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死の影

朝の点呼の笛が鳴り響く。

二日目の作業が始まった。透の体はすでに限界に近く、全身が鉛のように重かった。昨日の労働で擦り切れた掌は包帯もされず、その上からまた無理やり工具を握らされる。痛みが走るたび、全身が痙攣した。


「立て、動け!」

監視官の怒号が飛ぶ。声に逆らえば、容赦なく電撃棒が振るわれる。すでに一人の受刑者が倒れ、動かなくなっていた。誰も助けようとはしない。周囲の囚人たちは顔を伏せ、見て見ぬふりをするだけだった。


透は息を呑んだ。人が倒れているのに、誰も反応しない。やがて何人かの監視官が無造作にその身体を引きずり出し、外へと消えていった。まるで壊れた道具を処分するかのように。


(……ここは、本当に“刑務所”なのか?)

透の中で疑念が膨らむ。昨日の作業でも数人が倒れていた。彼らがどうなったのか、誰も語らない。ただ無言で数が減っていくだけ。


「無駄なことを考えるな」

不意に横から声をかけられる。晴久だった。鋭い目で透を睨みながら、小さく首を振る。

「ここで生き残りたいなら、余計な詮索は命取りだ」


忠告めいたその言葉は重かった。だが、透の胸に渦巻く不安を消すことはできない。監視官たちは囚人を人として扱っていない。この施設の真の目的は、更生でも労働でもない。まるで……能力者を一人ずつ消していくための装置のようだ。


「……俺も、いずれこうなるのか」

透は震える声で呟いた。


昼過ぎ、別の作業区域で悲鳴が上がった。振り返ると、一人の若い囚人が鉄骨の下敷きになっていた。監視官は救助もせず、淡々と作業を続けるよう命じる。血に染まった床がじわじわ広がる中で、透は吐き気を堪えるしかなかった。


「死は、ここでは日常だ」

晴久の冷めた声が響く。その言葉に透は背筋が凍りついた。


夜、作業場を出る頃には四人の姿が消えていた。誰も名前を呼ばない。誰も数を数えない。存在そのものが、初めからなかったかのように処理される。


(やっぱり……これは刑罰なんかじゃない。俺たちは“消されている”。)

透の心は凍りつき、同時に逃げ出したい衝動に駆られた。だが監視官の鋭い目が、鎖のように自由を縛る。


その夜、硬いベッドの上で透は眠れずに天井を見つめ続けた。暗闇の中で脳裏をよぎるのは、血まみれの床と引きずられていった遺体。

「……ここは、生きて出られる場所じゃないのかもしれない。」


そう悟った瞬間、透の心に言いようのない恐怖が広がっていった。


作業場の空気は、時間が経つごとに重く、淀んでいった。鉄の音、鈍い咳、そして何より、力尽きた者が床に倒れる音。そのすべてが透の耳を刺す。


「また一人か……」

誰かが低く呟く。振り返った先では、先ほどまで黙々と作業をしていた受刑者が椅子からずり落ち、ピクリとも動かなくなっていた。


係員が近づき、無造作に脈を取る。そして、確認を終えるとまるで壊れた機械を処理するかのように仲間を呼び、担架でそのまま連れ去っていった。


「生きてるのに……」

透は確かに、男の胸がわずかに上下しているのを見た。だが係員たちは気にも留めず、まるで死体と同じように扱っていた。


胸の奥が冷たくなる。ここは刑務所じゃない。更生の場でも、働いて借金を返すための場所でもない。——人を削って、壊して、消すための場所だ。そんな言葉が頭に浮かぶ。


透は慌てて首を振った。自分の考えを否定したかった。だが、次々と連れ去られていく者たちの数を目の当たりにするたび、疑念は強まるばかりだった。


「大丈夫か?」

横にいた晴久が声を掛ける。透は返事もできずに唇を噛みしめる。晴久の目には諦めが宿っていた。それは「この光景を何度も見てきた者の目」だった。


作業場を満たす音は変わらない。だが透の中では、静かに何かが崩れ始めていた。

「ここから生きて出られるのか……?」

その問いは誰に向けるでもなく、心の中で凍り付くように響いていた。

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