第8話 ドアマット幼女の就職相談
皆さま、こんにちは。
エルシャ・グリーンウッド六歳です。
いい天気なので、詰所の中庭で休憩中のダグラスさんとランチです。
先日草取りをした後、誰かが木陰に木製のベンチを置いてくれました。いつの間にか癒しの空間が出来上がっています。
秋が深まり朝晩は少し肌寒いのですが、今日は小春日和です。木漏れ日が心地よいです。
本日のランチは、串に刺したソーセージやチーズを、溶いた小麦粉にくぐらせて揚げた屋台メニューです。
走馬灯の知識で『アメリカンドッグ』や『チーズドッグ』と呼ばれていたものとよく似ています。ケチャップとマスタードをかけて食べるのも同じですね。
表面はサックリ、中はフカフカの衣が少し甘くてケチャップとよく合います。中身のソーセージやチーズが出て来ると、マスタードが良い仕事をします。幼女の口には少し大きいのですが、思い切ってガブリと噛みついて食べています。
母様が生きていた頃は貴族令嬢だったので、屋台料理は食べさせてもらえませんでした。ドアマット幼女になってからは言わずもがなです。
「熱々で、おいしいです」
唾液腺が刺激されて、キューってなってます。頬に手を当ててモグモグしていると、ダグラスさんがフッと息を吐きました。ヒゲモジャラなのでよくは見えませんが笑っているようです。
「ほっぺを落とさないようにな」
ダグラスさんの言葉に、一瞬固まってしまいました。『ほっぺ』という可愛らしい言葉が致命的に似合っていません。
そして気になる表現です。
耳の下にある『耳下腺』は唾液を溜めておく袋です。おいしいものを見たり食べたりすると、この部分が刺激されて唾液が分泌されるのですが、少しの痛みを伴う場合があります。
そのため頬に手を当てたり押さえたりするので、そこから『おいしくて頬が落ちる』という表現が生まれたという説があります。
もちろん走馬灯の知識です。
つまり。この世界では一般的ではない表現……のはずです。
もしかして、ダグラスさんも走馬灯を見た人なのでしょうか? 確かめてみましょう。
「犬も歩けば……」
「うん? 犬がいたのか?」
ダグラスさんが通りの方を振り向いて言いました。
うーん。
「チグリス、ユーフラテス川」
「なんだ? どこの川の名前だ?」
う、うーん。
「ゆーちゅーぶ」
「どうした? もう食べられないか?」
少しも良い反応が返って来ませんでした。どうやらわたしの思い違いだったようです。
「ごめんなさい。ちょっと考えごとをしていました」
「そうか」
『そうか』頂きました! わたしはダグラスさんの『そうか』がとても好きです。目元がふわりと緩むのです。声も優しくなるのです。
ダグラスさんの『そうか』を聞くと、安心してちょっと眠くなってしまいます。
そういえばダグラスさんは、わたしのことを時々『エルシャ』と呼ぶようになりました。言葉もよそゆき感が取れて、少しずつ懐に入れてくれるような様子がとても嬉しいです。
警ら隊の他の隊員さんたちは、『嬢ちゃん』とか『エルシャちゃん』と呼びます。そちらの呼ばれ方も気に入っています。
「エバンス取り調べ官に渡す書類は、進んでいるか?」
「あ、モグモグ……はい。あと半分くらいです」
「無理する必要はないぞ」
「ごっくん……はい、大丈夫です」
ダグラスさんは、あんなにパクパクと食べているのに、なぜ問題なく話せるのでしょう。あまり噛んでいない? だとしたら消化によくありません。
次のひとくちは、何度噛むか数えてみましょう。
「思い出すのが辛いなら、やめても良いんだぞ」
四回! 四回です! ダグラスさんは、あんなに大きなひと口分を、四回しか噛んでいません!
モグモグモグモグ、ごっくんです。
これは、注意をしなくてはいけませんね!
「エルシャ?」
「はい?」
すみません。全然聞いていませんでした。なんのお話でしょう?
「辛い出来事を文字にするなど、苦しいに決まっている。他にも方法はあるんだ。やめてもいい」
ああ、虐待に関する報告書を作成している件ですね。わたしの心の傷を慮ってくれている。ダグラスさんは無骨で不器用に見えますが、人の気持ちに寄り添うことを知っている人なのです。
でも、大丈夫ですよ! わたしはあの日屋根裏部屋で、『全力で逃げる』『そのためには、どんなことでもする』と決めたのです。
「この日記(提出する書類は日付をつけて日記のように書いています)で、父や後妻に一太刀浴びせられるかも知れないと思うと、すごくやる気が出ます!」
「そうか。なら、がんばれ」
ダグラスさんが少し、驚いたような素振りで言いました。わたしは胸を張って、ふんすと鼻息を吐きました。
走馬灯の知識では、こういうのを『ドヤ顔』『ドヤる』というらしいですよ!
ダグラスさんの『そうか』は、わたしにとって言葉を交わすことの象徴です。ダグラスさんがわたしを、人間だと思ってくれている証拠です。
グリーンウッド邸では、誰もわたしの言葉を聞いてくれませんでした。何か言っても取り合ってくれなかったし、ましてや肯定してくれる人などはいなかったのです。
わたしは『ごめんなさい』と『わたしが悪いです』としか言わない、踏みつけられる、ドアマットでした。
* * *
「ダグラスさん、わたしに仕事を紹介してくれませんか?」
「仕事? なぜだ?」
「エバンスさんが言っていました。父がわたしを連れ戻そうとしているそうです。あそこに戻るくらいなら、働いて自活したいです」
この世界では、八歳くらいから働く子供も珍しくはありません。新聞配達や牛乳配達は子供の仕事ですし、煙突掃除や靴磨きしている子供もいます。
「幼い子供を働かせるのは、たいていがろくな人間じゃない。給料も、ほんの少ししかもらえない」
それでも、わたしのグリーンウッド邸での扱いよりはマシな気がします。少しでもお給料がもらえるなら……。大人になるまで頑張れば……!
「エルシャのように、見目の良い子供は特に危険なんだ。世の中には、君の知らない酷い暴力や怖い大人がいくらでもいる」
嫌な世の中ですまないと、ダグラスさんが言いました。あなたが謝ることではありません。それにあなたは警ら隊長として、日々闘っているではないですか。
あの日のわたしの叫び声を聞き逃さずに、駆けつけてくれたではないですか。
この世界には、グリーンウッド邸よりも暗い場所が確かにあるのでしょう。後妻のそれよりも恐ろしい暴力も。
けれど今のわたしには、裏通りのゴミへと堕ちる選択肢すら与えられていないのです。
「エルシャ。俺も、君をあの場所に戻すことには反対だ。まだ方法はいくつかある。諦めないで、ひとつひとつやって行こう」
わたしが無意識のうちにきつく握りしめていた手を取って、ダグラスさんが言いました。優しく開いて、大きな手で包んでくれます。
あの日……屋根裏部屋から叫んで良かった。わたしの声を聞いて、警ら隊を呼んでくれた人がいて良かった。来てくれたのがダグラスさんで良かった。
ダグラスさんに会えて本当に良かったです。
エルシャ・グリーンウッド六歳。見上げた空はどこまでも高く、ウロコ雲が上等なレースの編み目のように広がっています。
もうすぐ、秋も終わりです。
読んで頂きありがとうございます。
ナーロッパ異世界なので、時代設定はふんわりしています。アメリカンドッグは日本独自らしいですね。頬が落ちるくだりは自説です。異論・反論は受け付けますが、お手柔らかに。作者のメンタルはおぼろ豆腐です笑
『第8話 ドアマット幼女と祖母からの手紙』は、明日の19:10投稿です。さあ、物語が動きますよ! 楽しみだと思ってくれた方、ブクマや☆での評価と応援、よろしくお願いします!