前哨戦
宿を出てギルドに向かう途中、やけに人通りが多いことに気が付く。
そういえば、今日は神殿関係の祭りがある日だ。
普段の道順を外れ、大通りから広場に入ってみた。
色鮮やかな幟や垂れ幕がたくさん掲げられ、いつもより賑やかである。
まだ時間が早いのか、準備の整っていない出店もあった。
人出もこれから本格的に増えるのだろう。
週に一回とか、規則的な休日がない辺境の街である。
ただし神殿の祭日など、特別な日は仕事を休むのが一般的らしい。
俺達も、そういう日は討伐を行わないで休養日に当てている。
もっとも俺は、日がな一日ベッドでごろ寝をするぐらいなのだが。
そう言えば、冒険者ギルドは営業しているのだろうか。
ふと疑問に思った俺は、ギルドへの道を急いだ。
◆
ギルド、営業だけはしていた。
ただし事務の受付業務だけで、買い取りなど他の業務はお休みらしい。
営業時間は午前中だけで、午後には閉めてしまうそうだ。
職員の大半は休みを取っており、ギルド内部は閑散としている。
「本当は、わたしだってお休みだったのですよ?」
諸々の事情を説明しながら、セレスが愚痴をこぼす。
「でも出勤予定の子達に、急な用事が出来たと泣きつかれてしまって」
「はあ、頼られていますね」
「まあ、半日だけですから。適当に時間を潰してますよ」
「適当はまずいんじゃないかな」
「どうせ誰も来やしませんから」
セレスはロビーを見回した。彼女の視線の先には、八高弟達の姿があった。
ギルドの玄関の両脇には、ガレスとベイルが腕を組んで控えている。
仁王像のように佇むガレスと、物騒な目付きで睨むベイル。
用事があって来訪する冒険者達は、そんな二人の威圧感に恐れをなして退散してしまう。
俺が目撃しただけで、すでに五人が追っ払われていた。
「あれって、営業妨害じゃないか?」
「タヂカさんが、それを言いますか?」
「…………すみません」
人目を避ける必要性は理解できるので、見ぬふりをするしかない。
他の兄弟子達は、喫茶室にたむろしていた。
その中でラヴィが一人、瞑目して腕を組み、椅子に座ってピクリとも動かない。
触れると暴発しそうな緊張感が漂い、声を掛けづらい。
そんな彼女を、他の兄弟弟子達が遠巻きに眺めていた。
俺とセレスは口を閉ざし、ただその時を待つしかなかった。
ギルド内部に満ちた静寂の中、靴音がコツコツと響いてきた。
「準備が、終わったみたいですね」
セレスの言葉と共に、廊下の奥から彼女が現れた。
カティアは、淡いバラ色の衣装に身を包んでいた。
俺の乏しい知識が、どこか民族衣装的なそれを、ワンピースドレスに分類した。
刺繍で縁取られた、襞のあるスカート。鎖骨が慎ましく覗く襟ぐり。
腰は紗の帯できゅっと締められ、端が脇に垂れている。
「待たせたな」
カティアの声に、ハッと我に返る。女性の衣装に、これほど見惚れた覚えはない。
俺は彼女に近寄る。左右の手足が同時に動いていた。
「よく似合っている。見違えた」
彼女にはもっと大人な感じの、例えばシックな黒の衣装が似合ってはいるだろう。
だからこそ、どこか華やかな感じのするその衣装は、余計にインパクトがある。
兄弟子達も、言葉がないようだ。誰もが言葉を失い、あ然としている。
席から立ち上がったラヴィだけが、口元に笑みをたたえていた。
だけど何故か、人形めいた作り物の笑顔に見える。
「なんだ、ヨシタツにしては平凡な世辞だな」
カティアが皮肉気に笑ったおかげで、ようやく平常心を取り戻す。
やっぱり本物のカティアだ。そっくりさんのご令嬢ではなかった。
「それじゃ、さっそく行こうか」
俺が誘うと、彼女は喫茶室にいた弟子達を見回す。
「お前たちも、祭りを楽しんでくるといい」
「はい、姐御。いってらっしゃい」
貼り付けたような笑顔のまま、ラヴィが手を振った。
ベイルとガレスがうやうやしく開いた扉をくぐり、俺達は通りに出た。
「あ、すまん! セレスに言伝を忘れた。ちょっと待っててくれ」
「さっさと行ってこい」
苦笑するカティアを残して急いで戻ると、受付を通り過ぎて喫茶室に駆け込んだ。
ラヴィが、テーブルに突っ伏していた。
その周りを、微妙な表情の兄弟子達が取り囲んでいる。
肩に手を置き、そっと彼女の上半身を起こした。
テーブルには、真っ赤な血だまりが広がっていた。
鼻血を垂れ流すラヴィが、虚ろな目でカフカフと喉を鳴らしている。
何事かを呟く彼女の口元に、耳を寄せてみた。
『…………かわいい あねご かわいい あねご かわいい…………』
兄弟子達を見回すと、誰もがきまり悪げに視線を逸らす。
とりあえず、治癒術を全力で施しておいた。
「悪い、待たせた」
俺は何事もなかったように振る舞い、肘を差し出した。
カティアは一瞬だけ躊躇してから、手を肘に掛けた。
「い、痛いよ! し、しぼらないで!?」
「…軟弱だな、もっと鍛錬しろ」
「関係ない! 鍛え方は関係ない!」
◆
「うん、やっぱり似合うな。そういうの、普段からもっと着ればいいのに」
通りを歩きながら、隣を歩くカティアをあらためて観察する。
しかし彼女はこちらに振り向きもせず、ただ真っ正面に顔を向けたままだ。
「……着付けが面倒なんだぞ、これは」
そのセリフを聞いて、衣装を広げて困惑しているカティアの姿を想像した。
「ちゃんと着こなしているじゃないか」
「最初から、ラヴィが女性職員達に手伝いを頼んでくれた」
「ちゃんとお見通しだった訳か」
俺が笑うと、彼女は憮然として頷いた。
「髪も整えたんだな」
「それも、職員達がやってくれた」
初めて出会った時に比べると、彼女の髪はだいぶ伸びている。
普段はろくに手入れをしていない髪も、きれいにクシが通って艶やかだ。
軽くウェーブが掛かっている上に、薄化粧まで施されている。
「いい仕事をしてくれたじゃないか」
「他人事だと思って。ひどい目にあったんだぞ?」
恨めし気に横目で睨まれた。きっと職員達が、嬉々としていじり倒したに違いない。
「まあまあ。新鮮で良いと思うぞ」
「あれだけ耐え忍んだのに、その程度の感想なのか?」
ちょっとヘソを曲げたようだ。
そんな彼女も新鮮に思え、ご機嫌を取るのも苦にはならなかった。
「あ、カティア様! それにタヂカさんも!」
大通りを広場の方に歩いていたら、正面から来た二人の女性に声を掛けられた。
「あ、受付の」
そうそう、ギルドの受付嬢だ。名前は知らないけど。
軽く挨拶して通り過ぎようとしたら、二人はカティアにまとわりついた。
「カティア様、素敵なお召し物ですね!」
「お二人とも、今日はデートですか?」
「ああ、そんなところだ」
カティアの返事に、彼女達は黄色い歓声をあげる。
「わあ、うらやましいです!」「お似合いですよ、二人とも!」
そう真っ向から言われると、少々面映ゆい。
「お二人はこれからどちらへ?」
「広場に行ってみようかと」
俺が答えると、彼女は手を打ってはしゃいだ。
「いいですねえ! 色々と出し物もあるみたいですよ!」
なるほど、大道芸とかもあるのだろうか。
「…………いいなあ、今度わたし達も遊びに誘ってくださいね?」
「ああ、機会があったらね」
俺がそっけなく答えると、カティアがプッと吹き出した。
「わたしとデート中に、もう次の約束か?」
「え、いや、そういう訳じゃ」
ちょっと狼狽えたら、カティアはクスクスと笑う。
「君達も祭りを楽しむといい。でも、気を付けろよ?」
受付嬢達に微笑み、俺の肘を引き寄せる。
「こういう悪い男に引っかかるんじゃないぞ?」
「ちょっと待て! どういう意味だ!」
受付嬢達が、バツが悪そうな顔をした。
「えーと、お邪魔しました。よい一日を!」
そう言って、彼女達は逃げるように立ち去った。
「あんまり邪険にするなよ?」
カティアにたしなめられた。どうも態度に出ていたようだ。
「今日のカティアは、俺の独占だからな」
あまり他人に干渉されたくない気分だ。
「…存外、嫉妬深いんだな。分かった、注意しよう」
そうして俺達は、あらためて広場への道を歩き始めた。
▼▼▼▼▼▼
路地に駆け込んだ七番と八番は、裏通りに出て五番と合流した。
「カティア様の様子はどうだった?」
五番が尋ねると、七番と八番は苦しげな表情で胸を押さえる。
「罪悪感がハンパじゃない!」
「痛むよ! 良心がズキズキと!」
冒険者筆頭として、実力人望共に兼ね備えたカティア。
その地位に相応しい威厳を常に保ち、滅多に感情を露わにしない。
そんなカティアが、ごく自然に笑っていた。
一人の女性として、デートを楽しんでいたのだろう。
そんな彼女達を偵察し、あわよくばデートの邪魔をしようと目論む。
自分達の下劣な企みに、良心の呵責が耐えられなくなったようだ。
「ねえ、本当にこれ、続けるの?」
「もう止めましょうよ!」
彼女達が口々に言い募り、困った五番が頭を掻く。
「会長は暴走気味だしねえ。聞く耳持たないんじゃないかな」
「…………報告だけはしておこうか」
「…………お二人は、これから広場に向かうみたいよ」
とりあえず臨時司令部に戻ろうと、三人は裏通りを小走りに進む。
そして四つ角に近付いた時、ずりずりと何かを引きずる音を耳にした。
何となく足を止めた彼女達は、角から一人の少女が出て来るのを目にした。
ホウキを引きずる少女が、進路を塞ぐように足を止める。
少女は俯き加減のまま、横目で受付嬢達を睨んだ。
「げえっ!」
五番が驚愕の叫びをあげる。
「リリさん!?」
「リリ」「さん?」
動揺する五番と少女を見比べ、七番と八番は首を傾げる。
「お姉さん達、ここから先には行かせないよ?」
リリは、三人に向かって静かに告げる。
「えーと、ごめんね? わたし達、先を急いでいるから」
かかわらない方がいいと判断した八番が、そそくさと脇を通り抜けようとした。
「避けろっ!」
五番の警告に、八番が反応する。後ろに跳んだ彼女のスカートを、ホウキの一撃がかすめた。
「あぶなっ!? いきなりなにすんのよ!」
「その人はタヂカさんの関係者だよ!」
五番が叫び、仲間に注意を促す、
リリは正面に向き直ると、ホウキの柄で路面をトンと突いた。
「人のデートを邪魔したらダメだよ、お姉さん達」
情報が漏れていることに驚き、さらには年下に説教され、三人の受付嬢は赤面する。
むろん事情を詳しく知っていれば、お前が言うなと突っ込んだだろう。
自分を棚にあげている自覚があるのか、リリの頬もちょっと赤い。
「…………そこをどいてくれない、お嬢ちゃん?」
先ほどの一撃で、リリが武術をたしなんでいると悟ったのだろう。
七番と八番が腰を落とし、身構える。
「ケガをしたくなかったら、道をあけなさい」
彼女達の忠告に、リリはホウキを下段に構えて応える。
説得は無理と判断した七番と八番が、同時に走り出した。
リリの数歩手前で、左右に跳んで両脇から襲い掛かる。
八番の手刀をかわしたリリに、七番の蹴りが放たれる。
かろうじてホウキで受け止めたが、小柄なリリは後ろに押される。
掴み掛かろうする八番の手を、リリが腰を落として避けた。
靴底を滑らせて八番の脇を掻い潜り、ついでとばかりにその尻をホウキで叩いた。
小手調べを済ませ、距離を置いて対峙する受付嬢達とリリ。
受付嬢達の動きが予想外だったのか、リリの表情には驚きがある。
「お姉さん達、強いんだね」
「そりゃあ、冒険者なんて野蛮な連中を相手にする受付嬢だもん」
八番が、叩かれた尻を撫でながら説明する。
「あぶない奴らもいるから、それなりに鍛えておかないと」
「冒険者ギルドの受付嬢なんて、なっちゃだめよ? ご両親が心配するから」
拳を構えた七番が、どうでもいい忠告をする。
「それで、勝てないって分かった? なら、道をあけて?」
「…………どうしても、タヂカさん達の邪魔をするの?」
受付嬢達の表情が後ろめたそうになったが、返事はしない。
リリは大きく息を吸い、七番を見据えた。
「お肉」
断定するように呟くと、ついで八番に視線を移す。
「お野菜」
訝しげな表情になる受付嬢達。何故に食材?
リリは微笑み、手首をひねってホウキを回転させた。
次第に唸りをあげて回転するホウキと、微笑するリリ。
なにか尋常でない威圧感を覚えた七番と八番は、一歩後ずさった。
その瞬間、リリは弾けるように突撃した。
旋回しながら、次々と受付嬢達に襲い掛かるホウキの柄とブラシ。
上半身をのけ反らせてかわせば、前髪がなぶられるほどの風圧。
前後に挟み込もうが、旋風のような攻撃は近寄る隙さえ与えない。
リリは躍るようにステップを踏み、時には片手で、時には身体に滑らせてホウキを操る。
複雑な円運動の軌跡で相手を翻弄し、攻撃が上下左右いずれから来るのか、予測を困難にさせる。
受付嬢達は避けるだけで、精一杯だった。
「あのねーリリさんは日用生活殺法の俊英なのー」
離れた場所で観戦しながら、五番が他人事のように解説する。
「ホウキが唸って悪を掃く! 対戦相手は美味しく料理する!」
ちなみに五番も、日用生活殺法の門弟だ。
「荒ぶる看板娘リリ!って、呼ばれているのよー」
「「先にそれを言ってよ!!」」
怒鳴ったせいで、七番八番の呼吸が乱れた。リリはその隙を見逃さない。
ホウキを大きく振るい、握りを柄の端まで滑らせた。
スルッと伸びたホウキの間合いを、受付嬢達は測り損ねる。
まともに足払いをくらい、彼女達は脚を高々とあげて尻餅をついた。
「「ぎゃんっ!?」」
尾てい骨でも打ったのか、彼女達は倒れたまま痛みに悶えた。
「お姉さん達の仲間は、どこにいるの?」
ホウキを片手にずいっと迫るリリに呑まれ、受付嬢達は完全に委縮する。
「えーと、それはですね?」
五番は、七番八番の手を引っ張って立ち上がらせる。
ごにょごにょと二人に囁くと、彼女はリリに笑いかけた。
「内緒なので失礼しますっ!!」
いきなり三人は走り出し、来た道を駆け戻った。
「――ま、待ちなさい!」
虚をつかれて出遅れたリリが、慌てて後を追う。
ホウキを振りかざして迫る彼女を見て、受付嬢達は悲鳴をあげた。
「うわ、こっち来た! こわ! なんか怖い!」
「あれだね! 子供の頃、お母さんに追っ掛けられたのを思い出すね!」
「痛い! 走るとお尻が痛い!」
「あいつです! あいつが本命です! わたしは囮です!」
「仲間を売りやがった!?」
「後は任せるね! 先に行っているから!」
「止まりなさ――――い!」
受付嬢達はひたすら走り、四つ角で三方に散って逃げ出した。
「ああもう!」
リリは地団駄を踏んで悔しがり、空に向かって叫んだ。




