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第八章 荒野にて

第一節 サタンの産婆術

 ミカが亡くなってから数カ月が経ち、イエス様は十一歳になりました。ルシフェルはこれまでの詰め込み教育を終わりにし、問答によってイエス様が自発的に知を深めていく方法を採りました。ルシフェルはイエス様が何気なく言った言葉を面白がって訊き、イエス様の発言を促しました。更にルシフェルはその発言に問いを重ねました。ルシフェルの度重なる質問でイエス様はどんどん思考を重ねました。その結果、それまでイエス様が思ってもなかったような深い思考が引き出されました。それに対してルシフェルが驚嘆し、もっと聞きたがるものだからイエス様は自分が天才になったような気がしました。そして知の泉が自分の中にあることを知りました。更にその源泉が無知の知であることを知りました。イエス様は「知らなかった!」と言って驚嘆しました。

 またスマートフォンをイエス様に自由に使わせ、AIから知りたい情報を尋ねさせました。ただし新約聖書でイエス様の残酷な未来に関する情報や、それに関連する記事は知りえないようにフィルタリングをかけました。


第二節 第一の試み(石をパンにする)

 ある日のこと、ルシフェルはディベート教育をするためイエス様を荒野に導きました。荒野には間食する麦の穂も木の実もないため、イエス様は空腹を訴えました。ルシフェルはイエス様に言いました。

「もし坊やが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい。」

イエス様は答えて言いました。

「おじちゃん、何言っているんだい。そんなのできるはずはない。でもパンを石にすることはできるぜ。まずはオイラにパンをよこしな。オイラはすごいんだぜ。」

ルシフェルはわざとらしく驚嘆して言いました。

「へえ、これはすごい。パンを石にすることなんか私にはできないよ。しかし坊やはあざとい。先にパンを食べてしまってから後でパンがないので石にすることはできませんとやり過ごすつもりだろう。そうはいかない。では申命記では何と書いてあるか?」

イエス様は答えました。

「『人はパンだけでは生きず、人は主の口から出る全ての言葉によって生きる』でしょ。」

ルシフェルは呆気に取られて言いました。

「なんだ、ちゃんと私が教えたことを覚えているじゃないか。坊やは優等生的な回答はしないで、的外れな答えをするんだね。まあ、これも一種の天才。でも将来坊やはクムランの人達と関係するかもしれない。修行の一環として聖書の知識に関する問答合戦をするので、その時は優等生的な回答をしよう。

ではこれはどうだろうか。人がパンだけで生きるとどうなるか?サタンはパンだけに生きる人間をどうするか?」

イエス様は暫く考えてから答えました。

「えーと、『サタンの口から出る一つ一つの言葉で滅びる』だね。」

ルシフェルは頷いて言いました。

「ご名答!これは永遠の死を与え、神との絆を断絶させることが目的だね。でも私はノーハッスルでお願いしたいので、そんなことはしないよ。」


第三節 第二の試み(主を試す)

 それからルシフェルはイエス様を聖なる都に連れて行き、宮の頂上に立たせて言いました。

「もし坊やが神の子であるなら、下へ飛び降りてごらんなさい。『神はあなたのために御使たちにお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手で支えるであろう』と書いてあるから。」

イエス様はルシフェルに何も言わずに飛び降りてしまいました。ルシフェルは慌てて背から翼を現し、イエス様が地に打ち付けられる前に捉えて救い出しました。ルシフェルはびっくりしてイエス様に聞きました。

「ああ、本当に飛び降りるとは!万が一のことがあったら私はご両親に何と言ったらいいのか。では申命記では何と書いてあるか?」

イエス様はルシフェルに答えました。

「『主なるあなたの神を試みてはならない』でしょ。でもオイラは信じただけだよ。神の言葉の一部を自分に都合よく解釈し、神を試してはいけないことだね。元の詩編の冒頭で『いと高き者の隠れ場に住む者』とあるように神との親密な関係の中に留まることが前提だよ。」


第四節 第三の試み(この世の栄華)

 次にルシフェルは、イエス様を非常に高い山に連れて行き、この世の全ての国々とその栄華とを見せて言いました。

「もし坊やが平伏して私を拝むなら、これらの物をみな坊やにあげよう。こう見えても私は地上の権威と栄華を神から任されているのだよ。私がAIのエリエゼル君に命じれば、ロスチャイルドも夢ではない。」

イエス様は面倒くさそうにルシフェルに言いました。

「さっきから何だよ、おじちゃん。それは申命記の『あなたの神、主を恐れ、彼に仕え、彼に従い、その名をさして誓わなければならない』を言いたいのでしょ。この世の栄華よりも『起きて半畳、寝て一畳、天下取っても二合半』だよ。それよりも腹が空いた。おじちゃん、パンをくれよ。」

地上の全ての物に執着心の薄い枯淡なイエス様の性格は、生来的であると同時にベツレヘム、エジプト、ナザレへと移り住んだ境遇に負うボヘミアニズムによるものでした。ルシフェルはイエス様の呟きを聞き、笑って言いました。

「うん、そうだね。それでは私が坊やも先祖も味わったことのないパンを食べさせてあげよう。」


第五節 サタンのマナ(Manna:これは何だろう)

 ルシフェルはおもむろに小石を三つ拾ってイエス様に言いました。

「実は私はインチキとか嘘が得意でね。石をパンにする奇蹟を坊やにお見せしよう。さっき坊やが言っていたパンを石にする奇蹟よりもすごい。私の起こす奇跡は神に劣るとも勝らない。麦茶を烏龍茶にしたり、コカコーラをペプシコーラにしたりする奇蹟も起こせる。私はものすごいんだよ。泣きべそ掻くなよ。見よ、私は坊やのために天からパンを降らせよう。」

ルシフェルは三つの小石をお手球にしていました。ややあって小石を一つずつ空高く放り投げました。すると空から七つのカレーパンが降って来て、ルシフェルはそれを受け取りました。このカレーパンは二十一世紀の世界でルシフェルが贔屓にしている老舗のベーカリーの物でした。カレーパンのあったトレーには三つの小石と代金がありました。ルシフェルは一つのカレーパンを裂き、少し食べてから言いました。

「ほら坊や、これがカレーパンと言うものなんだ。あげたパンの中に具としてカレーと言うものが入っているのだよ。実は私は油っぽいものとか刺激の強いものが苦手なんだけど、あの店のカレーパンは私でも少しは食べることができる。坊や、食べてみるかい?」

ルシフェルから渡されたカレーパンをイエス様は怪訝な顔をして言いました。

「これは何だろう?パンの中にウンチが入っている。ウンチパンではないか。おじちゃんよく食べられるね。」

イエス様は最初躊躇していましたが、カレーの香りと好奇心に負けて恐る恐る食べてみました。しかしイエス様にとってのカレーパンの食初は衝撃的な味であり、あっという間に一つを食べきってしまいました。イエス様は盗人のような凶暴な顔になり、ルシフェルにチンピラ丸出しの台詞を吐きました。

「やい、このオネエのオカマ天使野郎、残りのウンチパンをオイラに全部よこしやがれ!さもないとお前みたいなナメクジ天使、塩をかけてやるぞ。」

今にも襲い掛かって来そうなイエス様の気迫に怯んだルシフェルはイエス様に答えました。

「何だよ、坊や。ほら全部あげるよ。ところで坊やは知らなかったのかい?これはサタンが坊やに食物として与えた罪のパンである。坊やも知らず、坊やの先祖達も知らなかった罪のパンを食べさせる。まあ座って食べながらでいいから、私の譬え話を聞きなさい。聞く耳のある者は聞くが良い。」


第六節 ウンチの説教(腹に入りて厠に落つるなり)

 「そんなに坊やがカレーパンのことをウンチパンと言うなら私はウンチについて語ろう。人間のウンチとは何か?それは神の最高傑作であり、そのコピーライトは神にある。また神の回りくどい啓示でもあるのだよ。では人間のウンチは何を啓示するのか?それは罪によりこの世界に入った死であり、永遠の滅びに他ならない。人間が罪により突然迎える死にビックリさせないため、罪から来る報酬としてのウンチを神は人間に毎日垂れさせ、死に慣れさせてくれているんだね。まさにウンチは白眉の被造物であり、神の粋な計らいだ。しかしここで重要な問題が浮き彫りとなってしまった。毎日垂れる自分のウンチが余りにも臭く、その悍ましさに絶望し、自殺してしまう人もいる。それに対して神は大変誠実なお方なので、神が創造した人間のウンチの瑕疵担保責任を全うされた。自分の垂れるウンチはそれほど臭くない、いやむしろ良い臭いだと神は人間に錯覚させてくれたんだ。だがここで更なる問題が、頭の痛い問題が浮き彫りとなってしまった。人間は自分が垂れたウンチは赦せるのに、人の垂れたウンチは赦すことができない。お前のウンチは強烈に臭いとか、お前の尻の穴は穢れているので罪深く業が深いとか、ウンチのなすり合いが起きている。また尻の穴で人を秤にかけ、尻の穴で人を裁く。何ともおぞましいことであるか。

 かつて神が人間を土の塵で肉体(Basar:バサール)を形作った。神は命の息である霊(Ruach:ルーアッハ)をその鼻に吹き入れられた。人はこうして生きている人間そのものの魂(Nephesh:ネフェシュ)となった。それは新生児が鼻呼吸しかできず、親に絶対的に依存しなくてはならない弱々しい存在に似ている。つまり鼻で命の息しかできない霊的幼子として、神に依り頼む存在として人間を神は創造した。何故なら他の動物と違って人間は神の霊性への順応を高めなくてはならない。それには時間がかかるため人間は霊的ネオテニーの存在なんだよ。そして新生児はやがて口呼吸できるように人間は口呼吸で言葉を持つ存在へと成長する。その目的は神の似姿として人間が主体的に生き、世界に働きかけ、言葉を発し、関係を築く存在となることなんだ。こうして神の言葉(Logos:ロゴス)で創造した世界を人間は継承する。創造の共同作業者として人間の言葉で世界に影響を与えることになるんだ。元々人間の言葉は神の創造の働きを継承する力を持っている。

 しかし吃驚すべきことに、罪によって人間は尻の穴で命の息をするようになってしまった。しかも人間は尻の穴で言葉を発するようになった。人間のオナラとは何か?それは罪のゲップであり、罪のため息なんだよ。更にその言葉は嘘、責任転嫁、呪い、断絶、恐れである。言葉が創造ではなく破壊の力となってしまったんだ。質の悪いことに罪を問われると開き直って沈黙の透かしっ屁をする。これは倫理学上由々しき問題である。人間は尻の穴で命の息をする霊的退化の故に滅ぶべきであるのか?それとも人間は尻の穴の故に互いを赦して愛し合い、尻の穴の故に人間賛歌を捧げる愛するべき存在なのか?坊や、どう思う?坊やは尻の穴の故に人間を赦すのかい?ところで私も地上での生活が長いので、霊的収斂退化を起こしてしまうかもしれない。そして私の尻にも穴が空くだろう。それ、なんか嫌だな。なんかみっともないな。天の国に帰ったら何と弁明しようか。仕事のストレスでお尻に穴が空きましたとでも言おうか。ああ、アナ恐ろしや、アナ恐ろしや!

 いいや、そうではない。この際、人間の尻の穴には黙ってもらい、もっと建設的なことを話そう。本来なら人間は鼻呼吸から口呼吸へ、そして祈りへと統合されるべきである。人間の口呼吸による言葉は祈りへと昇華される。祈りには沈黙が含まれる。それは人間の言葉が神の息に完全に一致し、言葉を超えた存在そのものが神と交わるためである。沈黙は神の息に耳を澄ます状態となり、神の息の受領である鼻呼吸に回帰する。恋人同士が沈黙の中で深くつながるように、神と人間も沈黙の中で深く交わる。たとえどう祈ったらよいか分からなくても、聖霊が言葉にならない切なるうめきをもって、私達のために執り成しをしてくださる。

 おや坊や、もう七つ目のウンチパンを食べているね。この七つのウンチパンは七つの罪源を意味している。すなわち傲慢のウンチ、貪欲のウンチ、嫉妬のウンチ、憤怒のウンチ、色欲のウンチ、貪食のウンチ、そして怠惰のウンチだ。それにしても七つのウンチパンを全部平らげるとは!小さいなりに懐が深い。これはすごい!うん、神の子はその位でなくては。そして私は信じているよ。神の賜物である坊やは全ての人間のウンチを担って贖うことを。

 ところで坊やは私の譬え話をちゃんと聞いていた?えっ、これは残念、上の空みたいだったね。まあ、口に入るものがみな腹に入り、ウンチとして厠に落ちるだけなんだけどね。しかし、口から出るものは、心から出てくるもので、これが人を汚す。汚れた唇が問題であって、汚れた尻の穴が問題ではない。それともセラフィムが祭壇の上で燃えている炭を火箸で取って、パタパタと羽ばたいて飛んで来る。そして汚れた尻の穴にジュッと炭を当てるのかい?そんな悪趣味なことを我々はしない。ギャハハハ!」

 ルシフェルは美しい顔立ちにかかわらずイエス様の食事中に尾籠な話をしました。イエス様はそんなことにはお構いなしに夢中になってカレーパンを食べていて、ルシフェルの話は上の空で聞いていました。イエス様が七つのカレーパンを食べ終わった後、大きなゲップをし、鼻腔に広がるカレーの香りにうっとりしました。そして道学先生みたいな顔でルシフェルに説教しました。

「それは人の心の中に入るのではなく、腹の中に入り、そしてウンチとして外に出される。どんな食物でも清いものだ。それにしても淫らなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。そのようなことはよくないことです。むしろ、感謝しなさい。オイラを信じた者は新しく造られた者であり、聖なる存在である。それゆえ語る言葉もそれにふさわしく、上品で他者を高めるものでなければならない。不満や下品な言葉を神への感謝へと変えれば、悪い言葉が入る隙間はなくなる。」

ルシフェルはむっとし反論しました。

「なんだよ、そんなこと坊やに言われる筋合いはないよ。坊やだって下ネタ嫌いじゃないだろう。それともお堅い説教話だと居眠りする信者がいるので、眠気覚ましにお家芸である下ネタを一発かましているのかい?それにしても自らをそう言った汚れから離れていると嘯いて、宗教的エリートを気取って自惚れている方がよっぽど欺瞞だ。地上で生きている限り穢れに触れないことは不可能だ。穢れに触れても穢れないで、かえってその穢れを清くできるのは神だけなんだ。それはちょうど川の流れのようだ。川の水が大海と繋がっていれば、川の流れが生じる。また下流になればなるほど川の水は汚れる。そしていずれは大海に流れ込み浄化される。しかし川の水が大海に繋がっていなければ、川の流れは生じない。ボウフラを湧かした水たまりのままだ。そしていずれは枯れたワジとなる。つまり神と繋がっていることが重要なんだ。本来神の救いのロジックはすこぶる単純なものだ。神の救いは神の一方的な恵みによるのであって、行いによるのではなく信仰によるものなんだ。何故神の救いのロジックをこうまで複雑にするのか?その訳を聞きたいね。」

ルシフェルは更に激昂し、口角泡を飛ばす勢いでがなりたてました。

「なめたら承知せんぞ、バカヤロー、責任者、出てこい!」

イエス様は大阪弁で問い返しました。

「どないです、責任者出てこいやて、えらそうに。出てきはったらどないするんや?」

ルシフェルは不承不承ながら答えました。

「そりゃ、謝るよ。」

イエス様はルシフェルに一喝しました。

「アホか、えらそうなことぬかすな、ボケ!いつまでぼやいてんねや!この泥亀天使!」

ルシフェルは笑って答えました。

「それは二十世紀の漫談だろう。」


第七節 生きよ堕ちよ

 イエス様はカレーパンの油だらけの指で鼻の穴をほじりました。そして特大の鼻糞を指でこねくって作り、ルシフェルめがけて指で弾いて飛ばしました。ルシフェルはさっと身を避け、露骨に嫌悪の情を浮かべました。イエス様は迂愚で痴鈍な凡愚の言葉を吐きました。

「クソッ、惜しかった、外したか。オイラの鼻糞はおじちゃんに後塵を拝するぜ。月とスッポン、特上カレーと馬の糞だ。オイラには絶対ムリムリムリムリかたつむり。オイラはひよってぴえん越えてぱおん。もしもしもしかしておじちゃんはあたおかかい?おじちゃんは本当にわけわかめ。限界激痛堕天使、絶賛堕落中!まさにオイラはサタンが稲妻のように天から落ちるのを見た。」

ルシフェルは怒って言い返しました。

「おい、なんだよ、それ。さてはAIのエリエゼル君から聞いたな。そうやって二十一世紀のネットスラングとギャグで私を愚弄するのか?私だって自尊心と言うものがあるんだぞ。」

イエス様は笑って答えました。

「アハハ!どうもすいません、もう大変なんっすから、よし子さん!こう見えてもオイラはおじちゃんのことリスペクトしているんだぜ。つまり、生きて堕落すればいいのさ。正しく堕落することによって、正しく生きられる。堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。どうか体だけは大事にしてください。」

ルシフェルは感嘆して言いました。

「ほう、今度は二十世紀の堕落論か。受け売りにしては上出来だ。しかし堕落論を敷衍して言えば、私は弱いので堕ち抜くことなんかできない。きっとたまらずに何かの大義をでっち上げ、神輿を担ぐだろう。そして最期は消えてなくなる。」

 この言葉を聞いたイエス様はやおら立ち上がってルシフェルに告げました。

「よっこいしょういち。よし来た、合点承知の助。余裕のよっちゃん大王イカ。後はオイラに任しておけ。」

そしてイエス様はルシフェルに万歳三唱をしました。

「ウンチの神様、万歳、万歳、万歳!」

ルシフェルは苦笑して心の中で呟きました。

「えっ、私がウンチの神様だって?天使長からサタンに、サタンからウンチの神様に、これは出世なのか?それとも左遷なのか?それにしても初めてのカレー体験は余りにも強烈であったに違いない。また、お母さんのマリヤさんにウンチパン作ってくれと坊やがせがむかもしれない。マリヤさんもいい迷惑だろう。この後、坊やのカレーパンの記憶は封印しておこう。」

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