ほんとうのおかあさん
雲を抜けて降りていくと青い海の真ん中に緑色の島が見えてきた。
あ、カナリア島だわ。
右上にくちばし、左下には二本の羽。空から見るとちゃんとカナリアの姿なんだっておばあちゃんが言っていたもの。
パッと雷が横切った。スクリーンごしなのにわたしの体もびくっと震える。
『季節外れの雷か。縁起がいいねー。神様からの贈り物だ』
くるくると回転しながら落ちていき、菜の花が一面に広がる原っぱにゆっくりと降り立った。ルシウスさんが急いで向かった先は青い屋根の一軒家。
「あそこ、わたしの家だわ!」
「ほんとうか?」
「うん。今より屋根の色が新しいけれど、この形は間違いない」
扉を四回たたくと「はい」と返事があっておばあちゃんが姿を見せた。いまと全然変わってない。
『遅いじゃないか、ルシウス。せっかく手伝わせようと思ったのに』
『すみません、ぼくも宮廷魔法使いとして忙しいんですよ。エレノアは? 赤ちゃんは?』
『母子ともに無事だよ。ここでちょっと待ってておくれ』
エレノア。アレンの本当のお母さんの名前なのよね……。
でも、わたしもその名前を知っているの。
『おまたせ、エレノアが来てもいいってさ』
『では、おじゃまします』
おばあちゃんに連れられて奥の部屋に向かうと、いつもわたしとおばあちゃんが寝ているベッドに女の人が横たわっていた。
わたしと同じ黒髪、おばあちゃんと同じ茶色の瞳。
写真で見たことがあるわ、おばあちゃんの大事なひとり娘、エレノア。とびっきり美人というわけではないけれど、明るくて、とてもよく笑う子だって聞いたわ。わたしとそっくりだって。
でも、生まれつき体が丈夫じゃなかったみたい。いま見ても氷みたいに肌が白いわ。
『おめでとうエレノア。お祝いの花だよ』
『ありがとうルシウス。早速で悪いけれど手を貸してくれない?』
お母さんはルシウスさんに支えられてゆっくり体を起こす。つらそう。
『助かったわ。きれいなバーベナね』
『どういたしまして。友人の出産に駆けつけられてうれしいよ。で、こっちが赤ちゃんだね』
ベッドの傍らには大きなゆりかごが置いてあり、白いおくるみの中から小さな腕が出ている。これが生まれたばかりのわたしなのね。すごくちっちゃい。あぁ早くルシウスさん顔を見てくれないかしら。
『エレノア。出産したこと王様には連絡するのかい?』
『ええ、手紙を送るつもり』
『妊娠したきみを王宮から追い出した悪い夫なのに?』
『あれは意地悪な王妃たちの仕業よ。でも怒ってないわ。窮屈な王宮じゃなく大好きなこの島で子どもを育てられるんだから、むしろ感謝しなくちゃ』
笑ったときの頬の上げ方はおばあちゃんそっくり。親子なのね。なんだかわたしまでうれしくなってきて、ニコニコしてしまった。
横で見ていたアレンがぽつりと。
「気持ちわるい顔だな」
「アレン、女の子の顔をバカにしちゃいけないのよ。王子様でしょう?」
「知るか。王子でも気色悪いものは気色悪いんだ」
ひどい言い草ね。でも許してあげるわ。いま機嫌がいいのよ。
逆にアレンは機嫌が悪そう。眉間にしわを寄せてお母さんたちを見ている。
『ところでエレノア、もう名前は決めたのかい?』
『もちろん。十年前から考えていたの』
お母さんはピンク色のバーベナを手に取り、ゆりかごの上にそっと乗せる。
『とびっきり大きな産声をあげて生まれてきた元気いっぱいの女の子、エマ』
ようやく顔が見えた。
あぁ、わたし、なんて小さいの。顔なんてしわくちゃで、言われなくちゃ自分だってことも分からないじゃない。
『それから』
お母さんはもうひとつ、今度は白いバーベナを手に取る。
しわくちゃのわたしのとなりには、同じしわくちゃの赤ん坊が眠っていた。手と手をつないで、まるで、一緒に生まれてきたみたいに。
『へその緒が絡まって青白い顔をしていたけれど、しっかりと泣いてくれた頑張り屋の男の子、アレン』
わたしとアレンは、だれに言われたわけでもないのに視線を合わせていた。
「わたしと――」
「――おれ?」
鏡のようにそっくりなお互いの顔を、まるで幽霊を見つけたみたいに、ただ見つめる。
『エマとアレン。わたしの大切な子どもたちよ』
お母さんのうれしそうな声が、わたしたちの間をすり抜けていく。