第12話 ドアマット幼女と汽車の旅 その弍
短編版の方でレビュー頂きました。ありがとうございます。
皆さま、こんにちは。
エルシャ・グリーンウッド六歳です。
ダグラスさんに誘われて、車内の売店へと向かっています。乗り物の中にお店があるなんて凄いなぁと思っていたら、なんとレストランもあるそうです。
汽車が揺れて、スープがこぼれてしまったりしないのでしょうか。心配です。
客車のドアを開くと、連結通路は剥き出しの外でした。わたしは一歩を踏み出した途端、手すりに掴まって動けなくなりました。
連結部分で金属の通路が、ガッチャンガッチャンと派手な音を立てて揺れているのです。通路の下には線路が見えます。
なんていう初見殺しでしょう。スープの心配などをしている場合ではありません。
間近で聞く蒸気の吹き出す音は迫力満点です。服が風に煽られてバタバタと暴れています。自分の喉から漏れた『うひゃあ!』という声さえも、風に流されてしまいまいました。
後ろからダグラスさんが、わたしをガシッと持ち上げました。片手でハンチング帽を押さえて、まるで手荷物のようです。
「危ないからな」
たった2歩で隣の車両へと辿り着いてしまいました。恐縮です。そして長い足が羨ましいです。
車両ふたつ分ほど、このやり取りが繰り返されて、三つ目からは何とか自力で渡りました。へっぴり腰でしたけどね……。
四つ目の車両から、座席と乗客の服装が急に豪華になりました。ここからは指定席で、別料金が必要なのだそうです。
さらに進むと個室車両でした。きらびやかな扉の前に護衛らしき人が立っているので、貴族専用かも知れませんね。
個室車両の隣が食堂車になっていて、その手前のスペースにこぢんまりとした売店がありました。ガラスケースの中に、色々な商品が並んでいます。
箱詰めの焼き菓子や軽食類、お酒やおつまみ、書籍や新聞、葉巻やマッチ、ゲーム用のカードもあります。
わたしはシェパーズパイが入ったランチボックスを、ダグラスさんはバケットのサンドイッチを買いました。軽食を買った人は、食堂車のテーブル席で食べても良いそうです。
二人で向かい合ってテーブル席に座ると、給仕の男性が注文を取りに来ました。なるほど……これは断りにくいです。少し強引ですが、効果的な販売戦略ですね。
ダグラスさんはペールエールと、わたしのためにえんどう豆のスープを頼んでくれました。
食べながら、車窓から見た景色の話をしました。麦穂の波がとてもきれいだったこと、牛さんの模様がミルク瓶の絵と同じだったこと、色付いた秋の森がパッチワークのようだったこと。
ダグラスさんはあっという間にバケットサンドを食べてしまい、エールを呑みながらわたしの話を聞いてくれました。時々、『そうか』と言って相槌を打ってくれたので、大満足です。
ちなみに意外にも激しい揺れはなく、スープはこぼさず完食できました。
それにしてもダグラスさん、もう少しよく噛んで食べた方が良いです。お医者様のハドソン先生に言いつけちゃいますよ!
ランチボックスを食べ終わって、売店で新聞を買ってから元の座席へと戻ることにしました。
その途中でのことです。
座席の上の方にある小さなスピーカーから、車内アナウンスが聞こえて来ました。
『まもなく、当車両はトンネルへと突入します。乗客の皆様は、速やかに窓をお閉めになることをお願い致します』
それを聞いた周囲の座席の人たちが、一斉にガタン、バタンと窓を閉めはじめました。
団結力がすごいです!
わたしが感心しているとダグラスさんが言いました。
「窓を開けたままトンネルに入ると、煙が中に入って来て大変なことになるんだ」
えっ、どうしましょう! わたしの座席の窓は、下から5センチ開いて動かなくなったままなのです。
「ダグラスさん、わたしの席の窓、少し開いたままです!」
「そうか……。戻ろう」
今の『そうか』は少し焦った感じがしました。ダグラスさんはわたしをまた荷物のように抱えると、通路を大股で歩き出しました。
* * *
車両三つ分を通り抜けて、自分たちの座席へと戻るとすぐに、『ポーッ、ポッ、ポーッ』と汽笛が3回鳴りました。
そして、ダグラスさんがバタンと窓を閉めるのと、ほとんど同時に汽車はトンネルへと突入したのです。
間に合った……?
ホッとしたのも束の間、車内は真っ暗です。
わたしは不安になって、手をフラフラと彷徨わせました。無意識のうちにダグラスさんを探していたようです。暗闇は屋根裏部屋を思い出してしまいます。
「エルシャ」
ダグラスさんの大きな手が、わたしの手をそっと掴んでくれました。不安が嘘のように霧散してゆきます。
私ったら……。
ダグラスさんに出会ってから、まだたった2週間と少しです。こんなにも依存してしまって、これからどうするつもりなのでしょう。
しばらくするとチカチカと点滅してから、座席の上にある白熱灯に灯りが入りました。
『トンネル走行は約20分間です。窓をお開けにならないよう、お願い致します』
また、車内アナウンスが流れました。煙が入って来ると、相当大変なことになるのでしょうね。
「煙が入って来ると、どうなるんですか?」
「顔が真っ黒になるんだ。服にも石炭の燃える臭いが付いて、なかなか取れない」
「えっ、それだけですか?」
「ああ」
世間の人たちの『大変なこと』と、ドアマット幼女の『大変なこと』には、大きな隔たりがあるようです。
「煙を吸うと病気になるとか、車内が燃えてしまうとかだと思いました」
ああ良かったと、胸を撫で下ろしました。でもよく考えてみたら、そんな危険な煙を吐く乗り物が走り回っている筈がありませんよね。
その後、汽車は無事にトンネルを抜けて走り続けました。車窓の景色に少し飽きたわたしは、ダグラスさんと新聞のクロスワードパズルをしたり、居眠りをしたりして過ごしました。
汽車が港のある街に着いたのは、すっかり日が暮れてからのことです。
駅の近くの宿屋で一泊して、明日は早朝の乗り合い馬車で港へと向かいます。
読んで頂きありがとうございます。たくさんの感想を頂き、嬉しい悲鳴です。お返事が追いついていませんが、大きな励みになっています。『番外編 その頃、グリーンウッド邸では』は10/14の19:10に投稿します。続けて読んで頂けると嬉しいです。
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