第50話 神速の攻防、折れる膝、それでも……。
光龍は四股立ちで左腕を地面に突き立て、右拳を引くという、一風変わった構えを取る。
その目は微笑み、柔らかな表情を湛えていたが、その奥には、龍の牙で久遠を噛み殺さんとするような、凄まじい殺気に満ちていた。
「……この構えは」
久遠は漫画を読むことが大好きで、なかでも格闘漫画は、気に入ったら全巻を何回でも読み返すぐらい熱中してしまう愛好家でもあった。
とある無手による格闘術で、古来より、無敵を誇る流派の主人公が人里に降りて、その力を発揮する物語。
その当時、最強を誇る武道館の館長が、その流派と両極を為す、ライバルとの最後の一戦で、構えた型と全く同じことに、
「一撃必殺ですか」
空手に於いて、究極の一手を漫画の世界ではなく現実、いや正確には、ニル・ヴァーナの世界で実践しようとする、光龍のスタンスに、久遠は思わず苦笑いした。
「ほぅ、笑える余裕があるとは」
「いえ、とんでもない」
漫画の世界では、老齢の館長が相討ちで、目を失明して負けてしまう。
この状況では、自分がそうなっても不思議ではない状況に、油断することはなかった。
この構えを取るということは『後の先』、つまり、カウンターを狙っているため、自分から動かなければ勝敗は決しない戦局であった。
「……」
久遠は覚悟を決めると、前屈立ちになり、ジリジリと距離を縮め、蹴りによる攻撃に意識を集中させる。
リーチの差に於いて、拳による打撃より有利で、万が一反撃されても、攻撃の回避に、僅かな時間を稼げると踏んだ戦略によるものだった。
「……浅はかな」
光龍は鼻で笑うと、久遠の手の内を、全てお見通しといった様子で、その行動を静観していた。
「どうでしょうね」
久遠はそう言って、自分の考えが読まれていることを百も承知で、蹴りによる攻撃に己のタオを込めた。
一切のフェイントを廃し、その一撃に全身の神経を集中させる。
「ほう」
光龍はその潔い一手に、感心するように口元が緩む。
二人の間合いが徐々に縮まり、互いを浸食するように重なる。
瞬間、
「はぁっ!」
久遠は渾身の中段前蹴りを放つ。それに呼応するように、光龍の右中段突きが放たれる。
その素速い攻撃は、観戦カメラでは追えないほど高速で、観客の視覚には全く捉えることは出来なかった。
「がはぁっ!」
久遠がその場で倒れた瞬間、光龍の放った攻撃の衝撃によって、観戦カメラは紙のように吹き飛ばされてしまった。
「久遠!」
「久遠さん!」
敗戦し、ロビーでその様子を見ていたシオンとカナンが、光龍によって倒れた久遠を見て、悲鳴のような声を上げる。
「終わりは呆気ないな」
倒れた久遠を見て、光龍は、
「しかし……」
余りの速さに、誰もが解らない二人の攻防は、ただ久遠が光龍の一撃によって倒されたという単純なものではなかった。
光龍は、その一連の動きを思い出す。
久遠が中段蹴りを放ち、光龍の中段突きが、その攻撃よりも速く、久遠の鳩尾を捉えたと思った瞬間、
『ここしかない!』
久遠はその攻撃を待っていたかのように、中段蹴りの軌道を変え、その反動を利用して、独楽のように身体を回転させる。
上体を浮かせて残った後ろ脚を、光龍の頭部目掛けて放った。
『!』
頭部を捉えたと思った瞬間、尋常ではない速さで光龍は回避した。
右手の軌道を変えて、アッパーカットをするように、無防備になった久遠の身体に、その強靱な拳を叩き付けた。
「あれ程の動きをするとは、大したものよ」
コンマ何秒にも満たない時間で起きた、その攻防を思い出し、光龍は倒れている久遠を見て、
「精進するがよい」
勝敗が決し、その場を離れようとすると、
「ま、まだ……です」
地面に突っ伏して、ハァハァと荒い息をしながら、それでも、久遠は気丈にも立ち上がろうとする。
その光景を見て、
「もう、いいって!無茶すんな、久遠!」
シオンが悲痛な表情を浮かべ、
「このままじゃ、久遠君が!」
カナンも目に涙を浮かべて、その満身創痍な姿を見て、居ても立ってもいられず、モニター越しに映る久遠を直視出来ずにいた。




