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ティンカーベル書房の男の子

「ティンカーベル書房……ここかしら」


 おばあちゃんに書いてもらった地図を頼りに西の街を歩いていると、角を曲がった先にぽつんと看板があった。本が、飛んでいる鳥みたいに左右にページを広げている形になっていて、右下に『魔法書専門・ティンカーベル書房』って小さな文字で書いてある。


「こんなところに貸本屋さんがあるなんて全然知らなかったわ」


 赤茶色の煙突屋根に黒ずんだ壁。たくさんの蔦が絡まっているのでしっかり目をこらさないと入り口に気づかない。お店というよりはただのお家みたいね。


「本当にここでいいのよね」


 何度も地図を確認したけれど間違いない。門の近くに呼び鈴がなかったので「おじゃまします」と断って中に入った。板チョコレートみたいな扉を四回ノックしたけれど、やっぱり返事はない。


「ごめんくださぁ……い」


 知らない人のお家に勝手に入るみたいでドキドキする。中は思ったよりも狭くて……ううん、違うわね。天井から足元までぎっしり本が積みあがっているせいで狭く感じたの。他にあるものと言えば、本を一冊広げるのがやっとというくらいのテーブルとくたびれたソファーがひとつ。でもだれもいなかったわ。


「すみませーん! おばあちゃん――マリア・ミストに頼まれてきました。だれかいませんかー?」


 耳をすましたけれど反応なし。困ったわ。お店の本を勝手に見るわけにはいかない。


 困ってぐるぐる見回していると、本棚と本棚の間に隙間があることに気がついた。その向こうから光が差し込んでいる。


「この奥にだれかいるかも」


 お腹を凹ませればなんとか通れそうな隙間に、思いきって入ってみることにした。失敗して膨らまなかったクッキーみたいに、背筋をピンと伸ばし、あごを引き、平べったく。言っておくけど普段はこんな行儀の悪いことはしないわよ。お使いだから仕方ないのよ。


「……っぷはぁ、ようやく抜けた」


 とても長い時間に感じたけれど、ようやく抜けた。なくなった分の息を吸いながら見上げた先には、


「うわぁっ……すごい量の本棚。これぜんぶに本が入ってるの!?」


 書庫っていうのかしら。首が痛くなるほど背の高い本棚にぎっっしり本が詰まっている。一列、二列、参列、四列……うぅ、すごい数。ためしに端っこから数えてみよう。


「五十二、五十三、五十四……まだあるの?」


 広すぎて疲れてきちゃった。だれもいないんだもの。


「……九十二、九十三、九十五、九十八……あら、抜けちゃったかな?」


 じつは計算苦手なのよね。

 両指をつかって数えなおしていると、〇、の向こうに人影が見えた。


「ん?」


 〇と〇で眼鏡をつくってもう一度見てみる。


 まちがいない。人がいるわ。本棚に寄りかかって本を見ている。


「ねぇそこのあなた!」


 なんだか随分長い時間人と話していなかった気がして、思わず走り出した。


 近づくと相手がわたしと同じくらいの子どもだと分かった。まっしろな髪――雪髪(ゆきがみ)って呼ぶのよね――をうなじの辺りで切りそろえているのでたぶん男の子ね。分厚い本を両手で抱え、真剣な目つきで字を追っている。


「ねぇあなた」


 男の子は全然反応しない。まるでわたしの声が聞こえていないみたいに。


 まぁ、そうよね。真剣に本を読んでいるところを邪魔されたらイヤよね。


 そう思ったからわたしも少し待ってみることにしたの。男の子が読んでいる本を上からじっとのぞき込んでみたり(読めなかったけど)、正面に座ってみたり、咳払いしてみたり、せっかちなわたしにしてはかなり我慢したのよ。


 それでもまーったく気がつかないんだもの。ちょっと悲しくなってきた。


「ねぇ……、ねぇ……、ねぇったら!!」


 思わず大声になってしまったわ。こんなに長い時間無視されたのは初めてだった。


「あなたに言ってるのよ!」


 とうとう我慢しきれなくなって男の子が読んでいる本を奪い取った。ここまでやれば無視できないでしょう?



「ぇっ…………?」



 男の子はおとぎ話の妖精でも見たようにびっくりしていた。焦点が合っているはずなのに、石みたいに固まったまま瞬きひとつしないのよ。


 でもね、目が合ってびっくりしたのはわたしも同じだったの。男の子の顔にすごく見覚えがあったんだもの。それに、湖に映りこんだ真夏の森のいちばんきれいなところを抜きだしたような深い緑の目。これこそがエメラルド色かしら。


「おれが“見える”のか?」


 悪くない声だったわ。好きになれそうな声。

 でも「見える」ってどういう意味? 初めて会った相手に聞くこと?


「あ、分かった! 『かくれんぼ』していたのね?」


「……」


 男の子がじろりとにらんでくる。ハッとして口を押さえた。


「ごめんなさい、かくれんぼしていたのよね。……おほん、小さな声で話すわね」


 おばあちゃんによく言われるのよね、わたしの声は夜明けを告げる雌鶏より元気がいいって。


「わたしはエマ・ミスト。おばあちゃんが借りた本を返しに来たの。あなたお店の子?」


 男の子は黙っている。言葉が分からないわけじゃないわよね? 


「あなたは何歳? 同じくらいよね。わたしは九歳。もうすぐ十歳になるの。なに読んでいたの? んー、難しくて読めないわ。わたし魔法が使えなくて魔法書も全然読めないのよ。おばあちゃんの孫なのにおかしいわよね。それよりもあなたの顔って」


 バタン、と本を閉じて男の子が立ち上がった。ものすごく不機嫌そうな顔をしている。


「え、待って、どこにいくの?」


「静かなところに」


「あ、おしゃべりがいやなのね。ごめんなさい。でも止まらないの」


 今度は突然止まったから背中にぶつかってしまった。男の子はわたしを振り返り、人差し指をスッと横にすべらせる。


()()()


 一瞬きゅっと唇が痛くなったけど、わたしが自分で口をつぐんだせいだった。力を緩めれば、ふつうに話せる。


「いまなにしたの。もしかして魔法……?」


 男の子は目を瞬かせた。


「なんで『おしゃべりを黙らせる魔法』が効かないんだ?」


「あ、やっぱりあなたも魔法が使えるのね。すごいわね。わたしは全然だめで。魔法書を見たらなにか使えるようになるかもしれないと思っていたの」


 突然ぴたっと立ち止まってこっちを見た。なんだか泥棒でも見るような目だわ。


「魔法が使えない? うそつくな」


「うそじゃない。本当のことだもの」


「魔力の強さは眼の色で分かるんだ。エメラルドの瞳を見たらあわてず騒がず回れ右――って教科書にも書いてあるくらいさ」


 そんなの見たことない、どんなテキトウな教科書なの?


 瞳の色で力が分かる? エメラルドは最強? そんなはずないでしょう。それともわたしの目はやっぱり亀の甲羅色なのかしら。


「でもあなたも同じ目の色よね?」


 そう問いかけると、男の子の、深い森の中を思わせるエメラルド色の瞳が一瞬輝いたように見えた。湖に雨粒が落ちて揺れるみたいに。


「エメラルドの眼が“分かる”のか――?」


「うん。他人の目をこんなにじっくり見るのは初めてだけどね」


「信じられない……」


 よほどショックなのか、男の子は大きくため息をついて、前髪をくしゃくしゃに丸めた。


「『顔を変える魔法』まで効かない……どうなってるんだよ。わけがわからない」


 わけがわかないのはこっちよ。


「ところであなた、だれかに似てるって言われない? すごく見覚えがあるんだけど」


「知らないね。自分以外にエメラルドの眼をもつ子どもがいるなんて」


 男の子がズンズン進んでいくのでわたしもズンズンついていく。

 本棚の森を抜けたところでぱぁっと眩しくなった。天井まで届きそうな大きな窓があって、太陽が差し込んでいるの。


「あっ!」


「……なんだよ」


「見て!」


 ピカピカに磨かれた窓ガラスにふたりの子どもが映っていた。ひとりはわたし。もうひとりは……“わたし”だ。


「あ、そうか! 顔がそっくりなのね! 毎朝鏡で見ているんだから見覚えがあって当然よ」


 わたしたちは鏡に映したみたいに同じ顔をしているの。髪や服装はもちろん違うんだけど、目も、鼻も、口も、そばかすまで一緒。こんなことある? いいえ、ないわ。


「もしかして夢ってことはないわよね?」


 念のため自分の頬をつねってみた。痛い。うん、夢じゃないわ。起きてる。


「ちっ、うるさいのが来たな……」


 男の子は机の上の書見台に本を乗せるとお腹が痛くて我慢している人みたいに前のめりになった。もう話しかけてくるな、って空気をびんびんに出してる。


「ねぇ」


「本ならそこらへんに置いとけ。あとでルシウスが片づける」


「他の本も見ていい?」


「勝手にしろ」


「……あの」


「なんだよ。まだあるのか」


 トゲトゲしい口調でこっちを見る。


「あなた、魔法でできているんじゃないわよね?」


「は?」


「こんなにそっくりだなんて魔法みたいじゃない? さわって確かめてみてもいい?」


 男の子のほおに手を伸ばすと「さわるな」と本でガードされた。


「けちー」


「けちじゃねぇよ。思いつく魔法と言ったら『鏡写しの魔法』だけど、あれは自分そっくりにしか造れないから性別や髪や服装を変えることはできない。つまり、たまたま、偶然、奇跡的にそっくりな赤の他人ってこと」


「そうなの? まだ学校で習ってないから知らなかったわ」


「あたりまえだろ。大学の専門書に書いてあるような内容だぜ」


「すごい、頭いいのね! やっぱりわたしとはちがうのね」


 さっきから「すごい」しか言ってないわね。でもすごいんだもの。

 自分と同じ顔の男の子が目の前にいるのよ。男物のシャツを着て、男物のズボンを履いて、髪の毛も短い。わたしが男に生まれたらこうだったのかしらって想像すると楽しい。


「そんなにじろじろ見るなよ。ただでさえ自分と同じ顔の女がスカート履いているなんて気持ち悪くて吐きそうなのに」


「ちょっ、なにその言い方、わたしはおばあちゃんが縫ってくれるスカートが好きなの。なんならあなたもどう?」


「死んでもごめんだ。もうどっかいけ、じゃま」


 しっしっ、と犬でも追い払うような冷たい態度。

 なによ。こんな奇跡みたいなことが起きているのに感動しないの?


「じゃあ最後に名前おしえて。そうしたら帰るわ。――わたしはエマよ。エマ・ミスト。あなたの名前は?」


「はぁ…………アレンだよ。アレン・ティンカーベル」


「アレン? へぇ、すてきな名前ね」


「うるさいな。名前教えたんだからもう帰れよ!」


 顔を赤くして怒鳴るから、ムッとしたわ。そんなに冷たくしなくてもいいのに。


「分かった。分かりました。帰ります。おじゃましました。本はここに置いておくからね」


 空いていた書見台に本を立てかけ、ぷんぷんしながら歩き出した。途中の本棚にパンケーキみたいに積み上げられていた本が目に入って、「ちゃんと整理しなさいよ」と一冊手に取る。



「――――おい上っ!」



 がたん、とイスを蹴って立ち上がる音がした。


 えっ? と上を見るとバランスを崩した本が降ってくる。大きく開かれたページが巨大なワニみたいに口を広げて――――食べられちゃうっ!

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