暴走
何が起きているんだろう?
首をひねってみても、答えはまるで出てこない。
殺風景な室内をぐるりと見回したが、視界に入るのは簡素なイスと机だけだ。
時間だけが過ぎ、暇を持て余す。戸口まで歩いて扉を開き、隙間からそっと廊下を覗いてみた。
八高弟の長兄、ラウロスとばっちり目が合う。
彼は部屋のすぐ外で腕を組み、壁にもたれ掛かっていた。
「どうかしたのか?」
それはこっちのセリフだと言いたい。
「部屋に戻っていろ」
そう言われて大人しく扉を閉め、困惑して頭をガシガシと掻く。
ほんと、どうなっているんだ一体?
ぼちぼち日も傾いてきたので、俺とカティアは神殿にお参りすることにしたのだ。
並んで歩く互いの距離が、朝よりちょっとだけ近くなっていた。
意識したら心拍数が上がった。やはり相手がカティアだと緊張する。
気付かれないように彼女の横顔を盗み見る。やはり綺麗な女性だと思った。
たぶんひいき目なのだろうが、彼女を客観的に判断することなど出来やしない。
「わたしの顔に何かついているのか?」
断言できるが、彼女はこちらを見ていなかった。どうして気付かれたんだろう?
「あー、うん」
言葉に詰まる。見惚れていたなどとは、気恥ずかしくて言えやしない。
「変なやつだな」
カティアの唇がほころぶ。肘に掛けられた手に、少し力がこもった。
到着した街中の神殿は、モーリーの所と比較するのもおこがましいほど立派だ。
正面には広壮な石造りの拝殿に、その他の社殿や神官の住居などが並んでいる。
参拝客は若いカップル達が多くて肩身が狭い。
例によって女性達は、頭に白いベールを被っている。
カティアなら若くて見栄えの良い男がお似合いなので、ちょっと申し訳ない気分になる。
人の流れに乗って拝殿に進めば、先の方が妙にざわついていた。
何事かと人波の上に首を伸ばしてみれば、ひときわ目立つ巨体がそびえている。
見間違いようがない、あれは暴剣ガレスだ。
さらに進むうちに人の流れは真っ二つに分かれ、正面には兄弟子達が勢ぞろいしていた。
いや、数えてみれば一人足りない。次兄ベイルの姿だけが見えなかった。
さらに言えば、マリウスは縛られた格好で、ガレスの肩に担がれている。
すごく嫌な予感がした。
そしてカティアは、ラヴィに連れ去られてしまった。
真剣な面持ちの弟子に戸惑い、なすがままに背中を押され人混みに消えた。
俺もついていこうとしたら、兄弟子達にがっちり囲まれてしまったのだ。
そのまま拝殿の裏手にある礼拝所に連行され、一室に押し込まれて今に至る。
何度も事情を尋ねたが、とりつく島もない。大人しく待っていろと言われるばかりだ。
軟禁状態となった俺は、ただぼーと待つしかなかった。
▼▼▼▼▼▼
「「「か、勘弁してくれっ!!」」」
必死に許しを乞う仮面の男達。
逃げる赤仮面を助けようと、仲間達が姿を現したのが運の尽きだった。
ベイルはもろともに男達を容赦なく打ち据え、路地の一角に蹴り込んでしまった。
「てめえらどこの手のもんだ? きりきり白状しやがれ!」
「ま、待ってくれ! 我々は怪しいもんじゃない!」
「いや、怪しいだろどう見ても」
赤仮面の訴えに、どのツラさげてとベイルが呆れる。
「お、俺達は!」
男達は仮面を剥ぎ取り、声を揃えて叫ぶ。
「「「王都ギルド本部の者だ!」」」
ベイルが眉をひそめる。この期に及んで、嘘をついているようには見えない。
本当にこいつらがギルド本部の連中だとすると――――
「ちくしょう! アイツかっ!!」
そう叫ぶなり、彼らを放置してベイルは一目散に駆け出した。
◆
神殿の裏通りで、クリサリスとフィフィアが、ギルド職員達と対峙していた。
ギルド職員達がこの場所に到着した時、すでに彼女達はそこにいた。
クリサリス達は先回りをして、人通りのない場所を選んで待ち伏せていたのだ。
「…………あなた達、そこを通して頂けませんか?」
会長が押し殺した声で頼むが、チャンバラブレードを手にしたクリサリスが前に出る。
「どきなさい! 手遅れになりますわ!」
「あのね? わたし達が言うのもなんだけど」
焦燥感に苛立つ会長に、フィフィアが肩を竦める。
「関係のないあなた達が、なんで二人のデートを邪魔するの?」
彼女の言葉に束の間、会長から表情が消える。
やがて徐々に柳眉を逆立て、視線で射殺さんばかりの形相となった。
「見えていますよ?」
その時、クリサリスがぽつりと呟いた。
「それは、私には通じません」
彼女は忠告するように語り掛ける。
しかし怒りに我を失った会長は耳を貸さず、じりじりと近寄ってくる。
止めても無駄と悟ったのか、クリサリスはため息をついてブレードを構えた。
「油断するな」
神殿の裏手の塀に、疾剣ガーブが立っていた。
彼は塀を蹴って跳び、クリサリス達に背を向けた格好で降り立つ。
じろりとギルド職員達を見渡せば、彼女達は一斉に後ずさった。
「注意しろ、彼女達の背後には黒幕がいる」
「黒幕、ですか?」
ガーブの言葉に、クリサリスが問い掛ける。
「ああ、彼女達は利用されたに過ぎん。その黒幕が、全ての元凶だ」
会長が動揺するが、口を閉ざして何も答えない。
「そうなの? じゃあそいつが現れたら、締めあげて目的を白状させればいいのね?」
「そうだ、彼女達に罪はない。見逃してやれ」
「ではその張本人に、直接うかがってみましょう」
クリサリスは淡々と、彼に尋ねた。
「ガーブさん、あなたがあの白い仮面の男ですね?」
一瞬にして風が斬り裂かれ、唸りをあげた。
振り向きざま、鞘に納めた剣で打ち掛かるガーブ。
すでにチャンバラブレードを振り下ろしていたクリサリス。
ガーブの剣がブレードを弾き返し、さらに追撃のために踏み込む――――
その寸前、フィフィアの放った炎弾が彼の足元に叩き込まれた。
地面で炸裂して広がる炎から、三人は跳躍して逃れた。
自らを巻き込みかねない無謀な攻撃、しかしそこまでせねばならない相手。
それが八高弟、疾剣ガーブであった。
「ゆけ! ここはそれがしに任せろ!」
「は、はい、ガーブ様! 御武運を!」
ガーブの指示に、会長は戸惑うギルド職員達引き連れて走り出す。
神殿の敷地内に駆け込む彼女達を追わせまいと、ガーブが立ちはだかる。
そんな彼を、歯噛みしてフィフィアが睨みつける。
「それがしが敵だと、いつ気が付いた?」
「…………あの後です。顔は隠せても、剣筋までは誤魔化せません」
そう答えてから、クリサリスは一歩詰め寄る。
「なぜなのですか!? 誰よりも師匠を大切に思っているあなたが、どうしてこんなことを!」
ガーブのカティアに対する敬愛の念は本物だと思っていた。
なのになぜ、カティアの意にそぐわないことをするのかと問い詰める。
「タヂカ本人にも言ったことがあるのだが」
ガーブは沈鬱な表情で語る。
「あの男は、姐御を腐らせる毒だ。今日、それを確信した」
「なんてことを!!」
あまりなガーブの発言に、フィフィアが怒りを露わにする。
「兄弟達は、自分達がしていることの意味を理解しておらん。我ら八高弟の性根は、所詮無頼のそれだ」
ガーブが自嘲気味に語り始める。
「姐御が首根っこを押さえ、地面に鼻づらをこすり付けてようやく己の分を弁える愚か者達だ。今の姐御を失えば、我らは自滅するしかない」
「どうしてご自分や兄弟弟子を、そんな風にそしるのですか!」
クリサリスの非難がましい眼差しに、ガーブが穏やかに首を振る。
「おぬし等は知らぬだけなのだ、かつてそれがし達が為した愚行の数々を。そして姐御の手綱が無ければ、我らは再び同じ愚行を繰り返すだろう」
「八高弟って、随分と無様で哀れな人達なのね」
まだ怒りの冷めぬフィフィアが、辛辣に吐き捨てる。
「飼い主がいないと、まともに生きていけない獣だわ」
「その通りだ。まさに獣畜生の類だな」
ガーブが我が意を得たりと己たちを嗤ったため、フィフィアは鼻白む。
「兄弟達が人がましく生きるためには、姐御がどうしても必要だ。ヨシタツには渡せん」
「…………」
クリサリスの憐憫の視線から、ガーブは顔を背けて語り続ける。
「以前から知り合いだったギルド職員に情報を流した。あのおなごなら、姐御とタヂカの仲を裂こうとすると確信していた。王都ギルド本部の間諜を脅し、手駒にした上でギルド職員達を密かに手助けさせた。マリウスをそそのかし、タヂカと対決するように仕向けたりもした」
冗談では済まないガーブの暗躍の数々を、クリサリスは悲しげな表情で聞き終えた。
「あなたらしくもない…………」
「そうだな。策士を気取ってみたが中途半端。男女を引き離すための手段も、自分では皆目見当もつかずに他人任せ。そうした挙句に誇りも面目も失った」
腑抜けたように笑う彼を、ジッと見詰めるクリサリス。
彼女はブレードを投げ捨てると、腰から愛用の剣を抜いた。
「…………もうこれ以上、言葉はいりません。剣士なら、剣で語りましょう」
しかし、構えた剣先はカタカタと震えている。人を斬った感触が蘇り、恐怖にとらわれる。
それでも、剣士として彼と戦わねばならないと決意し、相棒に声を掛ける。
「フィー、お願い」
頷いたフィフィアが、クリサリスの背に手を当てると、自らのスキルを発動した。
スキル制御 - 予備起動:獅子王
他人を傷つける恐れを、内側から轟く咆哮が掻き消した。
――スキル【獅子王】による、状態異常の解除。
一旦戦意がたぎれば、剣の道に励んできた彼女にためらいはない。
「剣を抜きなさい疾剣ガーブ!! その曲がった性根、私が叩き直してあげます!」
剣を大上段に構えたクリサリスが、ガーブに向かって吼えた。
「…………いいだろう、二人掛かりでこい」
「もとよりそのつもりよ!」
フィフィアがニッコリ笑い、クリサリスは開きかけた口を閉じる。
「わたし達は、一心同体でしょ?」
迷う素振りを見せてから、クリサリスは頷く。
二人は並んで、ガーブと対峙した。
「いきます!」「いくわよ!」
彼女達は同時に叫び、激闘が始まった。
◆
――わたしは冒険者が嫌いだ。
――傲慢な奴らが嫌いだ。欲望に濁った奴らの目が嫌いだ。ニンニク臭い奴らの息が嫌いだ。
――奴らの品のない口説き文句が嫌いだ。弱い者を苛め、強い者に媚びへつらう奴らが嫌いだ。
――わたし達の故郷を見捨てた冒険者どもが嫌いだ。
わたし達の故郷は、この街よりもずっと田舎だった。
それでも家族親戚友人が暮らす、大切な場所だった。
牧畜が主だったが魔物の素材でも稼げて、そこそこ豊かな街だったと思う。
しかしある日、森から大量の魔物が溢れた。
今だに原因不明だが、一説によると樹海から強力な魔物の群れが南下したらしい。
それで生態系が崩壊し、押し出されるように森から魔物が逃げ出したというものだ。
予兆の段階で魔物討伐が企図され、街の最高戦力である守護者まで投入された。
しかし守護者は消息不明となり、生き残った冒険者達は街に帰還せずそのまま逃げ出した。
街の住民だけで、魔物の大群と立ち向かうことになってしまった。
しかし戦況は不利、明日にも街は陥落するだろうと言われた。
街の大人達は、最後の賭けに出た。
戦えない女子供、老人を街から脱出させることにしたのである。
それは非情の選択だった。脱出組は、囮でもあったからだ。
もし魔物が脱出組を追えば、街に掛かる圧力が減って乗り切れるかもしれない。
そのまま魔物が街に執着すれば、脱出組が生き残るかもしれない。
そして魔物の群れは、脱出組にも襲い掛かった。
わたしは年下の娘達を引率していた。戦いの役に立たないと判断された者達ばかりだ。
身を守る術さえおぼつかないのだ。魔物が追いすがり、一人、また一人と欠けていった。
彼女達の悲鳴は、いまだに耳にこびりついて離れない。
わたしの怒りと憎しみと絶望は、逃げ出した冒険者達に向けられた。
もし冒険者達が街を見捨てなければ、ここまで悲惨なことにはならなかっただろう。
無力で無知だったわたしは、そう呪わずにはいられなかった。
さらに魔物の群れが増えて力尽き、もはや逃げる気力もなくした。
わたし達は身を寄せ合って、絶望のまま最後を迎えようとした。
誰かにあの光景を語るとしたら、どう描写すればいいのだろうか。
奇跡と呼ぶには、あまりにも凄惨過ぎる一幕だった。
わたし達に迫っていた魔物の群れが、一瞬にして薙ぎ払われた。
肉塊と血飛沫が降り注ぐ中、カティア様は斧槍を手にして降り立った。
あの方が魔物の群れを斧槍で指し示すと、その脇を猟犬のごとき影が駆け抜けた。
当時は四人だった高弟方が、魔物の群れへと突撃した。
風のごとく走るガーブ様が、魔物の群れを分断し、
ラウロス様の唸る豪剣が数体まるごと撫で斬りに、
ベイル様のきらめく双剣が、魔物をバラバラに解体し、
赤い髪のラヴィ様が、盾と剣を駆使してわたし達に近付く魔物を斬り伏せた。
唐突な救出劇だったが、それでも絶望から逃れることはできなかった。
大型の魔物が五体、地響きを立てて接近したからだ。
人間など、軽々と吹き飛ばしてしまいそうな巨体に、わたしは恐れおののいた。
その時、怯えるしかないわたし達へ、カティア様は微笑みかけて下さったのである。
「大丈夫だ、任せておけ」
なんの気負いもないその自然な笑顔を、わたしはただひたすら美しいと感じた。
無類の剣士達が切り開いた道を、あの方は疾風のように駆け出した。
あの方の背中を見送り、わたしはその勝利を確信した。
後に、わたし達の故郷は廃棄され、生き残ったわずかな住民はこの街に移り住んだ。
わたしは、カティア様に救われた娘達と共にギルドに就職した。
カティア様の恩に報いるために。
あの方の為に働く時、わたし達は名前を捨てて事に当たった。
一番年嵩だったわたしが会長を名乗り、他の者達は番号でのみ呼び合った。
――自分を捨ててあの方に尽くす、その決意を示すために。
神殿裏の林を抜けたギルド職員達は、そこで足を止めた。
眼前に冒険者ギルドの影の実力者、セレスが立ちはだかっていたからだ。
「いったい何をしているの、あなた達は」
セレスは咎めながら、会長を厳しい眼差しで睨む。
「…………どうしてあなたがここに」
ギルド職員達は予想外の障害に、呆然と立ち尽くす。
「わたしが言いつけたの」
セレスの隣にいた少女が、悪びれもせずにのたまう。
「ひどいよリリさん!?」「告げ口なんてズルい!」「大人げないよ!」
職員達のブーイングに、リリがたじろぐ。
「どっちが大人げないの!」
セレスの一喝に、喚いていた職員達が首を竦める。
「それで? 言い訳なら聞いてあげるわよ?」
「カティア様に、あんな男は相応しくないわ!」
会長は叫ぶように訴える。度重なる障害に、癇癪を起したようだ。
「あ、あんな男! 人の命を――――!」
「リリちゃん!」
傍らの少女の名を大声で呼んで、先を続けさせまいと遮るセレス。
「ここはもういいから、タヂカさんの所に行ってあげなさい。あちらにいるんでしょ?」
「え? でも…………」
リリは必死な形相の会長と、優しく微笑むセレスを交互に見やる。
「いいから、ね?」
そっと押しやられ、リリは仕方なく頷く。
礼拝所に向かって走るリリの背を見送った後、セレスはため息を吐いた。
「…………やられたわね」
彼女は、そっと首筋に指を這わせた。一本の白い糸が、肌に食い込んでいる。
「ちょっと目を離しただけなのに…………やっかいよねそのスキル」
徐々に糸が締まるのを感じながら、セレスは苦々しげに呟く。
会長の持つスキル【結索】を、セレスは十分に注意しているつもりだった。
ごく細い糸を操作して対象を締め上げるが、それほど威力のあるスキルではない。
しかし絡みついた糸は、スキルの効果で引き千切れないほど丈夫になる。
「安心なさい、気絶したらすぐに解いてあげるわ」
スキルが通じたことで、会長の態度に余裕が戻る。
「それはどうも。それにしても、どういうつもりでお二人の仲を邪魔するの? 当人同士の問題に、他人が口を出すべきじゃないわよ?」
「絶対にあの男だけはだめよ!」
会長の頑なな態度で、セレスは確信する。
セレスの表情が厳しくなり、視線が冷ややかになる。
「こうなったら、ぜんぶカティア様にぶちまけて――――!」
「…………黙れ」
刃で突き刺すような鋭い一言が放たれ、会長は言葉を詰まらせ、
「こそこそと嗅ぎまわっていると思ったら――――そう、知ってしまったのね?」
「あなた!? もしかしてあの男の正体を知っていたの!」
「もちろんよ、わたしを誰だと思っているの?」
会話の内容が理解できないギルド職員達は、困惑のまま二人を見守り続ける。
「とりあえず、あなた達の処分は、ギルドに戻ってから決めます」
そう宣告したセレスは指先に糸を絡めて、首からするりとほどいてしまった。
「「「会長!!」」」
ギルド職員達が、悲鳴混じりに叫ぶ。
会長が身を屈め、胸を押えて苦し気に喘いでいた。
懸命に足を踏ん張ろうとするが、その膝はがくがくと震える。
駆け寄ろうとするギルド職員達を、セレスが一瞥した。
すると彼女達も同様に、顔から血の気を失せて呼吸困難に陥る。
膝をつく者、いまにも気絶しそうな者までいた。
セレスが、スキルを放ちながら彼女達に接近する。
額から流れた汗が目に入り、痛みを覚えるが、会長は意地でセレスを睨みつける。
滲んで歪む視界に映るセレスは、まるで黒く揺らめく陽炎のようであった。
「それで? タヂカさんに何か問題でもあるの?」
信じがたい言葉を返され、会長はぽかんと口を開く。
「彼が冒険者ギルドにとって有益な人材である以上、ギルドは彼が何者であろうと関知しない。ギルドは治安機関ではなく、ただ魔物をせん滅することだけを目的とした組織なのだから」
セレスの淡々とした口調に、会長は怖気をふるう。事情を半分も把握していないギルド職員達でさえ、自分の所属する組織の深い闇を覗いた気がした。
「それにカティア様は全てご承知よ? 彼の過去をご存じの上で、ギルドに彼の庇護を依頼されたの」
セレスの表情が、一瞬だけ和らぐ。
「あの方はタヂカさんの過去を受け入れた上で、彼に心を寄せているのね」
スキルの効果だけでなく、心が折れた会長はがっくりと膝を折った。
「さて、あなた達」
慈悲なき断罪者が、罪人達に告げる。
「今はとりあえず――――眠りなさい」
全開となったスキルの影響が、無差別に襲い掛かった。
撒き散らされる【恐怖】に耐えきれず、彼女達の意識は悪夢に飲み込まれた。
◆
「姐御に白のベールを渡してきたわ。あと三〇分ぐらいしたらこちらに来て頂く予定よ」
礼拝堂に居並ぶ兄弟弟子達に、ラヴィが申し渡す。
「あんた達、それまでに準備を整えるわよ!」
「なぜ、こんな真似をするんだ?」
ラウロスが妹弟子に尋ねる。彼女の提案に手を貸したが、今さらながら疑問を覚えたのだ。
「当初の計画では、我々は最後まで姿を見せないはずだった」
「あえて正式な礼拝を行う意味が分からん。参拝客達と一緒で構わなかったではないか」
いささか不満顔なグラスが、そう指摘する。
「せっかく楽しんでおられた姐御を邪魔したんじゃぞ?」
フルもガレスもうんうんと頷く。
そんな男達を前に、ラヴィはやれやれと肩を竦める。
「わかってないわね、あんた達。こういうのは形式が大事なんだよ」
「あ、なるほどね!」
マリウスが声をあげた。彼はいま、荒縄で縛られた格好で地面に転がされていた。
「姐御とあの人が、正式に礼拝した事実を残すつもりですね?」
「よく分っているじゃない。あんた、神官の代わりに式を執り行いなさい」
「分りました! 任せて下さい!」
ラヴィにゲシゲシと蹴られながら、マリウスは楽しげに承諾する。
「…………どういうことだ?」
ラウロスが、いまだに折檻を受け続ける末弟に問う。
「つまりですね、そもそも今日は何の祭なのかってことですよ」
「…………縁結びか!」
閃いたグラスが、大声で叫ぶ。ガレスとフルが、なるほどと頷く。
「違いますよ?」
あっさりとマリウスに否定され、グラスがいじけた。
「子宝、安産祈願の祭よ」
ラヴィの言葉に、マリウスを除く男達がぎょっと目を剥く。
「まさか姐御が!?」
「違うわよ馬鹿っ!」
ラヴィの蹴りが、今度は血相を変えたラウロスの膝に打ち込まれる。
「でも、要点は突いているわね」
彼女は、膝を抑えてうずくまった彼を誉める。だったら蹴るなと、男達は思う。
「姐御とヨシタツが、仲良く子宝安産の祈願をした事実を世間に広めるのが目的よ」
「おぬし、何を考えているのじゃ!」
ラヴィの企みを知り、グラスが怒鳴る。
「そんなことをすればどうなると思っておる!」
「ヨシタツは、のっぴきならない羽目になるんじゃない?」
ラヴィが愉快そうにうそぶく。
「噂が噂を呼んで、ヨシタツに近寄る女も減るだろうし、ちょうどいいわ」
「それだけではありませんよ。この事実が広がったら、姐御はもう完全にタヂカさん以外の縁談はなくなりますね」
「おぬしは姐御まで追い詰める気か!」
マリウスの補足を聞き、グラスは激昂する。
それを、ようやく痛みから回復したラウロスが手で制して尋ねる。
「なぜ、そこまで事を急ぐ。今日も十分に成果があったはずだ。明日以降でも徐々に」
「そしてまた明日から姐御は一歩、身を引いてしまうわ、きっと」
渋い顔でラヴィは断言する。
「時間は姐御に味方をしてくれない。ヨシタツの周りにいる子達は、これからもっともっと綺麗になっていく。時間が経てば経つほど、姐御は二番手、三番手に甘んじるしかないのよ!」
けっこう辛辣な評価を下すラヴィを、男達は生温かい目で眺める。
「だから今が、勝負の時なんだよ!」
「――――しかしじゃな、急いては事を仕損じる可能性も」
ラヴィの動機を理解したグラスは、それでも彼女の性急さをたしなめようとする。
「それにね? 考えてもみなよ」
ラヴィは天井近くの壁にはめ込まれた、精緻な透かし彫りを施された窓を見上げる。
彼女はうっとりとした表情で、兄弟弟子達に問い掛ける。
「姐御ってさ、可愛いだろ?」
「「「えっ?」」」
またもや例のセリフを口走り、男達の腰が引ける。
「長いこと一緒にいたのに、どうして今まで気が付かなかったんだろうね?」
くすくすと笑うラヴィから、彼らは一歩また一歩と遠ざかり、マリウスが床を這って逃げる。
「そうしたらもう、我慢できなくなったの」
透かし彫りの窓から差し込む陽射しを背に、彼女の赤い髪が輝く。
ラヴィは恍惚とした笑みを浮かべ、自分の身体を抱きしめて身悶えた。
「見たくてたまらないの、可愛い姐御の赤ちゃんを! きっとすんごく可愛いだろうね!」
――――今の彼女には逆らうまい。男達は密かに心に決めた。




