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塔の上  作者: 八尾文月
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魔女の娘 余話1


オーディアスの義姉視点です。



 先日、一つの国が滅んだ。


 滅んだのはこのアラントゥナの隣、ダナントという国。

 ダナントは自国の民を虐げ、周囲の忠告を無視し、他国の土地を侵犯した。近隣の国からの非難が集まる中、ダナントではついに反乱が起きる。それでなくとも崩壊の近かった国だ。内側から瓦解していったのは当然のことだったのだろう。

 色々な思惑が重なり、アラントゥナはその反乱軍に手を貸した。武器を与え、物資を提供し、情報を流す。確実に国を落とすために。アラントゥナのダナント反乱軍への協力は公然の秘密であり、他の国々も目を瞑った。

 ダナントの王はやりすぎたのだ。諸国から見捨てられてしまうほどに、敵に回してしまうほどに。反乱軍を指揮する青年と幹部達の判断で、ダナントはアラントゥナの属領となった。無理もない。あの国が一国として存在するには、あまりにも周りに恨まれすぎていた。彼の組織には先見の魔女と呼ばれる婦人がいるという噂だから、それが最善だと考えたのかもしれない。


 歴史ある国の終わり、その見届け役として隣国を訪れていた義弟が帰ってきたのは、つい先程のこと。


「ただいま戻りました」


 玉座の前で膝をつき、深く頭を下げている男の名はオーディアス・グレイル・アラントゥナ。陛下の左右に立ち並ぶ大臣達を前に平然とした態度を崩さない彼は王弟であり若くして兵を率いる将軍、そしてドラゴンに魅入られし竜騎士。多くの肩書きを持つ、我が国の切り札だ。


「報告を」


 陛下に促され、オーディアスは顔を上げる。滑らかな口調でダナントの王城が落ちたことを告げ、反乱軍との調印も既に済んだことを報せた。更には、今件に対する諸国の反応まで調べてきたという。仕事の早いことだ。


「うむ、ご苦労だった」


 陛下の王としての労いに、彼は胸に手を当てて一礼する。


「それで」


 陛下は躊躇い言葉を迷うように咳払いをされた。


「それで…、その者は?」


 皆が敢えて目を逸らしていた者についての言及に、改めてオーディアスとその隣の人物へと視線が集まる。得も言われぬ緊張が走った。固くなる空気に、その者も顔を強張らせている。

 問われた本人だけは、不思議そうに軽く首を傾げた。


「ダナントで拾いました」


 そう淡々と言い放ったオーディアスに、その場が沈黙する。


「…オーディアス、それは余りにも端的過ぎる説明ではありませんか?」


 絶句した陛下に代わってやんわりと咎めると、彼は軽く眉を上げた。一時的に小さくなり、オーディアスの肩に乗っているガルディアが一つ鳴く。


「そうは申しましても、ガルディアが気に入ったのです。身元も判明していますし、連れてきても大事ないと判断しました」

「ですが…、私の勘違いでなければ、それは人間の娘ではありませんか?」

「そうですが?」


 オーディアスの隣で跪いている華奢な人物。大柄な彼と並ぶことで、その身体は殊更小さく見える。気軽に拾ってきて良いものではないだろう。彼が連れて帰ってきたのは、一人の少女なのだから。

 もう子供ではなく、それでも女性と言うにはまだ幼い。透き通るような銀髪に鮮やかな紫の瞳の彼女は、まるで咲き始めの白百合のようだ。

 立ち上がったオーディアスが差し伸べた手を取り身体を起こした少女は、まるで妖精のように儚げで美しい。ふわりと薄い生地を重ねたような淡い色合いのドレスを身に纏っており、その浮き世離れした雰囲気に更に拍車を掛けている。


「お初に、御目文字仕ります…」


 その薄紅色の唇から出たのは、消え入りそうなか細い声。緊張しているからというよりも、声の出し方を忘れているかのようなたどたどしい不安定さだ。


「ティアと名付けました」


 オーディアスの声に、彼女は慎ましく目を伏せて腰を折った。


「待って」


 聞き逃せなかった発言に、思わず身を乗り出す。


「名付けたというのは一体どういうこと?」

「言葉の通りです」

「…」


 だから、どういう経緯でそうなったのかと聞いている。


「…記憶でも失っておるのか?」


 にべもないオーディアスの返答に内心で歯軋りしていると、陛下も気になさったのかお尋ねになられた。


「いえ、元々から持っていなかったそうです」

「…そうか」


 陛下のお声が暗くなった。慈悲深い御方でいらっしゃるから、彼女を気の毒に思われたのだろう。


「それで、どうするつもりなのですか?」

「彼女については全て私が責任を負います」


 オーディアスは滅多に見せない笑みをその口元に乗せている。


「陛下には、ティアがこの国に滞在する許可を頂きたい」


 それだけしか求めていないと、その目は言っていた。


「…どこに住まわせるつもりだ?」

「勿論、私の部屋ですが」


 オーディアスの住居は王宮の敷地内にある。裏手の奥深くにある険しい山に程近い、頑丈だが無骨な塔。ガルディアと共に暮らすため、彼自身が選んだ場所だ。

 元々は広い土地を持つ郊外を望んでいたのだが、部下達からの強硬な反対に合って断念した。彼らにしてみれば、勝手気儘にガルディアと姿を消していることの多い将軍からこれ以上目を離したくなかったのだろう。誰に何を言われようとも自分の意に添わないことなら黙殺するオーディアスが渋々ながらも了承したのだから、余程の特攻を受けたのか。王都内の屋敷はガルディアの自由を制限するものばかりのため端から選ぶつもりはいなかったのだから、選択肢などあってなかったようなものだろう。

 とにかく、ガルディアを優先させた住居であることには変わりない。そこに彼女を迎え入れるのだという。縄張り意識の強い竜の住処に。塔に立ち入ることは勿論、周辺に近寄ることすらガルディアは許さない。比較的慣れている筈のオーディアスの部下にでさえ威嚇するのだ。愚かにも塔の近くを彷徨いた若い侍従達が危うく咬み殺されかけたという事件は、城にいる者なら誰の記憶にも残っていることだろう。彼らの場合は危機感のない度胸試しとして塔に入ろうとしたというのだから王弟に対して不敬であり半ば自業自得なのだが、例え故意であろうとなかろうとガルディアには関係ない。老若男女貴賤を問わず、ただ自分の領分を守るだけなのだから。

 そんな、陛下にすら譲らないガルディアが、彼女は受け入れるのか。今まで、契約者であるオーディアスしか許容しなかったというのに。


「本気なのか?」

「無論です」


 陛下の苦い顔に気付いていないかのように、彼は表情を崩さない。


「この王宮に部屋を用意することも可能なのだぞ」

「必要ありません」


 考える様子もなく即答だ。


「何故だ?」


 陛下も食い下がられる。


「ガルディアが見つけ、私が拾い名付けました。私達のものなのですから、世話するのは当然でしょう」


 オーディアスは悠然と少女の所有権を主張する。

 今までガルディアのことばかりで女性を寄せ付けもしなかったというのに、何故こうも極端から極端に走るのか。この遣り取りを知れば、有能で眉目秀麗な若き将軍に想いを寄せている幾多の美女が嘆くだろう。


「…部屋まで同じにするつもりか」

「何か問題が?」


 問答に飽きてきたのか、オーディアスは少女の髪で手遊びを始めている。その見事な銀髪に指を通し、毛先を弄ぶ。

 陛下の御前であるというのに不遜な態度だが、誰も彼を咎めない。弄られている本人ですら、戸惑っていながらも何も言えずに口を噤んでいる。さもありなん。公人として振る舞っているときはともかく、私人としての彼はかなり自由奔放で個人主義だ。行動を制限されることを嫌い、他人に合わせることを面倒だと思っている。

 彼女を側に置くことは、彼にとって既に決定事項なのだろう。これは、ただの報告なのだ。規則だ義務だと周りから煩く言われるから、形式として行っているだけ。それが何故こうも時間を取られるのかと、億劫そうな態度を隠していない。

 臣下であるよりも、王族であるよりも、彼は竜の契約者だった。人でありながら、人間の常識とは違う場所に生きている。だからこそ、余計な干渉は鬱陶しいものでしかない。それは陛下もご存知で、オーディアスの判断も信用なさっている。だから、この問答は兄弟間の戯れのようなものだった。それを知らない少女だけが、気遣わしげに陛下とオーディアスへ視線を向けている。彼女も気の毒だ。当事者でありながら蚊帳の外に置かれて、口を挟むことも出来ない。


「もう宜しいですか?」

「まあ、待て」


 話を切り上げかけた弟を呼び止められた陛下は、しかつめらしい表情を作られた。


「嫁入り前の年頃の娘と若い男が一つ屋根の下で生活するなんぞ、簡単に許可して良いものでもないだろう?」

「…」


 心配性の父親でもあるまいし。口に出す訳にもいかないが、内心でそう呟いてしまった。一見して本気で仰っておられるかのように見えるのだから、更に質が悪い。大臣達も呆気に取られている。オーディアスの陛下を見る目も白けたように冷ややかだ。ガルディアも溜め息代わりに、火焔混じりの黒煙をその口から吐き出した。陛下の言われるところの "嫁入り前の年頃の娘" だけが、不思議そうに目を瞬かせている。意味が上手く飲み込めなかったらしい。

 その頬を優しく撫でたオーディアスが、陛下を仰ぎ見た。


「もう、宜しいですか…?」

「そう尖るな。彼女が怯えておるぞ?」

「その元凶は誰だと思っているんですか」


 その表情は柔和だが、目が笑っていない。背筋から凍えてしまいそうな冷気が漂って来るようで、大臣の数人が身を震わせる。こんな彼をからかうことが出来るのは陛下だけだろう。


「それでは、御前を失礼致します」


 有無を言わさぬ態度で告げたオーディアスが、少女を抱き上げる。踵を返し、扉に向かって歩き出した。為されるがままの少女は、まるで等身大の人形のようだ。ガルディアが嬉しげに鳴いて彼女の手に頭を擦り付ける。

 陛下が片手を上げられたのを合図に、入り口の側にいた衛兵が素早く扉を開けた。


「あ、の…。オーディ、アス…は、竜騎士、なのよ、ね…?」


 彼らが広間から出る直前、オーディアスに囁きかける声が微かに聞こえてくる。抑揚はないがどこか不安そうな響きを持つそれは、何故だかはっきりと耳に残った。





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