冒険者筆頭の午睡
携えた剣の柄を、ギュッと握り締める。
感覚を研ぎ澄まし、些細な物音さえ聞き漏らすまいと耳を澄ます。
探査は未だ使用不可能、自らの五感だけが頼りである。
前方の岩の陰には、魔物が潜んでいるらしい。どんな魔物なのかは不明だ。
隠蔽を発動し、足音を忍ばせて接近する。
一〇歩の距離まで近づいた時だった。
「おーい、さっさと終わらせろよー」
後ろの方で昼食の準備をしているカティアが、大声で催促した。
「バカ! 静かにしろ!」
思わず叫び返し、慌てて口を閉ざしたが手遅れである。
前方の岩陰から、魔物が跳躍して現れた。
丸々とした胴体に長い後脚。たとえるなら、白い毛皮に包まれたコオロギか。
何度か出くわしたことがある、弱いくせにやたら好戦的な魔物である。
小型の魔物は右左に跳びはねながら、こちらに向かってきた。
隠蔽を解除して剣を放り投げ、カティアのいる場所への進路上に立ちはだかる。
俺に狙いを定めた魔物が、目前に着地して背中をたわめた。
跳躍して体当たりするつもりだと察し、こちらから踏み込んで蹴りあげた。
ギュウッと鳴きながら宙を飛んだ魔物だが、器用に反転して着地する。
そのまま長い両脚をバネに跳躍し、俺は腹に猛烈な頭突きを喰らった。
げぼっと空気を吐き出す。けっこう効いた。
だが、ドッジボールの要領で魔物を捕まえてやった。
両手で掴んで高々と掲げてから、思いっきり地面に叩きつける。
ボヨンと跳ねたところを、さらに蹴りあげた。
またもや魔物は華麗に着地して跳躍、頭突きの反撃を受ける。
俺とコオロギモドキは延々と、不毛な戦いを繰り返した。
◆
あの広場を出た後、俺とカティアはとある酒場に向かった。
そこの店主からバスケットを受け取ると、彼女はすぐに店を出た。
バスケットは一抱えもある大きさで、かなり重そうな感じがする。
しかし彼女は軽々と提げ持ち、さらに移動して南門に到着した。
「お、おい?」
「今日は天気がいいからな。外でメシを食おう」
まさかと思ったが、魔物がうろつく街の外でピクニックするつもりなのだ。
あまりの非常識さに呆れていたら、彼女はさっさと門を通ってしまった。
門を守る兵士達は、彼女を顔パスで通した。さすがは冒険者筆頭である。
もっとも彼女の衣装には、かなり驚いた様子だったが。
俺もおまけで目こぼしされ、そのまま南の丘陵地帯を進む。
そこはゴツゴツとした大岩が転がり、緑の草地が広がるだけの場所である。
この殺風景な眺めは割と好きなのだが、孤独を満喫するには向かない。
岩の陰には魔物が隠れ、近くを通ると襲い掛かってくるのだ。
探査が使えない状況で不安はあるが、まあ、カティアがいれば――――
「…………剣は、どうしたんだ?」
間抜けなことを訊いた、自分でもそう思った。
「この衣装で、剣を持てるはずないだろう?」
カティアが平然と答える。そりゃそうだけど! なに考えてんだ!?
「おい! こいつを持て!」
冒険者のたしなみで腰に吊るしていた、護身用の剣を渡そうとした。
まさか街の外に出るとは思わなかったので、唯一の武装である。
「こいつがあるから、剣は持てないぞ?」
彼女は笑って、バスケットを掲げて見せる。
「お前に任せた」
先を進むカティアの背中を、呆然と眺める。
彼女の足取りは軽く、かすかな鼻歌が聞こえて来る。
たとえ丸腰だろうと、カティアがこの辺りの魔物に遅れを取るとは思えない。
仮に俺が不手際をしても、きっと大丈夫だろう。
冒険者筆頭なら、どんな事態に遭遇しても簡単に切り抜けられるはずだ。
――――だけど、そんな問題ではない。冒険者筆頭とか、今は関係ない。
俺は駆け足で彼女を追い越し、周囲を警戒した。
後ろを振り向くと、カティアが穏やかに微笑んでいる。
いい気なもんだ。照れ臭さで、つい内心で毒づく。
随分と物騒なエスコートになってしまった。
「ここでいいだろう」
小高い丘の上に到着すると、彼女はバスケットから敷布を取り出し、草地に広げた。
「昼食の用意をするから、ヨシタツはちょっと働いてこい」
「働く?」
カティアは少し離れた場所に転がる岩を指差した。
「あそこに魔物が隠れているから、片付けてこい。食事の邪魔をされたくない」
どうして断言できるのだろうか。まあ、カティアだからな。
「…………わざわざこんな場所に来るからだよ」
俺はブツブツと愚痴を呟きながら、その岩目指して歩き出した。
◆
「ただいま」
ようやくコオロギモドキを追っ払った俺は、カティアの許に戻った。
敷布の上に座り、両手足に背筋を思いっきり伸ばす。
疲れた! とんでもなく疲れた! 魔物と格闘なんて、冗談じゃない。
「お疲れ様。さあ、食べようか」
木製のカップを差し出された。こんなものまでバスケットに入っていたのか。
中身は酸味の効いた果汁を、水で薄めたものらしい。
思わず一気に飲み干し、生き返った気分になった。
敷布の上には木の皿に盛られた、様々な食料が並んでいた。
まず、スライスした燻製肉を頬張る。美味い、鳥の肉だろうか。香料が効いている。
魚の油漬けを、垂らさないように注意しながら口に放り込む。丁寧な下拵えで、小骨も取ってある。他にもチーズ、野菜の酢漬け、ナッツ類に干し果物など、品数豊富だ。
「みんな美味そうだな」
「そうだろう、わたしが厳選したものばかりだぞ」
俺が誉めると、カティアは得意げに鼻を鳴らす。
そんな彼女を見て、可笑しくなる。これ全部、酒のツマミだろ?
丸パンがあったので、上下半分に割って燻製肉と酢漬けの野菜を挟む。
ハンバーガーの出来上がりだ。思いっきりかぶりつく。
もぐもぐ咀嚼している俺を、カティアが笑いながら見ている。
半分食べたところでハンバーガーを脇に置き、別のパンを取って同じように具を挟む。
肉、魚、野菜にチーズ、挟めるだけ挟み込んでやる。
「ほら、どうぞ?」
手渡してやると、カティアはその分厚さに目をしばたく。
「あ、ちょっと待て!」
彼女が大口を開けた時、はっと気付いて制止する。
敷布の端を引っ張って彼女の膝を覆い、手拭いをナプキン代わりにして首に結わえた。
「よし、もういいぞ」
律儀に口を開けたまま待っていたカティアが、ハンバーガーにかぶりつく。
ほら、やっぱり油が垂れた。さらに敷布を寄せて、せっかくの衣装が汚れないようにする。
目を白黒させて食べるカティアに注意しながら、自分の分を食べた。
食事を終えると、カティアは満足そうなため息をついて寝転がった。
「食べてすぐ横になると、ウシになるぞ」
俺が注意すると、カティアは不思議そうな顔をした。
「なんだ、それは?」
「祖母の教えだ。まあ、消化に良くないとか、そんな意味だ」
「ふーん?」
カティアは感心したように頷いたが、起き上がる気配はない。
腹に手を乗せ、仰臥したまま空を眺めている。
「良い天気だな、ヨシタツ」
「ああ、そうだな」
「たまには、こうして人のいない場所で寛ぐのも悪くはないな」
――――ああ、そういうことなのか。
彼女がなぜ、こんな場所へピクニックに来たのか、漠然と理解した。
小高い丘から眺める空は、街中で見るよりも広い。
この広い世界を、二人で独占しているような気分だ。
彼女とは違う理由だが、俺も街での暮らしが息苦しい時がある。
魔物という人類の天敵が徘徊する世界。街壁に囲まれた都市。
そんな状況に閉塞感を覚えてしまうのだ。
こうして天地の間でのんびりしていると、解き放たれたような気分になる。
このまま二人で、どこかへ旅に出てしまいたいぐらいだ。
「…………少し食休みをしたら、戻ろうな」
返事がない。隣を見ると、カティアは寝入ってしまったようだ。
周囲を警戒しながら彼女を起こさない様、静かに食器を片付けた。
▼▼▼▼▼▼
「姐御達、早く戻って来ないかな?」
街の南門から外を眺めるラヴィやラウロス達を、門を守る兵達は持て余していた。
八高弟でなければ追っ払いたいのだろう。とても迷惑そうな顔付きだった。
ラヴィは、先ほど合流したフルを振り返る。
「ねえ、もう一回、上に跳んで姐御を探してよ」
頼まれたフルは既に諦めの境地なのか、抗議することなく膝を折って身を屈める。
スキル発動の兆候で、路面の塵が静かに舞い上がる。
塵が渦を巻いて噴きあがった瞬間、小柄なフルの身体は街壁のさらに上を飛翔していた。
そして上空で数瞬止まった後、落下を始める。
「どうだった?」
ラヴィの問い掛けに、着地したフルは疲れたように首を振る。
彼女は腕を組み、苛立たしげに爪先で路面を叩く。
そうして、しばらく門の外を眺めてから、
「ねえ、フル――――」
そんな八高弟達の様子を、物陰にひそんで監視する一団がいた。
この地方では、特別な日に仮面をつける風習がある。
祭日である今日も仮面をつけ、そぞろ歩く者も少なくない。
派手な仮面で注目を集める者もいるが、ありふれた仮面ではさほど目立つことはない。
その五人がつけている仮面も、どこにでも普通に売られているものだった。
五人とも、背格好からすると成人男性のようだ。
門の辺りでたむろする八高弟達を、身動きもせずに見詰めている。
やがて白い仮面の男が合図すると、彼らはその場を離れ、近くの倉庫街へと移動した。
「あの距離が、ぎりぎりの線だ。あれ以上踏み込むと、彼女に勘付かれる」
白い仮面をつけた男が、他の四人に注意を促した。
全身をローブで覆い、フードから白い仮面が覗いている。
赤青黄緑と、色違いの仮面の男達が、神妙に頷く。こちらは労働者風の服を着ている。
「いいか、決して手を出すな。あくまで監視のみに止めておけ」
白い仮面が指示を与え、彼らはその場から立ち去ろうとした。
「あなた達は、先ほどからなにをしているのですか?」
立ち並ぶ倉庫の陰から、クリスとフィーが姿を現した。
チャンバラブレードを携えたクリスが、ずいっと前に出る。
「…………なんのことだ」
白い仮面の男が、低く重い声でしらを切る。
「なにが目的でタツとカティアさんの跡をつけ、八高弟さん達を見張っているの?」
フィーの言葉に、白仮面はゆっくりと後ずさりをする。他の四人もそれにならう。
紅蓮の炎幕が路面を走り、その場にいた全員を取り囲んだ。
炎上する檻に閉じ込められ、四人の男達があたふたと周囲を見回す。
白い仮面の男が腕を振ると、その袖口から棍棒が伸びた。
彼は棍棒を掴んで一振りすると、動揺する仲間達を叱咤する。
「狼狽えるな、虚仮脅しだ」
「そうかしら? 試してみる?」
白仮面の言葉に、フィーがニヤリと笑う。
「本気を出せば、肉を溶かすほどに熱くできるのよ?」
「あなた達が何者か、教えて頂けますか?」
クリスが、チャンバラブレードを構えて臨戦態勢に入る。
「…………やれ」
白仮面がぼそりと命じると、四人の男達も腹をくくったようだ
腰に差した棍棒を引き抜くと、やけくそ気味に叫んでクリスに襲い掛かった。
「仕方ありません。少々手荒にいきます」
迎え撃つクリスが、正面の男をブレードで薙ぎ払う。
剣速の凄まじさに、一番手の男はかわし切れずに攻撃をまともに喰らう。
ドンと、男が弾き飛ばされる。だが残りの男が、好機とばかりに彼女に迫る。
オウッと、クリスが短く咆え掛かる。スキルを帯びた咆哮に、男達が怯んだ。
そこへブレードを振りかざし、躍り掛かるクリス。
その様はまさに蹂躙、その一言に尽きた。
抵抗を圧し潰し、反撃を打ち破り、防御をこじ開ける。
剣技はもとより、その激しい気迫で相手を圧倒する。
クリスは四人の男を相手取り、一挙に蹴散らした。
「クリスッ!!」
相棒の警告に、クリスは反射的に後方へ跳ぶ。
男達の陰を死角にして接近し、白仮面が棍棒を振るった。
鋭い一撃に、かすめた髪が引き千切られる。
驚きのクリス。最初から白仮面が一番の使い手と見抜き、警戒していた。
しかし目を離した覚えがないのに、いつの間にか接近を許してしまった。
縦横に振るわれる棍棒の連撃を、クリスは回避スキルを全開にして避ける。
反撃の糸口がつかめず、今度は彼女が圧され続ける。
クリスが態勢を立て直そうと、牽制の一撃を放つ。
白仮面は身体を沈め、剣の下をくぐった。
彼は棍棒を腰だめに構えて、爪先に力を込めて腰をよじる。
その攻撃態勢を見て、クリスは直感した。これは、避けられないと。
彼女は数瞬先の、自らの敗北を予想した。
だが、クリスに迷いも恐れもない。全身全霊で、迎え撃つ。
クリスが相打ちを覚悟した時、白仮面が疾風のように動いた。
路面を蹴り、クリスから離脱する白仮面。
彼のいた場所を、炎の弾丸が次々と着弾した。
「クリスに近寄るなっ!」
フィーの叫びと共に、魔術スキルの速射が、白仮面に容赦なく襲い掛かる。
息もつかせぬ連続攻撃を、しかし白仮面は軽々とかわしていく。
棍棒で炎弾を叩き落としながら、たんったんっと路面を蹴って後退する。
そして立ち並ぶ倉庫の隙間に消えた時、他の四人の姿もなかった。
戦闘が終了した途端、クリスの全身から汗が流れる。
白仮面は逃げたのではないと、彼女ははっきりと理解していた。
見逃されたのだ、私達は。
クリスは悔しさに歯噛みして、拳を震わせた。




