挿話の11 夏休みデビュー
レジーナは不機嫌そうに、紳士淑女が笑いさざめく夜会の光景を眺めていた。
有力貴族の次女であるレジーナは、褐色の髪を流行の髪型で高々と結い上げ、身にまとう赤いドレスは豪奢そのもの。
背丈は女性にしては高く、均整のとれた体形の持ち主だ。その類まれな美貌と女王のごとき気品が相まって、見る者を圧倒する。
そんな彼女が腕を組み、苛立たし気に爪先で床を叩けば、周囲の取り巻き達は生きた心地もしない。いつ癇癪が破裂しとばっちりを喰らうか、同じ貴族の息子や娘達でさえ戦々恐々とする。
「…………ねえ」
レジーナが低い声を漏らすと、取り巻き達はびくりと身体を震わせる。
「あの女は、まだ来ないのかしら?」
「み、見てまいりますわ!」
取り巻きの一人である少女が、会場の外へと駈け出した。
あんなに慌てて転ばないかしらと、レジーナは顔をしかめる
出遅れた取り巻き達は、全員が同じ感想を抱く。逃げやがったな、と。
そして彼らはひたすら、この状況を打破できる一人の女性の登場を待ちわびた。
アステル・グランドルフ
取り巻き達が密かにレジーナ様の玩具、あるいは憂さ晴らしと呼んでいる女性だ。
レジーナが事あるごとに、絡むことから付けられた仇名である。
名門グランドルフ家の養女だが、その出自は謎に満ちている。彼女に関しては色々な噂が取り沙汰されているが、その最たるものはその所持スキルだろう。
真偽判定。どんな嘘でも暴いてしまうスキルだ。
アステルはお世辞でさえも聞き逃さず、わざわざ指摘してくる厄介者だ。
夜会など、所詮虚飾にまみれ、上辺だけの言辞が飛び交う舞台である。
そこへアステルが通り掛かれば、悲惨な結果になるのは目に見えている。
例えばとある貴族の、息子の自慢話が少し大仰になり
「いやはや、愚息にはいくつもの縁談が舞い込んでおりましてな」
『それは嘘だ』
「「…………」」
あるいは久方ぶりに顔を会わした夫人同士の会話の中、社交辞令で
「おたくのお嬢様、見違えるほど美しくなられて」
『それは嘘だ』
「「…………」」
彼女が夜会を歩くだけで、あちこちに不信と不和の種がばら撒かれる。
彼女のスキルのことは暗黙の内に周知されているので、咎めることもできない。
下手に藪をついて、魔物が出てきては困るからだ。こうしてアステル嬢は、人の集まる場では厄介者として敬遠されがちである。
例外と言えるのはレジーナ嬢と、その取り巻き達ぐらいである。
レジーナはアステルに対し、彼女のスキルを逆手に取った苛めを繰り返している。
アステルが夜会で身にまとうのは、いつも喪服のような黒いドレスで、デザインも野暮ったく、お世辞にも似合っているとは言えない。
「まあアステル様、そのお召し物、よくお似合いでしてよ!」
レジーナがそう心にもないことを口にすれば、アステルは不機嫌そうな顔で呟くのだ――――それは嘘だ、と。
アステルの髪型から身に着ける宝飾品まで、ありとあらゆる部分についてあげつらい、心にもないお世辞を繰り広げることにレジーナは情熱を傾ける。
彼女にならって取り巻き達も、いかにも大仰な言葉で褒めそやし、アステル嬢からお決まりのセリフを引き出すことに熱中した。
そんな年若い子女達の残酷な遊びに、大人達は眉をひそめる。
厄介者とはいえ、毎回レジーナ達に囲まれるアステルに同情が寄せられる。しかし有力貴族の次女であるレジーナを注意できる者はいなかった。
さて、そのアステルがここしばらく王都を留守にしていた、
噂によると観光で辺境都市に出向いたとのことだ。
その間、レジーナはずっと不機嫌なままであった。
そしてアステルの帰還と、彼女が今日の夜会に出席するとの情報を掴むと、レジーナは取り巻き達を引き連れて乗り込んできたのだ。
「き、来ました!」
先ほど偵察に出ていた少女が、息せき切って戻るなり、レジーナに報告する。
レジーナは口元をゆるめ、颯爽と歩き出そうとしたが、唐突に足を止める。
「でも…………」 少女が何事かを呟いたのを、耳にしたからだ。
「なんですの?」
「あ、いえ、そのですね?」
レジーナの鋭い眼差しに、少女はしどろもどろになる。
「はっきりおっしゃい!」
少女が恐るおそる指差す方向に、レジーナは視線を向けた。
つられた取り巻き達も、同じ方向へ一斉に目を向ける。
白い妖精がいた。
飾り気のない白いドレス。ごく簡単に編み上げ、無造作に背中へ流した白い髪。白い手袋と白磁の肌との境目は、区別がつかないほどだ。
首飾りや宝飾品は一切身に着けていない。雪花石膏の彫像がごとき彼女の彩りは、赤い瞳と、手に携えた一輪の可憐な花のみ。
まるで奇跡が顕現したように、会場全体に静寂が満ちた。
もはや生身の人間とは思えないほどの、その幻想的な姿に誰もが息を呑む。
アステル・グランドルフ
誰かが、彼女の名前を呟く。
それが引き金となり、会場が驚きの声にざわめいた。彼女の一挙手一投足に注目が集まる。アステルに挨拶された、夜会の主人役の貴族は、狼狽えている様子が丸わかりだった。海千山千の老獪な貴族である彼が、まるで世慣れぬ少年のように動揺している様を、笑うものはいない。
しとやかな所作で挨拶を終えた彼女は、会場を見回した。
その穏やかな視線の前に、誰もが佇むだけで身じろぎもできない。
やがて彼女はある一点を見定めると、そちらに歩き出した。
まるで彼女が通った後に光の軌跡が残るような、そんな錯覚を周囲に与えた。
「久方ぶりだな、レジーナ嬢」
声を掛けられたレジーナは、我に返った。
「アステル様?」
信じられないという面持ちのレジーナ。
アステルは軽く頷くと、取り巻き達にも目を向ける。
「皆も、息災であったか?」
相変わらず貴族の子女らしからぬ言葉遣いだが、誰も気にする余裕はなかった。
むしろちょっと目上な話し方が、今の彼女には似合っている気がした。
誰もが気を呑まれているのに気が付いたレジーナが、自らを奮い立たせて一歩前に出る。じろりとアステルの衣装を観察し、口元を皮肉気に歪める。
「あらあら、今日は随分と変わったお召し物ですね。よくお似合いでしてよ?」
精一杯の虚勢を込めて揶揄する。実際、ドレスのデザインは余りにも簡素過ぎて、夜会に相応しいとは言い難い。しかし、それが却って周囲に特別な印象を与えている。
「ありがとう」
アステルが、微笑んだ。
ただそれだけで、見る者に陽が射すような明るさを感じさせた。
アステルはいつも仏頂面で、触れる者を刺す茨のような態度だった。そんな彼女が浮かべた、微かに恥じらいを含んだ笑顔に、取り巻き達は魅了された。
レジーナもまた同様であったが、問題はそこではなかった。
「え、あ、あ、あの?」
動揺して意味不明な言葉を漏らすレジーナ。
そんな彼女を、アステルは静かな眼差しで見詰めるだけだ。
「そ、その、綺麗に見えますよ!」
先ほどの少女が上ずった声で、何のひねりもない感想を述べた。
「愛らしいそなたに褒められて、わたしも嬉しい」
笑顔でアステルに逆襲され、少女は顔を真っ赤にして俯いた。
何かがおかしいと、取り巻き達は思った。それが何なのか指摘できないうちに、いつものゲームを始めた。アステルの髪型を、ドレスを、化粧を、その美貌を、過剰な修飾を尽くして褒めそやす。
しかしアステルは穏やかに全てを受け入れ、礼儀正しく謝意を示した。
その間、彼女の微笑はいささかの陰りも見せずに輝いていた。
アステルは一言も、いつもの決まり文句を口にしなかった。
貴族の子女達が混乱する。アステルが指摘しないなら、それは真実だ。
ならば、いま自分が述べた言葉の通りに、アステルを美しいと感じているのか。
いや、だとしても不思議ではないと、彼らは思う。むしろ自分達の貧弱な語彙では表現が不足しているかもしれないと、思い込み始める。
次第にアステルに魅了された子女達は、ごく自然に会話を交わし始めた。
わだかまりが溶けていく彼らを、レジーナは愕然と眺めていた。
そしてアステルを強く睨んだ後、その場から逃げるように立ち去った。
◆
「ここにいたのか」
レジーナは、中庭にある噴水の側で、ベンチに腰掛けていた。
アステルが声を掛けると、彼女は顔を背けた。
「隣に座ってもよいか?」
そうして返事も待たずに、ベンチに腰を掛ける。
そのまま無言で、手にした花をくるくると弄ぶ。
「…………なによ」
レジーナは子供のようにすねた口調で言った。
「用件があるなら、さっさと言いなさいよ」
貴族の子女とは思えない、はすっ葉な言葉遣いだった。
「すまなかった」
アステルの言葉に、レジーナが目を瞠る。
「わたしはこのような夜会に興味はなかったが、これまで可能な限り出席するようにしてきた。だけどもう、今後はどの夜会にも顔を出すことはない」
彼女は、真剣な眼差しでレジーナを見詰めた。
「もう二度と、そなたの前には姿を見せないようにする」
「…………なんでよ」
「どうやらわたしは、そなたに謝罪がしたかったらしい」
アステルは噴水に目を向けた。
「そなたには、何かを言わなければいけないと思っていた。それが何なのか、ずっと気が付かずにいた」
アステルは、そっと手にした花を差し出した。
かつて、アステルのスキルを手に入れようと、とある貴族が人質を取った。
その人質に選ばれたのが、レジーナだった。
いつも孤独に過ごしていたアステルに対して、有効な人質の候補はひどく少なかった。レジーナは彼女に親しく接していたが、知人程度の関係だと言えるだろう。
誘拐されたレジーナ本人でさえ疑わしげだったが、アステルは脅迫に応じた。
そして事件は、アステルのスキルの暴走によって幕を閉じた。あまりにも凄惨な現場にレジーナはひどく取り乱し、アステルを激しく拒絶した。
それが数年前の出来事である。以来、二人の関係はこじれたまま続いてきた。
「無関係であったそなたを巻き込み、むごい光景を見せてしまったことを、いまさらだが詫びよう」
アステルはレジーナに花を持たせ、自分の手でそっと包み込んだ。
「ごめんなさい、レジーナ」
彼女の言葉に、レジーナは俯いた。
「…………けないでよ」
レジーナが肩を震わせ、小声で呟いた。
「何か言ったか?」
「ふざけるなって言っているのよ!」
レジーナはアステルの手を振り払い、猛然と立ち上がった。
「悪いのはわたしでしょ! なんなのよ! 謝ったりして! そんなにわたしを惨めな気持ちにさせたいの! ふざけんな!!」
レジーナの豹変に、アステルは目を丸くするだけだ。
「助けに来てくれたあなたを! 自分の身と引き換えにして救おうとしてくれたあなたを! 口封じに殺されそうになったわたしを助けるために! その綺麗な白い髪を血で真っ赤に汚してくれたあなたを恐れて! 差し伸べてくれた手を拒んだのは、わたしじゃない! 自分が泣いているのにも気付かずにいたのは、あなたじゃない!」
支離滅裂な、ただ感情に任せただけの言葉の奔流を、アステルは受け止める。
「どんなに意地悪しても、あなたはわたしを嫌ってくれなかった! それどころかいつもわたしを探して、会いに来てくれた! 嬉しくて、辛くて、申し訳なくて、いないと寂しくて!!」
レジーナは泣きながら叫ぶ。
「ごめんなさい! 本当にごめんなさい! 許してなんて言えた義理じゃないけど、でも――――――」
アステルが抱き寄せると、レジーナはその胸にすがって泣きじゃくった。
「…………こんなことを尋ねると自惚れに聞こえるかもしれないが」
アステルは、腕の中にいるレジーナに語り掛ける。
「わたしにちょっかいを掛けてきたのは、厄介者扱いされていたわたしを孤立させないためだったのではないか? ことさら手ひどく扱ったのは、わざと嫌われ者を演じ、わたしへの敵意を逸らすためだったのでは?」
レジーナは否定しない。彼女の背を撫でながら、アステルは囁きかけた。
「ありがとう、レジーナ」
◆
「泣いたらすっきりしたわ!」
「うん、それは良かった」
アステルはハンカチで、涙やら鼻水でぐしゃぐしゃになった胸元を拭う。
「でもアッシー、あんたどうしたのよすっかり見違えちゃってまあまあ! みんなびっくりしてたじゃない! 素材はいいのにもったいないと思ってたけど、まさかこれほどの逸材とは!」
「…………そなたは、すっかり昔に戻ったな」
ああ、そう言えばこういう感じの娘だったなと、懐かしく思い出した。
「そりゃあね? 適齢期になったら、それなりに取り繕わなくちゃいけないのよ。分かるでしょ?」
「いいや、ぜんぜん分からないが」
「そんなんだから、男ができないのよ」
そう言った途端、アステルの瞳が揺らいだのを、レジーナは見逃さなかった。
「え? なに? アッシーにも春が来たの?」
「これから冬だぞ?」
「違うわよ! 気になる男がいるのかって言ってるの!」
「…………いないぞ?」
「年上? 年下?」
「だからいないと言っているだろ」
「まあまあ、ここは経験豊富なお姉さんに相談しなさい」
「年下のくせに。それにそなたに相談しても――――――」
言い掛けて口をつぐむアステル。
レジーナは貴族の子女らしからぬ、下卑た表情でニヤリと笑った。
「さあさあ、さっさとゲロしなさい?」
彼女と和解できて、本当に良かったと思う。
思うけど、面倒くさいことになったと、アステルは嘆息した。




