犬のような少女
別の意味で涙が溢れたキアラだったが、ひとまず無事にエドヴァルドとは別れられた。
いや、別れてはいたのだが、複雑な関係だったのが終わった。
と思う。
そんなわけでロキとの婚約の話を前向きに進め、両家の合意のもと二人は婚約者となった。
「あら、ならわたくしのパーティーを婚約お披露目パーティーにしたらいいじゃない」
と、そう言ったのは王女だった。
パーティーの前に会いたいとのことで、ロキと一緒に王宮に行った時のこと。
その日は勉強ではなく私的なお茶会を、とのことでありがたいことにお茶をご馳走になったのだ。
上質な茶葉の紅茶に、王宮のシェフが作った美味しいケーキやクッキー。
美しい庭園でのティーパーティーは、女性なら誰もが喜ぶものだ。
それはもちろんキアラもだった。
あまりの可愛らしさ美しさ、そして美味しさに喜びたかったが、それよりも緊張が優ってしまったのた。
粗相をしないだろうかと小刻みに震えるキアラに、王女は親しげに話しかけてくれた。
「よかったわ。先生がこのまま結婚しないのなら、わたくしがもらってあげようかと思っていたくらいなのよ」
「そ、それは……」
「だって先生顔はいいし頭もいいし、運動もできる。これ以上の存在はいないもの」
どう返事をするべきか悩んでいると、そんなキアラに気づいたのか王女がくすりと笑う。
「あらいやだ。もしそうなったらの話よ。……今はあなたがいるんだもの」
「そ、そう……なのです……ね?」
「長年の片想いが実った気分はどうなの?」
「最高ですね」
にこやかに笑うロキに、王女はコロコロと笑う。
「先生にはお世話になっているんだもの。この際わたくしのパーティーを披露会場にしましょう。……なんだったら結婚式だっていいのよ?」
「――け!?」
「まだ早いですよ」
婚約もしていないのに結婚は早すぎる。
しかしいずれはそうなるのかと考え、頰が熱くなってきた。
そんな顔が赤いキアラを見て、王女は口端を盛大に上げた。
「うんうん、いいわねぇ。とってもいいわ。キアラって言ったわね? どうせこれから家族ぐるみの付き合いになるんだもの。よろしくね」
「……はい? よろしくお願いします?」
家族ぐるみの付き合いとはいったいなんなのか。
結局キアラはわからないまま、王女主催、そしてキアラとロキの婚約披露パーティーが始まった。
豪華絢爛な王宮で行われるパーティーには、国中の選ばれし者がやってくる。
そんな人たちの中で、キアラとロキは婚約を発表した。
お揃いの真っ白な衣装を身にまとった二人に、たくさんの祝福の声がかけられる。
「おめでとう! キアラちゃんよかったね!」
「ありがとうございます」
「どうなることかと思ったけど、一応めでたしめでたし?」
「そうなるかもね」
めでたしめでたしと言っていいのかは正直わからない。
結局エドヴァルドはキアラを諦めていないようだし、影で未だ【キアラの犬】と呼ばれていることを甘んじて受け入れている節がある。
そんな彼は友人たちとともに、この会場に来ていた。
「どういう神経してるのかしらね……」
「………………本当に」
もうなんて返事をしたらいいかわからない。
シノの言葉に静かに頷いたキアラだったが、あっ、と顔を上げた。
「シノは大丈夫ですか? あの人……」
あの人とはもちろん、エドヴァルドの友人でシノのことが好きなブラッドのことである。
エドヴァルドがきているということは、彼もきているということだ。
下手に絡まれてはいないかと心配すると、シノはどこか遠い目をした。
「ああ……うん。なんかよくわかんないこと言って付き纏われたわ」
「私がそばにいられないばかりに……っ!」
王女がキアラやシノ近辺の話をほんのりと聞いて、面白がって呼んでしまったのがいただけなかった。
さすがに断ってくれるだろうと期待していたのだが、それがいけなかったのだ。
彼らは悪い意味で期待を裏切ってくるのを忘れていた。
どうやってシノから引き剥がすか考えていると、そんなキアラの肩をロキが掴んだ。
「実は王太子殿下がシノと踊りたがってるんだけど、どうかな?」
「――………………へ?」
シノがきょとんとしている。
それに合わせてキアラもまた、目を見開いた。
「王太子殿下……、ですか?」
「そう。シノがよければって」
「………………」
それはつまり、どういうことだろうか?
シノと同時に王太子のいる方を見れば、彼は今まさにシノに向かって視線を送っていたらしく、ばっちりと目が合う。
すると少し驚いたような表情をしたあと、目元を赤く染めつつも手を振ってきた。
王太子の悪いうわさは聞いたことがない。
礼儀正しく、民を思う優しい王子だと。
それに婚約者もまだいないはずだ。
慎重に選びたいとの王室の意向だ。
そんな王太子がシノと踊りたいと言っている?
それはつまり。
「――シノが王太子妃!?」
「気が早いわよ!? そ、そんな……だって……」
顔が赤いシノ。
その表情を見た時、キアラの脳内に王女の言葉がよぎった。
『家族ぐるみの付き合いになるんだもの』
それはつまり、王太子はシノに本気だということではないだろうか?
キアラとロキが結婚すれば、シノとキアラは義理の姉妹になる。
そのシノが王太子妃になれば、キアラと王女も義理の家族になるわけだ。
そんな考えが頭をよぎった瞬間、キアラは瞳を輝かせた。
「シノ! 王太子殿下と踊りましょう!」
「ええ!? でも……、ちょっと!?」
少なくともブラッドよりは何倍もマシなはずだ。
だって王太子の人柄を知るであろうロキが、シノにおすすめしたのだ。
それはもう、お墨付きをもらったと言っても過言ではないだろう。
王太子の元へとシノを連れて行こうとするキアラ。
しかしシノはぴたりと足を止めた。
「わ、私……そういうのよくわからないのよ」
「――シノ?」
どうしたのだろうか?
不安そうに顔を伏せたシノの肩を、心配しつつ掴んだ。
「いや……ですか?」
もちろんシノの気持ちが最優先だ。
王太子が嫌だというのなら、もちろんお断りするべきである。
しかし先ほどのシノの顔は、驚きはしつつも嫌そうには見えなかった。
だから王太子の元へ向かおうとしたのだが、シノは待ったをかけた。
「違うの。……私、恋愛ってわからなくて。……キアラみたいに、誰かを本気で好きになれるかわからないのよ」
あ、とキアラはシノの方を掴んだまま息をのんだ。
シノは嫌なのではない。
ただ怖いのだ。
誰かを愛したことのない彼女は、それがどういうことなのかわからないのだろう。
決して恐れる必要はないのに。
「……シノ。聞いてください」
キアラはシノの肩を離し、両手を握りしめた。
「私のようになんてならなくていいんです。だってシノは知っているでしょう? 恋に溺れて従順に従うしかなかった、愚かな私のことを」
一番そばで見てきたシノなら、あれがどれほど愚かなことかわかるだろう。
嫌われたくなくて、振り向いて欲しくて。
必死にご機嫌をとる毎日。
そんな愚かなことをシノがする必要はないのだ。
そう伝えようとしたキアラの手を、今度はシノが掴んだ。
「キアラは愚かじゃない! 人を本気で愛してた……すごい人よ。私にはとても真似できない……」
「真似する必要なんてないんです。シノはシノなんですから」
思い返せばシノの周りは、盲目的に愛を捧げたキアラ。
一途に愛を貫きとおしたロキ。
愛に向き合えず全てを失ったエドヴァルドなど、ある意味熱量の高い人ばかりだった。
そんなのを見てきていたのなら、確かに恐ろしく感じるのも無理はない。
「たとえばシノが王太子殿下とお話をして、なんか嫌だなと思ったら終わらせていいんです。無理やり恋愛する必要はありません」
「でも……」
「シノはあんな私のことをすごい人だって言ってくれる、素敵な人です。だからそんなシノには、ありのままのシノを愛してくれる人が絶対に現れます」
そうなったらきっと、シノの閉ざした心を開けられるかもしれない。
そしてもしかしたらそれが、王太子なのかもしれない。
だからそれを確かめに行くだけだ。
「犬のように従順になる必要も、初恋をずっと大切にする必要も、素直になれない恋を引きずる必要もありません!」
キアラはそっと、シノの額に己の額を当てた。
「ただしあわせになればいいんです。それなら簡単でしょう?」
「……かんたん、じゃなくない? むしろそれが一番難しいっての」
そういうシノの顔は、先ほどの不安そうな顔から楽しげなものに変わっていた。
どうやら恐怖心は少しだけなくなったようだ。
「大丈夫です! シノには私がついてますから。それこそ犬のように後をついて行き、相手を見極めますから!」
シノをしあわせにできないのなら、王太子にだって容赦はしない。
ぐっと拳を握りしめたキアラに、シノはくすくすと笑う。
「そこは親友として隣にいてよ」
「…………はい。そうでした。犬はもう卒業したんでした!」
シノの手をとって歩み出す。
彼女のしあわせを願って進む道は、なんだか自分までしあわせな気持ちになれた。
「脱、犬! 私は人間になりましたので!」
「もともと人間だっつうの」
ここにいるのは愛する人を見つけ、愛を与え与えられる女性。
誰でもない自分のために行動することを決めた、一人の女の子。
犬のように、従順な少女はもういない――。
完
これにて完結です。
最後までご覧くださりありがとうございました!




