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塔の上  作者: 八尾文月
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魔女の娘 1


王女、魔女、呪い、歌、ドラゴン、竜騎士、ハッピーエンド


 私は、生まれた瞬間に幽閉されることが決まった人間だった。




 私の父は一国の王で、その治世は平凡なものだ。…少なくとも表向きは。

 たとえ先王が変えようとしていた悪習に目を瞑り、平民の官僚登用を止め、後宮に入り浸る。

 そんな私腹を肥やしたい貴族や官僚にとって扱いやすく都合の良い人間であっても、今のところ大きな破綻は見せずに国は動いているらしいのだ。


 良くも悪くも変化のない凡庸な王。更に父には悪い癖があり、それは美しい女、若い女に目がないことだった。

 貴族から使用人、果ては街の娘まで。その節操の無さは呆れるほどだ。

 父がその好色さの報いを受けることになるのは、半ば必然的なことだったのだろう。


 十数年前、父が戯れに手を出した女は魔女だった。

 誇り高い魔女は自分を穢した男を憎み、その全身全霊を懸けてある呪いをかけた。


 『お前とお前の国は、お前の血に連なる者の手によって滅びることになるだろう』


 一国の王に向かって昂然と顔を上げ、傲慢なほど高飛車に言い放った魔女は美しく、だからこそ恐ろしかったという。

 そして魔女は自ら命を絶ち、その呪いを完成させたのだった。


 その数日後、城では王妃が子供を産む。

 その子供は、先だって死んだ魔女と同じ色の瞳をしていた。

 憎悪に冷たく燃えた魔女の目を覚えていた王は恐怖に震え、生まれたばかりの子供を塔に閉じ込める。生まれたことさえ隠して。


 その子供が私だ。

 母である王妃は出産に耐えきれずに亡くなり、その事実は王が更なる脅威を感じるには十分な出来事だったのだろう。

 国と自分を滅ぼす者。それが私であると父は思ったのだ。




◆◆◆




 それから月日は流れ。

 私は今でも塔の上で生きている。


 私が王の娘だと知る者は、ほとんどいない。

 少なくとも、この塔を監視しているらしい兵士達は知らないだろう。きっと、罪を犯した貴族の娘か何かのように思われているはず。

 私の存在など、そんなものだ。


 食事は一日に一度。

 空腹という感覚も忘れて久しい。

 もっとも、部屋から碌に動かない状態では空腹も何もあったものではないが。


 人の出入りもない。

 ただ、元々は下働きであったらしいハンナという一人の老女だけが、私を世話してくれていた。

 私は勿論のこと、ハンナも塔の外に出ることはない。

 外にいる兵士達を介して食料や衣服といった必要なものを手に入れていたようだ。

 彼女は、足を悪くしていて階段を下りるのは危険なので引きこもっているほうが楽なのだと笑っていた。


 家族と死に別れ、知り合いもいないのだというハンナは、私を実の娘のように育ててくれた。

 ハンナはおっとりとした性格の上、甲斐甲斐しく優しい。本当なら、私などに巻き込まれてこんなところにいる必要なんてない人間なのに。ハンナは私に、すべてを教えてくれた。

 私が王族だということも、父母のことも、塔の外にある世界のことも。私がここに幽閉されている理由を教えてくれたのもハンナだ。


 彼女によるとかなり高いらしい塔の最上階に住む私達だったが、広く整った部屋で生活していた。

 上品な調度品と暖炉のあるゆったりとした部屋。続き部屋の寝室には天蓋付きの寝台。王が用意するに相応しいものなのだろう。

 実の子供に少しでも居心地の良い生活を与えたいという親心か、幽閉した娘に対する罪悪感からか、または他に理由があるのか。

 その答えを私は持っていなかったし、ハンナも何も言わなかった。

 知らなくとも特に困ることがあるわけでもなかったので、別にそれで構わない。




◇◇◇




 単調だが何事もない、平和な日常。この日々が、ずっと続くのだと思っていた。


 それが崩れたのは、とある冬のこと。

 王に呼び出されたハンナは、次の日になっても塔に戻って来なかった。

 それが何故なのかは分からない。任を降ろされた、戻るのが嫌になった、それとも…戻って来れない何かがあったのだろうか。


 その答えを返してくれる人はおらず、それでも夜と朝は交互に訪れ日々は変わらず過ぎていった。


 ハンナがいなくなってから、私は自分以外の人間の姿を見たことがない。

 食事は知らぬ間に部屋の隅の机に置いてあり、二重に閉ざされた扉には鍵が掛かっていた。

 水は扉の前にある水瓶に入っていて自由に飲むことが出来る。その水瓶は常に満たされていて、乾くことが無かった。

 だから誰に会わなくとも、私が飢えることは無い。


 ただ…誰もいない生活の中、心を過ぎるのは言葉にしようもない虚無感だ。


 ハンナがいなくなってからは、ぼんやりと考え込むことが多くなった。

 どうして、王は私を生かしておくのだろう。自分を滅ぼす恐れがある者など、さっさと始末してしまっておけば良いのに。それでも私は殺されることもなく、今も生きている。

 いつか王に会うことがあれば、その理由を聞くこと出来るだろうか。


 そんなことを考えながら、私は一人のまま変わらない日々を過ごす。



◇◇◇



 独りになって、二年ほどが過ぎた。


 誰とも喋らないでいると、言葉を忘れる。

 幸いなことにハンナは字を読むことができ、部屋に置いてある沢山の本を読み聞かせてくれていた。

 自分でも読みたいとねだると言語表を作ってくれ、私はハンナと会話をしながら文字や単語を覚えた。


 やがて絵本が読めるようになり、絵本が詩集や小説に、次第に歴史書や専門書となっていった。

 分類もなく様々な種類の本が乱雑に並べられた本棚は、恐らく要らなくなったものばかりが詰め込まれていたのだと思う。

 流石に魔術に関する本はなかったが、その他の分野は大概が置いてあるようだ。


 ハンナは賢く、様々な知識を教えてくれた。

 言語から始まり常識、教養、礼儀作法、言葉遣い。

 ハンナがいなくなってからの私は字を忘れないように本を漁り、言葉を忘れないように歌をうたった。





 恐らくハンナが持ち込んだのだろう、他の本に比べると古い装飾の歌集を手でなぞる。

 ハンナが歌ってくれたものの中では儀歌に近い荘厳な歌が多く綴られている歌集は、いつしか私の宝物になっていた。

 今の言葉とは違う言語で書かれたそれは、古い歌ばかりなのだと聞いている。それを眺めているだけで心が落ち着くのは、歌がハンナとの思い出の一番詰まっているものだからだろうか。


 ハンナは歌が巧かった。普段は嗄れた声が、大いなる自然を、恋人達の睦言を、戦火の悲嘆を、神々への讃美を、朗々と歌い上げる。

 そんな彼女に比べると、私の歌は随分と調子が外れて聞こえた。

 私がハンナと同じように歌えるようになる前に、彼女はいなくなってしまったから。




      お眠りなさい 愛しき吾子

      幸せな夢に浸りながら


      夢の中であなたは

      どんな場所にいるのかしら どんなことをしているのかしら


      強き聖獣と戯れ 優しき精霊と遊び 賢き魔族と笑う

      夢幻に広がる素晴らしき世界で


      良い夢を見られるように おまじないをしてあげる


      だからお眠りなさい 愛しき吾子

      そしてまた明日も 私に笑顔を見せて




 窓辺に腰掛け、歌をうたう。

 私の声は掠れていて、鳥一羽近寄ってきてはくれないけれど。それでも毎日、ハンナが唄ってくれた子守歌を口ずさむ。

 幼い私をこの歌で寝かしつけてくれた人は、もういない。



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