破滅フラグは粉砕します! 〜ヒロインがわざと階段から落ちた瞬間、転生前の記憶を思い出した悪役令嬢の対処法〜
最適な解決方法
王立学園の中央大階段。
その美しく磨き上げられた大理石のステップを見下ろしながら、男爵令嬢のエマは胸の内で勝を確信していた。
(ふふん、ついにこの時が来たわ!)
彼女には誰にも言えない秘密があった。
それはこの世界が前世で狂ったようにプレイしていた乙女ゲーム『聖女は王子と愛を誓う』の世界であり、自分こそがそのヒロインだという事実である。
狙うはこの国の第一王子。美貌と権力を兼ね備えた彼を完全に手に入れるためには、どうしても排除しなければならない邪魔者がいた。
それが、今、階段の上から自分を見下ろしている公爵令嬢、シャルロットである。
(物語の通り、あなたには私の踏み台になってもらうわ)
エマは横目でしっかりと、周囲に他の貴族の子息や令嬢たちが集まっていることを確認した。観客は十分に揃っている。
シャルロットに話しかけ、彼女に突き落とされたかのように階段を転がり落ちる。それがエマのシナリオだった。乙女ゲームのヒロイン補正があるから大怪我はしない。もちろん、少しの痛みくらいは覚悟の範囲だ。
だが、その少しの痛みと引き換えに、シャルロットに『醜い嫉妬から暴力を振るう女』のレッテルを貼ることができる。これ一発で、第一王子の婚約者という彼女の立場は崩れ落ちるだろう。
エマはわざとらしく声を震わせ、一歩、シャルロットへと歩み寄った。
「シャルロット様……! そんなに私のことをお嫌いなのですか? 私はただアルフォンス殿下と……」
「何を言っているの、エマ様……?」
エマはシャルロットに突き飛ばされたかのように、自ら体をひねり大げさに声を上げる。
「きゃあああっ! シャルロット様、どうしてそんなひどいことを——っ!?」
そうして階段からダイブした。
ピンクブロンドの髪を美しくなびかせ、まるで折れた百合の花のように階段を転がり落ちていく。それは彼女にとって、王子妃となる未来へと続く、ビクトリーロードのはずだった。
しかし、その瞬間——。
悪役令嬢であるはずのシャルロットの脳内にも、突如として前世の記憶が濁流のような速さで流れ込んだ。
※
(……あ、思い出した。ここ、前世でプレイした乙女ゲーム『聖女は王子と愛を誓う』の世界じゃないの)
それは社畜生活で過酷な現実を生き抜いていた、前世での記憶。目の前の女は、王子の婚約者という地位を奪うため、ありもしない罪を捏造するような乙女ゲームのヒロインだ。
(破滅フラグ!? 冗談じゃない。なんで、やってもいないことで人生を棒に振らねばならないのかしら?)
シナリオ通りなら私は罪を着せられ王子との婚約は破棄、国外追放の処分を受ける。貴族の令嬢として、それは実質、死刑と同じこと。
だがしかしシャルロットの思考は、恐ろしいほど素早く合理的に動いた。
前世の死因が過労死だったシャルロットにとって理不尽な仕事の処理は日常茶飯事であり、最適解を導き出しさえすれば、心を動かすことなく目の前の理不尽を叩き潰す人形になり切ることができる。
そしてシャルロットは、その最適解を瞬時に導き出してしまった。
(濡れ衣を着せられるくらいなら——対処法は、一択ですわね)
「大変ですわ、エマ様ーーーっ!」
シャルロットは即断すると、大声でエマの名を叫んでから、見事なフットワークで階段を駆け降りた。
一方、どこを痛めることもなく床へ着地し、心の中で『計画通り!』と勝利を確信したエマ。ゲームのシナリオでは、このあと王子が駆けつけ、シャルロットを糾弾するのを待つだけのはずだった。
ところがエマの視界に飛び込んできたのは、階上から勢いよく駆け下り、自分に向かってジャンプした公爵令嬢の姿であった。
「え? ちょっと、シャルロ——」
「エマ様! しっかりなさって!」
ドンッッッ!!!
シャルロットは、躊躇なくエマの身体に飛び乗った。それは完璧に計算されたマウントポジションであった。
「ぶふぉっっっ!! 」
「まあ、大変! 階段から落ちて頭を強く打ってしまわれたのね! 意識がありませんわ!」
シャルロットは感情を排した瞳でエマを見下ろしながら、彼女の華奢な両肩に自身の両膝を乗せて、身動きが取れないよう体重をかけた。
「目を覚ましてくださいまし!!」
ゴン!!!
「ぎゃっ!?」
大理石の床に、エマの後頭部が鈍い音を立てて叩きつけられる。両腕の動きを封じられているエマは抵抗できない。
(え? なんで? シナリオと違う! 痛い、っていうか死ぬ!?)
「な、にを、あなた、シャルロッ——」
「ダメですわ! 目を閉じてはなりません! ほら、しっかり! しっかりなさい!!」
ゴン! ゴン!! ゴン!!!
「あがっ、はひっ、やめ、」
「ああ、意識が混濁していらっしゃるのね!? 大丈夫ですわ、私があなたを救って差し上げます!」
ここで手を緩めれば、明日死ぬのは自分。ならばエマの息の根が完全に止まるまで、この手を止めるわけにはいかない。徹夜のハイテンションのまま無心でキーボードを叩き潰していた前世のように、シャルロットは降ってきた緊急タスクを、淡々と処理するだけである。
「あ、やめ、やめて……ぎゃっ——」
ゴン! ゴン!! ゴン!!!
「ぐ……や…………」
ゴン! ゴン!! ゴン!!!
「………………」
激しく、何度も、何度も、何度も。
高価なレースとフリルと血が美しく舞い踊る中、シャルロットは容赦なく、エマの頭部を繰り返し床へと叩きつけ続けた。やがてエマの瞳は完全に焦点を失い、白目を剥いてピクピクと四肢を痙攣させ始めた。
(よし、反応が消えましたわね。……ええ、完全に動かなくなりましたわ)
エマの呼吸が完全に途絶えたのを確認すると、シャルロットは小さく吐息を漏らし、額に浮かんだ汗を絹のハンカチでそっと拭った。そして何事もなかったかのようにすっと立ち上がり、ドレスの皺を伸ばす。
周囲を見回すと、そこには彫像のように硬直している貴族の子息や令嬢たちの姿があった。
彼らの脳内は完全にキャパシティを超えていた。今、目の前で行われたのは、まごうことなき殺人である。しかし、それを指摘できる者がいるかといえば、答えは否であった。
目の前で惨劇を見せたのは、高位貴族筆頭の公爵家の令嬢。そればかりか、この国の第一王子の婚約者という、文字通り最強のカードを手にしたシャルロットなのだ。
身分が絶対の貴族社会、彼らの最適解は──、言わずもがなであろう。
そうした彼らの視線に気がついたシャルロットは、お気に入りの茶を口にした時のような、柔らかな微笑みを彼らに向けた。それも一瞬、すぐに笑みを消して美しい眉をひそめる。
「皆様、ご覧になりまして? 階段で足を踏み外すなんて……本当に不幸な事故でしたわね」
(そうだ、これは事故だ。事故でなくてはならない。公爵家と王家を敵に回すなど……考えたくもない!)
目撃者たちの本能は、猛烈な勢いで記憶を都合のいい真実へと書き換えていく。
「そ、そうですね、シャルロット様……。エマ様は、自ら足を滑らせて、不幸にも……」
「ええ、私も見ていました。シャルロット様は、パニックになりながらも、必死に救命処置を施していらっしゃいました……!」
シャルロットは、はっとしたように、周囲の生徒たちに慌てて呼びかけた。
「どなたか! 早くお医者様をお呼びになって! まだ間に合うかもしれませんわ!」
しばらくして、騒ぎを聞きつけた学園の医師と近衛騎士たちが、息を切らせて大階段へと駆け込んできた。
「何事だ! ……これは、男爵家のエマ嬢か!?」
血相を変える騎士たちと、エマの容体を確認しにかかる医師。シャルロットが痛ましげにハンカチで目元を抑えながら、彼らの前に進み出る。
「お医者様、騎士様……。本当に、恐ろしい事故が起きてしまいましたの。エマ様が、階段から足を滑らせてしまわれて……」
シャルロットは声を震わせながら、理路整然と状況を説明し始めた。
「わたくし、すぐに駆け降りましたの。床に倒れたエマ様はすでに息をしておられず、パニックになりそうでしたわ。意識を取り戻してほしくて、必死に刺激を与え、お声をかけ続けたのですが……
わたくしの力不足で、どうしてもだめだったのです……」
遺体を確認した医師は、死体頭部のあまりに凄惨な損壊具合に強烈な不信感を覚えた。階段からの転落程度で、ここまでの損壊は起こり得ない。
百戦錬磨の騎士たちも、シャルロットの衣服に飛び散った不自然な返り血や周囲の生徒たちの異常な怯え方から、シャルロットの証言が事実そのものではないことを察知した。
しかし、彼らもまた、宮廷の荒波を生きてきた大人である。
被害者はただの男爵令嬢。対して、目の前に立つのはわが国筆頭の公爵令嬢であり、第一王子の婚約者でもある人物。ここで藪を突いて蛇を出せば、国家を揺るがす政争に発展しかねない。
(……死因は転落によるもの。公爵令嬢は救命を試みただけ。これ以外の真実など、必要ない)
医師も騎士も、瞬時にシャルロットの証言に迎合した。
そこへ人だかりを割るようにして、きらびやかなオーラをまとった金髪の青年が姿を現した。第一王子アルフォンスである。
本来のゲームシナリオであれば、彼はこの場でシャルロットを糾弾するはずだった。
「何があった、騒々しい! ──む、エマではないか! なぜこのような場所で倒れている!?」
驚愕に目を見開くアルフォンスに対し、医師と騎士隊長は一瞬だけ視線を交わし、完璧な鉄面皮を張り直して前に出た。
「アルフォンス殿下、誠に恐ろしい悲劇が起きてしまいました。こちらの男爵令嬢が階段から足を踏み外され、運悪く大理石の床へ頭部を強打された模様ですな。それが致命傷となり亡くなりました」
「左様です。しかし、近くにいらしたシャルロット様が最後まで諦めずに何度もお声をかけ続けていらっしゃいました。我々が駆けつけた時には、シャルロット様は衣服を血に染めながら、涙ながらに救命活動に奔走されておりました。その慈悲深きお姿、誠に感服に値いたします」
「な、何だと……? シャルロットが救命を……?」
アルフォンスは一瞬、エマの変わり果てた姿を見て胸を締め付けられるような感覚を覚えた。本来のエマは、彼の心を狂わせるほどの奇妙な魅力を放っていたのだ。
実際、アルフォンスの内心において、エマとの間柄はただの息抜き、しょせん遊びのはずであった。それなのに最近はまるで強力な『魅了の魔法』にでもかかったかのように、彼女のことばかりを考えてしまい、自制心が効かなくなるほど心が激しく揺さぶられていくのを自覚していた。
王子としての義務を忘れ狂おしいほどに彼女を求めてしまう己に、密かに恐怖すら抱いていた。
だが、どうしたことだろう。
エマが物言わぬ肉塊となった今、アルフォンスの心にあったエマに対する異常な執着が、嘘のように綺麗さっぱりと消え去っていた。
理性を取り戻したアルフォンスの脳裏を駆け巡ったのは、冷静な政治的算段だった。
(……いや、これで良かったのだ。たかが男爵令嬢にうつつを抜かし高位貴族の筆頭である公爵家との婚約を破棄するなど、狂気の沙汰。王子として、公爵家との関係を維持することこそが絶対だ。)
(結果として、一番良いところに収まったのではないか……?)
エマが死んだことで、アルフォンスは自らの王道が守られたことに安堵した。彼は神妙な面持ちでシャルロットへと歩み寄り、その肩を優しく抱き寄せた。
「そうか……シャルロット、辛い役目を押し付けてすまなかったな。お前の優しさと勇敢な行動には、深く感謝する。すぐに着替えて、心を落ち着かせるといい。
男爵令嬢の件は、不慮の転落事故として速やかに処理させよう」
「まぁ、殿下……。お優しいお言葉、ありがとうございますわ……」
目撃者、医師、騎士、そして王子までもが。その場にいる全員が『これは悲しい事故である』という嘘を、真実として飲み込んだ瞬間だった。
こうして破滅フラグは、物理で粉砕された──。
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