第7話 母親のいない家
「アニーちゃんの身体と心は、わたしが預かります。申し開きがあるなら、西区八番街警ら隊詰所までいらして下さい!」
大見栄を切りました。
「アニーちゃん、わたしと来て下さい!」
ヘンリーが男の人を威嚇してくれている隙をついて、アニーちゃんに走り寄って言いました。
けれど、アニーちゃんは頭を抱えてうずくまったままです。わたしの声に反応すらしてくれません。
「訳のわからん子供だな。なぜアニーを連れて行こうとする?」
「こんなふうに叩いたり、怒鳴ったりする人と一緒に暮らしたい子供はいません」
「うるさい! アニーは俺の娘だ! それに、こいつを産んだせいで妻は死んだんだぞ? こいつさえ生まれて来なければ……! うっ、シルビア……! なぜ俺を置いて……!」
男の人が、椅子に座り込んで泣きはじめました。わたしは酔った人をあまり見たことがないので、驚いてポカンとしてしまいました。
「シルビアさん? アニーちゃんのお母さんですか?」
「そうだ……。身体が弱かったのに、こいつを産んだせいで……! こいつが俺のシルビアを死なせたんだ!」
「あの……。アニーちゃん、お兄さんがいますよね? お兄さんは?」
「そうだ! あいつだけでも身体には負担だったんだ。それなのに……、こいつまで産んだから……」
「わたしは幼女なので詳しくは知りませんが、子供はご夫婦が協力して作ると聞いています。あなたと、シルビアさんで協力してアニーちゃんを作ったのではないのですか?」
男の人の顔がカッと赤くなりました。
「子供が……! 何を言っている!」
「えっ、でも……身体の弱いシルビアさんと、それを承知であなたがアニーちゃんを作ったんですよね? それなのにシルビアさんが亡くなったのを、アニーちゃんのせいにするのは、変だと思いますよ?」
「黙れ! 俺は悪くない! こいつがシルビアを死なせたんだ……。俺からシルビアを奪った悪魔だ!」
「あなたは、その言葉を、シルビアさん本人に言えますか?」
「えっ……?」
「“君を死なせた娘だから、怒鳴って叩いているよ。君を愛しているから、その娘を悪魔って呼んでいる”って、言えますか?
そんな夫の言葉を聞いて、シルビアさんは喜びますか?」
アニーちゃんはうつろな目をして、指をしゃぶっています。
「あなたが“悪魔”と呼んだのは、シルビアさんが自分の命と引き換えに、この世に送り出した宝物です」
「うるさい……俺は、おれは……!」
「うんしょ!」
アニーちゃんを背中に回して、白衣で包み込むようにして背負います。
うっ、重いです。でも、わたしの方が背も大きいですし、二歳も年上です。頑張って、おんぶします。
「おい、俺の娘をどうするつもりだ!」
「今のあなたとでは、話になりません。お酒を抜いてから、話し合いましょう」
「ゆるさん……ゆるさんぞ……」
ブツブツと言いながら、お酒を瓶から煽っています。わたしは、もう振り返らずに部屋を出ました。
階段を降ります。手すりにつかまって、慎重に降ります。ヘンリーが心配そうについて来ます。大丈夫ですよ。わたしの方がお姉さんですから。
ふと顔を上げると、泣きそうな顔をした、あの男の子が廊下に立ってこちらを見ていました。
何か言うのかと思ってしばらく待ちましたが、何も言わずに部屋へと入っていってしまいました。
理不尽な親に振り回されているのは、あの子も同じなのかも知れません。
親が完璧であるべきだなどと言うつもりはありません。
でも、自分の辛さや痛みを、逃げ場のない無力な子供に向けるのはやめて欲しいです。
ドアマット幼女は、わたしで最後になればいいのに……。そう思いました。
夕焼けのオレンジ色が僅かに残る空に、一番星が昇ります。薄い雲に月が見え隠れしています。
おぼろ月が、諦めずに照らしてくれる夜道を、わたしは背中のアニーちゃんの重みを噛み締めながら歩きました。
* * *
翌日になってもあの父親は、詰所にアニーちゃんを迎えには来ませんでした。そして、事情を聴きに行ったピートくんに『もう、いらないから』と言ったのです。
ピートくんはそれを聞いて、家中のお酒の瓶を全部窓から放り投げて、父親の頭から水を掛けてしまい、今はその件で謹慎中です。
それだけで我慢したピートくんはえらいです。わたしなら、ヘンリーと一緒に飛びかかったと思います。
結局、父親は親権を放棄しました。そして……。
アニーちゃんは少し、心が弱っているのだそうです。
「周囲の刺激や、呼びかけに対する反応が鈍い。指しゃぶりや歌を口ずさむのも、自分の中に閉じ籠ろうとしておるんじゃろうなぁ」
診察や治療をしてくれたハドソンおじいちゃまが、痛ましげに言いました。
「あの家族の中に、戻さなくて正解じゃよ」
心が弱っている時は、人間よりも動物のそばにいる方が良いのだそうです。確かにアニーちゃんは、人見知りが激しくてもヘンリーのことは好きみたいです。
それなら、ぴったりの場所があります。辺境の牧場にはヘンリー以外にも牧羊犬がいますし、馬も羊もヒヨコもいます。
早速、ソフィアさんに手紙を書くと、すぐに返事が来ました。二人揃って来てくれるそうです。
その間に、わたしは今回の件で始末書を三枚書きました。一枚はヘンリーの分です。
あと、おやつはしばらくピーマンです……。お父さん二人とおじいちゃまからの、お説教も長かったです。
ピートくんと一緒に反省しながら書きました。
* * *
「ソフィアさん! ベックさん!」
「エルシャお嬢様!」
ソフィアさんとベックさんが、馬車から降りて来ました。
「まあまあ! なんだか少し、お姉さんになったんじゃないですか?」
「お二人もお元気そうで良かった! お願いを聞いてくれて、ありがとうございます」
「望むところです! お嬢様が旅立ってから、もう寂しくて……。その子がアニーちゃんですか?」
「はい。アニーちゃん、ご挨拶しましょうね」
「あにーでしゅ……だあれ?」
「こんにちは。私はソフィア。アニーちゃんのママになりたくて来ました」
「アニーのママ? アニーのママになると、死んじゃうのよ?」
「……死にません。私はすごく健康なんです。子供の頃から、風邪ひとつ引いたことがないくらいです」
アニーちゃんは、不思議そうな顔でソフィアさんを見ています。
「わしは、パパになれそうかい?」
「パパ……? アニーを叩く人?」
「違うよ。アニーちゃんと遊んだり、一緒にごはんを食べたり、一緒に寝たりする人だよ」
「……ぎゅーって、……してくれる?」
「……もちろんだよ」
ベックさんがアニーちゃんを、そっと抱きしめました。ソフィアさんも、ベックさんの反対から、アニーちゃんを抱きしめています。
「あったかい……」
アニーちゃんの顔から、不安そうな色が消えていきます、お二人ならきっと、辛抱強くアニーちゃんの心と向き合ってくれると思います。
三日後――。
アニーちゃんはソフィアさんご夫婦と、辺境へ旅立つことになりました。わたしとヘンリーは汽車の駅まで、一緒に馬車で見送りにいきます。
馬車の窓から詰所を振り返ると、皆さんが手を振っています。そのずっと後ろの、塀の影に……。
アニーちゃんのお兄さんが立っていました。顔をしかめて、ぼろぼろと涙をこぼしています。
その涙は、何の涙だったのか……。わたしにはわかりません。ですが、自分の手が小さな妹を叩くことで、お兄さんも傷を負っていたのかも知れません。
人の心は難しいです。全ての人が笑っている世の中なんて、物語の中にだってありません。
今はただ……。辺境の牧場での生活が、アニーちゃんの心の傷を、少しでも早く癒してくれることを、願わずにはいられません。
エルシャ・グリーンフィールズ六歳。ある……よく晴れた日の出来事です。
読んでいただきありがとうございます。
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