魔女の娘 end
◇◇◇
オーディアスが私を塔から連れ出してくれた日。
父の治める国は滅んだ。
滅ぼしたのは父の国の民で、その先頭に立っていたのは父の血を引く青年だった。
つまり、私の腹違いの兄であるということなのだろう。
兄の母親は父が気紛れに手を出した娘の一人であり、未婚のまま兄を産み育てたそうだ。しかし、無理が祟ったのだろうか。その人は兄が幼い頃に過労で倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまったらしい。
やがて成長した兄は自分の出生の真実を知り、また国の腐敗を知ってこの謀反を決意した。
彼の呼びかけに応えた者は多く、反乱軍に包囲された城は呆気なく陥落した。
魔女の宣告通り、父は自らの血に連なる者の手によって国と共に滅ぼされたのだ。
この話は、オーディアスが話してくれたこと。
父の治めていた国はダナントといい、オーディアスはその隣国、アラントゥナの人間だった。
アラントゥナとは豊かな国で、気候も国民性も穏やかなものなのだそうだ。
貴族中心の政に戻っていたダナントはその重税と理不尽な権力者達の行いに耐えきれず、他国へ逃げ出す民が増え始めていた。特に隣国のアラントゥナに来る者は多かったという。その中にはダナントの王に諌言したが故に煙たがれ、国を追放された者もいる。
彼らの嘆願もあった上にアラントゥナの領地にまで手を出そうとしていたダナントの上層部を問題視していたため、アラントゥナは反乱に力を貸すことになったらしい。
オーディアスはアラントゥナ側の人間として、ダナントという国の最期を見届けたのだという。
それを聞いたのは、私がアラントゥナでの新しい生活に慣れた頃。
正直、だからといって特に何を感じるわけでもない。オーディアスがアラントゥナの王族で、国兵を率いる将軍だと聞いたときの方が遥かに驚いた。私にとってあの国は、それほどまでに遠い。
代わりに塔のことは懐かしく感じているのだから、私の故郷とはダナントではなくあの塔なのだと思う。
『お前とお前の国は、お前の血に連なる者の手によって滅びるだろう』
これは父であるダナントの王が受けた呪いだが、同時に私を呪うものであったのかもしれない。
自分が死んだのと入れ違うようにして生まれた赤子に対して一国の王が心の底から怯えていたという事実を知れば、魔女は満足げに笑っただろうか。その光景を見れなかったことに舌打ちでもしたかもしれない。それとも、そんな小物の為に死んだ自分を嘆くのか?
既にいない人の心を私が知ることはないけれど。
そして、ハンナが父に呪いをかけた魔女の母親であったと私が知ったのは、塔を出てからずっと後のことだった。
反乱の最中、オーディアスがハンナと会ったのだという。
そのときに彼女は魔女として反乱軍の中にいたそうだ。天候を読み、未来を予測し、敵を惑わせる。老獪な魔女は、反乱軍の影の参謀役として国を滅ぼした。
塔から去った後、どういう経緯でハンナが反乱軍に入ることになったのかは分からないが、無事であるということを知ることが出来て安堵する。ハンナは私を育ててくれた人だから。
今にして思うと、元下働きにしてはハンナは知りすぎていた。
普通なら知り得ない王家の事情、王の悪癖と魔女の呪い、膨大な知識と洗練された教養。それらを知る者が、徒人ではないだろうことは当然だった。
魔女は親から子へ血と魔力と知識を受け継ぐ。ならば、ハンナも魔女なのは明確だろう。
童謡、民謡、流行り廃りのある流行歌、戦歌、儀歌、恋歌、古歌、子守歌。
ハンナが教えてくれた歌は数多くあるけれど、その中でも特別な歌が幾つかあった。
発音も発声も不思議なもので、ハンナが繰り返し歌ってくれたから覚えたものばかりだ。必要になるまで決して歌ってはいけないと教えられたそれは、魔女のみが知る口伝の呪歌。
加えてハンナが私に教えてくれた歌には、古語を使ったものもあったらしい。歌詞の意味など大して気にせずにうたっていたが、魔術的な意味合いの言葉も多く含まれているそうだ。
オーディアスとガルディアに出会った時にうたっていた歌もその一つ。
「ガルディアはドラゴンの中でも古代種だからな。古い言葉に惹かれたんだろう。それだけが理由ではないけどな」
そう、オーディアスは言っていた。
そして、あの塔から唯一持ち出した歌集は古語を使った魔術文字なのだという。
今はもう読める者もほとんどいない…否、この文字で綴った書物自体が既に散逸してしまったもの。現存が把握されているものは、歴史深い教国の古書庫にある数点のみという話だ。
それらの事実を知ったとき、唐突に理解した。
私も間違いなく魔女の娘だったのだ、と。
若き魔女が死んだ後にまるで彼女の生まれ変わりのように生まれ、老いた魔女に育てられた。
そんな私は、王家の血を引いていながらも魔女の娘と言える存在といえるだろう。
◇◇◇
歌をうたう。
城の中庭、青々とした芝生の上で。
傍らには、食事を終えたガルディアが身を丸めて微睡んでいる。
「ティア」
優しい声が私を呼ぶ。
ガルディアが警戒することなく身を伏せたまま、甘えるように鳴いた。
「オード」
そっと、彼の名を口にする。
オードとは、オーディアスが私に許してくれた愛称だ。あまり長い文章を紡げないでいた私が呼びやすいようにと、そう言ってくれた名前。
「お仕事、終わったの?」
「ああ」
オーディアスはアラントゥナの王弟だ。兄である王を支える勇ましき将軍。空翔る気高き竜騎士。古代竜の契約者。
私のような者など連れてきて問題が起こらないわけがないだろうに、何事もないかのように側に置いてくれている。
オーディアスがいないときは、ガルディアが私の傍から離れない。私を守ってくれるためだ。
複雑なようで簡単だが、面倒な生まれの私。父王が治めていた国は既になく、王家に名を連ねていた者達は粛清された。
アラントゥアの一部となったダナントは英雄となった青年が領主として君臨し、民や新しい上層部によって既に復興が始まっている。
衰退した国は、その有り様を変えながら新しい時代を刻み始めているのだ。
存在を知る者が誰もいなかったからこそ、私は生き延びることが出来た。
生まれなかったことにされた子供、名も無き王女、捨て置かれた娘、魔女の生まれ変わり。
それでも私は、あの王家の血を引き継いだ存在だった。しかも、ダナントの王と王妃の子。それは、混乱の元でしかない。
だが、この出自を伏せている私は身分どころか正体も分からない曖昧な存在。本来ならば、城に留まるべきではないだろう。
だけど、今はまだ。
傍らに座るオーディアスの肩に、そっと頭を寄せる。
「どうした、眠いのか?」
「ん…」
笑いを含んだ柔らかい声に、ふわふわと頷く。
本当は眠いわけではなかったけれど。オーディアスがそばにいてくれるならそれでも良いかな、と思った。
願わくば、この優しい人の元でこれからを生きていけますように。
~ Fin ~