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塔の上  作者: 八尾文月
11/23

神はいない 1


シリアス、王族、兄弟姉妹、王女、シスコン、呪い、ハッピーエンド



「ファビナ」


 優しい声が少女の名を呼ぶ。

 ファビナは唇をきつく噛み締めて、そっぽを向いた。


「嫌です」

「ファビナ…」


 溜め息混じりに再び名前を呼ばれる。

 この柔らかな声が、ファビナは幼い頃から大好きだった。だが、今回ばかりは笑顔で応えるわけにもいかない。


「ファビナ、意地悪を言わないで。こちらを向いて頂戴?」


 懇願の声に、ファビナな顔を歪めた。


「…レノア姉様」


 ぽつりと呼びかける。

 大好きな声の持ち主は、ファビナの大切な姉であった。


「なぁに?」


 レノアと呼ばれたのは、ファビナより幾つか年嵩の少女。姉妹である故に、その容姿はファビナと似通っている。


「姉様は何故、あのようなことを黙って受け入れておしまいになられたのですか?」


 振り返らないままに投げかけられた妹からの問いに、彼女は困ったように小首を傾げた。


「王命であるのよ」


 それに、と目を伏せる。


「呪いを受けた身で、王宮に居ることはできないわ」

「だからと言って!」


 ファビナは勢いよくレノアを振り返った。祖母譲りの燃え立つような赤髪がふわりと広がる。


「…だからと言って、あのような場所に姉様が行く必要などありませんでしょう…?」


 激しかけた感情を表に出さないように抑え込んだファビナの声が震えた。

 長椅子に腰掛けているレノアに近寄って、その身体を抱き締める。


「あの塔は…、罪人を入れるためのものではありませんか」


 身分の高い罪人を閉じ込めるための塔。それは王家の所有する、城に程近い森の奥に立っていた。

 入れば生きては出て来れず、一生涯を塔の中で過ごすことになる。それをレノアは甘受するというのか。

 縋りつくように抱き締めてくる妹の髪を、レノアは優しく撫でた。


「駄目よ。今では私の姿自体が罪なのだから」


 ファビナは、きゅっと唇を噛み締める。


「禁域を侵したのはあの男なのに、どうして姉様が罰を受けなくてはならないの?」


 ファビナの言葉に、レノアは黙って目を伏せた。俯くレノアの動きに合わせて流れる髪は漆黒。

 黒は魔を表す色だ。決して人間の持ち得ぬ色彩。禁忌を破った咎は強い呪いとなって、レノアの栗色の髪を黒に染め上げた。瞳は榛色から濃墨色へ。

 そしてその変化は、ファビナの目の前で起こったのだ。すぐさまレノアはその身を隠され、しばらくは原因不明の病だとして部屋に閉じ込められた。動揺する彼女に対する説明も配慮も何もないまま。

 同時に悪しき噂が流され、いつの間にかレノアは孤立させられていた。仲の良かった侍女や異母の弟妹達とも引き離され、現在レノアの元へ訪れるのは同腹の姉妹であるファビナだけだ。


「それだけでは飽きたらず、姉様を幽閉しようなどと…!」


 ファビナは低く唸った。怒りに染まった榛色の目。光の加減か感情の揺れか、その瞳には金の色彩がちらついている。

 ファビナは知っていた。父王と腹違いの兄が、呪いを回避するためにレノアを身代わりにしたことを。


 事の発端は、彼女達の異母兄である第一王子ハガスだった。

 彼は数年前の十六の歳に成人の儀と併せて正式な王太子となっていたが、まるでその地位に相応しくない男である。次期国王としての自覚もなければ、勇気と無謀を履き違えているような傲慢で独善的な横暴さのある性格。しかも周りがそれを助長するような者ばかりなのだから始末に負えない。

 そんな男は、何を思い立ったのか神域として如何なる者の立ち入りも禁じられている森に入り、あろうことかそこに棲む獣を狩ったのだ。誇らしげに兎を掲げてみせる王子に、事情を知った全員の顔から血の気が失せた。

 王はすぐさまお忍びで神殿を訪れ、息子の非礼を詫びると共に罰を与えるとしたら王太子以外にと懇願したらしい。その際に王が身代わりとしてレノアを指名したのか神が適当に選んだのかは知らないが、責任を他人に移行させようという行動にファビナは臓腑が燃え立つような怒りを覚えた。神がその要求を呑んだということも釈然としない。それを黙って受け入れる姉にも。


「…姉様は、優し過ぎる」


 だが、姉を甘い人だとファビナは言い切ることが出来なかった。

 レノアは常に自己を押し殺す。母が死んだ頃から、そうせざるを得ない状況で育ったからだ。嫉妬と憎悪と悲嘆の渦巻く後宮で弟妹達のために自分を犠牲にすることも厭わず、父や兄の自分勝手な言動も父の側室達の我が儘も黙って聞き入れて。そして、ただ微笑むのだ。それがどれほど悲しいものであるか気付きもしないで。

 だからファビナは、弟妹達を守ろうとするレノアを守ってきた。それはファビナが自分に課した誓いだ。姉の慈悲深さがそのまま彼女を潰してしまわないように、ファビナが盾となり剣となる。

 そうやって過ごしてきた日々が、あの血が繋がっているとも思いたくない男達に壊されるなど、許容できるはずもなかった。


 ファビナの榛色の瞳とレノアの墨色の瞳。二人の視線が交差する。


「…ファビナ」


 レノアはそっと囁く。

 彼女は、自分の妹がすべてを燃やし尽くす劫火のように激しい気性の持ち主であることを知っていた。それは時に自らをも傷付けるものであることも。


「大丈夫よ。住む場所が後宮から塔に変わるだけで、生活自体は変わらないわ」


 宥めるようなレノアの声。その聞き分けの良さが、ますますファビナを憤らせる。


「…何故、受け入れるのです。あのような奴らのために、姉様が我慢なさる必要などありませんでしょう」


 レノアは被害者なのだ。しかも、これ以上ないほど理不尽で身勝手な出来事の最大にして唯一の被害者。嘆き、悲しみ、怒り、恨み、憎み、罵る。その権利が彼女にはあった。それを、何故ここまで譲歩する必要があるというのだろうか。

 しかし、レノアは緩く頭を横に振った。諭すような口調でファビナに告げる。


「今、この国は危ういの。後宮(ここ)で噂を聞くだけの私にまで分かるほどに」


 それは、ファビナも知っていた。

 繰り返される増税、貴族の横領や強制徴収、物価の上昇、農民の反乱、拡大するスラム街。耳に入ってきていない情報もまだあるだろう。それでなくとも、王家に対する民衆達の不信や不満は高まってきている。


「これ以上、王家の威信を落とすわけにはいかないのよ。その時に犠牲となるのは、まだ幼いあの子達だわ」


 ファビナの下にも六人もの異母弟妹達がいる。上は十二歳、一番下に至っては八歳という幼さだ。

 何かあれば、王の血を引く彼ら…特に王子は無事で済まなくなる。大人の愚挙に、幼い子供を巻き込みたくはない。


「明日には、塔へ行くことになるでしょう」

「そんな…っ」

「分かって、ファビナ。それが最善の行動なの」


 ファビナはきつく拳を握る。

 レノアの今の姿は、魔女…もしくは魔族そのもの。下手をすると、民衆達の不満や反感を逸らすための生贄として公開処刑にされかねない。その身を隠すのは、事実の隠蔽と同時にレノアの命を守ることでもあるのだ。


「…いつまで」


 ファビナは唸るような声で尋ねた。レノアは黙ったまま首を横に振る。姿が元に戻るまで、レノアが塔の外へ出ることは出来ないだろう。生涯を塔で過ごさなくてはならない可能性もある。

 ファビナは大きく息を吸った。


「分かりました」


 レノアを見据え、強い口調で宣言する。


「私が探します。姉様を元に戻す方法を」


 レノアの顔色が変わった。穏やかな表情が消え、血の気の失せた顔で唇をきつく引き締める。


「駄目よ。止めなさい」

「姉様」


常にない姉の厳しい表情に、ファビナは一瞬泣き出しそうな顔をした。


「何故です」

「神のなさったことなのよ」

「罪なき者にこのような仕打ちをする神など、私は認めませぬ」

「貴女まで何かあったらどうするの」


 片や憎悪と決意を、片や憂いと諦観を。その瞳に浮かべて姉妹はお互いを見つめる。


「あの男が償うべき罪を、代わりに背負って生きていかれるつもりですか」

「…それが神のご意志なら」

「…」


 先に目を逸らしたのはファビナだった。


「ファビナ、あの子達をお願い」


 レノアはファビナの頬を両手で包み込み、こつりと額を合わせる。


「貴女も、身体に気を付けて」

「…姉様も」


 頷いたファビナはレノアを安心させるように微笑む。


「会いに行きます」

「ええ」


 王がそれを許すかは分からない。だが、大切な姉を独りで過ごさせるつもりはなかった。誰が何と言おうとも。


「ありがとう、後はよろしくね」


 レノアの優しい笑みに、ファビナはそっと目を伏せる。


「…はい」



 その日、ファビナはレノアと同じ部屋で夜を過ごした。







 レノアが秘密裏に塔へ移される日。


 フードを深く被り隠れるように慌ただしく連れて行かれる姉を、自室の窓からファビナは強い瞳で見送った。自らに言い聞かせるように、そっと呟く。


「待っていてください。姉様の呪いは、必ず私が解きますから」




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