神はいない 6
最低な父親、最低な兄。それを幼い頃から見てきた身としては、手当たり次第に女に手を出す男になど姉を渡したくはない。ファビナの偽らざる本音だ。
これはレノアとアルフィードの問題であって、他人が口を出すことではないのは知っている。だが、レノアにはもう泣いてほしくない。
「もう相手がいるのなら、姉様は諦めて下さい」
洩れた声は、無意識の内に懇願の色を多く含んでしまっていた。自分の弱々しい声に歯噛みする。お前に姉を娶るだけの器量があるのかと、言い掛かりをつけるつもりであったというのに。
そんなファビナをアルフィードは静かに見下ろした。
「クラトリスの王には、代々夢見の能力があってね」
はっとしたようにファビナは顔を上げる。
「夢…?」
「そう、夢。先見や予知夢というほど明確なものでも定まったものでもないけれど、判断材料の一つにはなる程度のものではあるんだ」
レノアがアルフィードと出会ったのも夢の中だった。
その力で、彼は夢を渡ったのだろうか。
「夢で恋した相手が、愛する生涯の伴侶となる。父も祖父も、そうして正妃を得た」
それはまさに運命だ。人の意志を超えた力による巡り合わせ。人によっては、神の御業と言うであろう事柄。
それを得るのは、幸せなのか不幸せなのか。
「それに…」
アルフィードは想い人の妹に微笑む。
「僕は父母に似て、一途な質なんだよ」
これが最初で最後の恋なのだと呟く彼は、確かに幸せそうに見えた。
「幼い頃に夢見た時から、愛せるのはレノアだけだ」
その気持ちは刷り込みにも思える。それとも、本能なのだろうか。どちらにせよ、アルフィードはレノアを選んだのだ。
運命などファビナは信じない。信じた途端、その理不尽さに泣きたくなるから。それでも…。レノアにとって、それが幸福であることを願う。
どのような御託を並べ立てようとも、二人は出会い想いを繋げることが出来たのは事実なのだから。
「差し出がましいことを申しました」
スカートの裾を抓み、腰を低く折って非礼を詫びる。
「謝罪は必要ないよ」
アルフィードは緩く頭を横に振った。
「分かっている…いや、知っていると言うべきかな。レノアが置かれていた状況も、それに至った経緯も」
それもまた、夢で垣間見たのだろうか。
「だから君の懸念も、この国の問題も分かる」
口元に微笑みの形はあれど、その目は冷たい。全てを知ってしまっているならば、この国の評価はとても低いものになっているだろう。
「いっそ、連れ去ってしまおうか。この塔を見にくる者はほとんどいないのだろう?誰かが彼女を攫ったとしても、気付かれなければ全て変わらぬままだ」
アルフィードの言葉に、レノアは黙って目を伏せる。
ファビナと侍女以外、塔には誰も来なかった。元凶である兄もレノアを生贄にした父も、一度だってこの塔を訪れたことはない。
逆に、弟妹達には許さなかった。この姿を見せたくないと、レノアが言ったから。
二年と少し。言葉にしてみれば僅かに聞こえる時間、だが感覚としては長く辛い期間。夢の中で、孤独な姉は何を語ったのだろう。
「…いいえ」
しばらくして、ファビナは首を横に振った。
「いいえ。その必要はありません。二年以上もの間このような場所に閉じ込められていた姉様に、更に肩身の狭い思いなどさせられませんもの」
このままレノアがクラトリスに赴けば、父の妨害や干渉を心配することはないだろう。だが、その場合のレノアの身分は "王子が連れてきた、正体不明の小娘" だ。そんな存在が、容易く受け入れられるわけがない。レノアにとっても居心地の悪いことになるのは簡単に予想できる。
それならば、どんなに小国であろうとも王女という価値がある方がいいのかもしれない。
ファビナはそう考えたのだ。
「運命の娘というだけではなく、一国の王女として連れて行って下さいませ。婚礼衣装も花嫁道具も、私が用意致します」
それに、レノアのことを待っている者達もいる。弟妹達とレノアの侍女、そして祖父である侯爵。彼らはレノアの幸せを知る権利があるのだから。
「…分かった」
「感謝致します」
沈黙が二人の間に落ちた。レノアについての話が終わってしまえば、同時に言葉を交わす必要性も消滅してしまった。
申し合わせたわけでもないのに同時に動き、レノアの元に歩き出す。
部屋に戻ると、レノアは食事を終えていた。
「お話は終わったの?」
先程よりも穏やかな表情で、ファビナとアルフィードを迎えた。
「ええ。お待たせして申し訳ありません」
「全部食べられたんだね」
ファビナはその手から食器を受け取り、再び寝台に腰掛けたアルフィードがその頭を撫でる。
擽ったそうにしながらも大人しくその手を受け入れているレノアに、ファビナは嬉しいような寂しいような感覚を覚えた。自分が大切にしていた者が他に一番を見つけてしまったという、溢れんばかりの喜びと言葉に出来ない物悲しさ。
一般的に親が娘を嫁に出すときは、このような気持ちになるのかもしれない。ファビナはレノアの親ではなく妹なのだが。
「今日はこのまま部屋で休み、明日にでも塔を下りましょう」
昏睡状態だったレノアはあの長い階段を下りられないだろうと判断したファビナは、姉にそう提案した。
「そうね…。流石に今日は動けないわ」
頷くレノアは、身動きするのもどこか気怠そうだ。会話と食事をするだけで体力を使い切ってしまったのかもしれない。
七日ほど寝たきりだったこともあり、手足も萎えているだろう。
「僕が抱いていこうか?」
アルフィードが口を挟む。
ファビナは小首を傾げた。レノアの方を窺うと、困ったように苦笑される。
「急に動くのは良くないですから。少し様子を見て、それから考えましょう」
レノアが口を開き掛けたが、ファビナは姉に何も言わせなかった。
レノアは自分のことで人に負担を掛けるのを嫌がる。それが身内でも、恋人でもだ。誰かの手を煩わせるくらいならと、無理してでも動きかねない。
それならば、明日辺りに侍女に医学的な判断を仰いだ方が建設的だろう。今は一人で動かない方が良いと言われたら、その時に運んでもらえば良いのだ。
「ああ、そうだね。無理はしない方が良い」
そんなファビナの考えを大体悟ったのか、アルフィードが頷く。
申し訳なさそうな顔をしたレノアに笑顔を返し、その額に軽く口付けを落とした。
「じゃあ、僕はそろそろお暇するよ」
「え?」
唐突な辞去の言葉にファビナは驚いたが、それ以上に衝撃を受けたのがレノアだ。
眠気にとろりとしていた瞳は見開かれ、何か言おうと開き掛けた唇は震えるばかりで言葉を失っている。まさに茫然自失だ。
「落ち着いて」
迷子になった子供のような途方に暮れた顔をした彼女を宥めたのは、アルフィードだった。
「起きたばかりでレノアも疲れているだろう? 今日はもう休みなさい。明日もまた来るから」
レノアの頭を抱き締め、耳元で囁く。
「…ん」
素直に頷いてレノアは目を閉じる。あやすように一定の速さで背中を叩かれ、緩やかな眠りへと落ちていった。
小さく寝息を立てるレノアをアルフィードが寝台に横にさせる。
その一部始終を、ファビナはただ見守るしかなかった。毛布を掛けてやっているアルフィードへと、ぽつりと呟く。
「姉様は、貴方を頼りにしているのですね…」
私よりも、という言葉は口の中で消えた。
子供のように甘え縋るレノアの姿は初めて見る。
ファビナの前で、レノアはいつも優しい姉であり頼りになる大人だった。そんなレノアがこんなにも無防備に甘えている姿はとても珍しい。 恐らく、それほどまでにアルフィードを信頼しており、呪いと幽閉による心の傷は深いのだろう。
眠っている今でさえ、アルフィードの服を掴んだ手を離そうとはしない。
「よろしければ、今宵はここにいて下さいませんか?」
「良いのかい?」
アルフィードが意外そうに片眉を上げる。先程までの敵意を見ていたら当然か。
「今は、貴方がいてくれた方が安心です。姉もその方が良いみたいですし」
実を言うと、ファビナはレノアが眠ってしまうのが怖かった。また眠り続けてしまうのではないかと、怖かったのだ。
だが、アルフィードが傍にいれば目覚めてくれる。そんな確信があった。
「夕食は侍女に持って来させますから」
「分かった」
「では、私はこれで。明朝には顔を出しますので。…ああ」
踵を返し掛けたファビナは、アルフィードを振り返った。
「昏睡状態から目覚めたばかりで、姉は弱っています」
悪戯っぽく笑う。
「くれぐれも、無体なことをしないで下さいませね」
アルフィードは、苦笑することでそれに応えたのだった。
書きためていたデータが飛んでしまい、書き直しのため更新が不定期になります。
ご了承下さい。




