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教えて!誰にでもわかる異世界生活術  作者: 藤正治
Decisive battle of the goddess
122/163

暴走

 何が起きているんだろう?


 首をひねってみても、答えはまるで出てこない。

 殺風景な室内をぐるりと見回したが、視界に入るのは簡素なイスと机だけだ。

 時間だけが過ぎ、暇を持て余す。戸口まで歩いて扉を開き、隙間からそっと廊下を覗いてみた。

 八高弟の長兄、ラウロスとばっちり目が合う。

 彼は部屋のすぐ外で腕を組み、壁にもたれ掛かっていた。

「どうかしたのか?」

 それはこっちのセリフだと言いたい。

「部屋に戻っていろ」

 そう言われて大人しく扉を閉め、困惑して頭をガシガシと掻く。

 ほんと、どうなっているんだ一体?



 ぼちぼち日も傾いてきたので、俺とカティアは神殿にお参りすることにしたのだ。

 並んで歩く互いの距離が、朝よりちょっとだけ近くなっていた。

 意識したら心拍数が上がった。やはり相手がカティアだと緊張する。

 気付かれないように彼女の横顔を盗み見る。やはり綺麗な女性だと思った。

 たぶんひいき目なのだろうが、彼女を客観的に判断することなど出来やしない。

「わたしの顔に何かついているのか?」

 断言できるが、彼女はこちらを見ていなかった。どうして気付かれたんだろう?

「あー、うん」

 言葉に詰まる。見惚れていたなどとは、気恥ずかしくて言えやしない。

「変なやつだな」

 カティアの唇がほころぶ。肘に掛けられた手に、少し力がこもった。


 到着した街中の神殿は、モーリーの所と比較するのもおこがましいほど立派だ。

 正面には広壮な石造りの拝殿に、その他の社殿や神官の住居などが並んでいる。

 参拝客は若いカップル達が多くて肩身が狭い。

 例によって女性達は、頭に白いベールを被っている。

 カティアなら若くて見栄えの良い男がお似合いなので、ちょっと申し訳ない気分になる。

 人の流れに乗って拝殿に進めば、先の方が妙にざわついていた。

 何事かと人波の上に首を伸ばしてみれば、ひときわ目立つ巨体がそびえている。

 見間違いようがない、あれは暴剣ガレスだ。

 さらに進むうちに人の流れは真っ二つに分かれ、正面には兄弟子達が勢ぞろいしていた。

 いや、数えてみれば一人足りない。次兄ベイルの姿だけが見えなかった。

 さらに言えば、マリウスは縛られた格好で、ガレスの肩に担がれている。

 すごく嫌な予感がした。


 そしてカティアは、ラヴィに連れ去られてしまった。

 真剣な面持ちの弟子に戸惑い、なすがままに背中を押され人混みに消えた。

 俺もついていこうとしたら、兄弟子達にがっちり囲まれてしまったのだ。

 そのまま拝殿の裏手にある礼拝所に連行され、一室に押し込まれて今に至る。

 何度も事情を尋ねたが、とりつく島もない。大人しく待っていろと言われるばかりだ。


 軟禁状態となった俺は、ただぼーと待つしかなかった。


   ▼▼▼▼▼▼


「「「か、勘弁してくれっ!!」」」

 必死に許しを乞う仮面の男達。

 逃げる赤仮面を助けようと、仲間達が姿を現したのが運の尽きだった。

 ベイルはもろともに男達を容赦なく打ち据え、路地の一角に蹴り込んでしまった。

「てめえらどこの手のもんだ? きりきり白状しやがれ!」

「ま、待ってくれ! 我々は怪しいもんじゃない!」

「いや、怪しいだろどう見ても」

 赤仮面の訴えに、どのツラさげてとベイルが呆れる。

「お、俺達は!」

 男達は仮面を剥ぎ取り、声を揃えて叫ぶ。

「「「王都ギルド本部の者だ!」」」

 ベイルが眉をひそめる。この期に及んで、嘘をついているようには見えない。

 本当にこいつらがギルド本部の連中だとすると――――

「ちくしょう! アイツかっ!!」

 そう叫ぶなり、彼らを放置してベイルは一目散に駆け出した。


      ◆


 神殿の裏通りで、クリサリスとフィフィアが、ギルド職員達と対峙していた。

 ギルド職員達がこの場所に到着した時、すでに彼女達はそこにいた。

 クリサリス達は先回りをして、人通りのない場所を選んで待ち伏せていたのだ。

「…………あなた達、そこを通して頂けませんか?」

 会長が押し殺した声で頼むが、チャンバラブレードを手にしたクリサリスが前に出る。

「どきなさい! 手遅れになりますわ!」

「あのね? わたし達が言うのもなんだけど」

 焦燥感に苛立つ会長に、フィフィアが肩を竦める。

「関係のないあなた達が、なんで二人のデートを邪魔するの?」

 彼女の言葉に束の間、会長から表情が消える。

 やがて徐々に柳眉を逆立て、視線で射殺さんばかりの形相となった。


「見えていますよ?」

 その時、クリサリスがぽつりと呟いた。

「それは、私には通じません」

 彼女は忠告するように語り掛ける。

 しかし怒りに我を失った会長は耳を貸さず、じりじりと近寄ってくる。

 止めても無駄と悟ったのか、クリサリスはため息をついてブレードを構えた。


「油断するな」

 神殿の裏手の塀に、疾剣ガーブが立っていた。

 彼は塀を蹴って跳び、クリサリス達に背を向けた格好で降り立つ。

 じろりとギルド職員達を見渡せば、彼女達は一斉に後ずさった。

「注意しろ、彼女達の背後には黒幕がいる」

「黒幕、ですか?」

 ガーブの言葉に、クリサリスが問い掛ける。

「ああ、彼女達は利用されたに過ぎん。その黒幕が、全ての元凶だ」

 会長が動揺するが、口を閉ざして何も答えない。

「そうなの? じゃあそいつが現れたら、締めあげて目的を白状させればいいのね?」

「そうだ、彼女達に罪はない。見逃してやれ」

「ではその張本人に、直接うかがってみましょう」

 クリサリスは淡々と、彼に尋ねた。


「ガーブさん、あなたがあの白い仮面の男ですね?」


 一瞬にして風が斬り裂かれ、唸りをあげた。

 振り向きざま、鞘に納めた剣で打ち掛かるガーブ。

 すでにチャンバラブレードを振り下ろしていたクリサリス。

 ガーブの剣がブレードを弾き返し、さらに追撃のために踏み込む――――

 その寸前、フィフィアの放った炎弾が彼の足元に叩き込まれた。

 地面で炸裂して広がる炎から、三人は跳躍して逃れた。

 自らを巻き込みかねない無謀な攻撃、しかしそこまでせねばならない相手。

 それが八高弟、疾剣ガーブであった。


「ゆけ! ここはそれがしに任せろ!」

「は、はい、ガーブ様! 御武運を!」

 ガーブの指示に、会長は戸惑うギルド職員達引き連れて走り出す。

 神殿の敷地内に駆け込む彼女達を追わせまいと、ガーブが立ちはだかる。

 そんな彼を、歯噛みしてフィフィアが睨みつける。

「それがしが敵だと、いつ気が付いた?」

「…………あの後です。顔は隠せても、剣筋までは誤魔化せません」

 そう答えてから、クリサリスは一歩詰め寄る。

「なぜなのですか!? 誰よりも師匠を大切に思っているあなたが、どうしてこんなことを!」

 ガーブのカティアに対する敬愛の念は本物だと思っていた。

 なのになぜ、カティアの意にそぐわないことをするのかと問い詰める。

「タヂカ本人にも言ったことがあるのだが」

 ガーブは沈鬱な表情で語る。

「あの男は、姐御を腐らせる毒だ。今日、それを確信した」

「なんてことを!!」

 あまりなガーブの発言に、フィフィアが怒りを露わにする。

「兄弟達は、自分達がしていることの意味を理解しておらん。我ら八高弟の性根は、所詮無頼のそれだ」

 ガーブが自嘲気味に語り始める。

「姐御が首根っこを押さえ、地面に鼻づらをこすり付けてようやく己の分を弁える愚か者達だ。今の姐御を失えば、我らは自滅するしかない」

「どうしてご自分や兄弟弟子を、そんな風にそしるのですか!」

 クリサリスの非難がましい眼差しに、ガーブが穏やかに首を振る。

「おぬし等は知らぬだけなのだ、かつてそれがし達が為した愚行の数々を。そして姐御の手綱が無ければ、我らは再び同じ愚行を繰り返すだろう」

「八高弟って、随分と無様で哀れな人達なのね」

 まだ怒りの冷めぬフィフィアが、辛辣に吐き捨てる。

「飼い主がいないと、まともに生きていけない獣だわ」

「その通りだ。まさに獣畜生の類だな」

 ガーブが我が意を得たりと己たちを嗤ったため、フィフィアは鼻白む。

「兄弟達が人がましく生きるためには、姐御がどうしても必要だ。ヨシタツには渡せん」

「…………」

 クリサリスの憐憫の視線から、ガーブは顔を背けて語り続ける。

「以前から知り合いだったギルド職員に情報を流した。あのおなごなら、姐御とタヂカの仲を裂こうとすると確信していた。王都ギルド本部の間諜を脅し、手駒にした上でギルド職員達を密かに手助けさせた。マリウスをそそのかし、タヂカと対決するように仕向けたりもした」

 冗談では済まないガーブの暗躍の数々を、クリサリスは悲しげな表情で聞き終えた。

「あなたらしくもない…………」

「そうだな。策士を気取ってみたが中途半端。男女を引き離すための手段も、自分では皆目見当もつかずに他人任せ。そうした挙句に誇りも面目も失った」

 腑抜けたように笑う彼を、ジッと見詰めるクリサリス。

 彼女はブレードを投げ捨てると、腰から愛用の剣を抜いた。

「…………もうこれ以上、言葉はいりません。剣士なら、剣で語りましょう」

 しかし、構えた剣先はカタカタと震えている。人を斬った感触が蘇り、恐怖にとらわれる。

 それでも、剣士として彼と戦わねばならないと決意し、相棒に声を掛ける。

「フィー、お願い」

 頷いたフィフィアが、クリサリスの背に手を当てると、自らのスキルを発動した。

 スキル制御 - 予備起動:獅子王

 他人を傷つける恐れを、内側から轟く咆哮が掻き消した。

 ――スキル【獅子王】による、状態異常の解除。

 一旦戦意がたぎれば、剣の道に励んできた彼女にためらいはない。


「剣を抜きなさい疾剣ガーブ!! その曲がった性根、私が叩き直してあげます!」


 剣を大上段に構えたクリサリスが、ガーブに向かって吼えた。

「…………いいだろう、二人掛かりでこい」

「もとよりそのつもりよ!」

 フィフィアがニッコリ笑い、クリサリスは開きかけた口を閉じる。

「わたし達は、一心同体でしょ?」

 迷う素振りを見せてから、クリサリスは頷く。

 二人は並んで、ガーブと対峙した。

「いきます!」「いくわよ!」


 彼女達は同時に叫び、激闘が始まった。



      ◆


 ――わたしは冒険者が嫌いだ。

 ――傲慢な奴らが嫌いだ。欲望に濁った奴らの目が嫌いだ。ニンニク臭い奴らの息が嫌いだ。 

 ――奴らの品のない口説き文句が嫌いだ。弱い者を苛め、強い者に媚びへつらう奴らが嫌いだ。

 ――わたし達の故郷を見捨てた冒険者どもが嫌いだ。


 わたし達の故郷は、この街よりもずっと田舎だった。

 それでも家族親戚友人が暮らす、大切な場所だった。

 牧畜が主だったが魔物の素材でも稼げて、そこそこ豊かな街だったと思う。

 しかしある日、森から大量の魔物が溢れた。

 今だに原因不明だが、一説によると樹海から強力な魔物の群れが南下したらしい。

 それで生態系が崩壊し、押し出されるように森から魔物が逃げ出したというものだ。

 予兆の段階で魔物討伐が企図され、街の最高戦力である守護者まで投入された。

 しかし守護者は消息不明となり、生き残った冒険者達は街に帰還せずそのまま逃げ出した。

 街の住民だけで、魔物の大群と立ち向かうことになってしまった。

 しかし戦況は不利、明日にも街は陥落するだろうと言われた。


 街の大人達は、最後の賭けに出た。

 戦えない女子供、老人を街から脱出させることにしたのである。

 それは非情の選択だった。脱出組は、囮でもあったからだ。

 もし魔物が脱出組を追えば、街に掛かる圧力が減って乗り切れるかもしれない。

 そのまま魔物が街に執着すれば、脱出組が生き残るかもしれない。


 そして魔物の群れは、脱出組にも襲い掛かった。


 わたしは年下の娘達を引率していた。戦いの役に立たないと判断された者達ばかりだ。

 身を守る術さえおぼつかないのだ。魔物が追いすがり、一人、また一人と欠けていった。

 彼女達の悲鳴は、いまだに耳にこびりついて離れない。

 わたしの怒りと憎しみと絶望は、逃げ出した冒険者達に向けられた。

 もし冒険者達が街を見捨てなければ、ここまで悲惨なことにはならなかっただろう。

 無力で無知だったわたしは、そう呪わずにはいられなかった。

 さらに魔物の群れが増えて力尽き、もはや逃げる気力もなくした。

 わたし達は身を寄せ合って、絶望のまま最後を迎えようとした。


 誰かにあの光景を語るとしたら、どう描写すればいいのだろうか。

 奇跡と呼ぶには、あまりにも凄惨過ぎる一幕だった。

 わたし達に迫っていた魔物の群れが、一瞬にして薙ぎ払われた。

 肉塊と血飛沫が降り注ぐ中、カティア様は斧槍を手にして降り立った。

 あの方が魔物の群れを斧槍で指し示すと、その脇を猟犬のごとき影が駆け抜けた。

 当時は四人だった高弟方が、魔物の群れへと突撃した。

 風のごとく走るガーブ様が、魔物の群れを分断し、

 ラウロス様の唸る豪剣が数体まるごと撫で斬りに、

 ベイル様のきらめく双剣が、魔物をバラバラに解体し、

 赤い髪のラヴィ様が、盾と剣を駆使してわたし達に近付く魔物を斬り伏せた。


 唐突な救出劇だったが、それでも絶望から逃れることはできなかった。

 大型の魔物が五体、地響きを立てて接近したからだ。

 人間など、軽々と吹き飛ばしてしまいそうな巨体に、わたしは恐れおののいた。

 その時、怯えるしかないわたし達へ、カティア様は微笑みかけて下さったのである。

「大丈夫だ、任せておけ」

 なんの気負いもないその自然な笑顔を、わたしはただひたすら美しいと感じた。

 無類の剣士達が切り開いた道を、あの方は疾風のように駆け出した。


 あの方の背中を見送り、わたしはその勝利を確信した。


 後に、わたし達の故郷は廃棄され、生き残ったわずかな住民はこの街に移り住んだ。

 わたしは、カティア様に救われた娘達と共にギルドに就職した。

 カティア様の恩に報いるために。

 あの方の為に働く時、わたし達は名前を捨てて事に当たった。

 一番年嵩だったわたしが会長を名乗り、他の者達は番号でのみ呼び合った。


 ――自分を捨ててあの方に尽くす、その決意を示すために。




 神殿裏の林を抜けたギルド職員達は、そこで足を止めた。

 眼前に冒険者ギルドの影の実力者、セレスが立ちはだかっていたからだ。

「いったい何をしているの、あなた達は」

 セレスは咎めながら、会長を厳しい眼差しで睨む。

「…………どうしてあなたがここに」

 ギルド職員達は予想外の障害に、呆然と立ち尽くす。

「わたしが言いつけたの」

 セレスの隣にいた少女が、悪びれもせずにのたまう。

「ひどいよリリさん!?」「告げ口なんてズルい!」「大人げないよ!」

 職員達のブーイングに、リリがたじろぐ。

「どっちが大人げないの!」

 セレスの一喝に、喚いていた職員達が首を竦める。

「それで? 言い訳なら聞いてあげるわよ?」

「カティア様に、あんな男は相応しくないわ!」

 会長は叫ぶように訴える。度重なる障害に、癇癪を起したようだ。

「あ、あんな男! 人の命を――――!」

「リリちゃん!」

 傍らの少女の名を大声で呼んで、先を続けさせまいと遮るセレス。

「ここはもういいから、タヂカさんの所に行ってあげなさい。あちらにいるんでしょ?」

「え? でも…………」

 リリは必死な形相の会長と、優しく微笑むセレスを交互に見やる。

「いいから、ね?」

 そっと押しやられ、リリは仕方なく頷く。

 礼拝所に向かって走るリリの背を見送った後、セレスはため息を吐いた。

「…………やられたわね」

 彼女は、そっと首筋に指を這わせた。一本の白い糸が、肌に食い込んでいる。

「ちょっと目を離しただけなのに…………やっかいよねそのスキル」

 徐々に糸が締まるのを感じながら、セレスは苦々しげに呟く。

 会長の持つスキル【結索】を、セレスは十分に注意しているつもりだった。

 ごく細い糸を操作して対象を締め上げるが、それほど威力のあるスキルではない。

 しかし絡みついた糸は、スキルの効果で引き千切れないほど丈夫になる。

「安心なさい、気絶したらすぐに解いてあげるわ」

 スキルが通じたことで、会長の態度に余裕が戻る。

「それはどうも。それにしても、どういうつもりでお二人の仲を邪魔するの? 当人同士の問題に、他人が口を出すべきじゃないわよ?」

「絶対にあの男だけはだめよ!」

 会長の頑なな態度で、セレスは確信する。

 セレスの表情が厳しくなり、視線が冷ややかになる。

「こうなったら、ぜんぶカティア様にぶちまけて――――!」

「…………黙れ」

 刃で突き刺すような鋭い一言が放たれ、会長は言葉を詰まらせ、

「こそこそと嗅ぎまわっていると思ったら――――そう、知ってしまったのね?」

「あなた!? もしかしてあの男の正体を知っていたの!」

「もちろんよ、わたしを誰だと思っているの?」

 会話の内容が理解できないギルド職員達は、困惑のまま二人を見守り続ける。

「とりあえず、あなた達の処分は、ギルドに戻ってから決めます」

 そう宣告したセレスは指先に糸を絡めて、首からするりとほどいてしまった。


「「「会長!!」」」

 ギルド職員達が、悲鳴混じりに叫ぶ。

 会長が身を屈め、胸を押えて苦し気に喘いでいた。

 懸命に足を踏ん張ろうとするが、その膝はがくがくと震える。

 駆け寄ろうとするギルド職員達を、セレスが一瞥した。

 すると彼女達も同様に、顔から血の気を失せて呼吸困難に陥る。

 膝をつく者、いまにも気絶しそうな者までいた。

 セレスが、スキルを放ちながら彼女達に接近する。

 額から流れた汗が目に入り、痛みを覚えるが、会長は意地でセレスを睨みつける。

 滲んで歪む視界に映るセレスは、まるで黒く揺らめく陽炎のようであった。


「それで? タヂカさんに何か問題でもあるの?」


 信じがたい言葉を返され、会長はぽかんと口を開く。

「彼が冒険者ギルドにとって有益な人材である以上、ギルドは彼が何者であろうと関知しない。ギルドは治安機関ではなく、ただ魔物をせん滅することだけを目的とした組織なのだから」

 セレスの淡々とした口調に、会長は怖気をふるう。事情を半分も把握していないギルド職員達でさえ、自分の所属する組織の深い闇を覗いた気がした。

「それにカティア様は全てご承知よ? 彼の過去をご存じの上で、ギルドに彼の庇護を依頼されたの」

 セレスの表情が、一瞬だけ和らぐ。

「あの方はタヂカさんの過去を受け入れた上で、彼に心を寄せているのね」

 スキルの効果だけでなく、心が折れた会長はがっくりと膝を折った。

「さて、あなた達」

 慈悲なき断罪者が、罪人達に告げる。

「今はとりあえず――――眠りなさい」

 全開となったスキルの影響が、無差別に襲い掛かった。


 撒き散らされる【恐怖】に耐えきれず、彼女達の意識は悪夢に飲み込まれた。


      ◆


「姐御に白のベールを渡してきたわ。あと三〇分ぐらいしたらこちらに来て頂く予定よ」

 礼拝堂に居並ぶ兄弟弟子達に、ラヴィが申し渡す。

「あんた達、それまでに準備を整えるわよ!」

「なぜ、こんな真似をするんだ?」

 ラウロスが妹弟子に尋ねる。彼女の提案に手を貸したが、今さらながら疑問を覚えたのだ。

「当初の計画では、我々は最後まで姿を見せないはずだった」

「あえて正式な礼拝を行う意味が分からん。参拝客達と一緒で構わなかったではないか」

 いささか不満顔なグラスが、そう指摘する。

「せっかく楽しんでおられた姐御を邪魔したんじゃぞ?」

 フルもガレスもうんうんと頷く。

 そんな男達を前に、ラヴィはやれやれと肩を竦める。

「わかってないわね、あんた達。こういうのは形式が大事なんだよ」

「あ、なるほどね!」

 マリウスが声をあげた。彼はいま、荒縄で縛られた格好で地面に転がされていた。

「姐御とあの人が、正式に礼拝した事実を残すつもりですね?」

「よく分っているじゃない。あんた、神官の代わりに式を執り行いなさい」

「分りました! 任せて下さい!」

 ラヴィにゲシゲシと蹴られながら、マリウスは楽しげに承諾する。

「…………どういうことだ?」

 ラウロスが、いまだに折檻を受け続ける末弟に問う。

「つまりですね、そもそも今日は何の祭なのかってことですよ」

「…………縁結びか!」

 閃いたグラスが、大声で叫ぶ。ガレスとフルが、なるほどと頷く。

「違いますよ?」

 あっさりとマリウスに否定され、グラスがいじけた。


「子宝、安産祈願の祭よ」


 ラヴィの言葉に、マリウスを除く男達がぎょっと目を剥く。

「まさか姐御が!?」

「違うわよ馬鹿っ!」

 ラヴィの蹴りが、今度は血相を変えたラウロスの膝に打ち込まれる。

「でも、要点は突いているわね」

 彼女は、膝を抑えてうずくまった彼を誉める。だったら蹴るなと、男達は思う。

「姐御とヨシタツが、仲良く子宝安産の祈願をした事実を世間に広めるのが目的よ」

「おぬし、何を考えているのじゃ!」

 ラヴィの企みを知り、グラスが怒鳴る。

「そんなことをすればどうなると思っておる!」

「ヨシタツは、のっぴきならない羽目になるんじゃない?」

 ラヴィが愉快そうにうそぶく。

「噂が噂を呼んで、ヨシタツに近寄る女も減るだろうし、ちょうどいいわ」

「それだけではありませんよ。この事実が広がったら、姐御はもう完全にタヂカさん以外の縁談はなくなりますね」

「おぬしは姐御まで追い詰める気か!」

 マリウスの補足を聞き、グラスは激昂する。

 それを、ようやく痛みから回復したラウロスが手で制して尋ねる。

「なぜ、そこまで事を急ぐ。今日も十分に成果があったはずだ。明日以降でも徐々に」

「そしてまた明日から姐御は一歩、身を引いてしまうわ、きっと」

 渋い顔でラヴィは断言する。

「時間は姐御に味方をしてくれない。ヨシタツの周りにいる子達は、これからもっともっと綺麗になっていく。時間が経てば経つほど、姐御は二番手、三番手に甘んじるしかないのよ!」

 けっこう辛辣な評価を下すラヴィを、男達は生温かい目で眺める。

「だから今が、勝負の時なんだよ!」

「――――しかしじゃな、急いては事を仕損じる可能性も」

 ラヴィの動機を理解したグラスは、それでも彼女の性急さをたしなめようとする。

「それにね? 考えてもみなよ」

 ラヴィは天井近くの壁にはめ込まれた、精緻な透かし彫りを施された窓を見上げる。

 彼女はうっとりとした表情で、兄弟弟子達に問い掛ける。

「姐御ってさ、可愛いだろ?」

「「「えっ?」」」

 またもや例のセリフを口走り、男達の腰が引ける。

「長いこと一緒にいたのに、どうして今まで気が付かなかったんだろうね?」

 くすくすと笑うラヴィから、彼らは一歩また一歩と遠ざかり、マリウスが床を這って逃げる。

「そうしたらもう、我慢できなくなったの」

 透かし彫りの窓から差し込む陽射しを背に、彼女の赤い髪が輝く。

 ラヴィは恍惚とした笑みを浮かべ、自分の身体を抱きしめて身悶えた。


「見たくてたまらないの、可愛い姐御の赤ちゃんを! きっとすんごく可愛いだろうね!」


 ――――今の彼女には逆らうまい。男達は密かに心に決めた。

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