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塔の上  作者: 八尾文月
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魔女の娘 2



◇◇◇



 歌集を開く。

 適当に捲った頁から歌を決めた。今日はこれを歌おう。


 郷愁が籠められた歌。古い音で綴られるそれは、亡国の姫が異国の地で祖国を偲ぶという歌詞で。

 私の故郷とはどこだろう、とぼんやりと考える。

 ハンナが切なく儚く歌ったものも、私にかかれば感情がなく平坦になった。

 声を張って歌う気になれなくて、だからといって途中で止める気にもなれなくて。結果として独り言のようにただ歌い続ける。


 窓辺で歌っていても塔の下には聞こえないだろうけれど、空を飛ぶ鳥くらいは気付いてくれるだろうか。


 その時だった。部屋が急に薄暗くなる。

 今日は雲一つない快晴のはずで、驚いて俯いていた顔を上げた。


「え…?」


 塔の窓から部屋を覗き込んでいる巨大な生き物。

 本の挿し絵で見たことがある。ドラゴンだ。

 人里に現れることなど殆どないと言われているらしいのに、こんなところにいるなんて一体どうしたのだろうか。


 立ち上がった勢いで後退ったが、そのまま身体を凍り付かせた。


 ぎょろり、と大きな目がこちらを見る。

 …目が、合った。


 鋭い爪が格子を掴む。

 軋んだ音を立てて、鉄の棒が引き剥がされた。


「っ!」


 息を飲む。

 逃げ出したいが、背を向けるのも怖い。


 格子を投げ捨てたドラゴンはこの部屋に用があるらしいが、大きすぎて窓には鼻先しか入らないでいる。

 何とか入ろうと顔を窓に突っ込んだり窓の縁を噛んだり、などを何度となく繰り返した。

 それでも窓を通れないとに気付いたのか、悲しげな声を上げて窓から少し距離を取る。


 どうしようかと、途方に暮れた時。


「歌が聞こえた」


 一瞬、ドラゴンが喋ったのかと思った。


 勿論、そうではない。

 ドラゴンの影に誰かいたようだ。


 ドラゴンの背…正確には翼の根元辺りに乗った、鋭い目をした若い男の人。

 まるで本の挿し絵に出てくる騎士のような姿は、その眼光と相俟って威圧感を感じさせる。


 そう、彼は物語にも登場する竜騎士という存在であったのだ。


「そちらに行っても良いか?」


 その言葉に躊躇いながらも頷くと、彼は窓の桟に飛び移り部屋に入ってきた。

 身に付けた鎧と腰に下げている剣が互いに触れ合って軽く音を立てる。


 近くで見ると、彼は背が高かった。

 私の目線が彼の胸元より低い。こんなに身長差を感じるのは、小さい頃にハンナを見上げていた時以来だ。

 男の人とは、こんなにも大きなものなのか。何だか自分が子供に戻ってしまったような気がする。


「驚かせて悪かったな」


 私の前に立った彼は軽く頭を下げた。

 笑うときつめの顔立ちが緩み、優しげな印象を与える。


「あいつも普段はもう少し落ち着いているんだが…っ止めろ、ガルディ!!」


 一瞬で穏やかな表情をかなぐり捨て、突然に彼が叫んだ。


 みしりと、どこかで嫌な音がする。


 視線を辿ると、窓を広げようとしたのか窓枠を掴む鱗と爪の生えた両の手。

 彼が乗ってきたドラゴンだ。

 掛けられる力に耐えきれなかったのか、周りの石壁までが歪み始めていた。


「ちっ!」


 目の前の人が、鋭く舌を打つ。

 私に耳を塞いでいるように言って、大きく息を吸った。


「後先考えろ! お前の馬鹿力だと塔まで壊れるだろうがっ」


 轟くような大音声。


 勢い良く叱り飛ばされ、ドラゴンは少々落ち込んだように力無く塔から距離を取る。

 大きく羽ばたく翼が風を巻き起こし、彼と私の髪や服を翻らせた。

 完全に離れてしまうつもりはないようで、部屋の中が見えるくらいの場所に留まる。

 くうくうと鼻を鳴らして私達の様子を窺っている姿は、妙に愛嬌があった。


 何だか可哀想に思えて、ドラゴンに意識が向く。

 ちらちらと外を気にしている私に、彼は苦笑したようだった。


「…外で話すか」


 外。

 その一言が耳に響く。


 外に行けるのか。

 行くことが出来るのか。


 期待に満ちた目でその顔を見上げた現金な私に、彼は吐息で笑った。


「ドラゴンに乗ることになるが、大丈夫か?」


 大丈夫でなくとも乗ろう。


 部屋にある鉄扉は鍵がかかっていて、私には開けられない。

 窓から見える地面は遠すぎるが、ドラゴンという存在がある今、扉を開けようとするよりも確実だろう。

 それに気付いていたらしい彼はくしゃりと私の頭を撫で、ドラゴンに声をかける。


「聞いたな? 下に行くから、二人乗るぞ」


 返される唸り声は肯定のようだ。


 先にドラゴンの背に乗った彼は、窓越しに私へと手を差し伸べた。

 ふわりと身体を持ち上げられる。


「軽いな」


 私を抱き上げた彼は、眉を顰めて唸った。

 その目は鋭く、冷たい。


 外を想って膨らんでいた気持ちが一気に萎んでいく。


「ごめ…なさい」

「ああ、謝るな。別にお前に怒っている訳じゃない」


 それよりも声が枯れているなら無理に喋るな、と窘められた。


 ずっと喋っていなかったせいか、会話が上手くいかない。

 言葉を忘れないように独り言を言ったり歌ったりしていたのに。相手のいる会話は久し振りすぎて、話す声がまるで自分のものではないかのような違和感があった。

 決められた歌詞であれば滑らかに出てくるというのに、自分で考えて声に出す言葉はただ拙いばかりだ。


「大丈、夫。無理、してない…。慣れてない、だけ」

「…そうか」


 細切れで聞き取りにくいだろう言葉。それを真剣に聞いてくれた彼は頷いて、私の頭を撫でてくる。

 その手の感触が心地良く、目を細めて受け入れた。



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