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【2】 道徳家

 薄暗く埃っぽい六畳の和室にガラスの靴はひどく不似合いで、そのギャップがまた、透明に輝くその靴の存在感を強めていた。

久しぶりの畳である。

 というわけで僕は、少女とその兄が二人で暮らしているらしいボロボロなアパートの一室にお邪魔していた。

……なんというか、アナクロというか、化石物件である。

六畳一間。年頃の兄妹が暮らすには少し厳しい条件だ。贅沢は言えないのだろうが、日差しのライトの下で埃が踊っているし、二人で暮らすにはちょっぴり窮屈だろう。そう。二人は貧しいらしかった。

 それで、現状はというと、ちゃぶ台を挟んで向かい側に先ほどの兄妹が座っていて、僕はあぐらをかいて二人の話を聞いているという感じになっていた。



 心だか頭だかの中で何かがひっかかってしょうがなかったので、僕は力になれるかもしれないみたいな適当な嘘をついて二人の家にあがらせてもらった。こんな嘘にひょいひょいと引っかかるようでは将来が少し心配だが、とにかく話である。

 通されたこの部屋で僕は、二人からどうして走り回っていたのかとかを含めたその辺りの事情を説明してもらった。

二人の話を要約すると『お金がない・靴を売ればどうにかなる・靴は思い出の品だから売りたくない・妹は売るべき派で兄は売らないべき派で対立・喧嘩』ということらしい。

 もう少し詳しく説明すると、

 まず背景として、家賃やら学費やらが払えないぐらい家計が困窮していて、そのうえ身寄りがないのでこのままだと家を失ってしまうそうだ。確かにそういうわけでお茶もお菓子も出せませんと言われた。切実である。

 そして、靴。靴は大切な思い出の置物らしく、それなり相当の値段がするものなのだそうだ。(その思い出に関することはプライバシーだと判断して踏み込まなかったが、おそらく形見か何かなのだろう)二人曰く、この状況を打開できるのはガラスの靴だけで、靴を売れば必要なお金がどうにか工面できるとのことだった。

で、売ってしまえば万事解決なのだが兄がこれに反対した。思い出のガラスの靴を売ることはできないだとかなんとかが理由らしい。気持ちは確かにわからないでもないが、命あっての物種とも言うし、そこはどうにか吹っ切らなければいけないだろうに。

 それで、それがなんでここに繋がるかといえば、その先の話だ。

 そんな風にしてとりあえず家族会議(?)はひとまず中断されていたのだが、何日か経ったある日、つまり今日、妹の方が勝手に靴を持ち出して売りに行こうとした。

兄がトイレに行った隙だとかなんとか。バレないわけがない。バレなかったら相手はたぶん便器に向かって吐いている。だからそんなわけで妹の計らいはすぐにバレて、兄妹で町中を全力で追いかけっこしていた、と。

そういうわけらしかった。

「なるほどね」

 話を聞き終えた僕は腕を組んで目を閉じたまま、うんうんと二三回うなずいた。

「それで二人は喧嘩しているわけだ」

「喧嘩というか……いや、喧嘩なんですけど…………」

 おずおずという感じの妹に兄が言う。

「おまえが強引な手を使うからだ。そのせいでこの人にも迷惑がかかってるんだぞ」

 僕が首を突っ込んでいるだけなのに。

でも妹の方は礼儀正しく「すみません」とこちらに頭を下げた。が、すぐに厳しい顔で兄に向き直る。

「お兄ちゃんがぐずぐずしてるからいけないんだよ。アホ。この優柔不断! でくの坊! おたんこなすのドテカボチャ! ヤギに食べられて死ね!」

 何故ひどいことを言う時だけ人目を気にしないのか疑問である。

ていうか、ドテカボチャって、何?

兄の方は妹の罵理雑言には慣れているらしく、「おれは悪いことはしていない」と澄ました顔で正論を言う。たしかにそ――いや、妹を殴ったけどな。……それも不発だったけど。……不憫だ。

「お兄ちゃんの馬鹿! 鬼畜! ハゲあたま! うすら馬鹿! うすらハゲ!」

 止まらないらしい。もはや罵るだけ。

「禿げてねえし」

「ハゲ! ハゲハゲハゲ!」

「話聞けよ。あとおれ、禿げてねえから」

 兄よ、言いながら自分の頭を触るな。

「お兄ちゃんのハゲ!! 世の中金がなきゃ生きていけないんだよおおぉぉ!!」

 妹が叫んだ!

半分正解だが言っていることはただのろくでなしだ!

ブレス! 兄、叫び返す!

「だーかーらー! おれは禿げてないっていってんだろうがあぁぁッ!!」

「そっちじゃねえよ!」

 あんた、ずれてるよ。思わず突っ込んだ。

でも実際、人間いつかは禿げる。一年前の僕はオールバックだった。やめた。そういうわけだ。現実は厳しい。まだ二十代なのに厳しい。そう、年齢は関係ないのだ。

ていうか、ハゲを悪く言っちゃいけない。尊い跡地。生きてきた証。リスペクトすべき対象。それが禿げ頭なのだ。独特の語感に引っ張られて笑ってはいけないのだ。ある地域では髪がない方がもてるとかなんとかいうじゃないか。ものは見方だ。見られ方測られ方受け取られ方次第なのだ。髪も、力も、金も、顔も。

何でもそうだ。僕だって「タイプじゃないんです」みたいなフられ方を何度か経験している。そう。モノは見られ方測られ方受け取られ方なのだ。

「クソ兄貴。ド畜生…………お兄ちゃんの肝臓を売って、そのお金で肝臓を買って、買値よりも高くその肝臓を売ってっていうビジネスでどうにかならないかなあ」

 むごいわ。うっとり顔で言うな。ドナー探しを甘く見るな。

あと、親から授かった五体満足な体を大事にしろ。

「とにかく、私は靴売るから」

「なんでそうなるんだよ」

「死にたくないから」

「靴が夜な夜な毒ガスを吐いているわけでもないだろ」

「……はぁ。そうじゃなくて、このまま野垂れ死ぬわけには行かないってことだよ。脳味噌空っぽゴミ屑兄貴のクソ野郎。でべそ! クレソン! アバタケタブラ!」

 クレソン違うし。

結構アウトだし。

「そんなこと言っても売れないものは売れないだろうが」

 兄反論。妹溜め息。

「はぁ。お兄ちゃんはそうやって正論ばっかり並べて結局何もできないでぶっ倒れてるだけじゃない。馬鹿みたいに屁理屈ばっかり並べてそうやって一生、って言ってもすぐに野垂れじぬんだろうけどさ、死ぬまでそうやって馬鹿正直に不平不満だけ言って、そんで何も出来ないで死ぬのよ。死ね。死ね。天才でも秀才でもないくせに正しいこととか何とか言って、そんなんで生きていけるわけないじゃない。私たち凡人はね、多少のズルの中に本当のことを上手に紛れ込ませて生きていくしかないのよ。いつもそうやって言ってるのに何でお兄ちゃんはそうやって口を動かすだけなわけ? 私には理解できない。お兄ちゃんがそうやって死んでいこうとしてる理由がわからないわ」

 もはや、二人とも僕の目など気にしていない。

だけど、頭の中に何かがひっかかったままの僕は兄妹の喧嘩を止めずに漏らさず聞く。

「じゃあ悪いことして生きてくってことかよ。小さいころからずっとおれら子供は正しくあれだとか夢を追えだとか刷り込まれて育ってきたってのに急にこれかよ。お前に言うのはお門違いかもしれないけど、そんなの間違ってるだろ――」

「間違ってるのは悪いことをすることじゃなくて大人が子供に理想を吹き込んで育てるということだわ。お兄ちゃんは脳みそがないからそこを取り違えてる」

「だっておかしいじゃないか。あと人の話は最後まで――」

「お兄ちゃんの話なんか聞いても意味ないし。いつも言われてると思うけどさ、お兄ちゃんが思うほど現実って甘くないのよ。お兄ちゃんみたいな夢見がちな能天気バカがそのまま生きていけるわけないわ。努力すれば報われるとは限らないし、理不尽な仕打ちがニコニコしながら待ちかまえているものなの。……私の予想だと、このままだとお兄ちゃんは三年以内になんらかの形で死ぬわ」

「おれは間違ったことはしていないからそれはおかしいだろう」

「じゃあ聞くけど、何から見て何が間違っていないの?」

「常識から見て、おれの行いが、だろう」

 溜め息。額に軽く手を当ててやれやれと首を振る妹。

「確かにお兄ちゃんの行いは間違っていないかもしれない。でもね。お兄ちゃんから見て間違っていることの大半は、常識から見て間違っていないのよ。お兄ちゃんが今まで理想にすがりついて築いてきたお兄ちゃんの中の一般常識はね、社会の一般常識とは違うの。お兄ちゃんは常識がない、理想論正論で頭ふわふわお花畑のパーな道化師よ。とんだおバカさんよ。死になさい。いや、すぐに死なざるを得なくなるわ。私はそう思っているからお兄ちゃんに日頃から死ね死ねと言っているのよ。正直言って、お兄ちゃんがうざったいの。私が生き残るために一生懸命に工作画策しているその横でお兄ちゃんはぐちぐち間違っているとか良心が傷つかないのかとか自尊心とか悪とか嘘吐きとかペテン師とか人を欺いて生きてるとかなんとか……。私はお兄ちゃんほど命に執着がないわけじゃないの。私は社会の常識の中で生き残ってそれなりに幸せになりたいの。お兄ちゃんなんて糞喰らえだわ。死んでも悲しくない。邪魔者が消えただけって思うわ」

 一呼吸。兄は続きを待つ。

「……」

「まとめるわ。私がお兄ちゃんに死ねって言う理由はお兄ちゃんがうざいからと、死んでいくお兄ちゃんを見たくないからの二つよ。お兄ちゃんは社会の常識にこのままだと絶対に適応できない。社会不適合者よ。死ぬべきだわ。齧る脛も寄生先もないし、あったとしてもそうするぐらいならお兄ちゃんは腹を切るでしょうね。そのうち社会がお兄ちゃんを消してくれるわ。切腹でも縊死でも身投げでもお好きになさいな」

「……」

 兄は目を閉じて首を傾けて、耳も傾けて、話を聞いて、熟考しているようである。

妹は喉が渇いたのかなんなのか、シンクに向かってコップに水を注いで飲み干した。

ていうか。

ていうかこの妹、絶対やばい奴だ。言っていることはだいたい合っているのに、結論が全部お兄ちゃん死ねになっている。思考回路が確実におかしい。この毒舌と思考回路のまま行ったらそれこそ社会に殺されてしまうのではないかと僕が心配になってくるぐらいだ。つまり相当だ。

部屋が中途半端に静まり返って、音は消えたのにまるで声が響いたままかのような余韻が訪れる。無音残響。無音残響。

「それとも」

 あ、と思った。

滑らかで素早い動作。鋭く打ち抜く音が爆発して、金属音が取り残された。

「私が殺してあげようか?」

 シンクの前で銃を構えた少女がさぞ面白そうにそう発音して、二人の喧嘩が本格的に始まった。

僕はただ見ているだけ。何もしてやることはない。

こういうちょっとおかしい事件に出くわした時、常識のある人はそれを助けるでもなく、通報するでもなく、黙って眺めるか黙って立ち去るかするものだ。それが生きていくための常識というものなのだ。



 剣を抜いた状態の兄がゆらりと立ちあがった。

弾いて見せたらしい。

新世紀初頭に始まったいわゆらない『剣術』には、それまでには考えられなかった数々の技巧が存在している。斬鉄であるとか、衝撃波を飛ばすであるとかなんとか。

その中に組み込まれているものの一つに銃弾を弾く技能がある。

同じようなものを使っている自分にも仕組みはよくわかっていないのだが、というかそもそも、科学的に理論を説明することが不可能なので説明は割愛。そういう意味でもいわゆらない『剣術』は新世紀らしいものだ。

より低い声で兄が、

「やる気か?」

 と妹に尋ねる。

妹は、

「ええ」

 と、およそ微笑みとは言えない冷酷な微笑を浮かべて答え、兄に向けて何度も引き金を引きながらアパートを飛び出して行った。


 場所は変わって路上。僕は剣の柄に手を掛けたまま二人の喧嘩を眺めていた。

 新世紀中ごろから広まり始め、数年経ってから一気に普及したいわゆらない銃術を使う妹。いわゆらない剣術の兄。時代が選ぶだけあって、いわゆらない銃術の方が、実際にいわゆらない剣術よりも楽で強い。もともとのポテンシャルが別物だった。兄の方も真面目にがんばっているだけあってそれなりだったが、妹の言っていた通り、やはり生き方や戦術が甘い。できるものは突き詰めてできるが、できないものは中途半端かちんぷんかんぷん。使える技能が少なすぎて立ち回りが単調。それに、彼の良心か何かが小細工を許さないらしく、必然的にカウンター型の戦い方がメインになっている。

接近してこない妹は遠くから体力を削るだけの簡単なお仕事。最初は激しく争っていたが、そのうち兄はあっさり膝をついた。

なんだか、平行世界の自分だか自分の未来だかを見ているような気持ちだった。しがみついた先の理想がどんどんと現実に削られてすり減って、やがて理想は削り殺されて、そして僕の身も摩耗してその果てに果てた平行世界の自分。いわゆらない銃術が発展してじきに打ち倒される自分。

結局、そういうことなのだ。

そのうち、死ぬべくして彼は死ぬのだ。

例えば、金属がめちゃくちゃに詰められたバスタブに鉛の塊を投げ込んで、そして押し出されてくる金のように。

兄も。ただ、彼はまだ学生。高校生だ。

 妹は少しずつ兄に歩み寄って行き、より正確に照準を合わせようとしているようだ。

そして、

「さようなら、お兄ちゃん――――」

引き金を、


紫電一閃


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