犬のように従順に
愛しています。
心の底から。
愛しています。
身も心も。
愛しています。
あなたがいればそれでいい。
愛しています。
私の世界は、あなただけ。
そう、思っていたのに……。
「――私もうエドヴァルド様に興味ないんです」
私の愛には、限りがあったようです。
伯爵令嬢キアラ・メルデールには、それはそれは見目麗しい婚約者がいた。
月のように美しい髪に、海のように深い青色の瞳を持つ侯爵令息、エドヴァルド・シュトーン。
まるで物語に登場する王子様のようなその美しい見目に、キアラは齢六歳にして運命の相手、そして永遠の愛を知ったのだ。
「わたし、エドヴァルドさまとけっこんする!」
エドヴァルドと出会った日、キアラは両親に向かってそう叫んでいた。
そしてその願望は、双方の両親合意のもと叶うこととなった。
キアラとエドヴァルドは婚約者となったのだ。
その時の喜びといったら……。
キアラは毎日のように小躍りをしていたほどだ。
エドヴァルドと結婚できる。
その喜びだけで、キアラは毎日を生きていた。
――それから十年の年月が経った。
キアラとエドヴァルドはともに十六歳。
結婚適齢期となったわけだが、二人はまだ結婚していない。
もちろんしたくないわけではない。
紳士淑女を育成する学園に所属しているため、結婚はその卒業を待ってからとなっている。
なので今日もキアラは、愛しい婚約者とみんなが羨むような甘ーい学園生活を楽しんでいた。
「エドヴァルド様! こちら本日のご昼食です」
「…………」
「エドヴァルド様のお好きなローストビーフのサンドイッチをたくさん入れておきました」
「…………」
「お飲み物は果汁百パーセントのオレンジジュースです」
婚約者のエドヴァルドは本を読んだまま、こちらを見ようともしない。
しかしそれが通常運転のため、キアラはいつもどおりに話しかける。
エドヴァルドのクラスで、いや、学園中で彼女は有名人だった。
「でたでた。エドヴァルド様の犬」
「違うわ。婚約者よ。……一応ね?」
入学してからこのかた、エドヴァルドがキアラに笑顔を向けたことはない。
ここ三ヶ月ほどは視線すら向けてくれたことがない。
それでも一切気にしたようすなく、エドヴァルドに尽くす姿に人々はキアラのことを【エドヴァルドの犬】と呼ぶようになった。
「エドヴァルド様、オレンジジュースお好きですもんね? あ、それとは別に紅茶もご用意いたしました。こちらも揃ってお持ち――」
持って行くようにとキアラが言う前に、エドヴァルドは机の上に置いてあったカゴを持って教室を後にする。
「――あ、エドヴァルド様! お待ちください!」
慌てて彼の後ろをついて行くが、足の長さが違いすぎる。
キアラは彼の後ろをついて行くだけで、息が上がってしまった。
向かった先は裏庭。
彼がいつも【友人】たちと食事をとる場所である。
「エドヴァルド様。今日こそ私もご一緒に――」
「ワンちゃんめげないねぇ」
「入学してから一度だって一緒に食べたことないじゃん」
そう言うのはエドヴァルドの友人たちだ。
彼らはキアラを見た後くすくすと笑い、やってきたエドヴァルドの肩を組む。
そしてキアラに向かってまるで野良犬を追い払うかのように手を振った。
「しっしっ! エドヴァルドは君なんてお呼びじゃないよ」
「ばいばーい」
「…………」
その間エドヴァルドは一度だってこちらを見ることはない。
仕方がない。
これが日常なのだから。
キアラは静かに目を閉じると、スカートの裾を軽く持ち上げ頭を下げた。
「では、エドヴァルド様。素敵な昼食をお楽しみください」
もちろん返事なんてこない。
キアラは一人静かに踵を返し、その場を後にする。
もちろんわかっていた。
今日もエドヴァルドと一緒に食事がとれないことなんて。
でも諦めきれないのだ。
「あの美しい御尊顔を拝見しつつ食事をとりたいのです!」
「あんたの執念恐ろしすぎるわ」
教室に戻ってきたキアラの叫びに反応してくれたのは、幼なじみのシノ・ファルア伯爵令嬢だった。
彼女は豪快にサンドイッチに食らいつくと、瞳をきらめかせた。
「うまっ! キアラあんた、やっぱりいい奥さんになるよ」
「もちろんです。エドヴァルド様の最高の妻となるべく、幼少期から訓練したんですから!」
あの麗しのエドヴァルドの妻になる。
キアラの幼少期はその一言に尽きた。
妻としてなにが誇れるのか徹底的に調べ上げ、結婚に至るまでの約十二年。
それだけに全力をかけているのだから。
「エドヴァルド様の隣に立っても恥ずかしくないよう、美容だって気をつけています。日に当たることも極力避け、ウエストも可能なかぎり絞り続けてますから!」
「偉すぎて言葉にならないわ」
パクパクとサンドイッチを頬張るシノの前で、キアラはいつものようにサラダを食べる。
これがいつもの日常だった。
ただ少し違ったのは、シノの方だ。
「――あんたさぁ。どっちかというと冷めやすいほうじゃない。いや、飽きやすいというべきか」
「そうですか?」
「そうだよ。私がプレゼントした人形、三日で飽きてたじゃない」
「べ、ベッドには飾ってありますよ……?」
飽きはしたけれどちゃんと飾っているので勘弁してほしい。
とはいえ少し気まずいと顔を伏せると、シノはふんっと鼻を鳴らした。
「それなのにあの冷酷男のことは飽きないのね」
「……飽きる? エドヴァルド様に? ………………まさか!」
シノの発言を受けて、ほんの少しだけ考えてみた。
エドヴァルドに飽きるキアラ。
しかし残念ながらそんな姿は微塵も想像付かなかった。
「ぜっっっっっったい、ありえません。私の愛は無限なのです。エドヴァルド様限定ですが」
「……ムカつかないの? あんな無視ばっかりされて」
自分がされたことのように怒りを露わにするシノに、キアラは軽く首を振った。
「ムカつきません。いつか絶対、エドヴァルド様は私を見てくださいますから」
「いつかっていつよ? もういい加減嫌にならないの?」
「なりません。あんなふうなのは今だけです。だって昔は優しかったんですから」
キアラは両手を合わせて握りしめると、うっとりと昔を思い出す。
まだ婚約したばかりの時。
エドヴァルドは花で冠を作ると、キアラの頭に乗せてくれたのだ。
「あげる。――僕のお嫁さん。って! なんて可愛いのでしょう!?」
一人で顔を真っ赤にさせながら興奮していると、その様子にシノは冷めた目を向ける。
「はいはい。ヨカッタワネー」
「子どもの頃のエドヴァルド様本当に可愛らしかったんですよ!? 天使です天使」
「うんうん。ソウダネー」
ものすごく片言なのは気のせいだろうか?
これはエドヴァルドのよさがまだ伝わってないのでは?
とキアラが改めて力説しようとした時、予鈴が学園内に響き渡った。
「ほらほら! キアラも早くご飯食べちゃいなさい!」
「――え、あ、はい……」
残念。
時間切れである。
もっとちゃんと話したかったのに、それはまた今度になってしまった。
必ず後日心ゆくまで語ろうと決めていると、シノがサンドイッチを慌てて飲み込む。
「そういえば今日は婚約記念日でしょう? また劇でも見に行くの?」
「――そう! そうなんです。今日という日だけは、エドヴァルド様と一緒にいられる……!」
いつでも無視されるキアラだったが、たった一日、婚約記念日だけは違うのだ。
この日だけは二人っきりで劇を見て食事をする。
エドヴァルドの美しい姿をこれでもかと堪能できるのだ。
「最高の日ですよねぇ」
うっとりとするキアラに、シノは呆れていた。
「あんな仏頂面と一緒にいて楽しいかしら……? とにかく、それならさっさと食べちゃいなさい。授業に遅刻して放課後、先生に怒られるなんてことにならないようにね」
「――そ、そうですね!」
そうなってはきっと、エドヴァルドは先に帰ってしまう。
キアラは慌ててサラダを食べる。
今日は失敗は許されない。
大好きなエドヴァルドと一緒にいれるのだから。
(とっても楽しみ)
エドヴァルドに楽しんでもらうためのプラン作りも完璧だ。
夜も彼の好きなものをシェフに頼んで作ってもらう手筈は済んでいる。
絶対に楽しませてみせる!
と、意気込んでいたのに……。
「――え? 今……なんと……?」
「だから、今日は無理だと言ったんだ」
そして迎えた放課後。
鼻歌を歌いながらエドヴァルドの元へ向かったキアラは、衝撃的な発言を耳にすることとなった。
「今日は友人と劇に行くことになった」
「……私と一緒に行ってくださるのでは?」
「……君とは毎年行っている。今年くらいはいいだろう? 君も友人と行ったらどうだ?」
違う。
そうじゃないのだ。
確かに毎年行ってはいるけれど、キアラには一年に一度しかない。
毎日のようにエドヴァルドと遊ぶ友人たちとは違う。
「……どうしても、ですか? 今日は私たちの……記念日です」
普段ならこんなわがままは言わない。
けれどどうしても、今日だけは一緒にいてほしいのだ。
(なのに、どうしてそんなに迷惑そうな顔をするの……?)
エドヴァルドは深いため息をつくと、キアラをまっすぐ見つめてくる。
そうだ。
ずっとそうやってエドヴァルドの瞳にキアラを映して欲しかった。
けれどそれは叶わなくて。
いつだって彼の隣で語らいあえる友人たちに嫉妬していた。
けれどこの日は、この日だけはキアラだけを見てくれる。
だからどれだけ冷たくされても、変な噂を立てられても平気だったのに。
(やめて……)
これ以上否定しないで。
このままではきっと、ダメになる。
キアラの愛が、ダメになってしまう。
だから――!
「エドヴァルド様、どうかっ! 今日だけは――」
「しつこい。だいたい婚約記念日ってなんだ? そんなもの必要ないだろう。――めんどくさい」
(ああ……)
その瞬間、キアラの熱は一気に下がった。
高熱で茹っていた頭が、急にクリアになった気分だ。
ふわふわとした感覚は霧のように消え去り、やけに冷静な己がここにいる。
熱しやすく冷めやすいとは、どうやら本当だったらしい。
「私はもう行く。君もさっさと帰るといい」
犬を追い払うかのように手を振るエドヴァルドに、キアラはふう、と息をつく。
そうか。
結局こうなってしまったのか。
なんだかあっけなかったなと、キアラは優雅にスカートを掴み、軽く頭を下げた。
「かしこまりました。それではエドヴァルド様。――さようなら」
くるりと踵を返して、さっさとその場をあとにする。
そういえばこんなふうに、エドヴァルドをその場に一人残して去るなんて今までしたことがなかった。
彼の背中が見えなくなるまで見送るのが、キアラの責務だと思っていたから。
だからだろうか?
あっさり引き、かつ去っていくキアラの後ろ姿に驚いたのだろう。
エドヴァルドの情けない声が聞こえた。
「――え……?」
そしてキアラの日常は、激変することとなった。




