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「だからあの娘、あんなキツイ目で睨んでいたんだね!」
腹をよじって笑うラヴィ。他人事だと思って、ほんとにもう楽しそうである。
バシバシと、背中を叩かれた。痛いよこんちくしょう。
結局、キアラちゃんの誤解を解くことは出来なかった。
彼女は素っ気なく会釈して、取り付く島もなく立ち去ってしまった。
「誤解を解く手伝いをしてくれたっていいじゃないか」
「事情を知らないんだから、しょうがないでしょ」
俺の文句に対して、ラヴィは意外なことを言った。
「えっ? 全部御見通しだったんじゃないのか?」
だからクリスの言葉に、耳を貸さなかったのだと思ったのだ。
「あんなに怪しい態度じゃ、子供だって騙せないよ」
ラヴィはくすくすと笑った。
「あの子、ハッタリ掛けたら、すぐにボロを出しちゃったね」
現場検証のパフォーマンスをしたら、根が正直なクリスは動揺してしまった。
それで俺が罠に嵌められたと見抜いた訳か。
「意外と頭使っているんだな」
「意外って何よ!」
「ほら兄弟子達って、普段から剣を振り回して高笑いしているだろ?」
「してないよ!? わたしらをなんだと思っているのよ!」
「いや、そういう印象が強いんだ。だからあんまり頭脳派には見えなくて」
「失敬だね! そもそもあいつらと一緒にしないでよ!」
そうは言ってもなあ。彼女が鎧蟻の群れを相手に、兄弟子達と楽しそうに暴れ回っていた姿を、今でも鮮明に憶えているからなあ。
「それで、クリスに何を吹き込まれたんだ?」
機嫌を損ねたラヴィは鼻を鳴らしたが、それでも律儀に答えてくれる。
「婿ちゃんは、女の子だったら誰にでも優しいとか何とか、そんなことを言っていたね」
「うん、それほどでも」
「照れなくてもいいよ。たぶん誉め言葉じゃないから」
「男は優しくなくては、生きている価値がないんだよ」
「まあ、それはどうでもいいけど」
いや、ちゃんと聞いてよ。ちょっとハードボイルドしたのに。
「結局、何をしたかったんだろうね?」
俺とラヴィは、一緒になって首をひねった。
◆
靴屋に行くと、品物は既に用意されていた。あらかじめラヴィが注文していたらしい。
赤く染められた、房飾りのついた靴は、なかなかおしゃれなデザインだと思う。
ラヴィも出来栄えに満足し、俺が支払いを終えると店を出た。
また店員に化けて来るかと思ったが、違ったようだ。
ならば店を出た直後が狙いかと思ったが、何も異変は起きない。
神経の休まる暇がない。相手に主導権を取られっ放しである。
ならば、こちらから誘ってやる。そう思った。
休憩しようと、ラヴィをカフェに誘った。
ウェイトレスさんに、香茶を二つ頼む。
来るなら来い、リリちゃん。順番的に、最後は彼女だろう。何となくそんな気がする。
そしてリリちゃんが相手ならば、上手いことあしらって丸め込む自信がある。
「ちょっと手洗いにいってくる」
ラヴィは堂々と告げ、席を立った。彼女みたいに気性のさっぱりした女性は気疲れしなくていい。
さて、今の俺は一人きりだ。仕掛けてくるとしたら、絶好の機会である。
目を瞑り、神経を集中させる。背後から近付いてくる足音に、耳を澄ませた。
「お」
「ごめんなさい!」
俺は即座に起立し、反転しながら頭を下げた。
そう、これが俺の秘策。リリちゃんと遭遇した瞬間、身も世もなく憐れみを乞うのだ。
彼女は怒りっぽい面もあるが、それにも増して人が好くて優しい娘である。
そこに付け込めば勝機があるはず。そんな大人の悪知恵を働かせたのだ。
そして事情を聞ければ、コザクラの企みを暴くことが出来るだろう。
「――――またせしました?」
予想していた声と違う。恐る恐る顔を上げると、ウェイトレスさんが目を丸くしていた。
ターンして席につき、テーブルに肘を掛けて足を組む。
「ああ、ありがとう」
フェイントか。やるねリリちゃん。
ならば会計の時だろうか。金貨一枚ですと、冗談抜きで言われそうだ。
ウェイトレスさんが、顔を引き攣らせながら注文の品を置く。
ラヴィの席には香茶のカップ、俺の席には大ぶりのタンブラー?
「あれ? これ頼んだものじゃないよ?」
「それはその、本日一〇〇人目の男性客へのサービスです?」
なんだそれ? 俺はタンブラーを覗き込んだ。
行く先々で、なぜ障害が待ち構えていたのか理解した。
服飾屋の女店主、パン屋の娘、カフェのウェイトレス。
コザクラに関連した女性達と言えば、思い浮かぶのが日用生活殺法である。
女性に人気の護身術道場だが、門弟同士の連帯には侮れないものがある。
そして彼女達を統括するのが、道場目代であるコザクラなのだ。
「お待たせ。あ、もう来たんだ」
戻って来たラヴィの声も耳に入らない。
俺は震える手で、タンブラーを掴む。厳選された素材をうかがわせる乳白色。
鼻孔を刺激する、野趣溢れる臭い。口に含めば、口内粘膜に蔓延する深い味わい。
嫌悪感を増すために計算されたような、人肌の生ぬるさ。
丁寧に裏ごしされてドロリとした液体が、喉を滑り落ちて胃の腑まで汚染する。
白アスパ ジュース。
この世の悪意と絶望を凝縮したような、その濃厚な味に思わず咳き込んだ。
「ちょ、ちょっと! どうしたの」
「…………大事ない」
「あるよ! 鼻から白い汁が垂れてるよ!」
ズズッと鼻を啜ったら、ラヴィが椅子ごと後ろに引いた。
一滴も残す訳にはいかない。リリちゃんはどこかで、こちらの一挙手一投足を監視しているはずだ。
俺には分かる。
このアスパジュースを作ったのは、間違いなく彼女である。
毒性ジュースでありながら、爽やかな香りのハーブが混ぜてある。
せめて匂いだけは良くしてあげよう、そんなリリちゃんらしい優しい心遣いが嗅ぎ取れる。
だが、残念なこと、余計な優しさだった。変な相乗効果か、何か生臭い気がする!
最後の一滴まで飲み干すと、俺は力尽きてテーブルに突っ伏した。
◆
帰りに服屋に寄り、寸法を直してもらった服を受け取った。
嬉しそうに荷物を抱えるラヴィを見て、俺は密かに達成感を味わっていた。
いろいろあったが、どうやら任務完了である。
「荷物、持とうか?」
「いいんだよ、自分で持つから」
彼女は、ぎゅっと荷物を抱きしめる。
「ありがとうね、ヨシタツ」
満面の笑顔で礼を言われ、つい照れてしまう。
「あれ? いま――――」
「あ、姐御!」
道の向こうから、カティアが歩いてくる。
彼女に駆け寄ろうとするラヴィの腕を、掴んで引き止めた。
「ヨシタツ?」
カティアの隣には、コザクラがいた。
ニコニコと無邪気な笑顔の少女を見て、思わず身構えた。
俺達の前に立つと、カティアが先に口を開いた。
「二人で買い物か?」
「はい、そうなんです!」
ラヴィが答える。彼女の全身から、喜びの感情が溢れている。
カティアに会えた、カティアに声を掛けてもらった。
そんな些細なことが、彼女に幸せをもたらしている。
兄弟子である八高弟は皆、カティアに心服しているが、それぞれに色合いが違う。
その中でもラヴィは、カティアに対して少女のような憧れを持っている気がする。
「デートは楽しかったのですか?」
「ああ、楽しかったぞ」
笑顔で尋ねるコザクラに、警戒心を解かないまま答えた。
「――――えっ?」
ラヴィの顔に、戸惑いが浮かんだ。
「そうか、ちゃんとエスコートしたんだろうな」
「任せろ、上出来だったぞ」
カティアの問い掛けに、自信満々に答える。
「え? え?」
ラヴィが挙動不審になる。俺とカティアの間に、せわしなく視線を往復させる。
そんな彼女を訝しく思いながら、カティアとコザクラが連れ立っている理由を尋ねる。
「カティアは、こんなのを連れてどこに行くんだ?」
「こんなのはひどいのです!」
「そこでばったり会ってな。メシを奢ってくれと言われた」
「人様にたかるんじゃない! カティアも甘やかすな!」
コザクラの襟首を掴んで、カティアから引き離す。
「パンの配達も頼んだだろ! 夕食を残したらシルビアさんに叱られるぞ!」
「それは困るのです!」
「では、また今度の機会だな」
そう言うと、カティアはラヴィに手を伸ばした。
「楽しんでおいで」
優しい手付きでポンと頭を叩かれ、ラヴィが呆けた。
立ち去るカティアの背中を、言葉なく見送る。
やがて我を取り戻したラヴィが、油の切れた機械のように首をこちらに回した。
「デート?」
「――――ああ。今日のことで口を滑らせた時、そう言って煙に巻いたんだった」
夕べはとっさの機転が利かず、ついそんな事を口走ってしまったな。
「大丈夫、上手く誤魔化せたから」
「それだよっ!」
ダンッ、ラヴィが地面を勢いよく踏んだ。
「デート違うでしょ! 誤魔化せてないよ全然! 問題だらけだよ! ああもうっ!!」
ひとしきり罵ると、ラヴィはカティアを追って駆け出した。
「…………デート、じゃなかったの?」
「カティアにプレゼントするから、金を出してくれと言われたんだ」
背後からの声に答える。まあこっちは、すっかりデートのつもりになっていたけど。
追いついたラヴィが、カティアの前に回って懸命に何かを訴えている。
その顔は、ほとんど泣きそうなぐらい必死な表情だ。
「絶対に内緒にしろと言われたから、黙っていたんだけど」
「それでデートだと言ったの? でもどうして、タツがお金を出すのよ」
「クリスの件の謝礼だよ」
「私の!?」
「うん、ほら、ラヴィにクリスの稽古をつけてもらっただろ? あれのお礼」
「そ、そうだったのですか」
ラヴィが服と靴の包みを渡そうとしているが、カティアは受け取ろうとしない。
どうやら上手くいっていないようだ。
「さて、と」
俺はくるりと後ろに向き直る。。
いつの間に寄って来たのか、リリちゃんを真ん中に、クリスとフィーが立っている。
三人とも身の置き所がない様子で、モジモジしている。
「いったいきみ達は、何がしたかったんだ?」
「「「ごめんなさい!」」」
クリス、フィー、リリちゃんが、声を揃えて謝る。
どうやら深く反省しているようだ。ただ何を反省しているのか、はっきりしてほしい。
「ほら、怒ってないから、ちゃんと説明して?」
「あれで怒っていないヨシタツは、ちょっとおかしいのです」
掴んでいた襟を無剣流で持ち上げ、コザクラを目の前にぶら下げる。
「どうせお前が黒幕なんだろ?」
「言い掛かりも、はなはだしいのです!」
ジタバタあがくコザクラ。
「だって、リリちゃんとクリスとフィーが、悪いことをするはずがないだろ?」
基本的に良い娘達なのである。そうなると必然的に、コザクラが元凶に違いない。
「「「ごめんなさい! もう二度としません!」」」
三人が、再び謝罪する。素直に謝れる彼女達は、やっぱり偉い。
「あたしはちゃんと止めたのです!」
「「「えっ!?」」」
三人が、驚きの声をあげる。うわ、こっちは往生際が悪すぎる。
「ヨシタツを信じるように、忠告もしたのです!」
「「「えええっ!!」」」
今度は非難がましい大合唱だ。
二、三度揺さぶると、諦めた彼女はぶらんと手足を垂らす。
「リリちゃんとお姉さま方は、勘違いしたのです」
「勘違い? 何を勘違いしたんだ」
「女房が妬くほど、亭主はもてたりしないのです」
「うん?」
「――――だから」
三人が突然、怒涛のごとく襲ってきた。
コザクラを奪い取ると三人がかりで押え込み、口を塞いでしまった。鼻まで塞ぐと窒息するよ?
一方で、カティアとラヴィの話し合いもついたようだ。
ラヴィが手招きするので、そちらに向かう。
コザクラを抱えた三人も、ぞろぞろとついて来る。
「これは、受け取れない」
カティアは、ラヴィが持っている服と靴の包みを指し示す。
「でも、ラヴィと俺の気持ちだから、受け取ってくれよ」
「せっかくだが、貰う理由がない。気持ちだけは、受け取っておくよ」
どうも話が通じない。俺はラヴィを見た。
「あれ、まだ話してないの?」
ラヴィはプルプルと首を振る。ちょっと目が赤く潤んでいる。
「それを着て、付き合ってほしいんだ」
意味が通じないのか、カティアは首を傾げた。
そんな彼女を見据え、身体の重心を下げる。足を開き、動きやすい姿勢にする。
戦闘態勢を整えると、尋常ではない緊張感に息苦しさを覚える。
ラヴィとの約束は二つだ。
一つは、カティアへのプレゼントを購入すること。
「俺と、デートしてくれ」
二つ目の約束と同時に、瞬息スキルを発動した。
バシンッ、肉を打つ音が響いた。
顔面を狙った拳の一撃を、手のひらが受け止めた音だ。
カティアの放った右ストレートは鞭のように鋭く、そしてハンマーのように重かった。
顔をかばった手のひらが、ズキズキと痛む。骨折してないだろうな?
「あ、姐御の一撃を見切った!?」
ラヴィの驚愕の叫び。だが、本当に驚くべきはカティアの方だ。
カティアの反応は予想通りだった。デートを申し込めば、彼女は必ず殴りかかってくる。
そのように確信していた俺は、最初から防御態勢で臨んだ。
――最初に出会った時、タコ殴りにされた俺ではない。
――可愛いと誉めたら、意識を刈り取られた俺ではない。
今度こそ、最後まで二本の足で立ってやる。その決意でデートを申し込んだのだ。
なのに、瞬息スキルがあっさり破られた。
反射神経と身体の動きを異常加速させるスキル。
使い勝手は異常に悪いが、最終局面での切り札ともいえるスキル。
このスキルなら、極短時間だが、カティアをもしのげると思っていた。
しかし彼女は、加速された俺の時間流に入り、パンチを放ってきた。
それだけではない。瞬息の行動回数四回分は、その一発を受けただけで消費させられた。
瞬息を強制解除させられた俺は、ダラダラと冷や汗を流す。
冒険者筆頭の底知れなさを改めて思い知るのと同時に、こんなことを思った。
そんなに俺とデートするのがイヤなのかよ!
カティアが笑った。やるじゃないか。
そんな胸中の呟きが聞こえそうな、不敵な笑みだ。
「いいだろう、受けて立ってやる」
彼女はそう言うと、ラヴィから荷物を受け取った。
「三日後の朝、冒険者ギルドで待っていろ。逃げるなよ?」
そう言い残し、彼女はスタスタと立ち去った。
――――――――――――あれ?
俺、ちゃんとデートって言ったよな?
間違って、決闘とか申し込んでないよな?




