第17話 ドアマット幼女と港町事件簿 その弍
皆さま、こんばんは。
エルシャ・グリーンウッド六歳です。
ダグラスさんが悪い人を追いかけて行ってしまって、わたしは宿屋へ戻りました。全力で待機中です。
宿屋の人や他の大人に頼んで、この町の警ら隊への通報はしません。それが必要ならば、ダグラスさんはそう指示した筈です。
誰を信用するべきか判断がつかない現状なのだから、自分の安全を確保して待機。それがダグラス隊長の指示なのです。
部屋の鍵をかけ、荷物を整理してすぐに動ける準備をします。編み上げブーツの紐を、しっかりと結び直します。
今までも警ら隊の皆さんが出動して、わたしは詰所でお留守番は何度もありました。
けれど今のわたしが、呑気に過ごして良い筈がありません。足首を回して、膝の屈伸運動などもやってみます。
しばらくすると、部屋のノックの音が聞こえました。
「どちら様ですか?」
「俺だ、ダグラスだ」
ダグラスさんの声です。でも、ドアを少しだけ開けてお顔も確認します。
「お、お帰りなさい! 早かった……です、ね」
声がうわずってしまいました。思ったよりも緊張していたみたいです。
「ただいま。何もなかったか?」
「はい。ダグラスさんは?」
「ああ、犯人は確保した。あの女の子も無事だ」
ダグラスさんのことを聞いたのに、事件のあらましを報告されました。
「ダグラスさんは、怪我とかなかったですか?」
「あ、ああ、大丈夫だ」
わたしの心配がやっと伝わったのか、ちょっと照れ臭そうです。ダグラスさんの中では現場から戻ったら、報告が当たり前なのですね。
「エルシャ、すまない。また出かけなくてはいけないんだ」
「えっ……」
「この町の警ら隊に、捜査への協力を求められた。どうやら誘拐と人身売買の組織があって、今夜大掛かりな取り引きがあるらしいんだ」
人身売買……。じゃあ、あの女の子は船で遠くへ売られてしまうところだったんだ!
「他にも攫われた子供がいるんですか?」
「ああ、そうらしい。今夜、地元の警ら隊と検挙のための作戦に出る」
「ダグラスさんも……?」
「ああ、それが俺の仕事だからな」
「はい……」
「エルシャの分の晩飯を、部屋に届けるように頼んでおいたから、それを食べたら先に寝ていてくれ。夜通しになるかも知れない」
トランクから、警ら隊の制服と長帽子、警棒を取り出しながら言います。
持って来ていたんだ! そう言えば、ダグラスさんにとってこの旅は、捜査のための出張なのでした。テキパキと手早く着替えていきます。
長帽子の留め金のカチッという音がすると、目の前の人はすっかり『警ら隊長ダグラス・リード』その人でした。
「じゃあ、行って来る」
「はい……行ってらっしゃい」
ドアがバタンと閉じて、早足で遠ざかる足音が聞こえます。
行ってしまった。
ダグラスさんは経験豊かな警ら隊長さんで、この町の協力要請も真っ当なもので、わたしを置いて捜査に行ってしまうのは当たり前なことです。
さっきまではダグラス隊長の指示で待機している部下みたいに感じていたのに、今のわたしはまた『お留守番』です。
わたし……まるで“警ら隊ごっこ”ではしゃいでいた子供みたいです。みっともなくて、恥ずかしい。
自分が滑稽で、部下だなんて思われてなくてがっかりして、何も出来ない自分が歯痒くて、置いて行かれて寂しくて、不安で……。
泣きたくなってしまうほどに、わたしは子供なんですね。
でも……。全部の感情をギュウギュウに握って開いたら、手のひらの上には、『ダグラスさんが無事に戻って欲しい』という心からの想いが乗っていました。
エルシャ・グリーンウッド六歳。まだまだ成長途上の幼女です。
* * *
宿屋の人が届けてくれた夕食を済ませると、窓から見える景色はすっかり宵闇に包まれていました。港の灯りが、ゆらゆらと波の上に滲んで見えます。
遠くの方で、警ら隊の笛の音が響きました。
ピィ――……という短い音。あれは『配置につけ』の合図だったはずです。
いよいよ、作戦が始まるのでしょうか。
どうしてわたしがそんなことを知っているかと言うと、新人のピートくんが詰所で練習していたからです。
わたしも銀色の小さな笛を吹かせてもらいましたが、スースーと息が漏れるだけで、少しの音も鳴りませんでした。あの音が聞こえると、詰所の待機メンバーにも緊張が走っていました。
窓から身を乗り出して、外の様子をうかがいます。宿屋の前の港へ続く小道には人影ひとつ見当たらず、しんと静まり返っています。
また、笛の音が聞こえました。
今度は、短く二回――『了解』の合図です。すぐに同じ音が遠く近くに響きました。
ダグラスさんが、あの夜の中にいる。きっと、狼のように走っている。
もう一度、笛の音。
今度は――高く長く、一回。『急行せよ』。
胸がぎゅっと締めつけられました。
部屋の中を歩き回り、何度も窓から顔を出します。潮の香りの混じる夜風がわたしの髪を掻き乱します。
――どうか、ダグラスさんが怪我をしませんように。
祈るようにギュッと両手を握ってしまいます。宗教とは縁の薄いわたしですが、人はこうして祈りに縋るのかも知れません。
高く短い笛の音が聞こえました。これは――『確保』の合図です!
思わず立ち上がってしまいました。作戦が成功したんだ……! 子どもたちは、助かったんだ!
そう思った途端、急に瞼が重くなりました。わたしはふらふらとベッドへと向かい、ばたんと倒れ込むように横になりました。
「ダグラスさん……お疲れさま、です……」
そのまま小さく身体を丸めて、眠りに身を任せます。
窓辺では夜明け前の港風が、カーテンを小さく揺らしていました。
* * *
どれほど眠ったのでしょう。かすかにドアが開く音で、わたしは目を覚ましました。
手持ちのオイルランタンの灯りが、柔らかく部屋を照らしています。制服のままのダグラスさんが、そっと帽子を外しながら入って来ました。
「起こしたか。……悪い」
「ダグラスさん……!」
声がかすれてしまいました。寝ぼけたまま、ベッドから身を起こします。
「全部、終わったよ。子どもたちは全員、無事だ」
少し声を潜めて、短く簡潔な報告をしてくれます。
ダグラスさんにとってわたしは、そういう相手なのです。それが、とても誇らしい。
「お帰りなさい……」
「ああ、ただいま」
短いやり取りです。お互いに、当たり前みたいに口にしました。
ダグラスさんの首に架けられた銀色の笛が、窓から差し込む昇りはじめた朝日をきらりと反射しました。
波の音が微かに遠く聞こえる……そんな宿屋の朝の出来事です。
読んで頂きありがとうございます。警ら隊の笛の設定は全て架空のものです。さらっと流して下さい。ちなみに長帽子や警棒、敬礼、果ては法律や制度、警ら隊の権限も全てはなまるの空想の産物です。それでも面白いよーと思ってくれた方、ブクマや☆での評価・応援よろしくお願いします。
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そして皆さま、大変申し訳ないのですが、しばらく更新が不定期になります。ここまで来られたのは、たくさん読んで応援して下さった皆さまのおかげです。そして、どうかブクマはそのままで……!




