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塔の上  作者: 八尾文月
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神はいない 11



◇◇◇



 翌朝、王城にけたたましい限りの悲鳴が響き渡った。


 駆けつけた者達が見たのは、あってはならない姿をした二人の人物。

 集まった使用人の間からも小さく悲鳴が上がる。


「こんな…こんなことが…」

「こんな筈はない! 何かの間違いだ! お前ら、早くこの姿を何とかしろ! 俺は王子だ、次期国王なんだぞ!」


 鏡の前で呆然と膝をつく男と、錯乱したように喚き散らす男。

 そう、彼らはディナントの国王と王太子だった。


 昨夜までならば、喚く王子の言葉に従って皆が動いただろう。しかし今、二人に近付く者も命令を聞く者もいない。

 魔の色と人々が忌み嫌う黒。それがよりにもよって、国を治める者とその世継ぎの身に現れようとは!

 王の寝室に王太子までいるのは、彼が父親に助けを求めたからであろう。それが二人して悲鳴を上げ、自ら人を呼び寄せたのだから救いようがない。


 侍女から報告を受け、少し遅れて部屋に着いた赤髪の王女は軽く肩を竦めた。自業自得と嘲り笑おうにも間抜け過ぎて、思わず毒気が抜かれる状況だろう。


 それにしても、随分と面白いことになっている。


 部屋を覗き込み、ファビナはそう思った。

 誰もが立ち入りたがらないでいる部屋の中で放心して立ち尽くす、二人の男達。先日までのレノアとは違い、彼らは斑に黒く染まっている。

 それは髪だけではなく全身にも及び、まるで得体の知れない病にかかっているかのようにも見えた。その姿は、まさに呪い。

 その姿を見た者は皆、身分に関係なく一様に嫌悪の眼差しを向けていた。黒を厭うのは人間の本能のようなもの。しかもこのような薄気味悪い様子では、姿を見るのも耐え難い。


 そんな人々が遠巻きにする中、ファビナは二人の前に立った。その背後にはユリファスとキーリも佇んでいる。

 眼前に立つ少女に、王が気付いた。髪を振り乱し、ファビナに近寄ろうとする。


「おお、おお。王女か。父を助けておくれ」


 黒ずんだ手が、縋るかのようにファビナの身体に伸ばされる。


「ご冗談を」


 まったくの無表情のまま、ファビナは父親の言葉を切り捨てた。凍り付くような眼差し。

 しかし次の瞬間、恐ろしいほど美しい笑みを浮かべる。


「勿論、冗談ですわよね?」


 本気であって堪るものかという口振りで、柔らかく明確な拒絶を示す。

 肉親の情など、既に存在しない。そんなものは二年も前に見限った。今あるのは、冷めた感情だけだ。苦笑するユリファスと目を伏せたキーリも、父王の声に応じることはない。


 まったく、冗談ではなかった。どの口が助けろなどと言うのだろうか。こちらが助けてほしかった時には、平然と見捨てたというのに。


「お前、私達に逆らうのかっ!?」


 力無く崩れた王に代わり、怒鳴るのは王太子だ。それをファビナは一層冷ややかな視線で見やる。


 父親よりも更に疎ましい兄。これが余計なことをしなければ、この二年間レノアは苦しまずに済んだのだ。

 掴みかかってきた男を、ユリファスが割って入るより先にファビナは手に持った扇で打ち払う。


「っ!」

「そちらの責任をこちらに押し付けられても困ります」


 二人の状態が呪いなのかアルフィードが何かしら仕掛けた結果なのか、ファビナは知らないし興味もない。ただ、これは明確な理由になる。王を退位させ、王太子を廃嫡させる理由に。


 有能な侍女のお陰で既に人払いが済んでいるこの場に、現在は五人の王族しかいなかった。しかし、王達の姿を幾人の者が見ただろう。箝口令を敷いたとしても、人の口に戸は立てられない。

 二人には表舞台から身を引いてもらおう。そうなっても、別に大した支障はない。予定よりも引退してもらう時期が早まっただけなのだから。


 身に黒を纏わり付かせた二人の男を見下ろす。


「その姿、原因は既にお分かりの筈なのでは?」


 特に王は、心当たりがある筈だ。あの馬鹿げた暴挙の始末をレノアに押し付けた本人なのだから。

 視線を合わせようとしない王に、ファビナの目を眇めた。


「二年前のこと、知らぬとお思いですか」


 その声は厳かで冷たい。


「聖地を穢した罪、忘れたなどとは仰いませんでしょう…?」


 視線で人が殺せるなら、彼らは既に息をしていないだろう。それほどの殺気と怒気がファビナを取り巻いていた。

 ようやく原因に気付いたのか、王太子が青ざめる。その姿はどこか滑稽だ。自覚がないから後悔も反省もしなかった出来事が、今更ながら罰せられることになろうとは思ってもいなかったのだろう。

 浅慮、短慮、思慮不足。こんな男が王になれば、国が崩壊する。


「まさかこんなことになるとは…」

「今更、そんな…」


 王太子が嘆き、王が呻く。


 それを鬱陶しそうにファビナが見下ろしたその時、まるで図ったように侍女が騎士を数人連れて戻って来た。

 既に状況は知っているのか、騎士達は黒に侵食された二人を見ても顔色一つ変えない。侍女は信用の置ける者を選んだのだろう。ファビナも見知った、口の固い者達ばかりだ。


「連れて行って」


 歴史深い王宮にはそれ相応に後ろ暗い部分も存在し、その一つに豪華な牢部屋がある。罪人というよりも、貴人を閉じ込めるための部屋。

 処遇が決まるまではそこで過ごしてもらおう。


「元に戻す術を知っているのだろう!?」


 王が叫んだ。


「…何の話ですか」


 返すファビナの声は低い。


「あれの呪いは解けた。ならば、この姿も元に戻せるのではないか!」


 王の言葉に希望を見出したのか、王太子も目を輝かせる。


「…ふ、ふふ…あははははははっ!」


 高らかに笑い出したファビナを流石の騎士達もぎょっとしたように見るが、王家の子供達は平然とした態度を崩さなかった。


「これは異なことを仰りますね」


 レノアが黒髪となっていた時期があることを知っているのは王とファビナ、そして侍女だけだ。キーリは話だけで実際に見たことはなく、それ以外の者は王が処分してしまった。

 そうして無かったことにして、そうして隠し籠めて、一度も会いに来たことなどなかったくせに。気にかけたことなどなかったくせに。


「陛下が何のことを仰っておられるのか、皆目見当もつきませんわ」


 そんなことより、と紅い唇が囁いた。


「お二人は、城をお出になられることになりましょう? でしたら、お住まいは森の奥にある塔になさってはいかがです」


 毒々しいまでの悪意を持って、少女は嗤う。


 レノアが閉じ込められていた、あの塔。彼らのために、誰があの長い階段を登るだろうか。

 当然、ファビナは御免蒙る。自分達が何をしたのか、姉が受けた仕打ちを少しでも思い知ればいいのだ。そしてそのまま朽ちていけ。


 がっくりと力無く連行されていく二人を見送り、レノアはユリファスとキーリを振り返った。


「さて、これから忙しくなるわね」


 突然の代替わりは混乱を招きやすい。しかも王太子までいなくなり、成人前の王子が玉座に座ることになるとなれば尚更だ。


 ファビナはすぐ下の弟妹に微笑みかけ、身を翻した。


 動くのならば早い方が良い。

 官を宥め、民に周知し、諸国の詮索をかわし、ユリファスの王位を磐石なものにしなくては。






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