じゃみんぐ
つらつら考えてみるに、俺は問題がこじれると逃げ出してしまう癖があるような気がする。
大人として如何なものか、と反省しないわけでもない。だけど案外、それで上手く行く場合もあるのだ。今朝のように。
朝食は、和やかな雰囲気で始まった。
昨夜はクリスに押し付ける格好で逃げてしまったが、今朝は誰もそのことには触れない。
シルビアさんにリリちゃん、フィーが和気あいあいとお喋りしながら食事をする。
明るい空気にリラックスし、今日は良い一日になりそうな予感がした。
その時、ちょっとしたことに気が付き、プッと吹き出してしまった。
「クリス? ナイフとフォークの使い方が逆だよ?」
彼女はナイフで燻製肉を押え、一生懸命フォークで切ろうとしていた。
ピタッと、声が止んだ。
クリスの手が震え、ガチャガチャと食器を打ち鳴らす。
動揺するクリスへ、昆虫のように無機質な視線が集中する。
「あの、みんな? いったいどうし――――」
「もうクリスったら、オッチョコチョイなんだから!」
フィーが笑いながら、隣のクリスを小突く。
「ほら、お代りはいかが?」
「は、ハヒ!? い、いただきましゅ!」
シルビアさんがおかずを差し出せば、しゃちほこばって受け取るクリス。
その光景を楽しそうに見据えるリリちゃん。
一瞬、奇妙な違和感を覚えたのは気のせいだったらしい。
食事を終えた俺は、身支度を整えてから宿を出る。
見送りには、誰も来なかった。
◆
街に出た俺は幾つかの用足しを済ませ、モーリーの所に寄った。
特に話題もなく、ただお茶を喫するだけだった。
彼女の許を辞した後は、何軒かの工房を冷やかして歩く。
装備の新調を依頼する工房の下見である。
新しく作る装備には、ギルドに預けてある鎧蟻の素材をメインに使う予定だ。軽くて丈夫なので素材としては申し分ないのだが、加工できる職人が少ないと言う事情がある。
様々な材料を自ら加工して装備を制作する工匠は多いが、鎧蟻の素材まで手掛けられるものは稀らしい。
そのような事情から、個人経営の工匠ではなく、工房に依頼しようと思っている。
工房は、材料の加工は専門の職人に任せ、各部のパーツを組み合わせて装備を製作する。
工匠が作る装備が、精魂傾けた逸品だとする。それに対して工房が作る装備は、受注生産品という感じだろうか。どちらを採るかは、冒険者の好みによって分かれるらしい。
先日、信頼と実績のある工房について、セレスに相談した。
彼女が幾つか候補を挙げてくれたので、さらに追加の希望を述べてみた。
「できたら、女性が経営する工房が良い」
セレスに、すっごく冷たい目で睨まれた。
誤解である。もしくは勘違いだ。もちろん、優先すべきは工房の技術力である。しかし、うら若い乙女であるクリス達が、採寸の時にむくつけき親父に触れられたり、肌着をさらすのは避けたいと、言いたいのである。
「そういう気遣いだからね?」
「はあ、そうですか。なるほど、上手い言い訳ですね?」
まったく信じてもらえなかった。他の受付嬢達も、ニヤニヤと笑いながらこちらを見ている。一人の受付嬢などは、あからさまに蔑んだ態度で鼻を鳴らした。
ギルドの女性職員に、いまだ誤解が残っているようだ。
だからと言って、へそを曲げても問題は解決はしない。誤解を解くため前向きに努力し、一人一人に対して誠実に接していくしかないのだ。
ちなみに、誠実さを示すのに、お菓子の差し入れが効果的なのは実証済みである。
そんな感じで勧められた工房を軒先から覗き込んでいたら、時刻が頃合いになった。
俺は中央広場へと赴いた。
◆
「お待たせ、婿ちゃん!」
「待ったよ」
待ち合わせの時間は昼前だったはずだ。
なのにお天道様は、とっくに中天を過ぎているのだ。
しかしラヴィはまったく悪びれず、肩を竦めた。
「ダメだねえ婿ちゃん、ガッカリだよ」
俺もいま来たところだよ。そういう定番の台詞を吐けと、言いたいのだろう。
しかし俺は、約束の時刻よりもだいぶ早く来たのだ。ずっとベンチに座りっぱなしで尻が痛い。文句を言ってもバチは当たらないはずだ。
「やれやれ、噂ほどにもない。まるで女の扱いがなっていないね」
ラヴィは右手を当てた腰をクイッとひねり、左手をかざしてポーズをとる。
「今日はあたしが女の扱いとデートの何たるかを、手ほどきしてあげるから」
「そりゃどうも」
どっこいしょとベンチから腰を上げて、肘を差し出した。
「なによ?」
俺が待っていると、ラヴィは首をひねる。
「手ほどきをしてくれるんだろ? 肘に手を掛けてくれないとエスコートできないぞ?」
沈黙が舞い降りた。
ほら早くと肘を揺すって促すと、ラヴィは厳かに告げた。
「それは上級編。まずは初心者講習から始めよう」
「そ、そうか」
腕を引っ込めてから、おそるおそるお伺いを立てる。
「すると手をつなぐのも早いか」
「一〇年早いね」
俺が四〇にならないと手もつなげないのか!?
見かけによらずと言っては失礼だが、意外と貞淑な女性なのか?
「じゃあとりあえず、昼飯でも食いに行くか?」
「そうだね、お勧めの店があるから、そこに行こう」
「ああ、任せる」
とりあえず彼女とは、肩を並べて歩くところから始めた。
◆
「やっぱり任せられん」
店に入ろうとするラヴィの襟首をつかんだ。
「ちょっと! なにすんのよ!」
「真っ昼間から飲み屋に入ろうとするな」
うらぶれた通りにある飲み屋で、少なくともデートに立ち寄る店じゃない。
「ここはけっこう、ウマイもんを食わせる店なんだってば!」
「それは酒のツマミだ。ほら、こっちだよ」
渋るラヴィを引き連れて表通りに戻ると、瀟洒な感じのカフェに入る。
席に座ったラヴィは、ふくれっ面でそっぽを向いている。
「我慢してくれよ、デートでの食事はこういう店が定番なんだから」
俺は苦笑して ウェイトレスさんにランチメニューっぽいものを二つ頼む。
「飲み物はどうする?」
「酒――――」
「香茶を二つ、お願いします」
「…………こーゆー店の食事は、口に合わないんだよねえ」
「そうなのか?」
「なんかチマチマしてるじゃない。食った気がしないのさ」
「それは、分かる気がする」
だけど年齢を重ねて食欲が減ると、食べ物を胃袋ではなく舌で味わえるようになる。
そうなると、そのチマチマした料理も楽しめるようになってくるのだ。
「まあ、足らなかったら屋台で買い食いをしよう」
「お、いいね!」
「でもせっかくだから、ゆっくりお喋りでもしよう。ラヴィのことをもっと知りたいからな」
「あたしのこと? なんでよ?」
彼女は訝しげな表情で聞き返す。
「あたしのことなんか知っても、しょうがないだろ、そんなことよりも例の――――」
「そんなこと、じゃない。俺はまず、君のことを理解したい」
言葉に嘘偽りのない気持ちを込めた。
若い女性をもてなすために、小粋な会話で楽しませるような真似は俺には無理だ。
無理に会話をひねり出しても、相手を退屈させてしまうだけだろう。
でも、せっかく縁が結ばれ、同じ時間を共有することになったんだ。
だったら少しでも相手のことを知り、理解したい。
最近、少しずつそう思うようになった。
「いや、でも、大して話すことなんて…………」
「他愛のない会話でいいのさ。ちなみに俺は、すでに君の事でいくつか学んでいる」
今日のラヴィ豆知識を、指折り数えて披露する。
「洒落た店より場末の飲み屋が好き。食べ物は質よりも食い応え重視のガッツリ派。時間にルーズで、約束の時間が守れない。遅刻した理由は、おそらく二日酔いが原因。だって息が酒臭い」
「ダメな方向で理解しないでよ!」
ラヴィはテーブルを叩いて怒り出した
「図星を指されると逆ギレする」
もう一本、指を折ってカウントした。
◆
昼食を摂ってからカフェを出た。串焼きの屋台を見つけると、ラヴィが駆け寄った。
やっぱり昼食が、物足りなかったらしい。
彼女には肉、自分に野菜の串焼きを買い、食べながら街を歩く。
「しかしデートをするにしても、遊びに行けるところが少ないんだよな」
俺の感想に、ラヴィはちょっと不服そうだ。自分の住む街を悪く言われた気がするのだろう。
この街の繁栄を越える都市は、近隣では王都ぐらいとは聞いている。
だけど現代日本人としては、いささか物足りないのは事実だ。日常生活で不便を感じることは少ないが、リリちゃんを連れて行けるような遊び場がほしい。
「…………魔物園とか、どうだろうか?」
頭に浮かんだアイディアが、ぽろっと口からこぼれた。
「なによその怪しげな言葉は」
「ああ、広い場所に、魔物を入れた檻をいくつも設置するんだ」
訝しげなラヴィに説明する。うん、案外悪くない考えかも。
「なんのために!?」
「えーと、休日に家族連れで訪れる、憩いの場所にするんだ…………安い入場料で」
「そんな物騒なところに誰も来ないわよ!」
「そうかな? 割と子供に人気が出そうな気がする」
迫力満点な、本物の怪獣ランドだ。他所からも観光客が訪れるかもしれないぞ。
「無茶言わないで!」
むう。確かに凶暴な魔物を生け捕りするのは難しいか? エサの確保や維持費も大変かも。
「なら、遊園地とか」
こっちのほうが実現性が高いな。スリル満点の遊具を造れば、大人も子供も楽しめる。
「…………それ、どんなものなの?」
技術力の差があるから、完全に再現するのは難しいけど、そこは工夫次第だろう。
「うん、人間を籠に入れて、見上げる程高い所まで吊り上げてブラブラ揺らしたり、落下させたり。あるいは、大きなカップに人間を入れてぐるぐると回したり。あとは荷馬車に人間を詰め込んで危険な場所を猛スピードで走らせたりする、そんな遊び場所かな」
「どんな拷問なのよそれは!」
「いや、だから遊び場所だって。きっと人気が出るぞ!」
つい熱心に語ったら、ラヴィは困ったような顔になった。
「…………婿ちゃん? それ、人に言わないほうがいいよ?」
「え? うん?」
「あたしも聞かなかったことにするからさ」
なるほど、アイディアを盗まれるおそれがあるか。実現する目途が立つまで、胸に秘めておこう。
「デート向きの遊び場所を考えているんだよね? 落ち着いて、一緒に考えてみよう? ね?」
なんだか口調が優しいラヴィ。というか腫れ物を扱う感じにも思えるんだけど。
「あ、あとプール! 大きな水溜りを作って沢山の人間が泳ぐんだ!」
「ああ、うんうん。そうだね?」
笑顔で相槌を打つラヴィと、取りとめもなく街を散策する。
うん、なんとなくデートっぽくなってきたぞ。
「つけられているね」
ラヴィの唐突な言葉に、理解が追いつかない。
「悪いね、巻き込んじまったかも」
頭を掻き、彼女がぼやく。
「いきなり何を言っているんだ?」
「気が付かないのかい、これが?」
ラヴィは肩を竦め、さりげなく周囲に視線を走らせる。
「婿ちゃんは凄いのか凄くないのか、いまいち分からないね」
ある予感と共に、探査を展開した。
「そんなわけで、今日はここまで。ありがと、付き合ってくれて」
「――――待ってくれ」
立ち去ろうとするラヴィを押しとどめ、脳内地図を分析する。
もう馴れた感触なので、看破を並列起動する必要はない。
クリス、フィー、リリちゃん、三人組にリックまで。
彼女達は周辺の物陰に潜み、こちらを監視している。
なんでだよっ!?
だが、クリス達の側に、あるべき反応が探知できない。
そもそも今朝から、彼女の姿を見かけていないことに思い当たる。
だが、探査の範囲を広げれば、あっけなく彼女を発見した。
彼女は一人、どこかの建物の屋根の上にいる。
探査の波動を集約させ、その姿を立体的に捉える。
掌に納めた人形のように、いやもっと詳細に形を捉える。
着ている服装から指の先まで、まつ毛の数さえ精密に把握した。
だから、分かったのだ。彼女が口元を歪め、ニヤリと笑ったのを。
探査による接触を、彼女に逆探知された。
コザクラは、空に向かって両手を差し伸べた。
巫女の祈りに神が応えるように、天の調べが空の彼方まで反響する。
無音で奏でられる楽の音が、コザクラを中心として反響する。
その反響は、ほとんどの者が気付かず、また意味をなさない。感知系スキルの持ち主以外は。
俺達にとって、それは耳を聾するほどの大音響だった。
コザクラの放つ反響によって探査が妨害される。
両者が相互干渉を起こし、脳内に不協和音が鳴り響く。反響の範囲があっという間に広がるのを、俺は探査の波動で押し返そうと抵抗する。
しかし反響は、ついに街全体を覆いつくして探査を封じてしまった。
そこまでするかっ!!
クリス達を探査から隠すため、コザクラはスキルで街ごと覆い隠してしまった。
もはや彼女達の位置は把握できず、完全に見失った。
ほくそ笑むコザクラの顔が、目に浮かぶようだ。
――――いいだろう。どういうつもりか知らないが、受けて立ってやる!
無駄に固い決意を胸に秘め、コザクラのいるであろう方角を睨むのであった。




