挿話の13 彼の考えた最強の
宿を出てからのタツは、とても上機嫌だった。
ふんふんと、調子の外れた鼻歌まで鳴らしている。
「…………ずいぶんとご機嫌ですね」
ちょっぴり皮肉を込めたが、タツには通じなかったみたいだ。
「いよいよ装備を新調するんだ、クリスも楽しみだろ?」
カティアさんとのデートの約束で、浮かれている訳ではないらしい。
――――色々と勘ぐってしまう自分が、嫌になってくる。
今日は私達三人で職人街の工房を訪れ、新しい装備について相談するのだ。
パーティーにとって重要な日なのに、士気が上がらない。
昨日、タツがカティアさんにデートを申し込んだ光景が、頭にこびり付いて離れない。
「それはなんなの?」
目的の工房への道すがら、フィーが尋ねる。
タツが手に持っている、紐で綴じた皮紙の束に興味津々だ。
「向こうに着いてからのお楽しみだよ」
タツははにかみながら、皮紙の束を背中に隠してしまった。
タツに付きまとうフィーは、昨日の失態を全然気にした様子がない。
コザクラちゃんに乗せられたとはいえ、加担した私達だって同罪だ。
それなのに、タツはコザクラちゃんだけを叱った。
一人にだけ泥を被せる格好になったことも、気が重い原因だった。
◆
「ちょっと風変わりな店ですね」
タツが選んだという工房は、とても色鮮やかな外観をしていた。
職人街は他所と比べ、区画全体が煤けた印象だ。その一角にありながら、目的の工房は壁が淡い黄色、玄関の扉が絡み合う蔓草の模様が彫刻された若草色だ。
風変わりというより、場所柄に合わない感じだ。
「工房は、顧客の技術的な要望に応える、いわば何でも屋なんだよ」
そう切り出して、タツは説明してくれた。
特殊な知識と経験が必要な作業は、専門の職人に依頼する。
それらの技術を統合して作品を完成させるのが、工房である。
興味を覚える仕事なら、芸術関係の仕事だって請け負う。
「だから見栄えにも気を使っているんじゃないかな」
「なるほど」
タツの説明はよく分らなかったけど、何かすごそうだ。
私が納得している間に、タツは工房の扉を開いて中に入った。
「ごめんくださーい」
「あいよ、ちょっと待っとくれ!」
威勢のいい返事と共に奥から現れたのは、年の頃なら三十代後半。
袖をまくってむき出しになった、太い二の腕。
革の前掛けを外すと、たくましい胸が現れる。
タツよりも上背があり、正面に立たれるとちょっと見上げる感じになる。
焼けた肌に白い歯が映え、目は切れ長で眉はやや太い。
とても豪快な印象の――――女の人ですよまったく。
「客かい?」
「はい、ヨシタツ・タヂカと申します」
「ああ、冒険者ギルドからの紹介だね」
まあ座りなよと、丸テーブルの席を進められた。
玄関に通じたこの部屋で、接客するようだ。
廊下の奥が仕事場なんだろう。普通の店舗のように、商品は陳列していない。
壁側は一面の棚で、本や台帳や丸めた皮紙が無造作に押し込まれている。
「すまないね、いま亭主が外出していて、香茶の用意が出来ないんだよ」
「いえ、お構いなく」
「――――これでいいかな?」
女の人はボソッと呟き、棚の奥をひっかきまわして酒の瓶を取り出した。
「まだ日も高いので、遠慮しておきます」
「そうかい? ああ、わたしはアメリアだよ」
「こちらがフィフィアにクリサリス。パーティーメンバーです」
「ふうん?」
アメリアさんがちらりと、私達の隷属の首輪を見たが、何も言わなかった。
「それじゃあ、挨拶も済んだし、ここからはざっくばらんにいこうか」
「――――ああ、そうだね」
タツを挟んで私達は両隣に座り、アメリアさんは正面にどっかりと腰を下ろした。
「ギルドからの話によると、防具を新調したいらしいね?」
「ああ、必要な装備があれば、全部更新したい」
タツが具体的な予算をあげ、素材として鎧蟻の甲殻を用意してあることを告げた。
するとアメリアさんが、軽く眉をひそめた。
「鎧蟻の甲殻は軽くて丈夫で、防具の素材としては優れてはいるけどね。加工に手間が掛かるし、防具に使える部位というのも案外少ないんだよ。おまけに破損したら修復できないから、部品を丸ごと交換しなくちゃいけない金食い虫だ。そんな訳で、甲殻装備は実際に戦う必要のない貴族が着るもんなんだよ。ほら、軽いから鍛えてないボンボンでも負担にならないし、高価だから見栄も張れるから。」
彼女はタツの装備を眺め、気の毒そうに告げる。タツの装備はあまり高額なものではないし、懐具合を心配されたのだろう。
「悪いことは言わないから、手持ちの甲殻は売りに出して、予算に加えておきな。手頃な価格で防具を整えてやるからさ」
タツは腕を組んで、うーんと考え込む。
「もし足が出るようなら、代金の代わりに甲殻を提供するのはダメか?」
「そりゃ構わないけど。二、三体分ぐらいじゃ無理があるよ?」
忠告を聞かないタツに、アメリアさんは呆れたようだ。
「鎧蟻の女王と近衛一二体丸ごとだから…………普通の鎧蟻に換算すると一〇〇体以上?」
タツの答えに、彼女は口をあんぐりと開けた。
「…………修繕用や、代金の補てん分には、十分過ぎるほどだね」
アメリアさんは若干ぐったりしている。巨大な女王の甲殻の話に、だいぶ驚いたみたいだ。
「なら、とっとと防具の希望を聞こうじゃないのさ」
「…………実は、防具の試案を描いてみたんだ。もちろん素人考えだから、使い物になるとは思えないけど。まずはこれを叩き台にしてみないか?」
そう言いながら、タツは恥ずかしそうに皮紙の閉じ紐を解いていく。
「元々、クリスに着てもらおうと考えたんだ」
タツの言葉に、胸がキュウっとなった。私のために?
「これなんだけど」
タツは皮紙を一枚一枚、テーブルの上に広げていった。
どの皮紙も何度も書き直してあって、表面がだいぶ汚れている。でもその分、情熱が伝わる。
タツの考えた鎧が、正面、横、後ろから描かれている。分解された部品まで描いてある。
そして最後の一枚は、たぶん私が鎧を着た姿なのだろう。
剣と盾を持つ鎧姿を、斜め下から描いた絵だ。私達は息を呑み、その絵を見詰めた。
やがてフィーが、ぽつりと呟いた。
「――――魔物?」
そこに描かれているのは、どう見ても二本足で直立するヒト形の鎧蟻だ。
全身をくまなく覆う、黒い甲殻。
面貌には鎧蟻の顎をはめ込み、猛々しさを強調している。
ヒザやヒジ、背中や肩、頭部など。全身のあちこちから、攻撃的な突起物が生えている。
未知の魔物、あるいは神話の時代の魔人を思わせる異形だった。
見るもおぞましい禍々しさが、その絵から瘴気となって立ち昇っている。
もしこの防具を着て街の外に出たら、冒険者に魔物として討伐されるだろう。
街の中に入ったら、住民から騎士団に通報されるに違いない。
異形の怪物が魔物を踏みつけ、天に向かって剣をかざして咆哮している。
その絵を見ながら、私は胸の内で呟いた。
ねえタツ。あなたは私に、こんなものを着せようとしたの?
あなたから見た私の印象って、こんな感じなの?
「どうかな、大した出来栄えじゃないけど」
言葉は謙虚で控えめだけど、私には分かる。
タツは自信満々だ!
得意げな表情を無理に引き締めているが、鼻の穴がちょっと広がっている。
ああ、そうなんだ。タツに悪気なんて全然ないんだ。
「クリスはどう思う。正直な意見を教えてほしい」
「え!? えーと」
なんで私に振るんですか! 輝くタツの瞳を見て、言葉に詰まる。
分かる、タツがどんな言葉を求めているのか。それを私の口から言わせたいのだ。
でも、それを口に出したら――――
「――――かっこいいです」
言ってしまった!? ダメだと分っていたのに!
ああでも、タツがすごい嬉しそう。こんな無邪気な笑顔のタツ、見たことがない。
「そう? いやあ、女の子にもこれの良さが分ってもらえるとは思わなかった」
「ええまあなんとなく…………」
「あっ! もしかして、これを着てみたくなった?」
ほら、やっぱりそう言うと思った!
フィーに視線で助けを求めたが、顔を背けられてしまった。
もし嫌だと言ったら、どうなるのだろう?
きっとガッカリするに違いない。私だって、後ろめたい気持ちになるだろう。タツの瞳に見詰められると、考えが空回りしてくる。タツを喜ばせてあげられる、滅多にない機会なんだ。だったらもう、いいんじゃないかな? たぶんきっとなんとかなる。タツがよろこんでくれれば、もうそれでイイヤ。だっテせっかくワタシのために、タツガカンガエテクレタンダモノ――――
「話にならないね」
アメリアさんが、怪物の絵をクシャクシャと丸めた。
「あああああああ!」
タツの悲鳴で、自分を取り戻す。ドキドキする胸を押え、焦りまくった。
いまのは危なかった! 危うく流されて、魔物の仲間入りをするところだった!
「なんてことすんだよ」
涙目になったタツが、丸められた皮紙を必死になって引き伸ばす。
「防具を舐めてんじゃないよ! なんだいこの全身に生えたトゲトゲは!」
「…………防御と攻撃を兼ね備えた…………」
「動きづらいに決まっているだろ! 例えばここ! このまま肩を上げたら、ここのトゲが頬に刺さるよ!しゃがんだら腹にトゲが刺さる! あと荷物はどうやって背負うんだい!」
魔物と戦う前に、勝手に自滅しそうな防具だった。
ちょっと気落ちしたタツだけど、すぐに気持ちを切り替えて皆と話し合いを始めた。
「いま装備している防具を土台に、徐々に甲殻と取り換えていこう」
タツは、次々と案を述べる。この場での思い付きだとは思えない。
きっとこの日のために、普段から色々と考え抜いていたのだろう。
「まず胸部かな。甲殻を取り付けたら下級魔物の討伐をして、不具合がないか確かめよう。問題がなければ、次の部分を交換しよう」
「なんだか面倒そうね」
フィーが不平めいた言葉を漏らす。
「完成品を待っていたら、時間が掛かるからね。安全性を高めるのは、早いほどいい」
とても慎重で、現実的な考え方だと思う。
そんな人がどうしてあんな怪物鎧を思いつくのか、不思議でしょうがない。
「クリスは気になることはない?」
それにタツは、一人決めしたりもしない。こちらの意見も常に確認してくる。
「そうですね。防具の重さの分だけ、足元が滑りやすくならないか心配です」
「俺も前から思っていたんだけど、靴底にスパイクを取り付けてみよう。踏み込みが強くなって、剣の威力が増すかもしれない。爪先も甲殻で補強したらどうだろうか」
「スパイクってなんですか?」
そんな感じで、改造案を次々と持ち出す。その目はまるで、戦いに臨むように真剣だ。
いえ、たぶん今、タツの脳裏では実際に、魔物との戦いを繰り広げているんだ。
そうして問題点を洗い出し、どうすれば安全につながるか、懸命に思案している。
「首の急所を守るような襟を付けられるか」
タツがアメリアさんに尋ねるのを聞いて、ちょっと疑問に思う。
「そこまで必要でしょうか?」
「魔物は急所を狙ってくる。首筋は、人間にとって重大な弱点だ」
「邪魔になりそうな気がするけど」
「もしどうしても動きが阻害されるなら、後で取り除けばいいから」
タツが妙にこだわる。確かに魔物のツメを防ぐのに効果的だろう。
そうやってどんどん話が進んで、時間もだいぶ過ぎた。
「一旦ここまでにしておこうや。図面を起こしてみるから、また話し合おう」
手帳を閉じたアメリアさんが立ち上がり、戸棚からまた酒の瓶を取り出す。
「そういう訳だから、一杯付き合いな?」
返事を待たずにテーブルにカップを並べて注ぎ、自分の分を目の前に掲げてみせる。
「それじゃあ、良い仕事になることを祈って――――」
「あ――――! お母さんお酒のんでる!」
突然、室内に甲高い声が響くと、アメリアさんの顔が渋くなる。
「まずいのに見つかっちまった」
奥に続く廊下から、こちらを覗く小さな女の子がいた。
「おとーさんと約束したでしょ! 昼間はのまないって! おとーさんに言いつけるからね!」
「あれ、マリアちゃん?」
女の子の顔を見て、タツが声をあげる。知り合い? どこかで見覚えがあるけど。
「あ、おじさん!」
マリアちゃんが駆け寄ると、タツが優しく頭を撫でる。
「なんだい、うちの娘を知っているのかい?」
「ああ。という事はあなた、ギザールさんの娘さん?」
「なんだ、クソ親父の知り合いかい」
「そりゃ、冒険者の端くれだから」
嫌そうな顔をするアメリアさんに、タツが苦笑を浮かべる。
ああ、そうだ。武術大会に出ていた元冒険者最強、ギザールさんの孫娘だ。
「おじさんおじさん、どうしてウチに来たの?」
「きみのお母さんに仕事を頼みに来たんだよ」
子供に優しいタツが、目線を合わせて答える。
それからはもう、タツはマリアちゃんが遊びっ放しだ。
ご両親が忙しいせいか、あるいは子供の遊びに付き合ってくれる大人が珍しいのか。
とにかくマリアちゃんは、タツに懐いたみたいだ。
二人はいま、部屋の隅でおままごとをしている。
マリアちゃんと楽しそうに遊んでいるタツを眺めながら、私は改めて悟った。
タツはやっぱり、私とフィーを大切に思ってくれている。
だからこそ、先ほどの話し合いでは、あんなにも真剣だったのだ。
私達の安全を思えばこそ、妥協を許さない。その気持ちが、はっきりと伝わってきた。
タツはちょっと、迷惑な人だと思う。
他の女の人と付き合って心細くさせたかと思えば、そうやって私の心を満たしたりする。
彼のせいで、私の気持ちはいつも振り回されてしまうのだ。
◆
アメリアさんの工房を辞した後、タツはそっと耳打ちしてきた。
「クリス、心配しないでいいよ?」
胸の内のもやもやが顔に出てしまったのだろうか。そう思って狼狽えたら――――
「あの鎧は、いつか完成させて君に贈るから」
――――誰でもいいです、どうかタツを止めて下さい。お願いします。
私は全身全霊で、祈りを捧げた。




