カノジョは明日を知らない
ーカシャッ
レンズの奥で、ジジッと小さな巻き上げ音がした。
「また、何撮ってんの?」
「別に」
ピントはしっかり合わせて、慎重に…構図は
「ワッ!」
「ああ!何すんの」
「そんな怒らないでよ」
「今いいところだったのに」
そう言って睨みつけると、彼女は茶化すように笑った。
水鳥が飛び立つ瞬間の波紋
麩を投げ入れて鯉が口を開けるその瞬間
かき氷が溶けて水滴になる間際
そんな時に、私はカメラを構える。
「私のことも撮ってよ」
「イヤだ」
「減るもんじゃないのに」
「あんたは明日も変わらないでしょ」
「何言ってるの〜」
彼女は川辺に歩いていくと、座り込んだ。
そうして、チャプチャプと水を掬っては落とした。
ーカシャッ
「あ、今私のこと盗撮したでしょ」
「違う」
「ふーん」
彼女はそう言うと急に振り向いた。
ービシャッ
そんな音とともに勢いよく放たれた水が私の方まで飛んできた。
危うくカメラに水がかかりそうになって私はそれを服の下に慌てて隠した。
「ちょっと、バイト代貯めて買ったこと知ってるでしょ!」
「カメラばっか見ててもツマンナイよ」
私はその言葉に呆れてヤレヤレと首を横に振った。
「写真に残したらずっと見られるじゃん」
「カメラ越しより、実際に見たほうがさァ」
「撮った後に見ればいいから」
「ああ、そう」
彼女はまた黙って水を掬い上げた。
サラサラと零れ落ちていく水が、光に反射して砂のように見える。
「夏も、もうすぐ終わるね」
静かに彼女は呟いた。
「今、集中してるから」
私はカメラを構えたまま、ぶっきらぼうに返した。
「…」
それからは何も言わなかった。
帰り道、もう日は傾き始めていた。
サンダルのペタペタした音が2つ並んでいる。
彼女は、その間何も話さなかった。
いつもうるさい彼女が黙っているせいか、
息を吸って吐いて、そんな呼吸音が大きく聴こえた。
草が波を打って揺れているのが目に入る。
風が冷たくて気持ち良い。
この坂を下ったら、通りが見える。
いつもそこで私たちは何も言わずに手を振って別れる。
坂の半ばで、それまで黙っていた彼女が突然口を開いた。
「大学さァ、どうする?」
「どうするも何も、普通に行くよ」
「…」
また黙った。
私は足を止めずに歩き続けた。
夕日が影を伸ばしている。
ふと横を見てみると、彼女がいなかった。
後ろに遠ざかった彼女のところに私は向かった。
影が重なるところまで戻ると、私は不安になって尋ねた。
「明香、急にどうしたの」
目が合った。
瞳に夕日が映り込んでいる。
「引っ越すんだ」
私の目をまっすぐ見つめて彼女は一言だけ言った。
「…」
黙りこむ私に向けて、彼女はヘラリと笑うと、カメラを指差した。
「最後に、撮ってよ」
別に、今生の別れでもないし。
どうせ離れたって連絡はするんだから、切り取る必要のない瞬間だ。
手は動かなかった。
私がカメラを手に取らない様子を見て、彼女は目を伏せて笑った。落胆したように。
「知ってる。人は撮らないもんね」
その言葉を聞いて、思い出した。
私は一度だけ、人を撮ったことがある。
ーーあの日、
私は、お父さんから借りたカメラを首にぶら下げて、写真を撮りに行こうと明香を誘って外に出た。
夏だったから、明香は隣で暑い暑いとうるさく喚いていた。
灰色のコンクリートに電柱、蝉の声。
初めて手にしたカメラで、何を撮ろうか、そんな期待に胸が膨らんでいた。
急に、アイスを買おう、と彼女が言い出して、私たちは駄菓子屋に入った。明香を待つ間、私は椅子に座って、カメラのひもを弄っていた。
『あ、財布忘れた!』
奥からでもハッキリと聞こえる明香の大きな声に私はため息をついて、結局仕方なく2人で店を出た。けれど、暫く歩いたところで、
『あ!やっぱりあった!』
明香はそう言うと、私の手を引っ張って無理やり駄菓子屋の方に戻ろうとして、
私はそれにカチンときて、
ーその日初めて喧嘩したっけ。
「聞いてる?」
明香の声で、やっと意識が戻ってきた。
彼女は、戸惑っているようにも、悲しんでいるようにも見えた。
私は、躊躇ってから口に出した。
「撮ったこと、あるよ」
彼女は目を丸くした。
「私がいないとき?」
四六時中一緒にいたのに、と言いたげな表情に私は視線を彷徨わせた。
「初めて喧嘩した日、仲直りするときにアイス買ったじゃん」
「…」
「明香、買ってすぐに落として」
「泣いたでしょ」
「そんなこと、あったかな」
彼女は照れくさそうに頬をかいた。
「それを撮った」
彼女は吹き出して笑った。
「趣味悪っ」
私はそれにゆっくりと首を横にふった。
「違う」
「『仲直りの証だったのに』って明香が泣いて」
ーー『父さんが言ってた。
カメラは一瞬を切り取ってくれるって。
だから』
「写真を撮ったら、残るから」
私は、そう言った。
あの時の明香は私の言葉を聞いて笑った。
でも今は…
「…」
明香は何も言わなかった。
私は俯いた。
「大体、私が撮ってる写真全部、端に明香が映り込んでるし」
そういって、口を閉じた。
無意識のうちに、唇が震えていた。
「写真、
撮ろうよ」
耳に届いた明香の言葉に、私はギュッと目を瞑ってカメラに手をかけた。
私は一瞬を切り取りたい。
だから、あの日は例外だった。
そんなコダワリがまた私の手を止めた。
明香はポツリと言った。
「今だって、一瞬でしょ」
その言葉にハッとして顔を上げ、明香の方を見た。
その瞳には私が映っていて、ゆらゆらと揺れている。
零れそうなその光に息が詰まった。
カメラを持つ手に、ポタリと何かが落ちる。
私は目尻をぬぐって、それから、体を震わせながらも頷いた。
ーパシャリ
その日、初めて私はファインダーを覗かずに、シャッターを押した。
きっと、ピントも合っていない。
構図は、勿論イマイチ。
明香は私の渋い顔を見て察したのか、笑った。
「アハハ、下手くそ」
「うるさい」
私たちは、また歩き始めた。




