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塔の上  作者: 八尾文月
12/23

神はいない 2





◇◇◇




 レノアが塔に幽閉されて、二年の月日が流れた。

 幽閉は解かれず、呪いもまたレノアの身に留まったままだ。


 ファビナは暇さえあれば姉の元へ通いつめ、寝る時間を削って呪いを解く方法を探していた。

 そのことをレノアは知らない。

 言えば最初のように止められるのは目に見えているし、精神的な負担にもなりかねないからだ。それはファビナの本意ではなかった。出来るだけ早く、と思うのは姉を塔から解放したいファビナの我が儘でしかない。


 だが、彼女には別に急がなければならない理由が出来た。王がファビナを追い払いにかかったのだ。


「どういうことでしょう」


 縛り上げられた男を王の目の前に放り出し、ファビナは冷えた声で尋ねた。

 今の彼女は夜着にガウンを羽織り、手には黒の長く丈夫そうな鞭を持っている。拘束されている男は気を失っていた。

 王は顔をしかめる。夜中に叩き起こされたのが原因ではないだろう。


「お前の夫だ」

「わたくしの?」


 了承どころか話にも聞いていない。ファビナは自分の夫だと言われた男の顔をまじまじと見た。

 ファビナには見覚えがないものの、この国の貴族なのだろう。気絶してはいるが、目鼻の整った若い男だ。貴族の女性に好まれそうな細面の優男である。

 しかし、ファビナの好みには掠りもしていない。むしろ、異母兄に似ていて腹が立つ。


「後宮に王以外の成人男性は立ち入ることを禁じられているはず。なのに何故、後宮の一室である我が寝室にいたのでしょう」

「余が許可を出した」

「陛下が…」


 ファビナは服の袂で口元を押さえた。


「…くっ」


 一応は我慢しようとしたようだが、結局堪えきれないといったように噴き出す。

 嘲りを隠さない笑いは王に向けられていた。


「何を笑う」


 王は不機嫌さを隠さない。

 ファビナは目を細めて王を見た。


「不義密通の許可を自ら出したと仰られるものですから」


 これを笑わずにして何を笑う。そう、彼女の目は言っていた。

 王の顔に過ぎるのは、怒りと僅かな動揺だ。


「…っ戯れ言を」

「この男がわたくしの部屋に来るまでに、寄り道した可能性は否定しきれないのでは? それとも、その行動はすべて把握しているということでしょうか」


 王の言葉に被せるように、ファビナは更なる疑惑を植え付ける。その声には悪意が滴り落ちんばかりだ。


「近く後宮で子が産まれたとき、ご自分の子だと自信を持って言えまして?」

「…」


 部屋の隅に控えている近衛兵の鎧が小さく音を立てた。高貴なる父娘の会話は、それなりの衝撃を彼らに与えたらしい。

 白い顔で黙り込んだ王の姿に溜飲を下げ、ファビナは小首を傾げた。最後にきっちり釘も刺す。


「このようなことは今後ないように願います。次は侵入者として切り捨てますので」


 話はこれで終わりだと切り上げようとした彼女を止めたのは、苦々しげな口調で言い放った王の言葉だ。


「どう足掻こうと、その者がそなたの夫であることは変わらぬ」


 ファビナの目元が僅かに引き攣った。


「婚姻書にサインした覚えは御座いませんわ」


 返す声に感情はない。

 冠婚葬祭に関わることは神殿の管轄であり、神の前で当人達が誓わなければ正式な結婚とはならないはずである。


「王命だ」


 それを王も承知していながら、なお強制するつもりか。


「わたくし、自分より弱い殿方に身を任せる気はありませんの」


 それなりに鍛えているとは言え女のたった一撃で気を失った男は、まだ意識が戻らない。それでなくとも、王に命じられたからと王女を夜這いしようとする男など願い下げだ。


「父親の言うことが聞けないのか」

「父親…?」


 ファビナは目を細める。


「ご冗談を」


 冷めた口調で切り捨てた。鞭が握り込んだ手の中で擦れ、軋んだ音を立てる。

 今更、父親を名乗るつもりか。弟妹の中では、この男の顔すら知らない者がいるというのに。


「陛下」


 ことさら強調して呼称を紡ぐその声は、氷点下の冷たさを纏っている。


「その者の処分はお任せ致します。よろしいですね?」


 疑問の形を取ってはいるが、彼女の言葉はただの確認だ。王が何か言い出す前に頭を下げて踵を返す。


 王と第二王女の不仲は、もはや公然のものとなっていた。

 ファビナは以前から暗愚で利己的な父王を軽蔑していたが、敬愛する姉に対しての処遇を切っ掛けに完全に見切りをつけている。

 王は自分に似ていない王女を幼い頃から疎んじていたが、成長するに従って一国の宰相に匹敵する知識と政治力を身に付け始めた賢明さを恐れた。今回のことも大方、既成事実を作って適当な貴族に降嫁させようとしたのだろう。

 何故だか、ファビナは下手に他国へ嫁がせることも出来ないと考えられているらしい。内情に詳しい上、王家に幻滅している彼女のことだ。姉や弟妹達の助命を条件に国を落とすための情報を進んで提供しかねないと思われているのだろう。まあ、それは概ね事実で、ファビナは自分の大切な人間が無事ならそれで良かった。

 国を思う気持ちがないではないが、国という形式よりも、平和な暮らしの方が遥かに重要だ。現国王にしろ次期国王にしろ、碌な人間でないことは身に染みている。

 自国の愚王より他国の賢王の方が頼りになりそうだというのは空しい限りだが、こうも実力行使で来られてはこれからのことを考えざるを得ないだろう。


 とりあえず妹達の部屋を移そう、とファビナは決意した。

 万が一など、間違ってもあってはならない。王の都合に妹達を犠牲にするつもりなどないのだから。





 翌日、ファビナは長い階段をひたすら登っていた。数えるのも気が遠くなりそうな螺旋階段の最頂部、階段の途切れたその奥にある扉を開ける。

 部屋の奥にある窓の前に座る人影に近付いた。


「姉様」


 そっと声をかけると、窓から外を見ていたレノアが艶やかな黒髪を揺らして振り返る。


「ファビナ、来てくれたの?」

「ええ。今日はお茶菓子だけではなくて、暇潰しのために色々持ってきました」


 後宮にいた頃にレノアが弾いていたリュート、刺繍やレース編みの道具、茶器一式、レノアの好みそうな題材の書籍。姉が少しでも過ごしやすいように、事情を知っているレノアの侍女と交代で持ち込んだものだ。

 王は塔に閉じ込めたこと以外、レノアに何もしなかった。それこそ、食事の世話すらである。

 初めの頃、部屋にあったのは簡素な寝台だけ。降り積もっていた埃を掃除し、家具や小物を運び込んで人の住める "部屋" にしたのはレノアとファビナと侍女である。


 今日持ってきたものを姉に見せようとしたファビナは、レノアの様子が常と違うことに気付いた。ふわふわと、どこかぼんやりとした様子だ。


「姉様、どうかなさいましたか?」


 心配になって声をかけると、レノアはファビナに向かって柔らかく微笑む。


「夢を見たの」


 そう呟く姿は、未だ夢の中を漂っているようにも見えた。


「夢、ですか」

「そう、夢よ。その中で人と会ったの。磨き上げた金貨のような髪と深い森を映したような緑の瞳の美しい人。私の姿に驚くことも嫌悪することもしないで、普通に接してくれた」


 頬を僅かに染めながら話すレノアは美しく、そして幸せそうに笑う。


「色んな話をしたわ」

「そうですか。良かったですね」

「ええ」


 塞ぎがちだったレノアが笑顔を取り戻したことがファビナには嬉しかった。例えその理由が、夢という曖昧なものであったとしても。




◇◇◇




 それから、塔を訪れる度にファビナはレノアから夢の話を聞くことになった。それは、レノアの空想が作り出したのだとは思えないほど鮮明に語られる。


 西国の人間であること。

 王族か、それに近い身分であるらしいこと。

 年齢はレノアの一つ上であること。

 話上手な上に博識で、難しい話も噛み砕いて分かりやすく教えてくれるということ。

 物腰が優雅で、誘われて踊ったダンスはとても上手だったこと。


 夢の中の人物に、レノアは次第に傾倒していくようだった。その不毛さを知っていて、なお惹かれていくのを止められないままに。

 そしていつしかファビナは、姉が恋に落ちたことを悟った。レノアの精神に危うい部分が見え隠れし始めたことにも。


「それでね、今日の彼は白馬に乗っていたの。凄いでしょう。あまりにも似合っているものだから、思わず笑ってしまったわ」


 くすくすとレノアは笑う。


「まるでお伽話ね。彼の姿も、私の今の状況も」


 童話の世界で、囚われのお姫様を救い出すのは誰?


「だから物語のような素敵な王子様が、私をここから連れ出してくれるのよ。…なんて」


 楽しげに話していたレノアの声が、ふと熱を失った。

 一瞬だけ掠めるように、その瞳に過ぎったのは虚ろな色。


「馬鹿よね、そんなことあるわけないのに」

「姉様…」


 そう呼びかけたまま、言葉が続かない。


 姉が壊れてしまいそうで、ファビナは怖かった。

 夢と現実の落差に耐えきれなくなってしまったら? 現実に何の希望も見い出せなくなってしまったら?

 早く、早く元の姿に戻る方法を見つけなくては。そう、気持ちだけが焦って空回る。

 古書や文献を漁ってみても神官長に問い質してみても、何も見つからない。


 気持ちの悪い焦燥感。


 ファビナは神の存在を信じていなかった。真に神がいると言うのなら、どうして禁を破りその咎を他者に押し付けた者が平然と暮らしているのだろうか。どうして姉が呪いを受けなければならないのだろうか。


 レノアに何も言えないまま、その日は塔を辞した。



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