婚約破棄宣言
「はぁ……いい天気」
キアラの毎日は、早朝に起きることから始まっていた。
朝早くに起きて、エドヴァルドのための昼食を作る。
彼の好みにあわせつつ、栄養満点の食事を考え形にしていく。
だが今日からはもう、それはしない。
学園には無料で使える食堂もあるので、キアラから昼食を渡されなくてもエドヴァルドは困らないはずだ。
なので起きてすることは一つ。
朝日を浴びながらの散歩である。
「早寝早起きが体に染み付いちゃっているんですよね」
なので二度寝はせず、庭園を散歩することにした。
陶器のように白い肌を保つために、キアラは日の下を歩く時は絶対に日傘を離さなかった。
それもこれも全てエドヴァルドのためとやってきたが、もう必要ないだろう。
これからは好きなように散歩をするだけだ。
「あ、お父様に婚約破棄の話をしなくては」
エドヴァルドもきっと望んでいるだろう。
もしかしたらもう別に、好きな人でもいるのかもしれない。
彼の周りにいる友人の中には女性もいる。
その中の誰かが新しい婚約者になるのかもしれない。
まあ父は許してくれるかわからないが、双方に気持ちがなければ最後には認めるしかないだろう。
そうと決まればさっそく父の元へ行こうと、キアラは散歩を切り上げ父の書斎へと向かった。
「おはようございます、お父様。さっそくですが、エドヴァルド様との婚約を解消していただきたいのです」
朝から仕事を頑張っている父に、軽食を持っていった。
それをテーブルに置きつつそう伝えれば、父は持っていたペンを落とす。
「……………………………………なんて?」
「ですから、エドヴァルド様との婚約を解消したいのです。できるだけ早めに」
「………………………………え?」
あれ?
聞こえてなかっただろうか?
反応がイマイチだったのでもう一度言おうと口を開きかけたが、その前に父が大きな音とともに立あがった。
「なにがあった!? ま、まさかエドヴァルド君がお前になにかしたのか……!?」
「いえ。むしろなにもしてくださらなかったといいますか……」
「…………どういう意味だ?」
これは説明したほうが早いだろうと、キアラはここ最近のエドヴァルドとのやりとりを父に伝えた。
自身が犬と呼ばれていること、それをエドヴァルドは否定しないこと。
会話はなく、視界にすら入れてくれない。
そして昨日の婚約記念日のこと。
全てを聞いた父親は、大きなため息とともに椅子に座り直した。
「まさかそんなことになっていたとは……。キアラが毎日楽しそうにしていたので、てっきり良好な仲だったと思っていた」
実際楽しかったのだから、父の見立てはおかしくはない。
キアラにとっては、ただエドヴァルドと共にいれるだけで良かったのだ。
それだけで毎日しあわせだったから、そこに間違いはない。
ただ昨日の件で、そのしあわせが泡沫のように消え去ったのだ。
「そんなわけで婚約破棄したいのですが」
「もちろんだ! そういうことならさっそく先方に話をつけよう。今すぐ手紙を送るから安心しなさい」
「ありがとうございます、お父様!」
これなら速やかに婚約破棄できるはずだ。
ああ、これで肩の荷が降りると安堵の息をついたキアラは、時計を見て急ぎ踵を返した。
「それではお父様。支度をして学園に行ってきます。そこでエドヴァルド様には婚約破棄の件をお話しいたしますね?」
「もちろんだ! 学園中の生徒が見ている中で叩きつけてやりなさい!」
「はい……?」
なぜか鼻息が荒い父に首を傾げつつも、キアラはさっさと支度をして屋敷を出る。
いつものように完璧な化粧、完璧なヘアセットをしなくてもいい。
朝もビタミンや食物繊維、タンパク質などいちいち気にして食べる必要もないというのは、とても気楽だった。
「朝からバターたっぷりパンを食べれるのはしあわせでした……!」
あまりの美味しさを思い出し両頬を押さえていると、あっという間に学園についた。
キアラは馬車を降りると、学園の入り口でエドヴァルドを待つ。
その間にも周りはキアラを見てくすくすと笑う。
「見て、ワンちゃんがご主人様を待ってるわ」
「あんな物欲しそうに待っていても、ご褒美なんてもらえないのにねぇ……?」
あれこれ言われているが、それも今日で終わりだ。
キアラがなにも言わずただ待っていると、やがて友人たちと共にエドヴァルドがやってくる。
友人たちは入り口で待つキアラを見つけると、ニヤリと笑う。
「おい、ほら。またエドヴァルドの犬が待ってるぞ」
「たまには頭でも撫でてやったらどうだ? あんな健気にマテをして……。かわいそうだろう?」
そう言う友人たちの表情は、かわいそうなんて思っていないのが一発でわかる。
小馬鹿にしているのがわかったが、キアラは気にした様子もなくエドヴァルドに話しかけた。
「エドヴァルド様。お話がございます。どこか人気のないところへ……」
「人気のないところに連れてって、エドヴァルドになにするつもりだ?」
「怖い怖い。エドヴァルド、わんちゃんに襲われちゃうかもなー?」
「噛まれるかもしれないぞ?」
相変わらずうるさい人たちだ。
ふう、と小さく息を吐きつつエドヴァルドを見るが、やはり彼はその瞳にキアラを映すことはない。
むしろなにも言わずその場をあとにしようとするので、彼の行く道を邪魔するように立った。
「エドヴァルド様。話を聞いてください」
「………………はぁ。ならここで言え。君にかまっている時間はない」
やっと話したと思えばそれだけかと、やはりキアラの心は冷たくなっていく。
とはいえ傷ついていないことを考えても、やはり熱は冷め切ったらしい。
「……わかりました」
エドヴァルドの名誉に関わるからと、人気のないところにしようと思ったのだが。
そんな気遣いは無用らしい。
キアラはエドヴァルドをまっすぐ見ると、周りにも聞こえるほどはっきり伝えた。
「エドヴァルド様。私たち婚約を解消しましょう」
「――………………」
キアラからの言葉が聞こえたであろう生徒たちは、皆動きを止めた気がした。
騒がしい朝の学園。
しかしその一瞬だけは静まり返った。
「もう父から侯爵家に向けてお手紙が届けられていると思います。今日ご自宅に帰られましたら、ご両親とご確認ください」
以上です、と軽く頭を下げたキアラの肩を、エドヴァルドが強く掴んだ。
「――どういうつもりだ?」
「……なにがですか?」
「なぜ急にそんなことを――、ああ、そうか。そういうことか」
なにやら一人納得したようすのエドヴァルドは、呆れたようにため息をついた。
「私の気を引こうとそんなわけのわからないことを言ったのか。全く君は本当に……」
なにやらわけのわからないことを言っている。
だというのに、そんなエドヴァルドに友人たちは納得したように頷く。
「ああ、なるほど。ワンちゃん考えたね。必死だねぇ」
「なのにその姑息な作戦バレちゃったんだ。情けないね!」
くすくすと笑ってくる友人たちに、キアラは片方の眉を上げる。
本当に意味がわからないと、キアラは肩を掴んだままのエドヴァルドの手を振り払った。
「よくわからないのですが……」
まさか振り払われると思っていたなかったのだろう。
エドヴァルドが驚いた顔をしてキアラを見てくる。
そこできっぱりはっきり、伝えることにした。
「――私、もうエドヴァルド様に興味ないんです」
「……………………………………え?」
「エドヴァルド様も私に興味ないですよね? なら婚約は破棄しましょう。そのほうがお互いのためです」
キアラはスカートの裾を掴むと、軽く頭を下げた。
「ではエドヴァルド様。どうぞ素敵な学園生活をお送りください。さようなら」
くるりと踵を返したキアラは、その場で腕を上げて伸びをした。
背中が伸びたのを確認してから、ふう、と息を吐き出す。
「さあ、私は自由です! 毎日を楽しまなくちゃ……!」
なにをしようとルンルン気分で歩くキアラは、もちろん振り返ることはしない。
だから気づかなかったのだ。
エドヴァルドが呆然と立ち尽くしていたことに……。




