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8/12

第8話 ドアマット幼女の就職相談

 皆さま、こんにちは。


 エルシャ・グリーンウッド六歳です。


 いい天気なので、詰所の中庭で休憩中のダグラスさんとランチです。


 先日草取りをした後、誰かが木陰に木製のベンチを置いてくれました。いつの間にか癒しの空間が出来上がっています。


 秋が深まり朝晩は少し肌寒いのですが、今日は小春日和です。木漏れ日が心地よいです。


 本日のランチは、串に刺したソーセージやチーズを、溶いた小麦粉にくぐらせて揚げた屋台メニューです。


 走馬灯の知識で『アメリカンドッグ』や『チーズドッグ』と呼ばれていたものとよく似ています。ケチャップとマスタードをかけて食べるのも同じですね。


 表面はサックリ、中はフカフカの衣が少し甘くてケチャップとよく合います。中身のソーセージやチーズが出て来ると、マスタードが良い仕事をします。幼女の口には少し大きいのですが、思い切ってガブリと噛みついて食べています。


 母様が生きていた頃は貴族令嬢だったので、屋台料理は食べさせてもらえませんでした。ドアマット幼女になってからは言わずもがなです。


「熱々で、おいしいです」


 唾液腺が刺激されて、キューってなってます。頬に手を当ててモグモグしていると、ダグラスさんがフッと息を吐きました。ヒゲモジャラなのでよくは見えませんが笑っているようです。


「ほっぺを落とさないようにな」


 ダグラスさんの言葉に、一瞬固まってしまいました。『ほっぺ』という可愛らしい言葉が致命的に似合っていません。


 そして気になる表現です。


 耳の下にある『耳下腺(じかせん)』は唾液を溜めておく袋です。おいしいものを見たり食べたりすると、この部分が刺激されて唾液が分泌されるのですが、少しの痛みを伴う場合があります。


 そのため頬に手を当てたり押さえたりするので、そこから『おいしくてほっぺが落ちる』という表現が生まれたという説があります。


 もちろん走馬灯の知識です。


 つまり。この世界では一般的ではない表現……のはずです。


 もしかして、ダグラスさんも走馬灯を見た人なのでしょうか? 確かめてみましょう。


「犬も歩けば……」


「うん? 犬がいたのか?」


 ダグラスさんが通りの方を振り向いて言いました。


 うーん。


「チグリス、ユーフラテス川」


「なんだ? どこの川の名前だ?」


 う、うーん。


「ゆーちゅーぶ」


「どうした? もう食べられないか?」


 少しも良い反応が返って来ませんでした。どうやらわたしの思い違いだったようです。


「ごめんなさい。ちょっと考えごとをしていました」


「そうか」


『そうか』頂きました! わたしはダグラスさんの『そうか』がとても好きです。目元がふわりと緩むのです。声も優しくなるのです。


 ダグラスさんの『そうか』を聞くと、安心してちょっと眠くなってしまいます。


 そういえばダグラスさんは、わたしのことを時々『エルシャ』と呼ぶようになりました。言葉もよそゆき感が取れて、少しずつ懐に入れてくれるような様子がとても嬉しいです。


 警ら隊の他の隊員さんたちは、『嬢ちゃん』とか『エルシャちゃん』と呼びます。そちらの呼ばれ方も気に入っています。


「エバンス取り調べ官に渡す書類は、進んでいるか?」


「あ、モグモグ……はい。あと半分くらいです」


「無理する必要はないぞ」


「ごっくん……はい、大丈夫です」


 ダグラスさんは、あんなにパクパクと食べているのに、なぜ問題なく話せるのでしょう。あまり噛んでいない? だとしたら消化によくありません。


 次のひとくちは、何度噛むか数えてみましょう。


「思い出すのが辛いなら、やめても良いんだぞ」


 四回! 四回です! ダグラスさんは、あんなに大きなひと口分を、四回しか噛んでいません!


 モグモグモグモグ、ごっくんです。


 これは、注意をしなくてはいけませんね! 


「エルシャ?」


「はい?」


 すみません。全然聞いていませんでした。なんのお話でしょう?


「辛い出来事を文字にするなど、苦しいに決まっている。他にも方法はあるんだ。やめてもいい」


 ああ、虐待に関する報告書を作成している件ですね。わたしの心の傷を(おもんぱか)ってくれている。ダグラスさんは無骨で不器用に見えますが、人の気持ちに寄り添うことを知っている人なのです。


 でも、大丈夫ですよ! わたしはあの日屋根裏部屋で、『全力で逃げる』『そのためには、どんなことでもする』と決めたのです。


「この日記(提出する書類は日付をつけて日記のように書いています)で、父や後妻に一太刀(ひとたち)浴びせられるかも知れないと思うと、すごくやる気が出ます!」


「そうか。なら、がんばれ」


 ダグラスさんが少し、驚いたような素振りで言いました。わたしは胸を張って、ふんすと鼻息を吐きました。


 走馬灯の知識では、こういうのを『ドヤ顔』『ドヤる』というらしいですよ!


 ダグラスさんの『そうか』は、わたしにとって言葉を交わすことの象徴です。ダグラスさんがわたしを、人間だと思ってくれている証拠です。


 グリーンウッド邸では、誰もわたしの言葉を聞いてくれませんでした。何か言っても取り合ってくれなかったし、ましてや肯定してくれる人などはいなかったのです。


 わたしは『ごめんなさい』と『わたしが悪いです』としか言わない、踏みつけられる、ドアマットでした。




   * * *



「ダグラスさん、わたしに仕事を紹介してくれませんか?」


「仕事? なぜだ?」


「エバンスさんが言っていました。父がわたしを連れ戻そうとしているそうです。あそこに戻るくらいなら、働いて自活したいです」


 この世界では、八歳くらいから働く子供も珍しくはありません。新聞配達や牛乳配達は子供の仕事ですし、煙突掃除や靴磨きしている子供もいます。


「幼い子供を働かせるのは、たいていがろくな人間じゃない。給料も、ほんの少ししかもらえない」


 それでも、わたしのグリーンウッド邸での扱いよりはマシな気がします。少しでもお給料がもらえるなら……。大人になるまで頑張れば……!


「エルシャのように、見目の良い子供は特に危険なんだ。世の中には、君の知らない酷い暴力や怖い大人がいくらでもいる」


 嫌な世の中ですまないと、ダグラスさんが言いました。あなたが謝ることではありません。それにあなたは警ら隊長として、日々闘っているではないですか。


 あの日のわたしの叫び声を聞き逃さずに、駆けつけてくれたではないですか。


 この世界には、グリーンウッド邸よりも暗い場所が確かにあるのでしょう。後妻のそれよりも恐ろしい暴力も。


 けれど今のわたしには、裏通りのゴミへと堕ちる選択肢すら与えられていないのです。


「エルシャ。俺も、君をあの場所に戻すことには反対だ。まだ方法はいくつかある。諦めないで、ひとつひとつやって行こう」


 わたしが無意識のうちにきつく握りしめていた手を取って、ダグラスさんが言いました。優しく開いて、大きな手で包んでくれます。


 あの日……屋根裏部屋から叫んで良かった。わたしの声を聞いて、警ら隊を呼んでくれた人がいて良かった。来てくれたのがダグラスさんで良かった。


 ダグラスさんに会えて本当に良かったです。


 エルシャ・グリーンウッド六歳。見上げた空はどこまでも高く、ウロコ雲が上等なレースの編み目のように広がっています。


 もうすぐ、秋も終わりです。





読んで頂きありがとうございます。

ナーロッパ異世界なので、時代設定はふんわりしています。アメリカンドッグは日本独自らしいですね。頬が落ちるくだりは自説です。異論・反論は受け付けますが、お手柔らかに。作者のメンタルはおぼろ豆腐です笑

『第8話 ドアマット幼女と祖母からの手紙』は、明日の19:10投稿です。さあ、物語が動きますよ! 楽しみだと思ってくれた方、ブクマや☆での評価と応援、よろしくお願いします!



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アメリカンドッグの食感語りによる飯テロ、じゅるり……。  耳下腺なんて中々使う機会ない言葉も伝える走馬灯も気になりますが、幼少期から働かせてる職場での環境も闇が深そうで気になりますね。  微笑ましい…
アメリカンドックは、アメリカのコーンドックというトウモロコシの粉で作られた揚げ物を、日本で手に入りやすい小麦粉や、ホットケーキミックスで代用して作られたものだったかと思います。 だから本家のコーンドッ…
ダグラスさん、『一太刀』は通じた……のかな……? これは怪しい
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