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塔の上  作者: 八尾文月
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幸せの定義 end

 飛び去っていくジノを窓から眺めていたセルヴィアは、背後から感じた気配に一瞬だけ眉を顰めた。彼女が無表情を張り付けたのと同時に、部屋の扉が開かれる。

 部屋に入ってきた男に、セルヴィアは静かな視線を向けた。


「お久し振りで御座います、陛下。今回はどのようなご用件でこのような場所においでになられたのでしょうか」


 少女の堅苦しい言葉に、王は僅かに表情を歪める。


 同じ容姿、似たような環境で育ったといっても、セルヴィアとその母親の性格は真逆と言っていいほど違っていた。

 彼女の母が可憐、無垢、たおやかで、春の柔らかな日差しの中で優しく咲く花であるとすれば。

 セルヴィアは清雅、冷淡、苛烈で、冬の夜の澄み切った空気の中に降り注ぐ月の光そのものである。


 今も穏やかに見えながらも慇懃無礼な態度を隠していない。

 彼女が王に敵意も期待も見せないのは、純粋に興味がないからだ。事実、セルヴィアの王に対する感情はひどく冷めたものだった。父親であるという認識も薄い。生憎、セルヴィアにとって王はただの他人にしか思えないのだから。


 そんな娘をどう捉えているのかは知らないが、セルヴィアに対する王の態度はどこかぎこちないものであった。どう接したらいいのか分からない、とその顔には書いてある。

 王の子として正式に王家に名を連ねている者の中には王女もいるはずだが、その子に対しても同じような顔をしているのだろうか。


 娘の存在を持て余す父に、セルヴィアは密かに眉をひそめた。

 禁忌を恐れるならば、どうして腹違いの妹などを愛したのか。疎むくらいなら、最初から子など成さねばいいものを。


 まるでセルヴィアがいることを確認するかのように、王は度々塔を訪れた。そして碌に話もせずに帰っていく。嫌々ならば来なければ良いのだ。来てくれと頼んだ覚えもない。


「…何か問題はないか?」


 今もセルヴィアと視線を合わせないように目を逸らしながら問う王。


「この通り、何の変わりも御座いませんわ」


 対して、セルヴィアも俯きがちに淡々と答える。そして心の中でそっと嗤った。

 幼い頃からこんな場所に独りでいたというのに、いまさら問題も何もない。それに、仮にあったとしてどうするつもりなのか。五年以上放置しておいたくせに。今になって急に家族愛に目覚めたなんて話ならば滑稽だ。

 

「そ、うか」


 言い淀む王を、セルヴィアは小首を傾げたまま黙って見ていた。一刻も早く王が立ち去るのを待ち望みながら。その仮面を貼り付けたような表情に、王が気付くことはない。


「だ、だがな、いつまでもお前にこのような生活をさせるのは心苦しいと思っているのだ」


 王の言葉にセルヴィアの目つきが一瞬厳しくなった――――が、その光は瞬く間に消え果てる。

 彼女はゆったりと微笑んだ。


「勿体ないお言葉に御座います」


 優雅な動作で一礼をする。礼儀作法は母の侍女達に躾けられたこともあって完璧だ。その手の教師が見れば、すぐさま人前に出せると太鼓判を押してくれるだろう。

 勿論、何を言い出すんだこの男、と内心で思っていることなどおくびにも出さない。


 しかし彼女の泰然とした態度は、次なる王の言葉により僅かに崩れた。


「それで、な。実はお前に縁談を考えておるのだが」


 セルヴィアの目が大きく見開かれる。同時に理解した。ああ、今日来た本題はこれだったのか、と。

 つまり、セルヴィアという存在に駒としての利用価値があると最近になって考えついたのだろう。どこに嫁がせる気か知らないが、どこぞの貴族の養子にでもして自分の都合の良いところに嫁がせるつもりなのだ。


 冗談ではない。


「…よろしいのですか?」


 セルヴィアは王の顔をまっすぐ見て微笑んだ。いつもなら決して浮かべない、儚げで柔らかな表情で。


「本当に、よろしいのですか?」


 どことなく甘やかな口調で語りかけると、王は目に見えて動揺した。

 哀しげに、寂しげに、ねだるように、彼女は無邪気な艶を乗せた声で囁く。


「わたくしを、どこかへおやりになられますの?」

「セシル…」


 わななく唇から零れ落ちた名前に、言った本人が驚いたようだった。セシルとは、セルヴィアの母の名前である。

 一瞬の沈黙の後、王は身を翻した。


「…また来る」

「お待ちしておりますわ」


 セルヴィアの声は届いたかどうか。

 王しか通れない隠し通路へと消えていった背中に、セルヴィアは深々と頭を下げた。












 逃げるように去っていった王を見送って一人部屋に取り残されたセルヴィアは、頭を下げたまま身体を震わせる。


「…ふ、ふふ…あははははははははははははははははははははははっ」


 込み上げてくる嗤いを抑えきれず、彼女は高らかに哄笑した。


 まさか。まさか未だに囚われているのか、あの男は。自らの妹に。もう十年以上前に死んだ女を、まだ愛しているというのか。

 娘にその面影を見て、あれほど揺らぐほどに。


「ははっ、はぁ…」


 異母妹を愛したからこそ、王は禁忌の味を知っている。再びその苦悩の中に足を踏み入れる気はないはずだ。だからこそ実の娘を意識して動揺し、動揺した自分に衝撃を受けていた。


 これでしばらくは、縁談だの結婚だの言い出してくることはないだろう。それ以前に、この塔へ足が向かなくなるのではないだろうか。


「次に来るときは一体どんな顔をしているのか見物だわ」


 セルヴィアは、彼女本来の表情で仄暗く笑った。





◇◇◇





 それは、王の訪問から数日経った頃。

 空が薄暗くなっていく中、セルヴィアは燭台に明かりを灯そうとしていた。


「ヴィア」


 その時、誰かがそっと少女の名を呼んだ。

 艶のある低い声。振り返ったセルヴィアは、窓際に立つ人を見て目を輝かせた。


「シファ!」


 花が綻ぶような微笑みを浮かべ、その人に駆け寄る。

 その勢いのまま抱き付いた。揺るぎない腕が、セルヴィアの身体を危なげなく受け止める。


「久し振りね」


 常にはない華やいだ表情を見せる少女は、拗ねたように男を見上げた。


「私のことなんて忘れてしまったのかと思ったわ」


 文句を言いたくなるのも無理はない。セルヴィアが彼に会うのは、実に三ヶ月振りであった。

 少女に詰られた長身の男は、身を屈めるようにして彼女を抱きしめる。切れ長で普段は鋭い目が、今は困ったように柔らかく眇められている。


「…すまなかった」

「ふふ、冗談よ。ジノが持ってきた手紙を読んだから知ってるもの」


 申し訳なさそうに眉を下げる男を悪戯っぽく見つめ、笑みを浮かべる。

 王と対峙する時とは比べものにならないほど生き生きとした表情。


「それにしても、早かったのね。手紙にはもう少し掛かると書いてあったと思ったけれど」

「ああ。急いで終わらせてきた」


 男の肩で、今日は普通の鴉と同じくらいの大きさになっているジノが、自分の存在を主張するように鳴いた。男が苦笑して、その翼を撫でる。


「ジノが妙に急かしてな」

「あら」


 どうやらジノは、寂しいと感じていたセルヴィアの気持ちを汲み取って主を引っ張って来てくれたらしい。


「ありがとう、ジノ」


 ふわりと微笑んで囁けば、セルヴィアの頬へ頭を擦り付けてくる。本当に賢くて優しくて可愛い子だ。後で好物の果物をあげようと思いながら、その嘴を撫でた。


「セルヴィア」


 ジノで和んでいるセルヴィアに、固い声が降ってくる。


「なぁに?」

「王が来たらしいな」

「…流石、情報が早いわね」

「爺さんが知らせてきた」


 話しながら、二人は窓から離れてソファーの上に座った。ジノは男の肩を離れて近くの衝立の上に身を落ち着かせる。


「そう、魔術師長が…」


 シーファルイスという名のこの男は、魔術師だった。セルヴィアとは、彼女が塔に閉じ込められた当初からの付き合いだ。

 彼は優秀な魔術師であり、宮廷魔術師の長の孫でもあった。祖父のように王に忠誠を誓っているわけでもなく、ジノと共にどこぞの秘境の奥地で隠者のように暮らしているという変わり者だ。そして幼い頃に偶然知り合ったセルヴィアに、今も会いに来てくれる優しくて愛しい人。


 今もセルヴィアを心配して、厳しい顔をしている。彼は祖父と同じく彼女と王の微妙な関係を知っていた。更に、セルヴィアの王への隔意も。


「大したことはないわ。いつも通り私の様子見と、縁談がどうのとたわごとを言いに来ただけ」

「縁談?」


 シーファルイスはますます眉をひそめる。恋人が他の男と結婚するかもしれないという話を聞いて愉快と感じる者もそういないだろう。

 そんな彼の様子に、セルヴィアは肩を軽くすくめて見せる。


「大丈夫よ。二十年近く経っても、未だに私を殺すことも表に出すことも出来ない男だもの」


 それが最近になって急に父親面して結婚相手を押し付けてこようとしたのだから驚きはしたものの。返り討ちにしてやったし、そもそも今までいないものとされていた娘に縁談とは実現する可能性の低い思いつきだと思う。


 シーファルイスは深い溜め息をついた。そして、真剣な顔でセルヴィアの顔を覗き込む。


「王が煩わしいなら、その手の届かない場所に連れて行ってしまおうか?」

「そうね。王が私をどこかに嫁がせるなんて馬鹿なことをしたときは、どうかこの手で連れ去ってちょうだい」


 戯れるようにそう言いながら、それが夢物語なのだとセルヴィアは知っていた。


 この国は魔術に特化した王国だ。いくらシーファルイスが優れた魔術師だとしても、数いる宮廷魔術師達から逃げ切れるとは限らない。ましてや宮廷の魔術師達の頂点には、年齢の分だけ知識と術を貯め込んだ魔術師長がいるのだ。あの老人が、相手が孫であろうとも手を抜くはずがない。


 だからこれは仮定の話。セルヴィアもシーファルイスも分かっている。その上で、最終手段として覚悟を決めているということも。


 あれから、王は来ていない。魔術師長からのとりなしもあっただろうし、セルヴィアのことを最愛の異母妹の娘であることを再確認してしまった王自身が彼女を手放す気などなくしているだろう。

 だから、ただ今は。このまま停滞した空間の中で微睡んでいられる。







 セルヴィアは、たとえ自分が一生塔から出ることが出来ないとしても一向に構わなかった。

 シーファルイスの肩に頬を寄せて目を閉じる。抱き寄せられる感触に微笑んだ。


「私の愛しい魔法使い」


 彼がいれば、他にはもう何も必要はなかった。





  ~ Fin ~



愚かな王様。


閉じ込められているからといって、悲嘆と怨嗟の中で暮らしているとは限らないというのに。

何が幸せかなんて自分で決めるわ。


ねえ。


塔の中のお姫様が不幸だなんて、一体誰が決めたというの?



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