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塔の上  作者: 八尾文月
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魔女の娘 3



 私を抱き込んだ格好で、彼はドラゴンの背に座る。

 慣れない私が落ちてしまわないようにだろう。


「これを着ておけ」


 羽織っていたマントで私をくるみ、彼はドラゴンに合図を送った。身体の横でゆったりと翼が動き、塔から離れて緩やかな下降を始める。

 身体に奇妙な感覚を感じた後に、ずしんと響く振動。


 そして私は物心ついてから初めて、塔以外の場所にいた。

 窓から見ていた木々が、地面が、こんなにも近い。


 身を低くしてくれたドラゴンの背中から下りる。手を貸してくれている彼に促されるまま、近くの木陰に腰を下ろした。

 すぐ側では、ドラゴンが丸くなっている。


「すまなかった」


 改まった様子で彼は謝った。


「言い訳にはなるが、普段はもう少し大人しいんだ。何故だかさっきから暴走気味でな」


 その視線の先には、伏せた状態でこちらを凝視しているドラゴンの姿。


「そもそも塔に気付いたのも、近くを飛んでいたときにあいつが急降下したからだ」


 この人にとっては色々と予想外の行動だったようだ。


「どうしてか最初は分からなかったんだが、どうやら歌に惹かれたらしい」


 彼は困ったような顔をしているが、その目は柔らかく笑っていた。


「こいつとは長い付き合いだが、歌が好きだとは初めて知った」


 呼ばれたと思ったのか、ドラゴンがのそのそと近付いてくる。


「ガルディアは、随分とお前の歌を気に入ったらしい」


 ガルディア?


 首を傾げると、こいつのことだ、と彼が寄ってきたドラゴンの首を叩いた。


 ガルディア。

 古い言葉で〈強き者〉を表す名前。


「だから許してやってくれと言うわけじゃないが…、怖がらせただろう。悪かったな」


 首を横に振った。


 私の歌に惹かれたというのが何かの間違いだとしても、歌を聞いてもらえたというのは嬉しい。

 ハンナがいなくなってから、私はずっと一人だったから。


 聞いてくれてありがとうという気持ちを込めて、ドラゴンに手を伸ばした。

 顎の下を撫でると目を細めて喉を鳴らす。


「名前を呼んでやってくれ。こいつも喜ぶ」


 その優しい口調に促されて口を開く。


「ガル、ディア…?」


 恐る恐る呼ぶと、べろりと顔を舐められた。驚いて目を瞬かせる。


「何だ、気に入ったのは歌だけじゃないのか」


 彼がくつくつと笑い声を洩らした。それに鳴き声で応えながら、腕に頭を擦り付けてくる。

 そして私の手を掬い上げるようにして自分の鼻の頭に乗せた。上目遣いでこちらを見上げて小首を傾げる。

 可愛らしい仕草だ。思わず口元が緩む。


「ふふっ」


 滑らかな黒鱗はひんやりと冷たい。とろりとした金の瞳が、至近距離で私の姿を映している。


「どうやら余程お前に懐いたらしいな」


 その深い色に吸い込まれそうになっていると、隣にいる彼が笑った。


 懐いている。

 それはガルディアが私に、だろうか。それとも私がガルディアに?


 拗ねたように彼を軽く睨む振りをすると、楽しげに目を細めた。からかわれているのだろうか。


「それで…」


 何か言いかけた彼は、言葉に詰まったようだった。


「あー…」


 目を瞬かせ、照れたように笑う。


「忘れてたな」


 何が?


 首を傾げる私に向き直る。


「俺はオーディアスだ。お前の名は?」


 思いもよらなかった問いに、私の口元に浮かんでいただろう笑みが消えた。

 自然と力無く頭が下がっていき、最終的に俯く。


「名前、は…」


 知らない、分からない。

 物心つく前から塔にいて、誰からも教えてもらえなかったから。その必要性もなかった。


 ハンナは私のことを姫様としか呼ぶことはなく、それ以外の人間とは会ったこともない。自分に名前があるのかどうかさえ、定かではなかった。

 だから、名前は言えない。


 首を横に振ると、オーディアスは一瞬だけ無表情になった。その冷たい表情に小さく息を呑む。

 ガルディアが気遣うように小さく鳴いた。


「あ、の…、違う、の。名前、言いたくない、わけじゃ…なくて…」

「名も無き王女というわけか」


 彼は小さく吐き捨てた。


「ぇ…?」

「いや…」


 一瞬だけ逡巡するように視線をさ迷わせたオーディアスは、ガルディアに頭を小突かれている。


「分かった分かった」


 彼は宥めるようにガルディアの顎を撫でながら私を見た。にっと笑う。


「お前の名前は、今日からティアだ。古代語で〈歌〉を意味している。俺の名にもガルディアの名にも似たような音が入っているしな。出会った切っ掛けも歌だから丁度良い」


 どうだ?と問われて、小さく頷く。


 ティア、と口の中で呟いた。

 綺麗な響きだ。私には勿体無い名前かもしれない。でも、嬉しい。


「ティア」

「っ」


 優しく呼ばれて、知らず涙が零れる。


 そして気付いた。

 私はずっと、誰かに"私自身"を呼んで欲しかったのだと。


 ガルディアが私の頬を舐める。


「泣くな」


 大きな手に抱き寄せられた。


「泣くな、ティア」


 ああ、堪えきれない…。


「オーディ、アス…」


 そして私は生まれて初めて、男の人の腕の中で泣いた。







 しばらく泣き続けて、ようやく涙が治まってきた。

 それでも未だにすんすんと鼻を鳴らす私の背中を、彼が優しく叩く。


 その仕草が懐かしく、幼い頃のことを思い出す。

 ハンナも泣く私をこうやって慰めてくれた。


 オーディアスの胸に頭を凭れ、その心臓の音を聞く。自分以外の鼓動は心を落ち着かせ、その温かさは安堵と眠気を運んでくる。

 頭はぼんやりとしているし、身体は気怠い。


 結局、と思う。

 私は寂しかったのだ。

 ハンナが塔を去り、独りで過ごした日々は虚しかった。初対面の人間を無条件に信頼し、縋りつきたくなるほどに。





 ぽつりぽつりと、どうして塔で暮らしていたかを話す。

 父が王であること、魔女の呪い、ハンナ。


 オーディアスには聞いてほしかった。そして憐れんで、覚えておいてほしい。

 自分が名を与えた人間のことを。


 オーディアスはただ、私のことを抱き締めてくれていた。







 ふわふわとオーディアスの腕の中で微睡む。

 今日は色々とありすぎた。それでなくとも、こんなに話したのは久し振りだ。


 真上にあった太陽が徐々に傾いてきた。

 それを見上げて、彼は軽く伸びをする。


「さて、そろそろ行くか」

「…ぁ」


 もう、行ってしまうのか。

 無意識の内に引き止めようとしていた自分の手に気付いて、強く握り締める。


 最初から分かっていたことだ。彼らは去っていってしまう人だということは。

 ガルディアも立ち上がり、たたみ込んでいた翼を大きく広げている。

 お別れなのだ。


 落胆が顔に出てしまったのだろう。

 オーディアスが怪訝そうな顔で私を見る。


「どうした、ティア?」

「あ、の…。また、会いに…来て、くれる…?」


 お願い、また会いに来て。…私のために。


「会いに来る?」


 彼は首を傾げた。


「ティア、ここに残りたいのか」

「え…」

「俺は、お前も連れていくつもりなんだが」

「え、え?」


 戸惑う私に、オーディアスは先程までとはどこか違う笑みを向ける。


「ガルディアは、小さい頃に俺が拾って育てた。名前を付けたのも俺だ。だから俺のものだと言える」


 唐突なガルディアの話に驚く。いきなり何なのだろうか。


「で、俺が拾って名付けたんだから、お前も俺のものだろう?」


 続けられたそれは一応疑問の形をとってはいるが、実際はただの確認で決定事項だった。

 当然のように言い切られて呆気に取られる。


 服を引っ張られるような感覚がして振り返ると、ガルディアが服をくわえて私を見ていた。


「ガルディアも、お前を連れて行きたいらしい」


 その言葉に同調するように、ガルディアがその身体に似合わない甘えた声で鳴く。


「どうする?」


 どうする? どうしよう。

 でも彼らと会ってしまった今、もう独りきりでいるのは耐えきれなかった。


 私はオーディアスの手を取る。


「い、行く…」


 小さくなりながら呟くと彼は優しく笑って私の髪を撫で、ガルディアは私の頬をそっと舐めた。





 塔を出る準備をする。

 宝物である歌集だけは、持って行くのを許してもらった。万が一戻って来ることがあるかもしれないハンナへ置き手紙も残す。


 父や国に未練はない。

 ただ、初めて見る外の世界への不安と期待があった。


 先程と同じような体勢でガルディアに乗る。


「じゃあ、行くぞ」


 声を合図にガルディアが翼を羽ばたかせた。

 塔よりも高く舞い上がる。

 風に乗ったのか急に速度が上がり、あっという間に塔は見えなくなった。 下に見える景色も、認識する前に後ろへ流れていく。


「しっかり掴まっておけよ」


 身体に回された腕に力が込められた。

 片手で手綱を操る姿は、本の挿し絵そのままだ。


 身体を押さえてもらっていても、地上に下りたときとは違って身体が上下に揺れた。

 顔が冷たくて痛い。


「被っておけ」


 フードを深く被せられ、視界が狭まる。

 それでも、沈みゆく夕日と赤く染まった空は今までの見た中で一番美しかった。



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