痛み分け
狐につままれたような気分で店を出た。
服選びも終わり、いざ会計となった時には、店内にフィーの姿はなかった。
ラヴィに事の次第を話そうにも、どう説明すれば良いのか分からない。
「寸法直しを大急ぎで頼んだから、後でまた寄ろう」
ラヴィは上機嫌だ。彼女が選んだ服は、刺繍で縁を飾ったワンピースである。
「悪いね、高いものを買わせてさ」
「大したことないよ」
生地は肌触りの良い高級品っぽいし、縫製もしっかりしている気がした。彼女に似合いそうだし、値段の割には良い品だと言える。
うん、ぜんぜん大したことはないよ。
「ええと、次はどこに行く?」
「靴屋だね、そんなに遠くないから」
…………靴屋か。大丈夫だろうか、すごい不安だ。もしや今度は――――
「師匠師匠たいへんです――――!」
「出タ――――――――!?」
クリスが現れた! 大声で叫びながら、こちらに駆け寄ってくる。
「師匠、たいへんです、ちょっとこっちにきてください!」
「え、ちょ、ちょっと?」
自分の弟子の唐突な出現に、ラヴィが戸惑う。
「たいへんなんです、とにかくこっちにきてください、さあいそいで!」
台詞は棒読みなのに必死な様子で、ラヴィも無下には出来ないみたいだ。
あからさまに怪しいクリスに手を引かれ、脇の路地に入り込んでしまった。
「あれ、もしかしてリリちゃんちのお客様? 確かタヂカさん、でしたよね?」
一人ぽつねんと佇んでいたら、通り掛かりの少女に声を掛けられた。
「キアラちゃん?」
驚いて顔を見合わせる。リリちゃんの友人で、パン屋の娘さんだ。
人気のある看板娘らしいが、改めて見直すと納得できる。リリちゃんに負けない可愛さなので、将来はきっと別嬪さんになるだろう。
「先日はきちんとご挨拶をせず、失礼しました」
彼女がぺこりと頭を下げると、一本に編んだ銀髪が、肩から前に垂れた。
「いえいえこちらこそ、あの時はお邪魔しちゃったみたいで」
接客で慣れているせいか、とても折り目正しい娘さんだ。
「後日、リリちゃんにタヂカさんのことを、色々と伺いました」
どんな話を聞いたのやら。彼女が浮かべた悪戯っぽい笑みは、年相応のものだった。
「これからお出掛けかな」
彼女が提げている籠には布巾が掛けられ、その隙間から美味しそうなパンが覗いている。
「はい、これからリリちゃんの家に配達です。タヂカさんはお仕事、お休みですか?」
「うん、ちょっとデート中でね」
「え? リリちゃんとですか?」
キアラちゃんは目を丸く辺りをきょろきょろ見渡したので、笑って首を振った。
「今日は違うよ」
「……………………今日は?」
「うん、別の人とデートなんだ」
スッと、陽が陰ったような気がした。空を見上げたが、雲一つない良い天気である。
首筋がちょっと冷えた気がしたんだけど。
「そう言えば、リリちゃんとのデートはご無沙汰だったな」
前回、彼女とお出掛けしたのは、いつだったか。そもそもリリちゃんの場合はデートというより、食材の買い出しである。俺は荷物持ちを頼まれるだけだ。
リリちゃんは掃除に洗濯に料理にと、毎日頑張って働いている。元の世界では学生ぐらいの年齢なので、遊びたい盛りだろう。それが母親を手伝って宿の経営を支えている。
フィーの言葉にも一理ある。世話になっている彼女を、ねぎらう機会を設けるべきだ。
今度、リリちゃんを誘って遊びに行こう。
「ねえ、リリちゃんが喜びそうなお店とか知らないかな?」
友達のキアラちゃんなら、リリちゃんの好みとかに詳しいだろう、そう思ったのだ。
「いいえ、知りません」
キアラちゃんが、にべもなく答える。
なぜだろう、先ほどに比べ、雰囲気が硬くなったような気がする。
「知っていても、あなたには教えません」
「え、うん、そうなんだ」
目付きがこう、怖いというか?
そこで、ピンと来た。なるほど、ただの宿泊客である、三十路のくたびれたオヤジが、宿の看板娘のプライバシーを探ろうとしているのだ。
友人として警戒するのは当たり前である。そして、自分で言って切なくなってしまった。
これはリリちゃんから口添えしてもらい、誤解を解くしかないな。
「配達はいいの? リリちゃんが待っているんじゃない?」
取り敢えず、ここは無難にやり過ごすことにしよう。
「注文したのはリリちゃんじゃありません。コザクラ姉様が――――」
危険キーワードに意識が反応し、警戒感が反射的に跳ね上がる。
探査 発――――!
ガンと、鈍器で殴られたような衝撃。脳内で、苦痛レベルの騒音が暴発する。
馬鹿か俺は! 探査は妨害されていたんだ!
痛みにあえぎ、チカチカする両目を手で押さえる。
「あ、あの、どうかしたんですか?」
「「「すんません! おやっさん!!」」」
叫び声と共に、背後から駆け寄る複数の足音。
何事かと振り返るより先に、足元に木の箱が投じられた。大きさは書類箱ぐらいか。
俺達の脇を通り過ぎて走り去る、見覚えのある四人の後ろ姿を見送る。
最後尾を走っていた少年が、ちらりと振り返った。
リックの横顔は、困ったような申し訳なさそうな、何とも言い難い表情である。
「あの、落し物ですよ!」
「待て! 触るな!」
キアラちゃんが、不用意に箱を拾い上げようとする。間に合わない、そう判断して滑り込むように箱を蹴る。壁にぶつかった箱から、蓋が外れた。
中から無数の虫が溢れ出て、地面を駆けずりまわった。
それは、無毒で無害な節足動物である。
大きさは親指ほどで色はピンク、三葉虫みたいな形をしている。表皮は柔らかく、摘まむとプニプニとしている。動きはきわめて俊敏だ。
他愛のないイタズラに、拍子抜けしてしまった。
「きゃああああああああああああああああ!?」
キアラちゃんが、つんざくような悲鳴をあげた。
声に反応して虫達が四方八方に逃げ回ると、キアラちゃんはパニック状態になる。
「イヤイヤイヤアアアアッ!」
その原因とおぼしき虫から遠ざけるため、彼女のほっそりした身体を抱きかかえる。
足元に近寄って来る虫は、靴で軽く蹴り飛ばす。やがて駆けずり回る虫達が、側溝へと群れをなして逃げ込んだ。
瞬く間に、大量の虫は掻き消えてしまった。
「もう大丈夫だから、落ち着いて」
首っ玉にかじりつくキアラちゃんをなだめながら、理解した。
こちらの世界でのゴキブリなのだ、あの虫は。
なるほどなあ。以前、あの虫を捕まえたので、リリちゃんに見せびらかせて自慢したことがある。
そして烈火のごとく怒りだしたリリちゃんに、ホウキで虫ごと叩きのめされてしまったのだ。
いまその理由を、ようやく合点した。
「ほら、女の子の悲鳴ですよ。きっとタツの仕業です!」
路地の奥から、クリスの大きな声が近付いて来る。
「だから言ったではないですか師匠! 目を離したらタツは絶対に、よその女の子にちょっかいを掛けるだろうって!」
おいこらクリス! ラヴィに何を吹き込んでいるの!?
「ほらやっぱりっ――――て!?」
路地から跳び出したクリスが、こちらの姿を見て驚く。
「天下の往来で何をしているのですか!」
唇をわななかせ、震える指先をこちらに突き付けるクリス。
「…………通りすがりの女の子に、ちょっかいを掛けているんだよ」
開き直って言い返してやると、腕の中にいたキアラちゃんがジタバタと暴れ出した。
「は、放してください!」
もがく彼女を落とさないように、脇に手を入れてゆっくりと下ろす。
地面に足が着いたキアラちゃんは、落とした籠を急いで拾う。
彼女はかばうように自分の身体を抱きしめ、上目遣いでこちらを睨んだ。
じりじりと後ずさる彼女を見て、ようやく悟った――――まんまと罠にはめられたのだ。
クリスの後ろから、ラヴィが姿を現した。
冷や汗をかきながら、近寄るラヴィを見守る。まるで処刑を待つ罪人の気分だ。
ラヴィは、地面に四つん這いになった。
「し、師匠?」
クリスの戸惑いも無視し、ラヴィは舐めるように地面を見回す。
そしていきなり豹のように駆けた。鞭のように伸ばした手が、道の隅を掠める。
立ち上がった彼女の指先には、捕らわれた虫がびちびちと跳ねている。
「ふーん?」
次に地面に落ちた木の箱を爪先で小突き、最後にクリスを一瞥する。
クリスは息を呑み、一歩後ろに下がった。
ラヴィは虫をぽいっと投げ捨てると、歩いて俺の隣に立った。
「さあ、行きましょう?」
耳に触れるほどの近さで囁き、見せつけるように腕を絡ませる。
ラヴィがニヤリと笑い掛けると、クリスはプルプルと肩を震わせた。
ここで一つ、客観的かつ冷静に、今の状況を確認してみよう。
男にすり寄り、勝ち誇るように笑う女。
それを悔しげに睨む少女。
最悪、なんてものではない。事情を知らない人間が見たら、どんな風に見えるのか。
その答えは、すぐ傍にある。
キアラちゃんの眼差しが、ひどい。
彼女の中で、俺は最低な大人の男の代名詞になったらしい。
なまじ綺麗な娘だから、こちらが受けるダメージは半端ではない。
「………………タツのバカ!」
「俺かよっ!?」
とうとう涙目になったクリスが、脱兎のごとく走り去った。




