神はいない 10
初老の男と共に王の元へ歩み寄る、金髪緑眼の姿の良い青年。
「まあ!」
「素敵な方ね」
「どちらの家の方なのかしら」
令嬢達がはしゃいだように囁き交わす。
その存在感故に注目を集める彼は、平然とした様子で王の前に立った。
「クラトリスから大使を任されております、バルバトス・ロイーエと申します。本日はお招き頂きましてありがとうございます」
初老の男がゆったりとした仕草で礼をとる。
「うむ」
頷きながら、王は大使の隣に視線を向けた。無言の要求を受け、一礼した青年も口を開く。
「お初にお目にかかります。アルフィード・カイン・クラトリスと申します」
遠巻きに聞き耳を立てていた者達が、密やかに息を呑んだ。
その名は、クラトリスの王太子のもの。
無礼講に近い宴とはいえ、招かれた他国の王族は事前に城で滞在し、王に連なる席に着いているのが常だ。比べると、アルフィードの登場は予想もしてないものだった。
大国の跡継ぎが、何故に前触れもなくディナントの舞踏会に紛れ込んでいるというのだろうか。
その疑問は、王が一番強く感じていた。しかし、当然のように微笑んでいるクラトリス人の二人に何も言い出すことが出来ずにいる。
「…う、うむ…、楽しんでいかれよ」
結局、一言そう告げるだけで精一杯だったようだ。
「ありがとうございます」
詮索させなかったアルフィードが上手なのか、話題にも出せなかった王が情けないのか。
どちらにせよ、彼はこの舞踏会への参加を認められたことになる。
「お言葉に甘え、今宵は美しい華と踊り明かしたいと思います」
そう言って、アルフィードは広間を振り返った。
空気が変わる。
秀麗なる貴公子に選ばれたいと数多の令嬢が頬を染め、潤んだ瞳で大国の王子を見つめた。
期待と好奇の視線を物ともせず、歩き出したアルフィードが向かったのは愛しい王女の元。レノアの前で膝を着き、大仰なまでの身振りで恭しく手を差し出す。
「踊っていただけますか?」
レノアは頬を染め、はにかむように笑ってその手を取った。
「喜んで」
曲が流れる中、二人は広間の中央に向かう。美しい一組に、人々は自然と場を譲った。
ふわりとドレスの裾が翻る。緩やかな音楽に身を任せ、彼らは流麗な踊りを見せていた。優雅に踊る二人に、周囲は見惚れている。
アルフィードのリードは完璧で、レノアの足元が覚束無いときがあるなど誰も気付かない。卒が無さすぎる未来の義兄に、ファビナなどは舌打ちをしたくなったほどだ。
夢で見ただけの女を現実で探しに来るような非常識な男だが、基本的に有能であるらしいことは既に知っている。クラトリスは次代も栄えるだろう。
喜びと興奮で煌めいている姉の顔と踊りを眺めていたファビナは、ちらりと王の方に視線を向ける。
この状況を、あの男はどう見ているのか、と。
王は、レノアの姿を見て驚愕したようだった。
それはレノアがここにいることにか、呪いが解けていることに対してなのか。どちらにせよ、いる筈もない娘の姿に動揺している。
対して、レノアは父王を見ていなかった。踊る相手を見つめ、溢れんばかりの笑みを浮かべている。このような笑顔、王は向けられるどころか見たこともなかっただろう。強張った顔で何を思っているのか。
レノアを見ているのは王太子の方もだ。性懲りもなく好色そうな嫌な視線を送っている。
それに気付き、ファビナは眉間に皺を寄せた。
「あの下衆野郎…」
開いた扇の陰、噛み締めた歯の間から低く唸る。
その淑女らしからぬ呟きは、すぐ近くにいたユリファスだけが聞いていた。
「姉上」
「あら」
小さく窘められ、ファビナは笑顔を取り繕う。
艶やかな微笑みは近くの男達を呆けさせ、弟に呆れさせた。
「ユリファス」
「…はい」
「今のは秘密にしてちょうだいな」
「はぁ…」
溜め息を吐きつつも何も言わずに頷いてくれるのだから、ユリファスは優しい。ファビナと侍女の口がなかなかに悪いことが姉や弟妹に未だ気付かれていないのは、彼のお陰である。
そんなやりとりの間に曲が終わり、ファビナ達の元にレノアが戻って来た。勿論、アルフィードも一緒だ。
それぞれ複数人から次の踊りに誘われているが、アルフィードが要領良く全ての申し込みを断っているようである。
「レノアお姉様、素敵でしたわ!」
「とってもお綺麗でした!」
双子が目を輝かせてレノアに話しかけた。
「ありがとう」
無邪気な賛辞にレノアも頬を緩めている。
二人はアルフィードに対して可愛らしくお辞儀をした後、レノアを引っ張って近くの椅子に座らせた。隣にはアルフィード。並んで座っている姿は、双子が気に入っている人形のようだ。そういえば、あれは レノアが見た夢の話をファビナから聞いたキーリが作ったものだったか…。
キーリがレノアに、ユリファスがアルフィードにグラスを渡している。レノアが妹達と歓談している間、アルフィードの相手はユリファスがするようだ。初対面を装ってお互いに名乗り、そのまま世間話に興じている。まだ十三歳であるユリファスだが、元々大人びているせいか妙に違和感はない。
その会話に、いつの間にか戻って来ていたトゥーリとショウンも混ざっている。思う存分食べたのか、満足そうな顔だ。
「アルフィード様は、ダンスがお上手なのですね」
「クラトリスには面白い工芸品があると聞いたのですが」
好奇心の赴くままといった様子で質問を重ねる少年達を、アルフィードは嫌な顔一つせず相手している。
その楽しそうな様子に釣られ、王子王女に話しかける者も出てきた。
王族として育ってきた彼らは如才ない社交性を発揮し、有意義に、または無意味に時を過ごしていくことになる。
夜も更け、未成年である六人とレノアは会場から引き上げていった。
アルフィードとファビナは広間に残り、何となく隣に並んで言葉を交わしている。当然、会話の内容はレノアのことなのだが。
「それで、これからどうするつもりなのですか?」
「そうだねぇ」
ファビナの問いに、アルフィードは腕を組んだ。
「レノアを見初めたことにして、今から結婚の許可でも貰ってこようかな」
「そんなに上手くいきますかね…」
ファビナは溜め息を吐いたが、結果としては上手くいくことになる。
「楽しんで頂けているかな?」
アルフィードに声をかけたのは王だった。アルフィードは柔らかく見える表情を作って頷く。
「ええ」
「それは良かった」
酔っているのか機嫌が良いのか、王の表情は妙に明るい。
ファビナは唇を引き結び、王に気付かれない内にそっとその場を離れてバルコニーに出た。
しばらくして同じようにバルコニーに出てきたアルフィードが、ファビナの視線を受けて苦笑する。
「聞いてしまったのかい?」
「残念ながら」
ファビナは険しい顔で吐き捨てた。苛々と欄干を扇で叩く。
先程の王とアルフィードの会話。人目も憚らず声高に話される内容は、レノアとの結婚を打診するものだった。
理屈は分かる。大国クラトリスとの繋がりは小国のディナントにとって有益なものだ。ファビナとて、そう王が判断するだろうと思って計画を練ったのだから。
ただ、予想外の展開に驚いただけで。
元々、建国祭は布石のつもりだった。この舞踏会を出会いとし、国を通して正式に申し込む。そうすれば自然な流れでレノアとアルフィードの婚姻が決まる。
クラトリスの王太子が踊ったのはディナントの王女だけ、逆もまた然り。それは他国や自国の貴族に対しての牽制になる。
だから、王の提案は好都合なのだ。だが、どうも釈然としないのは王に思うところがあるからだろう。
王は会話の中で、大事な娘と言った。大事な娘だから、幸せにしてほしい、と。
よく言ったものだ。その娘に自分が何をしたのか忘れているのなら、随分と都合の良い頭である。
レノアを見た時は随分と動揺していたようだが、利益を前にして吹き飛んだのか。王はファビナが思っているよりも、ずっと単純な男だったのかもしれない。
無責任に調子が良いのは王太子も同じだが、これは血筋というよりも育ち方の問題だろう。この二人の教育者は責任を取るべきだ。主にレノアと民に対して。
「今更。…本っ当に今更。クラトリスの王太子という肩書きは、あいつらにとって相当に利益性のあるものであるようですね」
「そのようだね」
「奴らを姉様に近付けないで下さい。…どんな手段を使っても」
榛色の瞳が金に染まる。
「あれらは害毒でしかありません。二年前に姉を身代わりにして逃げ、今なお反省一つしない」
「辛辣だね」
仮にも肉親のことであるのに、ファビナの言葉は苛烈極まりない。
「姉や弟妹達にも国にも悪影響しか与えない連中など、庇う必要などありませんでしょう」
口端を吊り上げ、彼女は嗤った。
美しく、酷薄に。
◆
建国祭は、表向き何事もなく幕を閉じた。
表面上も幾つかの波紋を、水面下に至っては大きな渦を作りながら、それでも何の問題が起きるわけでもなく舞踏会は終わったのだ。
これから、ディナントは変わっていく。それを知っているのは一部の官吏と少数の貴族、そしてファビナを始めとした王家の子供達。
だが、その計画も未だ時間をかけて行われる筈だった。
しかし、運命とは皮肉なものなのだと、翌日に彼らは知ることになる。




