どうしようもない対決
街に戻ってみると、人通りの雰囲気が変わっていた。
若い男女連れが、やけに目につくようになっていたのだ。
女性達は頭に薄いベールを被っているし、一体なんだろう?
「神殿への参拝者だな」
すれ違った男女連れを目で追ったら、カティアが説明してくれた。
なるほど、あのベールは宗教的なものか。
そう言えば、ちゃんとお参りするようにとラヴィに釘を刺されていたな。
とりあえず喉が渇いたので、カフェで香茶を飲むことにした。
「あれ、カティア様にタヂカさん」
店を探していたら、今度はギルドの事務の女の子と遭遇した。
「やあ、きみも神殿へお参りかな?」
「…………相手がいません」
俺が尋ねると、彼女は口を尖らせて答えた。しまった、神殿参拝はデートコースなのか。
「この近くにカフェはあるか?」
カティアが苦笑しながら話題を変えてくれた。
「あそこの角を曲がった所に、人気のお店があります」
それでは失礼しますと、彼女は立ち去った。
あの子、俺とカティアが一緒にいても彼女は騒がなかったな。
勧められたカフェに到着して、カティアは外の手洗いに行った。
注文した香茶はすぐに届いたが、口をつけずに待つことしばし。
テーブルの脇を通り掛かった女性が、何かにつまづいたのか体勢を崩す。
思わず腰を浮かしたが、彼女は背を向けたまま立ち去った。
入れ替わるようにカティアが戻ってきたので、二人で香茶に口をつける。
「この後はどうするんだ?」
「宝飾店に行って、記念のプレゼントを…………」
そう言って顔色を窺うと、カティアはやっぱり首を振った。
「今日は十分に楽しませてもらった。もうこれ以上はいいさ」
彼女の微笑に胸が苦しくなり、香茶をあおって飲み下した。
「そんなこと言わないで、なにか希望はないか? 欲しい物とか、してほしいこととか、なんでもいいから言ってくれよ」
「…………不思議な気分だな」
俺の問いに応えず、彼女は窓の外に視線を向けた。
「男と一緒に出店で食べ歩き、人形劇を観て、ピクニックに行って昼飯を摂って」
その眼差しは遠く、ここではないどこかに向けられている。
「まるで普通の女になったみたいだ」
「普通に良い女だぞ、カティアは」
気風のいい親分肌の女傑で、慕う者も大勢いる。
出会った途端に一目惚れした、自分の直感が誇らしい。
「世辞でも嬉しいぞ。ありがとうな」
彼女はいつもこうだ。適当にあしらうか、殴り掛かってくるか。
いくら口説いても、本気に受け取ってくれたことがなかった。
どうにも鈍い女性なのだ、この師匠は。
思わず苦笑して――――尿意を催した。
「すまん、ちょっと手洗いだ」
「店の裏手から出た通り沿いにあるぞ」
「そうか。急いで戻るから」
席を立った俺は、高まる圧力で足早になる。
店員に場所を再確認し、裏手の扉から人気のない通りに出た。
「どうもこんにちは」
にこやかな笑顔のマリウスが、手を振って待ち構えていた。
「どうしたんだ、こんなところで?」
意外に思い、歩み寄りながら尋ねる。
「どうですか、姐御とのデートは?」
「ああ、楽しんでいるよ。すまん、先に手洗いに行かせてくれ」
その脇を通り過ぎようとした時、マリウスはごく自然に剣を抜いた。
白刃を前にした俺は、後ろに下がる。ゆっくりと、下腹部を刺激しないように。
「マリウス?」
顔見知りの青年の、唐突な行為に戸惑う。
「あなたの剣で、僕に斬り掛かってくれませんか?」
さらに理解不能な言葉を重ねられ、頭が混乱してきた。
「ほら以前、お願いをきいてくれると約束したじゃないですか?」
「――――ああ、あれね」
宿の護衛を依頼した時、確かにそんな約束をした。
だけど、俺がマリウスを斬り付ける? なんのために?
「こちらから手出ししないって、姐御の名で誓っちゃったんです。だからそちらから攻撃してもらって、反撃すれば問題ないって、考えたんですよ」
得意げに語られても、やはり要領を得ない。ひょっとして説明下手なのか?
「この先に進みたいのなら、僕を倒すしかありませんよ?」
「なに言ってんのさキミは!?」
たかが手洗いで、どうして宿命じみた対決を演じなきゃなんないの!?
「さあ、どうぞ剣を抜いて下さい」
付き合いきれないので、瞬息の発動態勢に入る。
人知を超えた力をこんなことに――――ひどく情けない気持ちになる。
一歩、前に出る。いくら剣の天才とはいえ、スキルは剣術【二】。
カティアみたいに、瞬息の時間流そのものに干渉できるとは思えない。
発動したら彼の脇を抜け、一気に駆け出すだけだ。
問題なのは、尿意を我慢して走れるか否か、その一点のみ!
さらに一歩、間合いを詰める。いま――――
マリウスがスッと、剣先を斜めに突きだした。
そこは予定していた進路上、絶妙な位置に障害を置かれた格好だ。
反対側は建物の壁で、通り抜けられるほどの隙間はない。
剣先をかわしたら、彼の脇を通り過ぎる前に瞬息の効果が切れる。
「やっぱり、ガーブ兄者を破ったスキルには、制限があるんですね?」
「――――彼に、訊いたのか?」
「いいえ? ただ兄者が少しだけ漏らした内容から、推測したんです」
彼はニコニコと解説する。じっとりと、嫌な汗が額ににじむ。
「ガーブ兄者があれだけ気落ちしていたのは、そのスキルにご自慢の速度が通じなかったとか。だけど状況からして限界があるんだろうなとか。お二人の戦いを何百回も想像したんですよ」
マリウスが、こちらの目を注視する。
「こちらの脇を通り抜ける進路を、目で追ってましたね? その位置に足を踏み出した瞬間、瞳の色が変わりました。この距離が、スキルの間合いでしょう。剣を差し出したら、目元が引き攣りましたし、当たりですよね?」
実際に目撃していないスキルを、わずかな情報だけで推測する想像力。
視線や瞳孔の反応さえも読む、その鋭い観察力。
やはり彼は、俺など足元にも及ばない剣の天才なのだろう。
「さあ、どうしますか?」
こうなったらもう、奥の手を出すしかない。
「――――いいよ。そこの隅で立ちションするから」
男に生まれて良かったと思う。
「ず、ずるい! それはズルいですよ!!」
呆気にとられた後、マリウスが猛然と抗議する。
「あんまりですよ! せっかくお膳立てしてもらったのに!」
そこまで口にしたマリウスが、不意に表情を変えた。
「これはなんの真似だ、マリウス」
背後から、聞き覚えのある声が掛かった。
「五兄?」「…………グラス兄者」
殺剣グラスが、するりと俺の前に立ち、マリウスと対峙する。
「お主、さきほど聞き捨てならぬことをほざいたな」
鋭い目つきで睨むと、マリウスがバツが悪そうに頭を掻く。
グラスは腰から四角錐の剣を抜き、べろりと舐めてこちらを見た。
「ここはわしに任せ、お主は先に行け」
…………なんだろうな、このひどい有り様は。。
尿意を我慢する三十路男に、対峙する凄腕剣士二人。
情けなさ過ぎて、涙が出そうになる。もうどうにでもなれ、そう思った。
「それじゃあ、失礼しますね」
兄弟子に掣肘され、さすがに俺に構う余裕はないのだろう。
マリウスは困り顔でこちらを見るが、俺は知らん。
その場を後にして、建物の隙間に設置された共同トイレに入る。
この街には、街角に共同トイレまであるんだから、大したものだよな。
昔のヨーロッパには、まともなトイレがなかったと記憶している。同じ頃の江戸には、長屋に便所があったはず。公衆衛生の面では、日本が先進的だったのかな。
そんな学術的な考察を邪魔するように、甲高く鋭い音が耳に届く。
キンキンキンキンと、金属同士を激しく打ち鳴らす音が響く。
――――祭りの鳴り物かなあ。
一切の思考を放棄して自分を誤魔化し、ただ至福の解放感に浸った。
トイレから出て、こっそり通りの様子を窺ったが、グラス達の姿はなかった。
まあ、兄弟弟子が本気で戦うはずがないしな。心配いらないだろう。
「ずいぶんと時間が掛かったな。何かあったのか?」
カフェに戻ったらカティアが尋ねたので、俺は満面の笑みで答えた。
「別に? 大したことはなかったよ?」
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カフェから逃げ出したギルド渉外担当の二人は、路地に駆け込みゼイゼイとあえいだ。
「…………やっちゃったね」
一人が、苦しい息の下で呟いた。
「…………どうしよう」
もう一人が、利尿薬の入った小瓶を握り締める。
彼女達の一人がつまづくフリをして、ヨシタツの注意を引く。
もう一人が反対側から接近し、即効性の利尿薬をヨシタツの香茶に垂らしたのだ。
任務で慣れた手口だったが、彼女達はひどく落ち込んでいた。
「…………どうしよう。カティア様に顔向けできないよ」
「もし、もしもタヂカさんが我慢しきれずにカティア様の前で…………」
そうなったら悲惨だと、二人はしゃがみ込んで頭を抱える。
「そのざまなら、まだ改悛の余地はありそうね」
「あんまりひどいこと、しないであげてね?」
冷やかな響きの声と、なだめるような少女の声がした。
ギルド職員達が、ビクリと肩を震わせる。
伏せていた顔を恐る恐るあげ、声の主を確かめた。
絹を裂くような悲鳴があがり、それはすぐに途絶えた。




