第15話 ドアマット幼女はダグラスさんを守りたい
皆さま、こんばんは。
エルシャ・グリーンウッド六歳です。
貴族女性の二人連れを見て、貧血を起こしてしまったようです。視界が端っこからどんどん暗くなって、ゴォーッという耳鳴りで自分の声さえ聞こえない有り様でした。
走馬灯の知識によると、こういうのを“フラッシュバック”と言うらしいです。難しい言葉ですが、つらい経験をした人が、何かのきっかけで心が痛い場所に引き戻されてしまう現象です。
わたしの場合は、ホールの入り口にいたドレスの女性二人を見て、後妻とエミリーを思い出してパニックに陥ってしまったのです。
くたりと身体の力が抜けて、抗う気力が萎えてしまいました。悔しいです。本当に悔しい。
本物でもない、ただ似た人に会っただけなのに、白旗を挙げてしまうなんて。
ダグラスさんが、抱き上げてくれたのはわかりました。胸に耳を付けて心臓の音を聞いていると、少しずつ身体の機能が戻って来ました。
最初に耳が回復して、キンキンと耳障りな少女の声が聞こえました。尖っていて、ザラザラと不快な気分になります。
次に鼻が回復しました。甘ったるい香水の匂いがします。キャサリンの匂いと似ていて、また身体が震えました。
ダグラスさんの心臓の規則正しい音だけを聞くようにしていると、心が落ち着いてゆきます。
思い切って目を開けると、ベストの胸ポケットが見えました。わたしが作ったハンカチのお花が入っています。
ようやく頭が働くようになりました。話の脈絡からして、どうやらダグラスさんを部屋に誘っているようです。
知ってます! これは『逆ナン』というやつです。『貞操の危機』です。ダグラスさんの貞操が危機なのです。
走馬灯の『18禁』のバッテンが、ちょっとだけペラッと剥がれた時に見えました。『貞操の危機』とは、嫌いな人に無理やりイヤなことをされることです。
つまりこの貴族女性は身分を笠に着て、ダグラスさんにイヤなことをしようとしている。
相手が身分で『マウント』を取るならば、わたしも黙ってはいませんよ! わたしだって一応はまだ貴族の娘なのです。
ダグラスさんは、わたしが守る!
あれはキャサリンじゃない。あの女の子はエミリーじゃない。
心の中で何度も呟いて、自分を奮い立たせます。
ですが……。もし目の前にいるのが、キャサリンでありエミリーだったとしても。
ダグラスさんを侮辱し、イヤなことを強要するならば……。わたしは立ち上がらなければなりません。
それが出来ないならば、わたしが貴族の娘として生まれた意味などありはしないのです。
* * *
「まだ、恥をかいていない、おつもりですか?」
しっかりと相手の目を見て言います。舐められたら負けなのです。警ら隊の皆さんが言っていました。
「断られているのも、嫌がられているのもわからない愚かさは、恥ではないのですか?」
驚いたような相手の反応は無視して、ダグラスさんに淑女の笑みを向けます。
「すみません、降ろして下さいな」
久しく口にしていない、令嬢言葉です。大丈夫、忘れていないです。ダグラスさんの名前は口にしません。使うのは、わたしの名前です。
「ご機嫌よう。わたくしはグリーンウッド伯爵家の嫡女、エルシャと申します。失礼ですが、お名前をうかがっても?」
母様仕込みのカーテシーで挨拶します。足も手もまだ少し震えていますが、声だけは気合で何とかします。
「イヤだわ、そんな見窄らしい伯爵令嬢がいるわけないじゃない。貴族の身分を騙るのは犯罪なのよ? わかってる?」
「今は身分を隠した旅の途中ですので。お疑いなら、どこへなりとも訴えて下さいな。ところで……あなたのお名前は教えて下さらないのですか?」
「な、なによ! 平民に名乗る名前なんかないわ!」
「その独特のお髪の色……ミンス男爵家のお血筋ではありませんか? 三ヶ月前に縁談が取りやめになったご令嬢がいたはずですわね。確か年齢が……28歳のスザンナ様」
「なんであなたみたいな子供が、そんなことを知ってるのよ!」
ご令嬢はカッと顔を赤くして言いました。
「わたくし、最近暇を持て余しておりまして、新聞は社交欄から人探しまで、半年分の全てを遡って目を通しましたの。もちろんゴシップ記事も」
「嘘よ! そんなの嘘に決まってる。新聞なんて、大人が読むものだわ!」
エミリーに似た少女がフンと鼻を鳴らしながら言いました。意地悪そうな仕草まで、エミリーに似ています。『あなたは新聞、読めないんですね』と、にっこり笑って言ってやりました。
新聞やゴシップ誌を読んでいたのは本当です。後妻や父の弱味や醜聞、悪評を拾えないかと思ったのです。図書館にバックナンバーがありますから。
「改めてお聞き致しますわ。スザンナ・ミンス男爵令嬢。名乗りもせずに、わたしの護衛を部屋に連れ込んで、どうするおつもりだったのですか?」
「つ、連れ……! そんなんじゃないわ!」
「『わたくしの相手を出来るなんて光栄でしょう?』とおっしゃっていました。何の相手をさせようとしていたのですか? 教えて下さい」
ミンス男爵令嬢は、顔を真っ赤にして口をパクパクさせました。後妻もあんな感じでした。性悪女性の間で流行っているんですかね?
「エルシャお嬢様。もう、その辺で」
ダグラスさんが、護衛らしい口ぶりで言いました。むむっ、わたしの貴族令嬢よりも、よほどそれらしいかも……!
いつの間にか人が集まって来ていました。小声で『連れ込むだって』『相手をさせるって……』と囁かれて、スザンナさんが泣きそうになっています。
「し、失礼するわ!」
妹の手を引いて、スザンナさん退場です。ちょっとやり過ぎましたかね……。後妻とエミリーに似ていたことで、八つ当たりもちょっぴりあったかも知れません。
ちなみにダグラスさんは、『なかなか見応えのあるやり取りだった』と言って笑っていました。
『エルシャ、格好良かったぞ』ですって! ふふ!
そのあと、お二人とは何度か顔を合わせましたが、こちらに関わり合いになることはありませんでした。むしろ避けられていましたね。
おかげで、非常に快適な二泊三日の船旅を満喫することが出来ました。
そしてわたしは、二人を見ても貧血を起こすことはありませんでした。我ながら単純だけれど、今なら後妻とエミリーにも負ける気がしません。
旅はこのあと、船を降りて陸路へと移行します。
乗り合い馬車を乗り継いで祖母の住む、辺境の小さな村を目指します。
読んで頂きありがとうございます。ピンク髪のビッチヒロインの成れの果てが、こんなところに……(笑)。
さて、旅もそろそろ終盤です。続きが気になる方は、ブクマや☆での評価・応援、よろしくお願いしますね!
『第16話 ドアマット幼女と西の辺境』は10/26 19:10に投稿します。




