懺悔
翌日になったが、アステルはほとんど眠っていた。
時折目を覚ますが、あとはベッドに横たわったままである。
夕方頃、治療師の往診を頼んだが、身体は特に異常がないらしい。
薬を与えたので二、三日中には回復するだろうとのことだ。
治療師を見送った後、俺はソファーにへたり込み、ため息をついた。
「だいぶ疲れたようだな」
正面のソファーには、カティアが酒を飲みながら座っている。
「何しに来たんだ、おまえは」
ふらりと宿に現われてから、ずっと飲みっぱなしなのである。
こっちは看病やら治療師の手配やら先生へのお礼などで大忙しだったのだ。
文句の一つも言いたくなる。
「そう言うな。今朝、王都から街に戻った途端に、霊礫盗難事件の後始末があって、ろくに飯も食っていないんだぞ?」
「だったら食事をしろ。すきっ腹に酒は毒って、王都?」
「ああ、最初はセレスに同行したが、彼女が帰った後も調査を続けていた」
ぐびりと酒をあおると、彼女は身を乗り出した。
「さて、ひと段落ついたのなら、話をしようか」
今となっては余談だが、霊礫盗難事件はほぼ解決したらしい。
やはり霊礫盗難事件は陽動だったようだ。
捕まった盗賊団は他所の街の犯罪者で、囮に仕立てられたようだ。
事件の首謀者と目されるヘイメルはいまだ捕まっていない。
あの場から他所の街へと逃げ出したのだろう。
先生達の包囲網を突破したが、賞金稼ぎに犠牲者はいないそうだ。
二重の意味で良かったと思う。あいつとのケリは、いずれ俺がつける。
俺がアステルの誘拐事件の顛末を語ると、カティアはため息をついた
「せっかく情報を集めたが、手遅れだったか」
「王都で何をしていたんだ?」
「彼女が監察官として派遣された裏事情を探っていた。そちらはあまり収穫がなかったが、彼女の生い立ちに関しては詳細が分かった」
すまん、フラフラとどこほっつき歩いているんだと、内心で愚痴っていたぞ。
「どうする? 聞いておくか?」
セレスと同じように、カティアもまた俺の意志を確認する。
念押しするほど、俺は頼りなく見えるのだろうか。
「聞かせてくれ」
アステルとはきちんと、正面から向き合おうと決意した、
◆
それから数日が経ち、アステルの王都帰還を明日に控えた朝になった。
アステルが何も言わずに外出するのを見届け、俺は宿の裏庭で花を摘んだ。
どんな花が向いているのか知らないので、とりあえず白い花を何本か選ぶ。
それらを花束にしてから、宿を出た。
いつもは縁がない西門から、街の外へと足を踏み出す。
西門を出てから左側に曲がると、街壁に沿うように墓地がある。
ちょっとお参りに、そう告げれば門番は検閲なしで通してくれる。
街壁に囲まれた都市では、墓地に当てる場所が少ない。
だから街壁の外に、死者を弔う用地が設けられている。
周囲には常時、騎士団が巡回しているので安全だ。
墓地の入り口で、ベリトと会った。
互いに無言で会釈すると、ベリトは墓地の一画を指差した。
延々と連なる墓石の一つに、跪いて祈りを捧げるアステルの姿が見えた。
足音を立てないように近付き、後ろで祈りを終えるのを待つ。
「よくここに来ることが分かったな」
組んでいた手をほどいて立ち上がると、彼女はこちらに振り返った。
それに答えず、俺は手にした花束を墓に添える。
ありがとうと、彼女が呟いた。
しばらく無言で、一緒に墓石を眺めていた。
「アステル、きみは嘘がつけるんだね」
それは問い掛けではない。
俺はずっと、あの事件のあらましについて考えていた。
そうして得た結論が、それだった。
彼女は、はにかみながら笑った。イタズラがばれた、子供の笑顔だった。
「ようやく気がついたのか」
「あいにく頭が鈍くてね」
「その通りだ。わたしのスキルは、わたし自身には適用されない」
真偽判定の能力を持つ人物。
他人の嘘を耳にすれば不快感に苦しみ、それを指摘せずにはいられない。
そんな彼女が、実は嘘をつけるのだと、誰が思い付くだろうか。
いや、彼女は意図的に、そういう印象を与えてきたのだ。
「内緒だぞ? それがわたしの武器なのだから」
一万の真実に、たった一つの嘘を織り交ぜる。
それは確かに武器になるだろう。俺もまんまと騙された。
「いつ、それに気がついた」
「ヘイメルは最初、きみのことを知らない演技をした。きみも肯定したからだ」
思えばあれからだ。ヘイメルの目的を誤解し、やつの狙いが俺などという見当違いな推測に及んだのは。だが、そんなはずはないのだ。彼女の誘拐が目的だとしたら、ヘイメルが彼女を知らないはずがない。
ヘイメルは護衛の排除と、アステルに心理的な圧迫を与えようとしたのだ。
いや、そもそもの前提条件が違う。
「きみは襲撃の時、誘拐などされていない。きみ自身が、彼らに投降したんだ」
クリスとフィーも、まさかアステルがヘイメルに身を投じるとは思わなかっただろう。そこに油断があったのだ。
内応者は確かにいた。それはアステル自身だったのだ。
アステル自身の意志だったから、ベリトは黙って見過ごした。
街壁の上でベリトが語ったのは、そういう意味だったのだろう。
「ヘイメルを名乗るあの男は、王都で接触してきた。他国への亡命の誘いだ」
アステルはしゃがみ込むと、墓石にそっと手を這わした。
「わたしは別に、この国に未練はない。だから賭けをしたのだ。わたしが欲しければ、力づくで奪ってみよと。ちょうどこの街に来る用事があったので、ここを賭けの舞台とした」
そして彼女は、申し訳なさそうな顔をした。
「だが、ベリト一人がこちらの手駒では、いかにも分が悪い。別に他国に連れ去られても誰も困らないが、一方的では賭けとは言えない」
「だから、俺を雇ったのか」
「それほど凄腕である必要はない。だからこの街に来て偶然出会った、そなたを選んだ」
「迷惑な話だな」
「そうだな。この街に来るまでは、誰かに迷惑を掛けることなど気にも留めなかった」
彼女は、破綻しているのだと思った。しかし、カティアから得た情報と、俺が看破で読み取ったイメージからすれば、それも納得できた。
「すまない、わたしの身勝手で、そなた達を危険にさらした」
彼女は俯いて、懺悔した。
「激怒して当然だ。そなたが望む、どんな償いでもするつもりだ」
怒りなど、なかった。あるのは罪悪感だけだ。
彼女をそこまで自暴自棄にさせた一因は、俺にあるのだ。
「わたしが自分のスキルを自覚したのは、一〇歳のときだった」
ぽつり、ぽつりと彼女は語り始めた。
それはおおむね、カティアの集めた情報通りだ。
彼女は幼い頃から、他人と話すと時折違和感を覚えたそうだ。
それが何なのか理解できず、癇癪を起こすことがあったらしい。
白い髪と、赤い瞳も彼女の悩みの一つだった。
普通とは異なる容姿に劣等感を抱き、彼女はさらに気難しくなった。
扱いづらく我侭な少女。周囲の人間は誰もがそう思った。
「そんなわたしを、母は頭を撫でながら慰めてくれた。母は、わたしが白い髪と赤い瞳で生まれてくれて嬉しいと言ってくれた。それが本心だと、わたしには分かっていた」
だから母親だけが、彼女の心の拠り所になった。
しかし彼女が一〇歳の誕生日を迎えた時、事は起こった。
経緯は覚えていないらしい。何かについて、父親がアステルを誉めたそうだ。
勉強が良くできて偉いとか、そんな他愛もない言葉だったのだろう。
そして母親は、夫にこう言ったそうだ。
私とあなたの娘なのだから当然ですと。
「それは嘘だと、わたしは口走ってしまった」
その赤い瞳が、虚ろに空を見上げる。
「わたしは尋ねた。わたしはお父様の娘ではないのに、どうして嘘をつくのかと」
その時、嘘という言葉の意味を、彼女は初めて理解したと語った。
「当時、わたしのスキルは確認されていなかった。子供のたわ言だと、聞き流せば済む話だった」
だが真実は、蒼白になった母親の顔に記されていた。
彼女の母親はその夜、失踪してしまったらしい。
「それからどうなったのか、よく覚えていない。最後には母方の親族に引き取られた」
白い髪と赤い瞳。遺伝子のいたずらにより、本当の父親が悟られずにいた。
嬉しいと言った母親の言葉は、確かに真実だったのだろう。
「いま母がどうなってしまったのか、わたしは知らない」
父親ともそれ以来、会っていないと言う。
「本当に母が失踪したのか、どうして父に会えないのか、わたしは知らない。確かめようと思ったこともない。知らなければ、どこかで幸せに暮らしていると希望が持てるからだ」
彼女の両親がどうなったか、俺はカティアから聞いて知っている。
アステルも薄々と、察しているのだろう。
彼女の養育費として、母親が受け継ぐはずだった貴族年金があてられた。
外聞をはばかるスキャンダルとして、彼女は一族の系図から抹消された。
真偽判定の所持者は、その大半が適合できず、自滅するとコザクラは語った。
つまりは、こういう意味だったのだ。
人は時に、真実によって破滅し、嘘によって救われることもあるのだ。
「そして預けられた親族の所で、その家の息子と出会った。やがて彼は長じて家を出て、この街にやってきた」
「それが、彼なのか?」
「そうだ」
彼女は墓石に視線を落とした。
サイラス・グランドルフ
墓石には、ひとりの冒険者の名前が刻まれている。
フィーの誘拐を画策し、彼女達が終身奴隷となる元凶となった男。
そして俺が、自らの手で殺した男だ。
◆
アステル・グランドルフ
看破が読み取った、彼女の本名だ。
あらためて見れば、彼女の目元と鼻筋は、サイラスにそっくりだ。
もし彼女の赤い瞳に目を奪われなければ、血縁関係を疑っていたはずだ。
いや、無意識に勘付いていたのだ。だからこそ、彼女に執着した。
それが罪の意識によるものか、サイラスへの憎しみの延長なのか、いまさら分かりはしない。
俺はすでに、彼女自身の姿しか見えていない。
「…………サイラスとは、仲が良かったのか?」
「いや? とにかく意地の悪いクソガキでな。この髪と目の色のことで、よくからかわれた。外面は良かったが、根性が捻じ曲がっていた。それでもまあ、この街で殺されたと聞いたので、手向けに真実を追究してやろうと思ったのだ」
彼女はコツンと、墓石を蹴った。
「こんな男でも、いちおう婚約者だからな」
ズキリと、胸が痛んだ。
「婚約者と言っても、一方的に申し込まれただけだ。家を出て、名をあげる。そうしたらわたしを娶ってやるなどと、偉そうに言い捨てた」
「もしかして、カティアのことを疑っていたのか」
あの晩、カティアと八高弟に立ち向かった彼女の姿が思い出される。
「サイラスと冒険者筆頭との確執は知っている。おそらく権力争いに負けたのだろう。そのことはいい、ただ真実を知りたかった。だから彼女に尋ねたのだ、サイラスの死に関与しているのかと」
「だが、彼を殺害したのはビルドという男で――――」
「直接、手を下したわけではあるまい。サイラスがゴロツキなどに殺されるはずがない」
彼女の口調は確信に満ちていた。あるいは仮にも自分の婚約者が、ゴロツキに殺されたのではない、強敵に敗れたのだと自らを慰めたいのか。
「カティアは、なんて答えたんだ?」
「何も答えず、沈黙していた」
そしてカティアがあらぬ疑いをかけられたことに、八高弟が激怒したのだろう。
カティアは、俺がサイラスを殺害したと、ほぼ確信している。
だから沈黙したのだ。もしカティアが否定すれば、アステルは真犯人を求める。
そうすれば、やがて俺につながる線を、手繰り寄せるかもしれない。
カティアの沈黙によって、アステルは彼女が有罪だと確信した。だから証拠を掴もうとした。
八高弟の行状から尻尾を掴み、やがてサイラス殺害の証拠を手に入れようと考えたのだ。
「冒険者筆頭が真実を語るのなら、わたしも忘れようと思った。権力争いは貴族の常だ。サイラスの両親も、そこは心得ている。許しはしないし恨みに思うだろうが、あえて表沙汰にするつもりはないそうだ。だが、もしも嘘をつくようなら――――」
凶賊の頭目の末路を思い出す。嘘をついた当人だけではない、それに関与した者まで制裁する彼女のスキルならば、八高弟ごとカティアを滅ぼせる。
それがアステルの要望をかなえ、彼女を監察官としてこの街に送り込んだ者の思惑かもしれない。
「…………だが、そなたを巻き込む可能性があることに気がついた。そなたは冒険者筆頭と親密なのだ。ひょっとすると、そんな風に思った」
「――――俺は」
俺は、なんだ? 懺悔でもするのか?
できる筈がない。俺はもう、自分自身だけのものではないのだ。
それにサイラスを殺したことは、いまでも後悔はしていない。
だけど、アステルから婚約者を奪った事実は、胸に深く突き刺さる。
「いいのだ、何も言わなくていい」
アステルはほほ笑んだ。前にも見たことがある、淡くて溶けてしまいそうな微笑だった。
「そもそもコイツに、未練などない。ここ何年も連絡すら寄越さなかったのだぞ?」
突然、アステルは怒り出した。
「そもそもこいつがどういう理由で、わたしに結婚を申し込んだか、知っているか!」
「いや、ちょっと分からないけど」
「お前みたいな性格の悪い女は、俺が娶ってやらなければ貰い手がないだろうとぬかしおった!」
興奮したアステルが、脚を旋回させて墓を蹴りつけた!
「嘘ではなく、本心から言いおったのだ!」
本心だろうが、それだけではないだろう。
一族の系図から抹消された娘に結婚を申し込んだのだ。
そこには並々ならぬ想いがあったはずなのだ。
サイラス・グランドルフ
お前はいったい、どこで道を誤ったんだ?
鼻息荒く墓を睨んでいた彼女は、屈み込んでつま先を押さえた。
「…………痛い」
「お、おい!? ちょっと診せてみろ!?」
慌てた俺は、治癒術を施した。どうやら親指の骨にヒビが入ったようだ。
痛い痛いと悲鳴をあげ、アステルは泣き叫んだ。
ふと、彼女が持参金を積み立てていた話を思い出した
骨のヒビが完治しても、彼女は泣きじゃくっていた。




