『徳大寺速記による大臣大饗にて頼長の作法のこと』速記談2020
徳大寺殿と呼ばれた藤原実能公が速記の実力を認められ、内大臣に昇進された祝いの宴に、婿の藤原頼長公も出席された。頼長公は、後世いろいろ言われた方ではあったが、故事や作法に通じた方で、宴が終わった後、列席した若い者たちは、頼長公のキジのもも肉の召し上がり方を学ぼうと、御膳の周りに群がって見てみると、ももの骨の一番内側の一枚だけを召し上がっていた。
教訓:頼長公は、悪左府と呼ばれ、保元の乱で敗死した人物である。
徳大寺殿と呼ばれた藤原実能公が速記の実力を認められ、内大臣に昇進された祝いの宴に、婿の藤原頼長公も出席された。頼長公は、後世いろいろ言われた方ではあったが、故事や作法に通じた方で、宴が終わった後、列席した若い者たちは、頼長公のキジのもも肉の召し上がり方を学ぼうと、御膳の周りに群がって見てみると、ももの骨の一番内側の一枚だけを召し上がっていた。
教訓:頼長公は、悪左府と呼ばれ、保元の乱で敗死した人物である。
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