見えないって、楽だ
――「見えないって、楽だ」
昼休み。教室の片隅で、霧島 透は“気配”を殺していた。
クラスメイトが輪になってスマホを覗き込み、SNSのバズりネタで盛り上がっている。
笑い声。軽口。嘲り混じりの視線。
何の変哲もない日常の中で、彼だけが風景の一部だった。
「……おい、霧島」
唐突に名前を呼ばれて、透の肩がビクッと揺れる。
「え?」「いたの?w」「マジで気づかなかったわw」
いくつかの笑いが起きた後、机の上に誰かが牛乳をバン、と叩きつけた。
「こぼしちゃった。拭いといて」
叩きつけられた牛乳はパックが裂け中からこぼれだしていた。
透は何も言わずにポケットからハンカチを出した。言い返さないのが日常で、戦わないのが透のだった。
「はー、ほんとに影薄いよなー霧島って。存在税かからねーの、ズルくね?」
「いや、逆に能力者だったりして? 透明化とかw」
その言葉に、クラスの数人が笑う。
透はそっと目を伏せ、ハンカチをゆっくり動かし続けた。
(……もし本当に透明になれたら。誰の目にも映らなかったら)
そう思った瞬間だった。
ふと、誰かの視線が――スッと逸れた。
次の瞬間、目の前の生徒が小さく呟く。
「……あれ? アイツどこ行った?」
空気が変わった。
周囲がざわつく中、透だけが気づいていた。"自分の身体が消えている"ことを。
(な、に……?)
自分の手が、制服が、影さえも、存在していない。
周囲が驚き始める。誰かがスマホを向けた。誰かが教師を呼びに走った。
そして――
「霧島透、中学三年生、能力使用記録確認――第1回申告未提出」
機械的な音声が、教室のスピーカーから流れた。
「能力使用課税手続きが未登録のため、ペナルティ加算が発生します。詳細は通知を確認してください」
「えっ、マジでアイツ能力者だったの?」
「透明化とかやばくね?w」
「いやでも、これ課税対象って……親とかどうなんの……?」
透は、まだ自分の姿が見えないままだった。
だけど確かにその瞬間――透明になることで、初めて"見てもらえた"気がした。
それが彼の人生を変えた、最初の脱税だった。
あれから1年の月日がたった。
霧島透は、“静かに”生きてきた。
去年の透明化事件は借金をして少しづつ返していくことになった。未成年であったが国が借金を作ることを認めてくれた。
高校の教室。透は窓際の席で、スマホの家計簿アプリを見つめていた。
「……また利子増えてる」
表示された金額:1億2409万7,540円
無申告による加算税、法定延滞金、能力使用履歴による課徴課税、すべて含まれた「霧島透の納税義務総額」。
高校入学後は一切使っていない。申告も毎月している。
それでも――中学時代に“無意識に使っていた”記録が、後から後から掘り返される。
教室のざわめき。誰かの笑い声。
そんな日常の中、透は椅子に座りながら、ひたすら自分を「動かさないように」していた。
(もう使わない。二度と。見つからなければ、気づかれなければ)
まるで自分の存在を「課税されない空気」に変えるように、日々をやり過ごしていた――その矢先だった。
昼休み。
校門の前に、黒いスーツ姿の男女が立っていた。
通行証も身分証も提示せず、しかし堂々と学校敷地に入り込むその姿は、明らかに“公的な違和感”を纏っていた。
その一人――長い黒髪に銀の髪留めを挿した女が、小さく呟いた。
「霧島透、現在位置確認。校舎北棟、1-3教室、座標誤差0.1メートル。能力反応、微弱にして検出圏内」
「課税超過、1億超えか……。そろそろ“徴収対象”としても合法であるな。」
男が笑う。
女は無表情のまま、肩に掛けたバッグから一枚の紙を取り出した。
『特別徴収許可証 第u-47号』
署名:異能監査局主任
そのとき。
教室の天井に、ピピッという小さな電子音が鳴った。
誰も気にしていなかった。……透以外は。
(……来た)
背筋に冷たい汗が流れる。
空調ではない。虫でもない。
これは――"徴収官の「探知波」"だ。
ドクン、と心臓が跳ねた。
(このままじゃ、終わる)
椅子から立ち上がろうとした、その瞬間――
「1-3、霧島透くん。異能監査局から来ました。校門までご同行をお願いします」
校内放送に透の名が響いた。
教室中がざわついた。
誰かが振り返る。誰かがクスクス笑う。誰かがスマホを構える。
透は、反射的に、“使っていた”。
何もない空間へ、一歩踏み出す。
教室の喧騒が止まり、彼の姿が、スッと“消えた”。
次の瞬間――
「霧島透、無申告能力使用を確認。特別徴収を開始します」
黒髪の徴収官・玖条 澪が、無言で右手を掲げた。
その瞳は、青白く光っていたような気がした。