第42話 車窓に映る真実(ダグラス視点)
紙のコミカライズが決まりました。
暗い車窓に、エルシャの横顔が映っていた。小さな額をガラスにくっつけて、じっと外を見ている。
外は真っ暗だ。ときどき、遠くの集落の明かりが揺れながら流れていく。
窓に映ったエルシャの目は、少し大人びて見えた。祖母の死を必死に乗り越えているのだろう。ようやく出会ったまともな肉親を見送ってきたばかりなのだ。
そのエルシャを、俺たちは残酷な現実の舞台へと連れて行こうとしている。
俺とエバンスは、お互いに担当した捜査を終えて、エルシャに、どこまで真実を話すべきかを話し合った。
最初から、正解などがあるような問題ではない。それでも、少しでもエルシャが笑えるような未来へと向かわせてやりたい。
それにはどうしたらいいのか。
その問いを胸に抱えたまま、俺はこの夜行列車に乗っている。
エバンスの声が、ふと頭の中によみがえった。
* * *
――数日前、西区八番街警ら隊詰所。
「エルシャくんの父親、エドワード氏は、アリッサさんと結婚した当時から“伯爵代理”という立場に不満を持っていた。そのことで夫婦仲は良くなかった」
エバンスが、手元の資料をめくりながら言った。
「元家政婦長のソフィアさんの証言だ」
「エルシャくんに対しても、自分の立場を奪っていく存在と見ていた可能性が高いですね。解雇された侍女と退職した元乳母の証言も、ほぼ一致しています」
貴族のお家争い……。よく聞く話ではあるが、やはり平民の俺には理解できない。
「そしてアリッサさんが病に倒れる。毒を盛られた可能性は低い。これは最初に診察した医師の証言です。長く熱が続き、徐々に弱っていく類の病だったようです」
「そうか……」
「問題はその先です」
エバンスの声が、低く籠る。
「エドワード氏は、伯爵家の専従医に“治療は不要だ”と指示し、さらに“治療しているように見せかけろ”と持ちかけた。そう、専従医本人が自白しています」
「専従医は起訴できるのか?」
「ええ。少なくとも医師免許は剥奪されます。ですが、エドワード氏は一切の関与を否定している。見事なトカゲの尻尾切りですね」
「家令の介入は?」
「前伯爵夫妻への手紙を偽造していたことを認め、エドワード氏の指示だったと証言しています。“年寄りだから、しばらく待てば死ぬだろう”と言っていたと」
「前伯爵夫妻が亡くなり、エルシャが潰れれば、エドワード氏の立場は揺るがない……ってことか……」
俺は、椅子の背にもたれて天井を見上げた。
「アリッサさんが死ぬのを待ち、前伯爵夫妻を欺き、エルシャを壊して伯爵家を自分のものにしようとした」
そう考えれば、全て辻褄が合う。
「だが、法で裁くのは難しい……か。エドワード氏には伯爵家を建て直した実績があり、分家の出だから血統的にも乗っ取りとは見なされない」
「前伯爵のヘンリー氏の死は単なる事故、夫人の病も人為的なものではないようです」
「要するに、“待っていた”わけだな」
俺は、ゆっくりと息を吐いた。
「妻を見殺しにするのは医者任せ、祖父母を騙すのは家令任せ、娘を虐げるのは後妻任せ……。徹底して自分の手は汚さない」
「胸糞の悪い話です」
エバンスが吐き捨てるように言った。
「ああ。薄汚いやり方だ」
「エルシャくんに、何と説明すれば……」
大きくため息をつきながら、エバンスが片眼鏡をはずした。この男が、ここまで事件に肩入れするのを久しぶりに見る。
「エルシャに、全てを話すと約束したんだ」
「その約束を守りたいというのは、あなたのエゴでしょう。六歳の子供には、あまりにも酷な話です」
「エルシャは……受け止める強さを持っている」
「あなたは、あの子を理想化し過ぎです。心の傷は、取り返しがつかないこともある」
エバンスの言うことは正論だ。常識的に考えれば、十年後くらいに改めて本人の意思を確認してから伝えるべきだろう。
「エドワード氏は、今もエルシャが戻ることを望んでいるのか?」
「最近は事情聴取に応じないんです。文書での質問事項への返答もない」
「強制捜査の許可は降りないのか?」
「難しいです。高位貴族の相手は本当に厄介です」
「エルシャの虐待も、法律では罰せられない。この国の法律は、弱いものを守る気がないのか」
「返す言葉もありません……」
「いや……すまない。エバンスが悪いわけではない」
「いいえ……。法律に関わる全ての人間の責任です」
「俺たち、警ら隊もだ。全ての大人の責任だ」
二人とも、それきり言葉を発することは出来なかった。
* * *
「ダグラスさん!」
元気な声に呼ばれて我に返る。
「できました! 先に渡しちゃいますね!」
エルシャの膝の上には、小さな裁縫箱が置かれていた。いつの間にか何かの作業をしていたらしい。
「俺は、寝ていたか?」
「ふふ。眉間に皺を寄せて、居眠りしてましたよ。疲れているのに迎えに来てくれて、ありがとうございます。はい、これ!」
手のひらにポンとのせられたのは、小さな、ぬいぐるみだ。
「これ、うちの羊さんの毛で作ったフェルト製なんですよ。完成したてのほやほやです!」
「これは……、警ら隊の長帽子か?」
エルシャの顔が、パッと明るくなる。
「正解です! お守りみたいな感じです。隊員の皆さん、全員分あるんですよ。エバンスさんはシルクハットで、ハドソン先生は診察カバンです。ほら!」
「こんな小さいのに、ちゃんと帽子に見えるな。カバンも……よく出来ている」
「クゥーン」
ヘンリーがエルシャの足元で、不満そうな声を出した。
「ふふ、ヘンリーの分もありますよ。ほら、ヘンリーの大好きなヒヨコさんです。あっ、ベロベロ舐めちゃダメです!」
『もう、ヘンリーったら』と言いながら、救助犬バッグの金具に括り付ける。
「エルシャはヘンリーのお姉さんみたいだな」
「えへへ、そうですね。弟みたいにかわいいです」
久しぶりに会ったエルシャは、見違えるほど健やかな反応を見せる。辺境での暮らしは、楽しいものだったのだろう。
あの日、グリーンウッド邸の庭先の木から、飛び立つ小鳥を仄暗い目で見ていたこの子が、大きな犬を弟だと言って笑っている。
両親が望まない結婚をし、その結果として自分が生まれたこと。父親が自分を邪魔者としか思っていなかったこと。その父親が、母親を見殺しにしたこと。
全てがこの子を傷つけるだろう。
知らせるにせよ、知らせないにせよ、事実は覆らない。何が正解か……。そもそも正解があるのかすらわからない。
だが、俺たち大人にできることは、何でもしてあげたい。エルシャが望む道を、思うがままに歩んでいけるように。
夜行列車は進む。厳しい真実と、俺の迷いを車窓に映しながら。
読んで頂きありがとうございます。
ようやくここまで来ました。夜行列車、ちょっと乗ってみたいですね。夜明けには王都の中央駅に到着します。




