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旧サンタ・ルチア修道院-呪いの告解録

モニターの中で、鐘が鳴っていた。


イタリア、シチリア州パレルモ旧市街。

かつて修道院だったその建物は、今ではノクティス・グローバル不動産が抱える再開発案件のひとつになっている。


名称は、旧サンタ・ルチア修道院。


築四百年を超える石造りの建物。

中庭を囲む回廊。

剥がれかけた聖人画。

地下には古い納骨堂。

観光資源としては魅力的で、改装すれば高級ホテルにも、美術財団の別館にも、富裕層向けの会員制施設にも化ける。


ただし、一つだけ問題があった。


―――人が消える。


「……まただ」


深夜二時十三分。

現地管理会社から派遣された警備員ルカ・ベネデッティは、監視室の椅子に座ったまま、喉の奥を鳴らした。


旧修道院の中に、人はいない。


少なくとも、現実には。


だが、監視モニターの三番だけが違っていた。


そこには、誰もいないはずの回廊が映っている。

壁際には撤去済みの燭台があり、床には赤黒い染みがあった。現在の回廊にそんなものはない。改装前の資料写真にも残っていない。


なのに、映っている。


さらに奇妙なのは、音だった。


監視カメラに音声収録機能はない。

なのに、モニターの中から鐘の音が聞こえる。


ごおん。

ごおん。

ごおん。


重く、古く、腹の底を撫でるような音。


「やめろ……」


ルカは震える手で無線機を掴んだ。


この建物では、過去に三人の調査員が失踪している。


一人目は、建築士。

二人目は、文化財鑑定士。

三人目は、ノクティスの欧州支社から来た若い社員。


三人とも、最後に確認されたのは監視映像の中だった。


それ以降、現実のどこにもいない。


警察は事故として処理した。

現地管理会社は違法侵入者の可能性を疑った。

ノクティス・グローバル不動産は、社内文書にこう記した。


『設備不良による記録欠損。追加調査を要する』


ルカは、その文言を見た時に思った。


嘘をつけ。


これは設備不良などではない。


今も、モニターの中の回廊には、逆さ吊りの影が映っている。


人間のようで、人間ではない。

修道服のような布をまとい、首だけが不自然に曲がっている。


影は揺れていた。


現実の回廊に風はない。

窓はすべて閉じている。

なのに影だけが、鐘の音に合わせて、ゆら、ゆら、と揺れる。


ルカは立ち上がった。


「見ていない。俺は何も見ていない」


そう呟いた時だった。


モニターの中で、影の顔がこちらを向いた。


その顔は、二週間前に消えた若い社員のものだった。


「ひっ……!」


ルカは後ずさった。


その拍子に、背中が監視室の壁にぶつかる。


違う。

違う。

今のは見間違いだ。

録画の乱れだ。

映像ノイズだ。


彼は必死にそう考えた。


だが、次の瞬間、モニターの画面が一斉に切り替わった。


一番。

二番。

三番。

四番。

五番。


すべての画面に、同じ部屋が映る。


古い木製の小部屋。

壁の向こうとこちらを仕切る格子。

床に置かれた跪き台。

十字架。

黒ずんだ聖母像。


告解室だった。


そこに、一人の男が座っていた。


ルカ自身だった。


「……なんで」


モニターの中のルカは、跪き台に膝をついている。


現実のルカは、監視室にいる。


だが、画面の中の彼は震えながら何かを告白していた。

聞こえるはずのない声が、スピーカーもない監視室に染み出してくる。


『私は……見ました。見ていたのに、止めませんでした』


ルカの背後に、黒い修道服の影が立った。


影はゆっくりと手を伸ばし、画面の中のルカの首に縄をかける。


ルカは叫ぼうとした。

だが声が出なかった。


画面の左下に、白いノイズが走る。


その中に、一瞬だけ文字が浮かんだ。


CONFESSIO(告解)


次の瞬間、監視室からルカ・ベネデッティは消えた。


椅子だけが、床に倒れた。


モニターの中では、逆さ吊りの影が一つ増えていた。



「で、旧サンタ・ルチア修道院再開発案件についてですが」


会議室の空気は、露骨に重かった。


東京都港区。

ノクティス・グローバル不動産、日本支社。

第三資産管理部の定例会議。


世界各地の曰く付き物件、揉めている不動産、権利関係が腐った案件、行政と宗教団体と投資家の思惑が絡んだ面倒な案件が、だいたいこの部署に流れ着く。


要するに、社内のゴミ箱である。


黒瀬透は、その会議室の一番端で、紙コップのコーヒーを片手に資料をめくっていた。


三十歳。

中肉中背。

目立たない顔。

安いスーツ。

少し伸びた前髪。

社内での評価は、便利。


便利。


それは褒め言葉ではない。


雑務を振れば断らない。

海外案件でも文句を言わない。

炎上案件でも顔色を変えない。

休日に電話をしても、なぜか出る。


だから黒瀬透は、気づけば部署内で「困った時に投げる人」になっていた。


本人も特に否定しなかった。


否定するのが面倒だったからだ。


「現地管理会社の警備員が昨夜から行方不明です。これで失踪者は四名。欧州支社は追加調査を拒否。本社法務は、現地当局との調整が必要と回答しています」


課長の谷本が、プロジェクターの画面を切り替える。


旧サンタ・ルチア修道院の外観が映った。


黄土色の壁。

細い鐘楼。

中庭を囲む回廊。

夜の写真だからか、やけに窓が黒い。


若手社員の一人が、ぼそりと言った。


「これ、まだやるんですか?」


誰も笑わなかった。


「投資額が大きい。途中で損切りするにしても、原因調査のレポートが必要だ」


「原因って……人が消えてるんですよね?」


「正式には失踪だ。事故か事件かも確定していない」


「いや、でも四人ですよ」


会議室に沈黙が落ちた。


全員が同じことを考えている。


誰が行くんだ、と。


黒瀬は資料の三ページ目を見ていた。


監視設備一覧。

設置時期。

メーカー。

配線図。

録画サーバーの保存形式。


建物は古い。

設備は新しい。


監視カメラだけが、妙に新しい。


「今回も外部調査会社に投げる形で……」


「前回それで一人消えたんだろ」


「現地警察の同行を求めれば」


「警察はもう入った。異常なしで終わってる」


「じゃあ、誰か社内で……」


その言葉で、全員が目を逸らした。


黒瀬は紙コップを机に置いた。


「あ、俺いきます」


軽かった。


あまりにも軽かったので、会議室の空気が一拍遅れて止まった。


谷本が眉をひそめる。


「黒瀬、お前、内容分かって言ってるか?」


「はい。イタリアの事故物件ですよね」


「人が四人消えてる」


「そうですね」


「そうですね、じゃないんだが」


黒瀬は資料を閉じた。


「でも、誰でもいいんでしょう?」


その一言で、何人かが気まずそうに視線を落とした。


事実だった。


誰かが行かなければならない。

だが、誰も行きたくない。

だから、誰でもいい。


それが会社というものだ。


谷本は咳払いをした。


「……出張扱いにはする。危険手当も申請する」


「ありがとうございます」


「本当にいいのか?」


「はい。ちょうどパスポート切れてないですし」


「理由が軽いな」


「重くした方がいいですか?」


谷本は返答に詰まった。


周囲の社員たちは、半分呆れ、半分安堵した顔をしている。


また黒瀬か。


そういう空気だった。


黒瀬はそれに慣れていた。


会議が終わり、各自が席を立つ。

黒瀬も資料をまとめ、ノートパソコンを閉じた。


その時、谷本が低い声で呼び止めた。


「黒瀬」


「はい」


「無理はするなよ。妙なものを見たら、すぐ戻れ」


黒瀬は少しだけ目を細めた。


「妙なもの、ですか」


「ああ。現地から送られてきた監視映像を見たが……正直、気分のいいものじゃなかった」


「課長も見たんですね」


「数秒だけだ」


谷本は顔をしかめる。


「画面のノイズに、文字みたいなものが出ていた。ラテン語か何かだと思うが」


「CONFESSIO、ですか?」


谷本の表情が固まった。


「……なぜ知っている?」


黒瀬は肩をすくめた。


「資料にありました」


「いや、資料からは削除したはずだ。欧州支社が、余計な混乱を避けるために」


黒瀬は黙った。


削除した。

なるほど。


やはり、会社は何かを隠している。


彼は手元の紙資料をめくる。

通常の社員が閲覧できる資料では、監視映像の該当箇所は黒塗りになっていた。


だが、黒瀬には見えていた。


黒塗りの下に残った文字。

録画データに焼きついた悪魔的な傷。


CONFESSIO(告解)


その文字を見た瞬間、黒瀬の首筋に、冷たい感触が走った。


刃だ。


目には見えない。

触れることもできない。

だが、いつもそこにある。


黒瀬透の首には、常に不可視の刃が当てられている。


少しでも角度が変われば、その首は落ちる。


誰の刃か。

なぜ自分に向けられているのか。

黒瀬は知らない。


ただ一つだけ分かっている。


悪魔由来の怪異に近づくと、その刃は反応する。


「……またか」


黒瀬は小さく呟いた。


「何か言ったか?」


「いえ。出張申請、今日中に出します」


「ああ。頼む」


谷本はまだ何か言いたそうだったが、結局黙った。


黒瀬は会議室を出る。


廊下の窓に、自分の姿がぼんやり映っていた。


冴えない会社員。

くたびれたスーツ。

眠そうな目。

どこにでもいる社畜。


その首に、誰にも見えない処刑刃が添えられていることを、社内の誰も知らない。



パレルモの夜は、湿っていた。


空港から旧市街へ向かうタクシーの窓の外で、石造りの街並みが流れていく。

黄色い街灯。

狭い路地。

古い教会の影。

壁に貼られた聖人の絵。

海から吹く風には、塩と雨と排気ガスの匂いが混ざっていた。


運転手は、旧サンタ・ルチア修道院の名前を聞いた瞬間、露骨に嫌な顔をした。


「夜に行く場所じゃない」


英語混じりのイタリア語で、彼は何度もそう言った。


黒瀬は後部座席でスマホを見ながら答える。


「仕事なので」


「仕事なら、朝にしろ」


「朝まで待つと、明日の朝が来ないかもしれないので」


運転手はバックミラー越しに黒瀬を見た。


冗談だと思ったのか、本気だと思ったのか。

彼はそれ以上何も言わなかった。


結局、タクシーは修道院の二百メートル手前で止まった。


「ここまでだ」


「前まで行けません?」


「無理だ」


「道、ありますよ」


「道はある。俺の勇気がない」


「正直ですね」


黒瀬は支払いを済ませ、スーツケースを片手に車を降りた。


タクシーは、逃げるように去っていった。


旧市街の路地は、深夜のせいか人影がない。

石畳は雨で濡れ、街灯をぼんやり反射している。


黒瀬は歩きながら、建物の写真と現物を見比べた。


旧サンタ・ルチア修道院。


実物は、写真よりずっと重かった。


壁は黄土色というより、古い骨の色に近い。

窓はすべて黒く、まるで内部から目を閉じているようだった。

正面扉の上には、欠けた聖女像がある。


ただし、その古さに対して不自然なものがいくつかあった。


監視カメラだ。


正面扉。

壁の角。

中庭へ続く通路。

鐘楼の下。

やけに新しい黒いレンズが、石造りの建物にいくつも埋め込まれている。


黒瀬はその一つを見上げた。


レンズの奥が、わずかに赤く光った。


「見てるな」


黒瀬はそう言って、鍵を開けた。


建物の中は、冷えていた。


外よりも空気が重い。

雨の匂いではない。

古い木。

石。

埃。

そして、かすかにお香の残り香。


修道院時代の礼拝堂は、すでに改装途中だった。

床には養生シート。

壁には足場。

聖壇のあった場所には、資材が積まれている。


だが、そこだけ時間が止まっているようだった。


黒瀬はライトを点け、監視室へ向かった。


事前に送られてきた図面では、監視室は一階北側。

かつての管理人室を改装したものらしい。


廊下を歩く。


足音が、石壁に反響する。


こつ。

こつ。

こつ。


黒瀬は立ち止まった。


足音も止まる。


また歩く。


こつ。

こつ。

こつ。


足音は一つ多い。


黒瀬は振り返らなかった。


「まだ早い」


彼がそう言うと、背後の足音が止まった。


監視室の扉は半開きだった。


中には、倒れた椅子。

散らばった紙。

冷めたコーヒー。

そして、壁一面のモニター。


画面はすべて消えている。


黒瀬は椅子を起こし、録画サーバーを確認した。

電源は入っている。

ログも残っている。

昨夜二時十三分から二時十四分までの一分間だけ、異常な負荷がかかっていた。


黒瀬は該当映像を再生した。


画面に、回廊が映る。


誰もいない。


数秒後、鐘の音が鳴った。


黒瀬は眉を上げる。


「音声入力なしで音が入ってる。まあ、分かりやすくて助かる」


映像の中で、回廊の奥に影が現れる。


逆さ吊りの影。

修道服。

曲がった首。


そこまでは、事前資料と同じだった。


だが黒瀬が見ている前で、画面が乱れた。


ノイズの中に、白い文字が浮かぶ。


CONFESSIO.


その瞬間、監視室の奥にあるモニターが一台だけ点いた。


映っていたのは、黒瀬自身だった。


彼は監視室にいる。

だが、モニターの中の彼は、別の場所にいた。


告解室。


古い木の壁。

格子窓。

十字架。

跪き台。


モニターの中の黒瀬は、告解室で膝をついている。


現実の黒瀬は、監視室の椅子に座っている。


「未来予知系か?」


黒瀬は首を傾げた。


モニターの中の自分の背後に、黒い修道服の影が立つ。


影は、ゆっくりと縄を取り出した。


画面の中で、黒瀬の首に縄がかけられる。


現実の黒瀬の首筋に、冷たい刃の感触が走った。


いつもの不可視の刃ではない。


これは、怪異の干渉だ。


黒瀬は片手で首を押さえ、画面を見つめた。


「……違うな」


彼は呟く。


「これは未来じゃない」


モニターの中の告解室。

壁にかかった十字架。

床の赤黒い染み。

格子窓の傷。


黒瀬は立ち上がり、監視室の壁に貼られた現在の図面を見た。


告解室は、もう存在しない。


改装時に撤去され、今は資材置き場になっている。


つまり、モニターに映っているのは現在ではない。


黒瀬は録画を停止し、別の資料を開く。

文化財調査報告書。

修道院時代の古い平面図。


そこには、告解室の位置が記されていた。


現在の資材置き場。

監視カメラ四番の死角。

そして、失踪者が最後に映った場所。


「なるほど」


黒瀬はスマホで古い図面を撮影し、監視室を出た。


廊下の空気が、先ほどより冷たい。


遠くで鐘が鳴る。


ごおん。

ごおん。


現実には、鐘楼の鐘は撤去済みだ。


黒瀬はライトを向けながら、資材置き場へ向かった。


途中、回廊の壁に剥がれかけた聖人画があった。


聖女ルチア。


両目を皿に載せた聖女。

視ることに関わる聖人。

その絵の下に、新しい監視カメラが取り付けられている。


「趣味が悪い」


黒瀬はそう言って、先へ進んだ。


資材置き場の扉は閉まっていた。


鍵はかかっていない。


開けると、中には木材、塗料缶、養生シート、工具箱が乱雑に置かれていた。


だが黒瀬は、部屋の奥に向かった。


古い図面上では、そこに告解室の壁があったはずだ。


彼は壁を軽く叩く。


乾いた音。

その横を叩く。


鈍い音。


「あるな」


工具箱からバールを取り出し、壁板を剥がす。


中から現れたのは、古い木箱だった。


湿気で黒ずみ、金具は錆びている。

蓋にはラテン語らしき文字が刻まれていた。


黒瀬はスマホの翻訳アプリを起動しようとして、やめた。


だいたい分かる。


開けるな、と書いてある。


「開けるなって書かれてる箱、だいたい開けられるためにありますよね」


誰に言うでもなく呟き、黒瀬は木箱を開けた。


中には、革装丁の記録帳が入っていた。


分厚い。

紙は黄ばみ、端が黒く変色している。

表紙には、こう記されていた。


|LIBER CONFESSIONUM《告解録》


黒瀬はページをめくった。


古い筆跡で、人名と罪が書き連ねられている。


盗み。

姦通。

密告。

殺人。

異端。

偽証。


本来、告解は神に罪を明かし、赦しを求める行為だ。


だが、この記録帳は違った。


赦しのためではない。

保存のため。

支配のため。

誰が、いつ、どんな罪を告白したかを残すため。


黒瀬はページをめくる手を止めた。


古い筆跡の最後に、新しい名前があった。


失踪した建築士。

文化財鑑定士。

欧州支社の社員。

警備員ルカ。


四人の名前が、古いインクで書かれている。


だが、あり得ない。


この記録帳は、百年以上前に封じられていたはずだ。


黒瀬はルカの項目を読んだ。


『彼は見た。だが止めなかった。ゆえに証人として吊るされる』


次のページには、黒瀬透の名前があった。


まだ、罪状は空白だった。


黒瀬はしばらくそのページを見つめ、それから小さく笑った。


「なるほど。配役制か」


その瞬間、背後で扉が閉まった。


ばたん。


資材置き場の明かりが消える。


黒瀬のスマホのライトだけが、部屋を照らしていた。


暗闇の中で、木の軋む音がする。


ぎい。

ぎい。

ぎい。


部屋の中央に、存在しないはずの告解室が現れた。


古い木の小部屋。

格子。

十字架。

跪き台。


監視カメラの赤いランプが、暗闇の中で点灯する。


黒瀬はカメラを見上げた。


レンズの奥に、四つの影が映っている。


逆さ吊りの影。

壁に埋められた影。

跪いたまま動かない影。

そして、首に縄をかけられた影。


失踪者たちだ。


彼らは死体ではなく、記録になっている。


モニターの中に。

告解録の中に。

過去の罪の再演の中に。


黒瀬の足元に、赤黒い染みが広がった。


現実の床ではない。

過去の床だ。


黒い修道服の影が、告解室の奥から現れた。


顔は見えない。

ただ、口だけが異様に大きく裂けていた。


『告白せよ』


声がした。


耳からではない。

監視カメラのレンズから聞こえる声だった。


『汝の罪を告白せよ』


黒瀬は首筋に手を当てた。


不可視の刃が震えている。


これは、自分に向けられた刃ではない。

もっと深いところにいる何かが、目を覚ましかけている。


黒瀬は、告解録を開いたまま言った。


「無理です」


『告白せよ』


「いや、だって俺、その罪やってないので」


修道服の影が沈黙した。


黒瀬はページを示す。


「この建築士は、昔ここで殺された誰かの役を押し付けられた。文化財鑑定士は、監禁した側の役。欧州支社の社員は、密告者の役。ルカさんは、見て見ぬふりをした証人の役」


鐘が鳴る。


ごおん。


「監視カメラに映った人間を、過去の事件の登場人物に登録する。映像を見た者を証人にする。そして再演が完了すると、現実の人間は記録の中に保存される」


ごおん。


「分かりやすく言うと、これは未来予知でも呪いのビデオでもない」


黒瀬は、監視カメラを見上げた。


「過去の罪の再演だ」


部屋の空気が変わった。


監視カメラの赤いランプが、激しく点滅する。


修道服の影が、黒瀬の方へ一歩近づいた。


『告白せよ』


「だから、しませんって」


『罪なき者はいない』


「それはまあ、そうかもしれませんけど」


黒瀬は淡々と言った。


「少なくとも、お前が決めていいことじゃない」


影が止まった。


黒瀬は告解録を閉じる。


「お前は罪を記録してるんじゃない。罪を上書きしてるだけだ」


鐘の音が乱れた。


ごお、ん。

ご、ごおん。


「告解じゃない。強制だ」


壁の十字架がひび割れる。


「裁きじゃない。再演だ」


床の赤黒い染みが、逆流するように縮んでいく。


「そして一番まずいのは」


黒瀬は目を細めた。


「無関係な人間に、他人の罪を着せてることだ」


その瞬間、黒瀬の背後で、重い金属が床を引きずる音がした。


ずるり。


現実には、何も見えない。


だが、そこに何かがいる。


巨大で、無骨で、冷たいもの。

人間の背丈など軽く超える、処刑用の大鉈(おおなた)

刃は不可視。

だが、その重さだけが世界に干渉している。


修道服の影が、初めて後ずさった。


黒瀬の口元から、白い息が漏れる。


自分の意思で呼んだわけではない。


条件が揃ったのだ。


怪異のルールを見抜いた。

成立条件を確定した。

そこにある悪魔的な歪みを暴いた。


だから、処刑できる。


黒瀬は静かに告げた。


「罪状確定」


監視カメラのレンズが、一斉に黒瀬へ向く。


「虚偽告解の強要。罪の偽造。刑罰の転嫁(てんか)


修道服の影が叫んだ。


それは人の声ではなかった。

複数の告白、泣き声、祈り、呪詛が混ざった音だった。


黒瀬は少しだけ眉をひそめる。


「アラストル」


背後の何かが、刃を持ち上げた。


「執行」


不可視の処刑鉈が振り下ろされた。


音はなかった。


ただ、世界が断たれた。


告解室が縦に裂ける。

監視カメラの映像が白く焼き切れる。

告解録のページが一斉にめくれ、名前と罪状が黒い煙になって剥がれていく。


修道服の影は、叫びながら二つに割れた。


だが、切られたのは影ではない。


ルールだった。


監視映像を通じて過去の罪を現代に再演させる仕組み。

人間を勝手に配役し、罪を上書きし、記録の中に閉じ込める条件。

それらが、不可視の刃によって概念ごと断ち切られた。


次の瞬間、建物中の監視カメラが破裂した。


ぱん。

ぱん。

ぱん。


ガラス片が降る。


鐘の音が止まる。


暗闇が戻る。


そこはもう、ただの資材置き場だった。


黒瀬はスマホのライトを向けた。


床に、四人の影が倒れている。


いや、三人は影だった。


輪郭だけがあり、すぐに薄れていく。


建築士。

文化財鑑定士。

欧州支社の社員。


彼らは、完全には戻らなかった。


だが、最後の一人だけは違った。


警備員ルカ・ベネデッティが、床に倒れていた。


首に赤い痕を残し、荒い息をしている。


生きている。


「運がいいですね」


黒瀬はそう言って、救急通報を入れた。


それから、床に落ちた告解録を拾う。


ページはほとんど白紙になっていた。

古い罪も、現代の名前も、すべて消えている。


ただ一ページだけ、文字が残っていた。


黒瀬透。


その名前の下に、黒いインクが滲んでいる。


罪状は、まだ読めない。


だが、その横に新しい文字が浮かび上がった。


『執行猶予:継続』


黒瀬の首筋に、不可視の刃がぴたりと当たる。


先ほどよりも、少しだけ深く。


「……サービス残業みたいに更新するの、やめてくれませんかね」


返事はない。


その時、壊れた監視モニターの一台が、突然点いた。


黒瀬は振り返る。


画面には、旧サンタ・ルチア修道院ではない場所が映っていた。


暗い部屋。


机。


並んだ複数のモニター。


その前に、誰かが座っている。


顔は見えない。

男か女かも分からない。


ただ、その人物は、今しがたまで黒瀬が見ていた映像と同じものを見ていた。


旧修道院の監視映像。

告解室。

修道服の影。

そして、黒瀬透。


画面越しに、向こうの人物がゆっくりと笑った気がした。


モニターにノイズが走る。


次に映ったのは、一つの紋様だった。


角を持つ獣の頭。

天秤。

そして、首を落とす刃。


黒瀬は無言でそれを見つめた。


首の刃が、また震える。


「……ああ」


黒瀬は疲れたように息を吐いた。


「やっぱり、単発じゃないのか」


モニターは沈黙した。


遠くで、救急車のサイレンが聞こえ始める。


黒瀬は告解録を閉じ、スーツの埃を払った。


そして、誰もいない資材置き場で小さく呟く。


「次は、経費で落ちる案件にしてほしいな」


旧サンタ・ルチア修道院の夜は、ようやく静かになった。


だが黒瀬透の首に当てられた刃は、まだ外れない。


彼は世界を滅ぼす大罪人として、処刑を待っている。


本人だけが、その罪を知らない。

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