魔している。まずはクリスとフィーが胸甲を装着してみて、具合を確かめてみようということになったのである。
しかし、工房の奥に引っ込んでから、三人ともなかなか出てこない。さんざん待った挙句、ようやくクリス達はアメリアに引きずられて戻ってきた。
胸甲を装着した二人の姿を見て、俺は固まってしまった。
先日、事前に胸甲の仕上がりを見た時には、特に問題ないだろうと高をくくっていた。
大問題である。実際に装備してみると、想像以上にピッタリなのだ。
「防具ってのは、装備するだけで疲れるからね。なるべく体形に合わせないと、身体に負担が掛かるのさ」
アメリアの言葉は、しごくもっともだ。防具が窮屈だとストレスが掛かる。しかし体形に合わせるということは、必然的に――――
「まあ、この娘達は胸がおっきいから、だいぶ苦労したけどね!」
言っちゃったよこの人!?
補強のために厚みを残している部分もあるが、基本的には素材の甲殻を可能な限り削って、軽量化を図っている。そのため胸のラインが出てしまい、普段以上にボリューム感が増してしまったのである。
おまけに丁寧な表面加工が施され、エナメル質の光沢を帯びて妙になまめかしい。
彼女の発言に、クリス達は恥ずかしそうに顔を背けてしまった。
フィーの胸甲をコンコンと指の関節で叩きながら、アメリアが嘆息する。
「冒険者筆頭や紅剣ぐらいなら、簡単に加工できたんだけどねえ」
なに言ってんだよあんたは!
アメリアは、俺を見てウィンクする。
「まあ、お前さんは、まんざらでもないだろうけど」
もうやだ! いいから口を閉じてくれ!
真に受けたフィーが、恨みがましい目でこちらを見てるじゃないか!
どうやら最初、彼女は自分まで装備を一新するとは思っていなかったらしい。採寸の時に驚き、必要ないと主張した。彼女は遠距離攻撃が主流だが、魔物が肉薄する危険が絶対にないとは言い切れない。比較的軽装にしたが、しっかり防具で身を固めるべきなのだ。
しかし俺の本意は届かず、フィーが呟いた。
「…………こういう格好をさせたかったの?」
「違うよ! 誤解だよ!」
「……………………別にいいけどね」
「よくないよ!」
新しい装備で、パーティー全体の防御力は上がるかも知れない。
しかし俺達の信頼関係に、微妙な亀裂が入る結果になってしまった。
◆
胸甲を外した二人と一緒に、アメリアと今後について話し合う。
防具は預けて、すぐに胸甲と換装してもらう。肩当て、手甲などは完成次第、取り替える。
不具合を感じたらその都度改善するなど、事務的な話を終えて工房を後にした。
なんだかすごく疲れてしまった。フィーの誤解は、最後まで解くことができなかったし。
剣士であるクリスは、新しい防具の有効性を認めた。そうやって納得すると、ある意味ファッションとして受け入れられるようになったらしい。クリスは意外と、おしゃれさんなのである。
「今度の討伐が楽しみです!」
まるで新調した服でお出掛けするみたいに、浮かれ気味なのが心配である。
それはともかく、そろそろ刻限だろう。
「二人とも、先に帰ってくれ」
「どうかしたのですか?」
「ちょっと野暮用があってね。夕食までに戻れないかもしれないと、シルビアさんに伝えておいて?」
クリス達を先に帰らせ、手を振って見送る。
彼女達の後ろ姿が道の角に消えるのと同時に、影が隣に降り立った。
「くひっ?」
六兄フルがこちらを見上げ、尋ねるように首を傾げる。
「ええ、ええ、ご一緒しますとも」
俺は投げやりに答えた。
◆
場所は北の森の奥、かつて鎧蟻が徘徊していた区域である。
以前、この辺りは魔物の生息数が少なく、冒険者があまり立ち入らぬ場所であった。
今から思えば、魔物の数が少なかったのは、鎧蟻に狩られていたせいだろう。鎧蟻がいなくなった現在では、魔物の数も増加しているらしい。しかし鎧蟻の記憶が色濃く残っている間は、冒険者達も立ち入る気がしないようだ。
だからこそ、兄弟子達は人目をはばかるのに都合がいいと、ここを選んだのだ。
魔物が付近に迷い込んでも、全然支障がない。兄弟子達の誰かが鼻歌混じりに狩りに行き、何食わぬ顔で戻ってくるからだ。
そうして他の兄弟子達に見守られながら、俺と七兄はお互いに真剣を構えて対峙していた。
暴剣ガレス。八高弟の中でひときわ大きな身体をしているが、性格はいたって穏やかだと思う。
厳めしい容貌ながらもその澄んだ瞳に見詰められると、気分が和んでしまう。
だが、ガレスがいま手にしているのは愛用の剣、斧のような造りをした本物の凶器である。稽古なのにお互い真剣を使っているのは、普通の剣ではガレスの腕力に耐えられない事情もある。
「七兄、ちゃんと手加減してくださいね? ね?」
生命の危機に立たされた俺は、ひたすら頼み込む。
「うむ」
答えは短い。大丈夫だ、心配するな。そう語り掛けられたような気がした。
その優しい眼差しに、強張っていた肩から力が抜ける。
ガレスは、無骨な剣を軽々と振り上げ、下ろす。
地面が、爆発した。そう見間違えるほどの土砂が巻き上がる。
「うわああああっ!?」
木端やらが周囲に飛び散り、前髪をなぶるような風圧に押され、慌てて跳び退る。
「ちょ、ちょっと!? 本気を出さないで!」
「うむ」
ガレスは重々しく頷く。任せろ、心配するな。そんな思いやりを感じる。
またもや剣を振り下ろして地面を断ち割り、地響きが足元まで伝わった。
「ひいっ!?」
悲鳴をあげ、さらに後ろに跳ぶ。剣速は八高弟の誰よりも遅いが、そんなことは関係ない。
金属の塊を全身の膂力で振るい、勢いと重量で全てを粉砕するガレス。
大岩を投げつけられる気分だ。当たれば、死ぬ。木端微塵だ。突っ込んでくるトラックの真正面に立つようなものだ。迫ってくる圧倒的な質量を前に、対抗する術などない。
俺は一目散に逃げる。逃げて木々の間に紛れ込んだ。
ドカンと、木がへし折れる音が響いた。ガレスが木々を薙ぎ払い、倒れ掛かるのを押しのけて追ってくる。
何者も押し止めることの叶わない、まるで悪夢の怪物だ。
そんなガレスに、背後から剣で打ち掛かる。
倒木に身を隠し、視界が遮られた瞬間、隠蔽スキルを発動。背後に回って攻撃した。
真剣でいいと、兄弟子達は口を揃えて言った。どうせ通じないからと。
それでも俺は剣の平を使い、その分容赦なく打ち込んだ。
不思議な感触だった。想像ではこう、ガチン! と金属音を響かせて弾き返されるかと思った。
その感触をあえて喩えるなら、硬質ゴムを叩いた感じだろうか。
看破を使い、ガレスを見詰める。スキルを使用する者は、その身体に不思議なモヤをまとわせる。
だが、ガレスはスキルの顕現の一切を、その身の内に封じ込めていた。鈍色に光る何かが、彼の体内に充溢しているのを感じる。
強靭【二】 尋常ではない膂力を与え、攻撃を撥ね返す甲冑のごとき肉体に変貌させるスキル。
ちゃんと感覚はあるのか、剣で打たれたガレスが振り返った。
後ろからの不意打ちにも怒りをみせず、うむと頷いた。それでいいと、励ましてくれる。
彼が穏やかに笑みを浮かべるのを見て、俺は悟った。ガレスは十分に手加減している。
手加減してなお、致命的な破壊をもたらしてしまうのだ。
かすっただけでも肉を抉る一撃と、刃を通さぬ頑丈な身体。これはもう、人の形をした戦車だ。
稽古や勝負からは別次元の存在である。負けても恥にならないし、逃げてもまったく悔しくない。
再びガレスが剣を振り上げるのを見て、俺は全力で逃げ出した。
逃げ惑う俺を、ガレスが追撃する。あまり足は速くないようだが、こちら目指して直進してくる。
邪魔になる木々を薙ぎ払い、破壊音がまっしぐらに追ってくる。怖すぎて正直、ちょっとちびった。
やがてガレスが最後の木を薙ぎ倒し、開けた場所に出た。
見失った俺を探し、周囲をゆっくりと見回している。
彼の様子を眼下に納め、俺は木の上から飛び降りた。
やはり剣の平で打ち掛かる。だが、今度は体重を上乗せているのだ、これなら――――
その時、ガレスがやけに俊敏な動きで頭上を見上げ、空中で俺の足を掴んだ。
そのまま俺を、ぽいっと放り投げた。
「どういうことですか、これは!」
大気を震わせる怒号に、俺はハッと目を覚ました。思考が再起動し、記憶が蘇る。
地面に落ちる瞬間、受け身をとったが、そのまま転がって木の根元に衝突したらしい。
幸い、さほどの怪我は負っていないようだ。
「返答次第では、ただじゃおかないわよ」
冷え冷えとした、その声は――――
「クリス! フィー!」
慌てて跳ね起きると、後頭部がズキンと痛んだ。
「「タツッ!」」
俺の仲間が、そこにいた。居並ぶ八高弟を前に、俺を守るように立ちはだかっている。
「どうしてここに…………」
そこまで言って、気が付いた。彼女達は工房に防具を預けて、別れた時のままの格好である、
「そんな無防備な格好でここまで来たのか!」
「それはこちらの台詞です!」
クリスが肩越しに叫ぶと、剣を片手にグルルと唸る。
傍らに立つフィーの周囲には、火花が舞っていた。バチバチと、小さな炎が幾つも弾ける。
まずい! クリスがかなり怒っている! 制止役であるはずのフィーまでも同様である。
「あー、なんて言うかな?」
そう言いながら、彼女達の正面に佇むベイルが、隣のラウロスの腕を肘で小突く。
しかしラウロスは、渋面を作って口を閉ざしたままだ。
「ガーブさん、説明して頂けますか?」
クリスが矛先を向けると、ガーブがギョッとした様子で立ち竦む。
そんな彼から、すすっと距離を置く兄弟弟子達。
「お、おい! そなたら!?」
狼狽して叫ぶ彼から、皆が一斉に目を逸らした。
「ガーブさん、説明、お願いね?」
フィーが追い打ちを掛けると、ガーブはガックリと肩を落とした。
◆
「「タツを最強にするっ!?」」
クリスとフィーが、素っ頓狂な声で叫ぶ。
「最強というか、少なくともそれがし達よりは強くなってもらおうと…………」
「それがこの仕打ちですか!」
車座に座った俺と兄弟子達の中央で、クリスが仁王立ちで怒鳴る。
なんか兄弟子達が神妙だと、首を傾げる。
思い起こせばカティアとのデートの日以来、兄弟子達はクリスに遠慮するような素振りを垣間見せるようになった。あの礼拝所の乱闘騒ぎの顛末を、俺は見届けていない。
あの時、何かあったのだろうか?
「まあまあ、クリス、そこまでに――――」
「タツもです! どうして私達に内緒にしていたのですか!」
「ごめんなさい、反省してます」
俺が平伏すると、ラヴィが呆れたように囁く。
「…………ヨシタツ、あんたさ、あの子のご主人様じゃなかったけ?」
「…………そう思うか?」
「タツ! 師匠! 何をこそこそと話をしているんですか!」
「「申し訳ありません」」
ラヴィもまた、一緒になって頭を下げる。
クリスの視線がガーブに向くと、俺は下を向いたままこっそり尋ねた。
「…………クリスの師匠じゃなかったけ?」
「…………どうだったかなあ?」
クリスは全員から事情聴取を終えると、憮然とした口調で確認した。
「つまり、全員で稽古をつけていた、そう言うのですね?」
「「「はい」」」
兄弟子達が揃って頷く。
「決して私怨による虐待ではないと、そう言い張るのですね?」
「「「もちろんです」」」
クリスは渋面を作って黙り込む。
最初にこの話を持ち掛けられた時、俺は逃げ出すことしか考えていなかった。
しかし、よくよく冷静になって考えると、これが絶好のチャンスであることを理解した。
【楯術】【疾走】【刺突】【跳躍】【強靭】など、有用なスキルと直接対峙できる。
かつてガーブに試み、不完全な結果に終わった、スキルの自然取得に再挑戦できるのだ。さらに、八高弟全員から直接稽古をつけてもらえるなど、他の冒険者からは羨望と嫉妬の的になりかねないほど希有な体験だろう。
だから、決して、強迫混じりの説得に屈しただけではないのだ。
「そもそもねえ」
それまで、黙って耳を傾けていたフィーが、口を開く。
「なんで急に、タツを強くしようと思ったの?」
兄弟子達が、硬直した。誰もが押し黙り、返事をしない。
「あ、それは確かに俺も疑問だった」
「タツ、何を他人事みたいに…………」
呆れ顔になるクリス。いつかきっと、君にも分かるよ。流れに逆らわず、ただ身を任せてしまった方が楽な時があることを。だって、逆らっても無駄だし。
フィーは外野に構わず、グラスの目線を捉える。
「何を焦っているんですか?」
淡々とした、感情のこもらぬ眼差しと声で、自分の師匠を問い詰める。
「それは、あれじゃ…………タヂカが一人前にならぬと、不都合がな?」
弟子の無機質な視線に耐え兼ね、グラスがしどろもどろに答える。
「マリウス君?」
「だって、あんまり待たされちゃ可哀想でしょう?」
矛先を転じられても、マリウスは気軽に答える。
「「――――――――誰が?」」
クリスとフィーの問いに、マリウスがへらっと笑う。
「それはもちグモッ!?」
ラヴィとガーブが、両脇から末弟の口を押え、愛想笑いを浮かべた。
「まあ! そういう訳だからヨシタツのことはあたし達に任せておきな!」
「心配はいらぬ! なあに徹底的にしごき抜いて、そなた達が刮目するような男に仕立ててみせよう!」
そこまで張り切らなくてもいいですから。ぼちぼちといきましょ? ぼちぼちと。
全員の顔を見渡してから、クリスとフィーが目配せした。
二人は頷き合い、クリスが堂々と宣言する。
「分かりました! 私達も全力でお手伝いします!」
「――」
「どこへ行くんですかタツ!」
「逃がさないわよ!」
今度こそ俺は、スキル全開で必死になって逃げ出した。




