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塔の上  作者: 八尾文月
15/23

神はいない 5




 そんな殊勝なことを考えていたのは初めの内だけ。

 それから半刻も経たぬ内に、ファビナの忍耐は早くも切れてしまった。


 いつレノアが起きてもいいようにと用意していた消化の良い食事を手に、衝立の向こう側に乱入する。

 枕に背を預けて半ば起き上がったレノアに安堵の溜め息を吐き、寝台に腰掛けて姉の手を握り締めた男を見て小さく舌打ちをした。


「ファビナ…?」

「姉様、食事は出来そうですか?」


 戸惑ったような声を上げるレノアに歩み寄り、ファビナは心配そうな表情で食事を示す。

 その際、男のことは視界に入れていない。


「でも…」


 代わりというわけでもないが、レノアが男を窺うように見る。

 視線を受けた男はふわりと微笑んだ。


「気分が良いようなら僕のことは気にせず食べてしまうといい。待ってるから」

「はい…」

「…」


 レノアは頬を染め、ファビナの目が据わる。


 何だってこう、いちいち甘い空気になるのだろう。世の恋人達とは、皆このようなものなのか。


 恋愛事と関わりなく無頓着に生きてきたファビナに、この状況は大変居心地が悪い。

 見つめ合う二人の間に割り込み、食事が出来るよう場を整える。自分で食べると言うレノアに匙を持たせ、近くにある丸椅子に腰を下ろした。


 長い間絶食状態だったレノアは、食べやすいように野菜を漉したスープをゆっくりと口に運ぶ。



「そういえば」


 それを眺めながら、唐突に思い至ったという顔で白々しくファビナは手を打った。


「自己紹介がまだでしたわね。私はファビナ・ルイ・ディナントと申します。レノアの妹ですわ」


 名に国名が付くのは王族だけだ。レノアが王女ということをさり気なく主張しつつ、ファビナは上品に微笑む。

 気分は巷で噂の小姑である。姉を幸せに出来る器かどうか、存分に試してくれよう。


 だが、その余裕は男が告げた言葉で崩れた。

 彼は優雅に腰を折り、改まった口調で言ったのだ。


「こちらこそ失礼した。私の名はアルフィード。アルフィード・カイン・クラトリスという」


 その名乗りは、ファビナに衝撃を与えた。


「クラトリス…!」


 クラトリスといえば、歴史ある大国である。ディナントから西方に位置し、近隣でもっとも発達した国だ。肥沃な土地、豊富な資源、盛んな交易、優れた技術、強大な軍力、代々の賢王による穏やかながら堅固な治世。誰もが羨む豊かな国だった。

 その国名をその名に連ねる彼は王族、しかもアルフィードは現王の第一子の名だ。当代の王は王妃しか娶っておらず、つまり目の前の男はクラトリスの次期国王ということになる。


 王太子とは、随分と大物が出て来たものだ。身分だけを見れば申し分ない。


「姉様、少しこの方をお借りしても?」

「ええ。アルフィード様が宜しければ、私は構わないわ」


 レノアに許可を求めると、匙を握ったままおっとりと頷く。

 弱った胃も固形物のないスープは拒絶しなかったらしい。良い傾向だ。落ちた体力が元に戻るのもすぐだろう。


「ありがとうございます」


 ファビナの視線を受けて、アルフィードと名乗った男は苦笑しながら立ち上がった。







「率直に聞きます」


 部屋を出たファビナは、律儀に扉を閉めているアルフィードに向き直る。


「貴方はクラトリスの王太子殿下ということで宜しいのですか」

「クラトリス国王の第一子というのは間違っていないね」


 ファビナの口元が僅かに引き攣った。

 回りくどい言い方だ。夢の中で恋に落ちた女を探す旅に出るような変人(ロマンチスト)の割には、実に王侯貴族らしい。


「…レノア姉様をどうするおつもりですか」


 問う声は固い。それに応えるアルフィードには、宥めるような柔らかさがあった。


「国に来てもらうつもりだよ。僕の奥さんとしてね」

「それを、姉様は?」

「話してる。僕が王子だということも含めて」


 つまり、レノアも悟り覚悟しているということだろう。王太子妃として大国に嫁ぐことを。


「そう、ですか…」


 ファビナは目を伏せ俯いた。


「…のに」


 口の中で何事か呟く。その震える声は小さくて、アルフィードには聞き取れなかった。


「ん?」


 ファビナがきっと顔を上げる。


「私の大切な姉様なのに。こんな奴に横から掻っ浚われるなんて!!」


 耳を澄ましたアルフィードの耳元で喚き、ファビナは大人気なく地団駄を踏んだ。

 半ば覚悟はしていたとはいえ、悔しいものは悔しい。守って守られて愛して愛されてきた姉が、夢物語の王子如きに連れて行かれるなんて。

 更に悔しいのは、想い人でありクラトリスの王太子でもある男の元に輿入れすることがレノアの幸せと庇護に繋がるという事実だった。姉のためを考えれば諸手を挙げて喜ぶべきである。

 だが、たった一人の姉を遠方に連れて行ってしまう男が気に入らないファビナとしては、どこぞの馬の骨とも等しい存在でしかない。難癖も付けたくなるというものだ。よって、自然とその口調は刺々しいものとなる。


「時にお聞きしたいのですけれど」

「何かな?」


 対して、アルフィードは実に爽やかだ。

 胡散臭い、とファビナは内心で悪態をつく。勿論、顔は仏頂面だ。


「国には既に奥様がいらして、姉を妾妃にするつもりだ…なんてことはございませんわよね?」


 そうだと言ったら叩っ切る。


「勿論、正妃はいないが側室もしくは愛人なら数人いる、などといったふざけたことも仰らないようにして下さいませね」


 ファビナは、複数の側室がいるにも関わらず常に若い女に手を出している父を心底軽蔑していた。

 王の務めか何かは知らないが、既に成人した王太子を始めとして王子だけで四人もの子供がいる(側室以外が産んだ認知されてない子に至っては、その人数も真偽も把握されてない)というのに側室を増やし続ける父はただの好色爺だ。


 そしてその父に瓜二つの王太子には怖気が走る。

 あいつは、自分の異母妹にすら手を出そうとした外道だった。


 狙われたのはまだ幼いキーリ。悲鳴が聞こえて駆けつけると、キーリを床に押さえつけた兄がいた。

 あの時の感情をどう表したらいいだろうか。

 ファビナの目の前は真っ赤に染まり、気が付けばキーリの上から蹴り剥がしていた。鞭を取り出す余裕もない。今すぐキーリの前から消し去ってしまいたかった。


 無礼者、この俺を誰だと思っている、次期国王様だぞ、俺に逆らうな、お前など処刑してやる。

 頭部を踏まれ動けないでいる兄は、それでも自分の優位を疑わず喚き散らした。そして…。

 レノアは自分を拒絶したから呪いなどにかかったのだ、と。兄と呼ぶのもおぞましい、あの男はそう言った。そう言い放ったのだ、あの下種は!


 あの時の憎悪は言葉に出来ない。ユリファスが止めなければファビナはあの場でアレを殺していた。

 父の側室に手を出す程度で満足していれば良いものを、ファビナの姉妹にまで目を向けるとは万死に値する。その首を持って神殿に赴けば、レノアの呪いも解かれたかもしれない。


 しかし、相手はディナント国次期国王という身分を持っている。

 そんな相手を始末するには、その時のファビナはまだ力も時間も足りていなかった。レノアの姿が元に戻った以上、正式に動き出すつもりではあるのだが。




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